二人の間にはもともと、東京外語の先生が居まして、佐藤優先生の著作の中で、その渡辺雅治教授の挿話が印象的でした。ピーサレフの研究所、美学の破壊を著し、そして字にすると違ってしまう、と公的な出版をしなくなり、佐藤先生が、ロシアにおける国内亡命者に似ている。と言っていました。書かざる哲学研究者、佐藤先生に、あいつはいつかドストエフスキーに戻ってくる、と共著者に対する予言を行いました。大著であるカラマーゾフの兄弟が、新訳において、五冊本に拡大しました。面白さは同等なので得した気分になります。哲学的深化が多くの言葉を書かせたのだろうと、両方注目、好きな文筆家が参加している本は、面白くないわけがない。そして渡辺教授が二人を結びつけた、という風に勝手に思います。岡崎京子さんは昔凄い人って言われますけど、今も凄い人です。って小沢健二さん言ってましたけど、佐藤先生の著作で、断片的な渡辺先生に、同じ言葉を想像します。
東京外大卒の外務省の後輩は、天才肌の渡辺教授について、あまりピンときてない様子であった。(佐藤優の著作による)
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ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623) 新書 – 2008/4/17
ドストエフスキーからスターリン、プーチンにいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「魂」の謎を、徹底議論する。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/4/17
- ISBN-104166606239
- ISBN-13978-4166606238
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2008/4/17)
- 発売日 : 2008/4/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 248ページ
- ISBN-10 : 4166606239
- ISBN-13 : 978-4166606238
- Amazon 売れ筋ランキング: - 522,744位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 24位ロシアの地理・地域研究
- - 1,073位文春新書
- - 9,761位社会学概論
- カスタマーレビュー:
著者について
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元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年11月9日に日本でレビュー済み
まず最初に申し上げたいが、本書はロシア(ソ連)に関してある程度の基礎知識をお持ちで、ロシア(ソ連)の文化、芸術に関心を持っている方向けの書。その種の知識が全く無い方が本書を読んだとしても、恐らく両氏の対談には全くついていけないだろうと思うので念のため。私自身も、ロシアの文学にもっと造詣が深ければ、更に面白かったのだろうな、と思わせる部分が少なからずあった。
それにしても両氏(特に佐藤氏)の博覧強記ぶりは凄い。驚愕の一言だ。だから読者も終始、自分の「教養」を試される格好となる。本書のやや惜しい点は、両氏の「対談」がやや噛みあっていないと感じられる箇所が散見される事。明晰そのもので曖昧さの全く無い佐藤氏に比べ、亀山氏の発言にはやや自分のコトバに酔っているような部分も無きにしも非ずで、2人のカラーの違いがややチグハグな印象に繋がる箇所があるのは惜しい。
個人的に特に印象深かったのは、日本人の「特攻精神」に近いものをロシア人も持っているのではないかという指摘(P.137)や、(サンクト)ペテルブルクとモスクワの違いを論じた部分(P.144~154)、「ユロージヴイ(聖痴愚)」について語られている部分(P.128~133)等々。また、本書は2008年に上梓されているが、当時のメドヴェージェフ大統領の後(2012年)にプーチン氏が大統領に返り咲く可能性をお二人揃って「無い」と判断されている事は実に意外である。現在の「プーチン帝国」の隆盛(最近はやや綻びも見られるが)をこれ程にロシアに精通したお二人が揃って予測出来なかったというのは本当に興味深い。それだけロシアはマカ不思議な国という事か?ともあれ、知的興奮に満ちた1冊である。
尚、ご自身のロシア旅行の経験だけを載せている珍妙な「レビュー」があるが、ここは「本」のレビューを行う場所である。そんな「感想文」は他の場所でお書き頂けないか。
それにしても両氏(特に佐藤氏)の博覧強記ぶりは凄い。驚愕の一言だ。だから読者も終始、自分の「教養」を試される格好となる。本書のやや惜しい点は、両氏の「対談」がやや噛みあっていないと感じられる箇所が散見される事。明晰そのもので曖昧さの全く無い佐藤氏に比べ、亀山氏の発言にはやや自分のコトバに酔っているような部分も無きにしも非ずで、2人のカラーの違いがややチグハグな印象に繋がる箇所があるのは惜しい。
個人的に特に印象深かったのは、日本人の「特攻精神」に近いものをロシア人も持っているのではないかという指摘(P.137)や、(サンクト)ペテルブルクとモスクワの違いを論じた部分(P.144~154)、「ユロージヴイ(聖痴愚)」について語られている部分(P.128~133)等々。また、本書は2008年に上梓されているが、当時のメドヴェージェフ大統領の後(2012年)にプーチン氏が大統領に返り咲く可能性をお二人揃って「無い」と判断されている事は実に意外である。現在の「プーチン帝国」の隆盛(最近はやや綻びも見られるが)をこれ程にロシアに精通したお二人が揃って予測出来なかったというのは本当に興味深い。それだけロシアはマカ不思議な国という事か?ともあれ、知的興奮に満ちた1冊である。
