「お坊さん」あるいは日本仏教に対して不信感を持つ人に、よく出くわす。話を聞く限り、もっともだと思う事例が多い。ひとつだけ例をあげるなら、家族の死に際して、心理的にはほとんど慰めを与えてくれないにもかかわらず、法外な金銭を要求された場合である。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざが、現代のものとして迫る。
しかしこれは不幸な事態である。実際のお坊さんに幻滅する人は、実は宗教にひそかに期待を持つ人であることが多い。本書のようなすぐれた僧侶によるていねいな語りかけを読むと、悩める人がこのようなお坊さんに出会うことを願わずにはいられない。
私たちは常識と慈悲心に富むお坊さんたちを、もっと多く持つことができるだろうか。それによって高齢化社会の持つ負の側面が、大きく緩和されると思うのだが。
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お坊さんだって悩んでる (文春新書 518) 新書 – 2006/7/20
玄侑 宗久
(著)
お布施の金額、愛犬のお墓、夫の散骨、死刑やボランティアへの考え方などお寺に持ち込まれる様々な悩みに玄侑和尚がお答えします
- 本の長さ278ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/7/20
- ISBN-104166605186
- ISBN-13978-4166605187
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/7/20)
- 発売日 : 2006/7/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 278ページ
- ISBN-10 : 4166605186
- ISBN-13 : 978-4166605187
- Amazon 売れ筋ランキング: - 729,795位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,341位文春新書
- - 3,157位仏教入門
- - 21,355位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1956(昭和31)年、福島県三春町生まれ。安積高校卒業後、慶應義塾大学文学部中国文学科卒業。さまざまな職業を経験した後、京都の天龍寺専門道場に入門。現在は臨済宗妙心寺派、福聚寺住職。2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 龍の棲む家 (ISBN-13:978-4167692056 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年2月5日に日本でレビュー済み
僧侶である著者が、同じく僧侶から寄せられた相談に答えるという本著。内容はかなりマニアックでしょう。
「お坊さんもこんなことで悩んでるのか〜」と親しみを覚えるかも、というような内容のことが前書きにあったが・・・。
でも、その悩みの内容はしつこいようですが、やはりマニアック。
業界(などという表現は適切でないかもしれないが)特有の「悩み」が掲載されている。
だから、よくある「人生相談」のそれのように、家庭内のゴタゴタ、とか、恋愛の悩み、とか、ご近所とのどうのこうの、とか、
そういう「相談」ではないので、「和尚さんもやっぱりそういう悩みを抱えるのね〜」と、そういう内容ではないことだけはハッキリ記しておきます(笑)。
無理やりそういう身近な悩みに置き換えて読んでみるというのもアリかもしれないが、
この本の相談内容はもっとお寺の内部限定の悩みでいっぱいだ。
ところで、この本も分類すれば「人生相談」ジャンルにも含まれると思うのだが、
相談形式をとっている本というのは、相談者とその受け手の、どちらの人間性も色濃く出てくるものなんだな〜と改めて思った。
特に相談に対して答える立場の側の人間性は包み隠しようがない。
「本堂に賽銭箱を置いたらよいかどうしようか」という、あるお寺からの相談が掲載されてあるのだが(ホラ、一般的な悩みじゃないでしょう?笑)
「盗難が心配だから」という理屈もよく聞くのだが、と断ってからの著者の返事は、
「賽銭泥棒は、悪事の中でもほんとにかなりバチあたりな悪事と認識されているはず。
それでも実行するのであればほとほと困り果ててのこと。
そんなに困ってるなら持って行けば?ぐらいの気持ちを自分は持ってるけど」と。
他にも、ああ、そうか、そんなふうに考えて過ごしているのか、と、
著者の人間的な魅力を知るきっかけにあふれた本著なのだが、とても印象深い部分だった。
