「諸君!」に掲載された坪内祐三氏の「文学的」社会評論を集めた本。
難解とは言わないが、かなり歯応えのある論文も入っている。
私には、リベラル派が言い立てる「反米」という無恥への氏の骨がらみの嫌悪感だけは心底共感できたが、「うーん」という論文もある。
社会評論というものはやはりリアルタイムで読むべきものですね。坪内ファンの私もこれはちょっと苦しい一冊でした。
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同時代も歴史である 一九七九年問題 (文春新書 507) 新書 – 2006/5/19
坪内 祐三
(著)
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イラン革命、ソビエトのアフガン侵攻の起こった七九年は歴史の大きな転換期だった。歴史に無自覚な日本人は今をいかに生きるべきか
- 本の長さ249ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/5/19
- ISBN-104166605070
- ISBN-13978-4166605071
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/5/19)
- 発売日 : 2006/5/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 249ページ
- ISBN-10 : 4166605070
- ISBN-13 : 978-4166605071
- Amazon 売れ筋ランキング: - 977,775位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,574位文春新書
- - 27,695位エッセー・随筆 (本)
- - 64,455位歴史・地理 (本)
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2007年8月8日に日本でレビュー済み
とても面白い一冊ですが、この作家がこのテーマで書くのに新書では物足らなさばかりが残ります。せめて「1972」くらいのヴォリュームが欲しかったです。あるいは、本書はガイダンス的な一冊に過ぎなくて、このあと大著が待っていれば嬉しいのですが。
2009年1月20日に日本でレビュー済み
題名の一九七九年問題というのは、一九七九年に近代的世界観に限界がきたということのようです。簡単に説明すれば、国家と宗教、国民と信仰、政教分離の問題が一九七九年に再び問われだしたということなのですが、それだけに根が深く、古くて新しい問題だと思います。
日本では「国家」と「宗教(神)」の関係を、あまり意識せず暮らしていますが、海外では宗教が生活の基本にあり、国家と宗教の関係が「近代国家」の根源にあるということが、よく分かります。
坪内氏の指摘に納得できるかは別にしても、この本は近代国家、宗教、自由、戦争、愛国心、歴史などの考察が載っており、考えさせられる本だと思います。
日本では「国家」と「宗教(神)」の関係を、あまり意識せず暮らしていますが、海外では宗教が生活の基本にあり、国家と宗教の関係が「近代国家」の根源にあるということが、よく分かります。
坪内氏の指摘に納得できるかは別にしても、この本は近代国家、宗教、自由、戦争、愛国心、歴史などの考察が載っており、考えさせられる本だと思います。
2006年6月3日に日本でレビュー済み
書名中に「一九七九年問題」とあるが、そこに直接触れるのが最終章。79年に起きたイラン革命とソビエトのアフガン侵攻という「二つの出来事は連動し、歴史の大きな(何百年という単位の、いや千年を越える単位であるかもしれない)大転換であったことは明らかである」(p241)。冷戦で対峙した自由主義も共産主義もフランス革命由来の近代の産物である。しかし79年は「その近代的な歴史観では『世界』をかかえきれなくなった、そういう『歴史』がはじまった(あるいは幾つかの『歴史』が交差することになった)年だった」(p248)、と著者は論じる。ま、要するにポストモダン話なんですけど。
私はその主張にあえて反対しないけれど、著者の口振りがウォーラーステインの「68年革命」論と似すぎているのが気にかかる。本書には全共闘世代と団塊世代の微妙な差異から語り起こされる68年革命論も収められており、著者が先行する議論を意識していないわけがない。とすると、あれこれ年代を挙げて歴史的断絶を言い立てる著者の議論は、もしやまるごと、たちの悪い冗談じゃないかと思ったりする。
やや韜晦を孕んだ、奥歯にモノの挟まったような語り口にイライラさせられる面もあるが、収められたウンチク話はいずれも興味深い。個人的には「今さらネオコンだなんて」が勉強になった。「『一九六八年』を担ったのは誰だったか?」を、山本義隆や秋田明大ではなく橋本治こそ「1968年」の人物ではないか(p124)、などと締め括って論点を鮮やかに印象づける手際も、著者のエッセイストとしての力量を示していると思う。なんか、ちょっと悔しいけど…
私はその主張にあえて反対しないけれど、著者の口振りがウォーラーステインの「68年革命」論と似すぎているのが気にかかる。本書には全共闘世代と団塊世代の微妙な差異から語り起こされる68年革命論も収められており、著者が先行する議論を意識していないわけがない。とすると、あれこれ年代を挙げて歴史的断絶を言い立てる著者の議論は、もしやまるごと、たちの悪い冗談じゃないかと思ったりする。
やや韜晦を孕んだ、奥歯にモノの挟まったような語り口にイライラさせられる面もあるが、収められたウンチク話はいずれも興味深い。個人的には「今さらネオコンだなんて」が勉強になった。「『一九六八年』を担ったのは誰だったか?」を、山本義隆や秋田明大ではなく橋本治こそ「1968年」の人物ではないか(p124)、などと締め括って論点を鮮やかに印象づける手際も、著者のエッセイストとしての力量を示していると思う。なんか、ちょっと悔しいけど…
2006年9月29日に日本でレビュー済み
「同時代も歴史である」ってのは「歴史も同時代である」ってのと同義である。この連作評論は“アクチュアルな現代の事象の中に、過去の事象を参照しながら、歴史を見なければならない”というコンセプトの基に書かれている。もう過去→現在→未来って直線的に時間の流れていかないポスト・モダンの時代だからこそ、過去の参照が重要ってお題目はよくわかる。この著書には、その先のセンスがある。DJが今の気分に合わせて昔のお皿をセレクトするように、この著者は現代の事象と古今東西の出来事をマッチングしていく。「転向」「ネオコン」「全共闘」そして「一九七九年問題」...こうして紐解かれると、過去と現在と未来がまさに地続きであることがよくわかる。それは直線ではなく平面的なイメージだ。それにしても、どれも目の付け所がいい。この人はイデオロギー的にポジショニングされることを注意深く回避していて、そこら辺の頭の良さを感じさせる。自分の好きなことを好きなように表現する自由をキープし続けている。山本夏彦を取り上げるあたりのセンスもシブい。
とは言え、僕らも、リアルタイムに生きてきた過去をどう語り継いでいくか?だよな。過去を知らない若い人に、その時代を語るとき、どうしても都合よく偽史として語ってしまうということはありがちだ。そんな前時代的な語りではなく、もっとライトに、今の出来事のように語ること。それが出来ればいい。もちろん、その時代を生きていない人の語りにも耳を傾けたい。この本は、そんな“歴史”に対する新たなパースペクティブを提示してくれて、とても刺激的な読み物になっていると思う。
とは言え、僕らも、リアルタイムに生きてきた過去をどう語り継いでいくか?だよな。過去を知らない若い人に、その時代を語るとき、どうしても都合よく偽史として語ってしまうということはありがちだ。そんな前時代的な語りではなく、もっとライトに、今の出来事のように語ること。それが出来ればいい。もちろん、その時代を生きていない人の語りにも耳を傾けたい。この本は、そんな“歴史”に対する新たなパースペクティブを提示してくれて、とても刺激的な読み物になっていると思う。