尚、ご自身のロシア旅行の経験だけを載せている珍妙な「レビュー」があるが、ここは「本」のレビューを行う場所である。そんな「感想文」は他の場所でお書き頂けないか。
2015年12月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に難解な一冊。書店でインテリジェンスの本かと思って手に取ったが、ロシア文学及び思想への理解がないとさっぱり分からない。中でも亀山氏の発言には全くついていけず、何を言っているか全くわからない。まずはドストエフスキーなどを読み、時代背景などもある程度掴んでから読むとまた一味違うのかもしれない。
2016年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても良い状態の商品でした。値段の設定も良心的で、満足しました。
2014年5月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロシアを知るためには最良の二人の対談集。
それぞれの専門分野である近代ロシア芸術・文学面と宗教・政治面からの切り口から語られるその言葉には理解が追いつかないところもあるが参考となるところが多かった。ソ連時代の社会は一般国民にとっては働かなくても生活が保障される案外息苦しくない「甘い腐臭」が漂うとの表現は、その後ソ連社会が腐って崩壊することを考えると、まさに適切である。
それぞれの専門分野である近代ロシア芸術・文学面と宗教・政治面からの切り口から語られるその言葉には理解が追いつかないところもあるが参考となるところが多かった。ソ連時代の社会は一般国民にとっては働かなくても生活が保障される案外息苦しくない「甘い腐臭」が漂うとの表現は、その後ソ連社会が腐って崩壊することを考えると、まさに適切である。
2017年4月15日に日本でレビュー済み
ロシアという国家を論じた対談というよりは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を主なネタにしたロシア人論かと読んでみて思った。他のレビュアーが言っているように、たしかに密度の濃い対談となっている。話題を進めるにあたっては、「カラマーゾフの兄弟」などネタとなっている小説の説明がなされているが、昔々読んだだけではついていけないところも多かった。それでも、ロシア的とかロシア人的ということがどのようなものなのか、ロシア人の民族性や考え方を理解するためにはよい本かと思う。
2016年5月22日に日本でレビュー済み
EU経由でロシアはモスクワとサンクト行ってきた人間として・・。
街は綺麗だった。でもロシア人はクズだった。たまたま自分の遭った人間だけかもしれんが・・。
釣銭は言わなきゃ出さないわ、ホテルは管理が甘いわ、筋肉スキンヘッドがゴロついてるわ・・。
おまけに不良警官が何かとイチャモンつけてカネせしめようとする(さすがに日本じゃありえない!)。
それに無愛想きわまりなく表情からは相手の真意が読み取れない。
普通白人てのは、アメにしろイギにしろ或いはおフランスにしろある程度表情や仕草に出るもんだ。
たとえそれが差別などネガティブな感情であったとしても彼らは表に出すからある意味わかりやすい。
だが、ロシア人てのは好意的なのか迷惑なのかすらちっともわからん民族だった。
かの文豪太宰の言葉ではないが、「押せば逃げる。引けば追いかけてくる。」
又、メシが不味くて喉を通らないが、日本食レストランもまだ少ないので、
我慢して冷えた臭いスープを喉に通すしかない・・・。
非常に面倒くさく厄介極まりない民族性で滞在中ストレスが溜まった事しか覚えてない。
街は綺麗だった。でもロシア人はクズだった。たまたま自分の遭った人間だけかもしれんが・・。
釣銭は言わなきゃ出さないわ、ホテルは管理が甘いわ、筋肉スキンヘッドがゴロついてるわ・・。
おまけに不良警官が何かとイチャモンつけてカネせしめようとする(さすがに日本じゃありえない!)。
それに無愛想きわまりなく表情からは相手の真意が読み取れない。
普通白人てのは、アメにしろイギにしろ或いはおフランスにしろある程度表情や仕草に出るもんだ。
たとえそれが差別などネガティブな感情であったとしても彼らは表に出すからある意味わかりやすい。
だが、ロシア人てのは好意的なのか迷惑なのかすらちっともわからん民族だった。
かの文豪太宰の言葉ではないが、「押せば逃げる。引けば追いかけてくる。」
又、メシが不味くて喉を通らないが、日本食レストランもまだ少ないので、
我慢して冷えた臭いスープを喉に通すしかない・・・。
非常に面倒くさく厄介極まりない民族性で滞在中ストレスが溜まった事しか覚えてない。
2011年9月10日に日本でレビュー済み
この本は、ドストエフスキーとその小説の登場人物がシンボリックに意味するところを論じようとしたものだ――読んでいる途中にそんな思いがよぎった。
(結論から言うと、これは半分以上間違った解釈である)
「亀山郁夫」だから、「ドスト」に傾斜するのはいたしかたないのだろうが、
何でもドストエフスキーを基軸にして論じられると、そろそろもうやめにしてくれ、という気分になった。
カラマーゾフ兄弟が何度話題になっていることか…。
学生時代に『罪と罰』に付きあって以来、一切ドストに触れず、『カラマーゾフの兄弟』はおろか、『悪霊』さえも開いたことがない
という程度の(私のような)読者は、「想定外です」とでもいわんばかりの語りである。
マニアックなのもいいが、「ドスト」によって必要以上に話が観念化(矮小化というべきか)されていくような感じを抱いた。
(※亀山郁夫氏と佐藤優氏の議論がかみ合っていないところがある。そればかりか、ところどころで佐藤氏が巧みにスルーしているのは、上記のような理由から頷ける。)
そもそもドストエフスキーは、ロシアを語る上でそれほどの普遍性を持った作家なのだろうか。
ロシアの作家といえば、他にもプーシキン、ゴーゴリ、ツルケーネフ、レールモントフ、チェホフ、トルストイ、アンドレーエフ、マヤコフスキー、ゴーリキー等々、多士済々の顔ぶれだが、
彼らもまた「ロシアの魂」の一部なのではないだろうか?