相談内容は一般社会にそのまま置き換えられるような内容のものばかりではないが、
それはともかく、著者の魅力や考え方に大いに触れることができるという点で、
専門的な「業界誌」のコーナーだったものを、一般向けに文庫化したという意義がよく理解できる。
「お坊さんもこんなことで悩んでるのか〜」と親しみを覚えるかも、というような内容のことが前書きにあったが・・・。
でも、その悩みの内容はしつこいようですが、やはりマニアック。
業界(などという表現は適切でないかもしれないが)特有の「悩み」が掲載されている。
だから、よくある「人生相談」のそれのように、家庭内のゴタゴタ、とか、恋愛の悩み、とか、ご近所とのどうのこうの、とか、
そういう「相談」ではないので、「和尚さんもやっぱりそういう悩みを抱えるのね〜」と、そういう内容ではないことだけはハッキリ記しておきます(笑)。
無理やりそういう身近な悩みに置き換えて読んでみるというのもアリかもしれないが、
この本の相談内容はもっとお寺の内部限定の悩みでいっぱいだ。
ところで、この本も分類すれば「人生相談」ジャンルにも含まれると思うのだが、
相談形式をとっている本というのは、相談者とその受け手の、どちらの人間性も色濃く出てくるものなんだな〜と改めて思った。
特に相談に対して答える立場の側の人間性は包み隠しようがない。
「本堂に賽銭箱を置いたらよいかどうしようか」という、あるお寺からの相談が掲載されてあるのだが(ホラ、一般的な悩みじゃないでしょう?笑)
「盗難が心配だから」という理屈もよく聞くのだが、と断ってからの著者の返事は、
「賽銭泥棒は、悪事の中でもほんとにかなりバチあたりな悪事と認識されているはず。
それでも実行するのであればほとほと困り果ててのこと。
そんなに困ってるなら持って行けば?ぐらいの気持ちを自分は持ってるけど」と。
他にも、ああ、そうか、そんなふうに考えて過ごしているのか、と、
著者の人間的な魅力を知るきっかけにあふれた本著なのだが、とても印象深い部分だった。
相談内容は一般社会にそのまま置き換えられるような内容のものばかりではないが、
それはともかく、著者の魅力や考え方に大いに触れることができるという点で、
専門的な「業界誌」のコーナーだったものを、一般向けに文庫化したという意義がよく理解できる。
2006年8月5日に日本でレビュー済み
お坊さんも人の子である。歴史上、高僧と呼ばれる人の中にも、亡くなるまで様々な煩悩に悩まされた人は多い。ましてや、一般の住職はなおさらであろう。
この本は「寺門興隆」という僧侶向けの雑誌に連載されていたものがまとめられているために、「出世間」「剃髪」などの業界ことばが少なからず出てくるが、葬儀でハイテクを駆使したパフォーマンスの話や、迷惑な観光客の話、仏壇に怪しげなモノを祀っている檀家の指導法など、現在を生きるお坊さんたちの赤裸々な悩み事が書かれていて興味深い。
著者は以前、ある文芸誌に「禅は、ちょっといいかげんなところがいいんだ」と書いておられたが、ちょっと人を食ったような、はぐらかしあるいは突き放したような、融通無碍な答え方、本山よりも檀家の人たちの幸せが大事だとする生き方など、著者の特長がよく出ていて好感が持てる。
ただ、携帯電話の話は疑問に思った。今は僧侶の形をした人でも必ずしも信用できるとはいえず、ひったくられないとも限らないし、アダルト・出会い系・ヤミ金・詐欺師など悪意の番号に電話されて、トラブルが起きることもある。私でもやはり貸さないと思う。
気軽に、飽きずに読めるいい本である。
この本は「寺門興隆」という僧侶向けの雑誌に連載されていたものがまとめられているために、「出世間」「剃髪」などの業界ことばが少なからず出てくるが、葬儀でハイテクを駆使したパフォーマンスの話や、迷惑な観光客の話、仏壇に怪しげなモノを祀っている檀家の指導法など、現在を生きるお坊さんたちの赤裸々な悩み事が書かれていて興味深い。
著者は以前、ある文芸誌に「禅は、ちょっといいかげんなところがいいんだ」と書いておられたが、ちょっと人を食ったような、はぐらかしあるいは突き放したような、融通無碍な答え方、本山よりも檀家の人たちの幸せが大事だとする生き方など、著者の特長がよく出ていて好感が持てる。
ただ、携帯電話の話は疑問に思った。今は僧侶の形をした人でも必ずしも信用できるとはいえず、ひったくられないとも限らないし、アダルト・出会い系・ヤミ金・詐欺師など悪意の番号に電話されて、トラブルが起きることもある。私でもやはり貸さないと思う。
気軽に、飽きずに読めるいい本である。
2006年12月25日に日本でレビュー済み
月刊『寺門興隆』の人気連載「そもさん 玄侑和尚の説教部屋」を加筆修正したもの。
形骸化する葬祭、葬儀社の台頭、檀家離れ、お布施の使い道、オウム真理教やイラク戦争などの社会問題への対応、私生活との両立、後継者問題など、住職なら誰しも悩んでいる項目に分かりやすく答えていく。
