大西瀧治郎中将は昭和19年9月30日マニラの第一航空艦隊司令長官の内命を受け、10月2日羽田飛行場発、10月7日に現地入りという慌ただしい赴任であった。 これまでの長官は、角田覚治中将(海兵39期、昭和19年8月2日テニアン島戦死)、寺岡謹平中将(40期、昭和19年8月7日親補、大西瀧治郎中将(40期、昭和19年10月現地入り)、軍需省航空兵器総局総務局長だったが、このままで米マ軍のレイテ上陸を迎えていたら、航空機体当たり攻撃は採用されなかったかもしれない。 この当時、空母千代田艦長城英一郎大佐のように「練度が十分でなく、体当たり攻撃以外他に方法はない、特攻隊の指揮官にして欲しい」という意見書や嘆願書は採用されずとも多かったようだ。 これ以外にも岡村基春大佐の特攻機生産提言、黒木博司中尉・仁科関夫少尉らの水中特攻血書提案、太田正一特務少尉の桜花の進言、これら必死の戦法はまだ強制命令、実行という機運はなかった。 しかし戦争の状況は待ってくれない。 飛行練度は落ち、航空機は少なく、無惨に撃ち落とされるだけ。 当然に上級者は部下の指揮官に内意は話し、意見を聞く。 これまで多くの戦友を失くし、中堅幹部も若い搭乗員もこの当時は戦友の仇討ちに血気盛んだったろう。 今でこそ中国や韓国に日本の若者が体当たりすることは考えられないが、当時の状況は全く違う。 元々は一航艦の大西中将だけの体当たり攻撃だったが、航空機が殆ど底をつき昭和20年1月5日特攻戦を打ち切った。 二航艦の福留繁中将が採用し、更に三航艦の豊田副武大将が採用した。 更に連合艦隊司令長官になった豊田大賞も昭和20年2月19日特攻出撃、4月6日菊水一号作戦で戦艦大和の沖縄水上特攻作戦となった。
そして大西中将は昭和20年5月19日付で軍令部次長として着任した。 大西中将は徹底抗戦、一億総玉砕論を譲らず、一方で理論家で正確穏和な富岡定俊少将と悉く意見対立、大西は孤立する。 本土決戦とは、一般国民も国民義勇戦闘隊に編入、男子15歳〜60歳、女子17歳〜45歳。 手榴弾、幕末期の押し込め銃、弓矢、竹槍、さすまた・・・。 大西中将は昭和20年8月16日午前2時45分、渋谷南平台の軍令部次長官舎で割腹自殺をした。 腹を切り、頸動脈を絶ち、心臓を刺して最期を遂げる。 亨年54。
私は海軍で嫌悪する軍人が二人いる。 山口県出身の石川信吾(42期、最終海軍少将)、愛媛県出身の玉井浅一(52期、最終海軍大佐)だ。(共に昭和39年12月没) 本書に多く登場する玉井副官(アバラカット201空本部)は、体当たり攻撃実行決定後の責任者だ。 神がかり、黒メガネ、肥満体、最も強力な特攻推進者だ。 選ばれた甲飛10期生24名が逡巡する中でも、「行くのか、行かんのか!!」と大喝。反射的に全員が手を挙げる。 昭和19年10月末頃から異常行動が目立ち、多くを無駄死にに追いやった。 そして本人は終戦後も19年間も生き延びた。 勿論大西中将や上層部が判断・決定したが、実際には中佐・大佐クラスが現場を取り仕切った。 特に 「玉井副官と眼を合わせると指名される」 と恣意的な人選に恐れられていた。 もし出来れば晩年の僧籍の様子を子孫の方にお聞きしたい。
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特攻とは何か (文春新書 515) 新書 – 2006/7/20
森 史朗
(著)
太平洋戦争末期に散った若者たち。彼らの悲劇はなぜ生まれたのか? 特攻の生みの親・大西瀧治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描きだす
- 本の長さ342ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/7/20
- ISBN-104166605151
- ISBN-13978-4166605156
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/7/20)
- 発売日 : 2006/7/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 342ページ
- ISBN-10 : 4166605151
- ISBN-13 : 978-4166605156
- Amazon 売れ筋ランキング: - 689,584位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年1月23日に日本でレビュー済み
2006年9月19日に日本でレビュー済み
保阪正康さんの「特攻と日本人」と合わせて読んだせいかもしれないけど。タイトルの意味が不明なんですね、どっちの本も。保阪さんの本は「彼らはほんとに志願したのか」という視点で描かれ、こっちの本は「“特攻隊の生みの親”大西瀧治郎中将の決意と心情を解き明かす」本なのよね。それで「日本人」とか「何か」と言われてもねぇ。あんた、編集者出身でしょ、と言いたくなってきた、うん。
内容は、よく取材しているのでいいと思うのだけど、大西の心情を描き切れたのかどうか。また、描いてそれによりどこまで意味があったのか、正直な話、私にはよく分かりませんでした。保阪さんはオビで推薦文書いてますけど、彼は「大西が特攻を始めたのではない、軍部の既定路線にのっかっただけだ」、と主張してるし。
結局、「取材している」という点しか評価できないので、私の評価では星3つの域を出ませんでした。
内容は、よく取材しているのでいいと思うのだけど、大西の心情を描き切れたのかどうか。また、描いてそれによりどこまで意味があったのか、正直な話、私にはよく分かりませんでした。保阪さんはオビで推薦文書いてますけど、彼は「大西が特攻を始めたのではない、軍部の既定路線にのっかっただけだ」、と主張してるし。
結局、「取材している」という点しか評価できないので、私の評価では星3つの域を出ませんでした。
2007年1月31日に日本でレビュー済み
本書はなぜ「特攻をこの国がやらなければならなかったか」について「特攻命令者側の論理」から一つの回答」を示すことを意図しています。米軍の巧みな攻撃・現場指揮官の準備不足・国産飛行機の燃えやすさにより、飛行機と熟練パイロットの多くを失い、まともな作戦ができなくなったため、僅かな飛行機とパイロットでそれなりの戦果が上がる「特攻」をやるしかなかった。実行には兵士の「士気」が最も懸念されたが、あまりにも酷い戦況の中で、まともに戦っても戦死する確率が高かった兵士たちは、戦果が上がる可能性があるならと悩みながらも応じていった。以上のような事情のようですが、「レイテ湾突入作戦の支援」という明確な目的があった初期はともかく、米軍が特攻に対する対策を整えほとんど効果が無くなってからもなぜ抽象的な「大儀」のために特攻を続けたのかについては、「特攻に狎れてしまった」「他に作戦が無かった」という理由しか無く、納得できないものがあります。非情に綿密な取材に基づいたルポルタージュとして優れた本ですが、「なぜ」についての著者の解釈はなく、読者は自ら考える必要があります。「特攻は初期は志願の形をとったが、やがて通常の作戦のように自然に命令されるようになった。」「特攻に失敗して生き延びてしまった特攻兵は、軍神が生きていては困るという理由から、再度特攻させる方針になった」という事実からは、命令する側の心情はともかく、「勝ち目の無い戦争を始めてしまった過ちのカモフラージュに英雄を祭り上げたのが特攻」であるとしか私は思えません、著者の見解とは全く異なるでしょうが。「なぜ」について率直に答えた本としては「真実の太平洋戦争:奥宮正武(PHP)」があります。