それにロシア正教をもう少し話題にしてもいいと思うのだが。
と、疑念を覚えつつ、亀山氏の異常ともいえるドスト熱に当てられたような気分になったくだりもあった。
(ちなみに、評者はドストの初期作品を高校一年時に数冊読み、たちまちファンになったが、『死の家の記録』はきつくて途中で投げ出したという経験がある。)
ところが、気がついたらスルっと読破していた。引き込まれるくだりもあった……ということは、それなりに面白い本なのだろう。
一方の佐藤優氏の語りを読むと、ソ連という国がいい国に思えてしまうから不思議なものである。
レーニン廟は今日のロシアにとっても、その存在の意味は大きいという。これはちょっとした「発見」だった。
やはりウラジーミル・イリイチ・レーニンの遠心力は強大だということなのか。
佐藤氏にはまだまだ語ってほしいと思った。(早速、『自壊する帝国』を購入してみた。)
しかし、スターリニズムを「ヒューマニズム」と定義するのは、(「ナチズムに比して」という意味だとしても、)やはり無茶な議論ではないだろうか?
(結論から言うと、これは半分以上間違った解釈である)
「亀山郁夫」だから、「ドスト」に傾斜するのはいたしかたないのだろうが、
何でもドストエフスキーを基軸にして論じられると、そろそろもうやめにしてくれ、という気分になった。
カラマーゾフ兄弟が何度話題になっていることか…。
学生時代に『罪と罰』に付きあって以来、一切ドストに触れず、『カラマーゾフの兄弟』はおろか、『悪霊』さえも開いたことがない
という程度の(私のような)読者は、「想定外です」とでもいわんばかりの語りである。
マニアックなのもいいが、「ドスト」によって必要以上に話が観念化(矮小化というべきか)されていくような感じを抱いた。
(※亀山郁夫氏と佐藤優氏の議論がかみ合っていないところがある。そればかりか、ところどころで佐藤氏が巧みにスルーしているのは、上記のような理由から頷ける。)
そもそもドストエフスキーは、ロシアを語る上でそれほどの普遍性を持った作家なのだろうか。
ロシアの作家といえば、他にもプーシキン、ゴーゴリ、ツルケーネフ、レールモントフ、チェホフ、トルストイ、アンドレーエフ、マヤコフスキー、ゴーリキー等々、多士済々の顔ぶれだが、
彼らもまた「ロシアの魂」の一部なのではないだろうか?
それにロシア正教をもう少し話題にしてもいいと思うのだが。
と、疑念を覚えつつ、亀山氏の異常ともいえるドスト熱に当てられたような気分になったくだりもあった。
(ちなみに、評者はドストの初期作品を高校一年時に数冊読み、たちまちファンになったが、『死の家の記録』はきつくて途中で投げ出したという経験がある。)
ところが、気がついたらスルっと読破していた。引き込まれるくだりもあった……ということは、それなりに面白い本なのだろう。
一方の佐藤優氏の語りを読むと、ソ連という国がいい国に思えてしまうから不思議なものである。
レーニン廟は今日のロシアにとっても、その存在の意味は大きいという。これはちょっとした「発見」だった。
やはりウラジーミル・イリイチ・レーニンの遠心力は強大だということなのか。
佐藤氏にはまだまだ語ってほしいと思った。(早速、『自壊する帝国』を購入してみた。)
しかし、スターリニズムを「ヒューマニズム」と定義するのは、(「ナチズムに比して」という意味だとしても、)やはり無茶な議論ではないだろうか?