といっても、これは絶対ダメというのは「お布施の値段を決める」「お寺に定休日をもうける」ぐらいで、両論併記にして後は自分で考えるよう促している。玉虫色の答えに納得できない人もいるだろうが、実際白黒つけがたい問題が多いのだから仕方ない。
お寺を継ぎたくないという息子に悩む住職には自分が仏教に惚れ込んでいるかが問題だと根源となる前提に切り込んだり、お葬式は節目を作り心をきれいにするための儀式としお守りやお札は無我になるための祈りをこめた物とするなどオカルトでない説明をしたりするなど、現実的かつ鋭い意見があり、とてもためになった。
今のお寺が抱える問題には、仏教そのものだけでなく、儒教・道教を含む中国思想から、カウンセリングに役立つ臨床心理学、社会学、日本の民俗学まで多角的に取り組んでいくことが大切なのだと思った。そして人と対話を重ねていくことも。
形骸化する葬祭、葬儀社の台頭、檀家離れ、お布施の使い道、オウム真理教やイラク戦争などの社会問題への対応、私生活との両立、後継者問題など、住職なら誰しも悩んでいる項目に分かりやすく答えていく。
といっても、これは絶対ダメというのは「お布施の値段を決める」「お寺に定休日をもうける」ぐらいで、両論併記にして後は自分で考えるよう促している。玉虫色の答えに納得できない人もいるだろうが、実際白黒つけがたい問題が多いのだから仕方ない。
お寺を継ぎたくないという息子に悩む住職には自分が仏教に惚れ込んでいるかが問題だと根源となる前提に切り込んだり、お葬式は節目を作り心をきれいにするための儀式としお守りやお札は無我になるための祈りをこめた物とするなどオカルトでない説明をしたりするなど、現実的かつ鋭い意見があり、とてもためになった。
今のお寺が抱える問題には、仏教そのものだけでなく、儒教・道教を含む中国思想から、カウンセリングに役立つ臨床心理学、社会学、日本の民俗学まで多角的に取り組んでいくことが大切なのだと思った。そして人と対話を重ねていくことも。
2006年8月5日に日本でレビュー済み
玄侑さん流、お坊さん相談室。傑作である。どんな疑問にも、100%納得の行く答えが必ず返ってくる、というわけではないのだが、少なくとも色々と真面目に考えるためのきっかけを読者に与えてくれるのは確かであり、そしてその「考える」ことが何より大事なのだと思う。玄侑さんの知識と教養の深さ、そして日本の仏教を全身で生き抜き、家業のお寺を誠実に営んでいる人間としての、何というか、〈強さ〉みたいなものがやたらと光ってまぶしすぎる。むろん、お坊さん向けの本であるが、一般の方にも十二分におすすめできる。日本の仏教を新鮮な視点から見直すことができるし、また、もっとお寺と真剣につきあっていくのも悪くないか、という気持ちにもなってくるだろうと思う。
お葬式とお墓の悩み(散骨どーする?ペットの埋葬はOK?)やお金の問題(お布施やお賽銭の意味や使い道)はまあ、生活の最もリアルな部分だからまず重要として、現代社会をどう考えるか(ボランティアすべきか?携帯電話との付き合い方は?)とか、お寺の様々な活動のスタイル(定休日はアリ?法話が苦手な僧侶はどうしたらいいの?)、そして後継者問題など(寺の子供の反抗期の意義とは?)、話題は広い。
自覚的に出家してひたすら悟りをめざして修行、という、ある意味で素直に話がまとまる原始仏教や上座部仏教とは異なり、「家」をかかえこんだり「欲」の多くなりがちな生活をせざるをえなかったりする日本の僧侶は、どうしたって悩みがちになる。だが、そういうややこしさゆえの悩みに包囲されながら、それでも仏教者として100点めざしてがんばったとき、たとえ満点ではなくても、立派な坊さんとして自己を究め檀家さんたちを救えるのではないか。そんなふうに考えさせられた。
お葬式とお墓の悩み(散骨どーする?ペットの埋葬はOK?)やお金の問題(お布施やお賽銭の意味や使い道)はまあ、生活の最もリアルな部分だからまず重要として、現代社会をどう考えるか(ボランティアすべきか?携帯電話との付き合い方は?)とか、お寺の様々な活動のスタイル(定休日はアリ?法話が苦手な僧侶はどうしたらいいの?)、そして後継者問題など(寺の子供の反抗期の意義とは?)、話題は広い。
自覚的に出家してひたすら悟りをめざして修行、という、ある意味で素直に話がまとまる原始仏教や上座部仏教とは異なり、「家」をかかえこんだり「欲」の多くなりがちな生活をせざるをえなかったりする日本の僧侶は、どうしたって悩みがちになる。だが、そういうややこしさゆえの悩みに包囲されながら、それでも仏教者として100点めざしてがんばったとき、たとえ満点ではなくても、立派な坊さんとして自己を究め檀家さんたちを救えるのではないか。そんなふうに考えさせられた。