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ブログ論壇の誕生 (文春新書 657) 新書 – 2008/9/19
- ISBN-104166606573
- ISBN-13978-4166606573
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/9/19
- 言語日本語
- 本の長さ254ページ
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2008/9/19)
- 発売日 : 2008/9/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 254ページ
- ISBN-10 : 4166606573
- ISBN-13 : 978-4166606573
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,780,783位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,908位文春新書
- - 2,224位ジャーナリズム (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
新著『レイヤー化する世界』を刊行しました!
紙の本は、NHK出版新書から。
電子本は、セルフパブリッシングによってKindleStoreから。
どちらでもお好きな方をどうぞ!
【私の書籍のコンセプト】
インターネットやコンピュータのテクノロジは、われわれの社会をどのように変容させていくのか? ネットとリアル社会の境界部分ではどんな衝突が起こり、どのようにリアルはネットに呑み込まれ、そしてどのように融合していくのか? その衝突と融合のリアルな局面を描いていくこと。そしてその先に待ち受ける未来ビジョンを、できうるかぎり事実に基づいて描写していくこと。それが私の仕事の基本的なテーマです。
【私のバックグラウンド】
1961年兵庫県の片田舎で生まれ、大阪西成のディープな街・玉出で育つ。
母の再婚相手がトヨタ自動車の工員に採用されたのをきっかけに、愛知県豊田市に転居。地元中学から愛知県立岡崎高校に進学。文学や哲学書に埋没した思春期をすごす。
1981年、早稲田大学政経学部政治学科入学。前半はロッククライミングに熱中し、後半は当時普及しはじめていたPCを手に入れ、パソコン通信を使ったオータナティブな市民運動ネットワークの実験に参加。掲示板での議論に熱中する。
1988年、毎日新聞社に入社。以降12年あまりにわたって事件記者の日々を送る。東京社会部で警視庁を担当した際にはオウム真理教事件に遭遇。ペルー日本大使公邸占拠事件やエジプト・ルクソール観光客虐殺事件などで海外テロも取材する。
1998年、脳腫瘍を患って長期休養。翌年、糸が切れたように毎日新聞社を辞めてアスキーに移籍。月刊アスキー編集部でデスクを務める。
2003年、独立してフリージャーナリストに。以降たったひとりで事務所も構えず、取材執筆活動に邁進中。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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著者自身,「ある世代より下にしか馴染みのない論壇」と認識しているためか,連載当時のネット事件を話の振りネタとして使いながら,その成り立ちから現状,問題点までを,ブログ論壇に馴染みのない人向けに,一通り紹介するかのような構成.
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まずはブログ論壇誕生のいきさつまで;
自由でオープンであり,その基盤がジャーナリズム・近代批評を生み出した,17世紀のカフェ討論(p.13)
その内在的性質において,カフェ討論と全く同じであるのがブログ論壇(p.14)
つまり,本質においてブログ論壇の傾向は,決して過去に例のない現象ではない,論壇の本来の姿である,と.
「大学の研究者は,自分の知的分野の範囲内でしか論考を行わなくなり,一方で新聞やテレビのマスメディア・ジャーナリズムは,ステレオタイプな勧善懲悪に走り,論考を深める作業を怠った.
この結果,研究者たちが深めている分析は,社会に対して何らの影響力も持てなくなり,一方で影響力の強いマスメディアからは論考が失われるという,いびつな状況に陥ったのである」(p.11)
ベストセラーのラインナップを見るに,「社会に対して何らの影響力も持てなくなり」というのは,必ずしも常時そうではないようでもあるが.
▼
次は,その影響力について;
毎日新聞「変態」報道とへの,ネットからのカウンター打撃の程度(p.26-28)
金銭的打撃は微小だが,潜在的には大打撃という指摘は,興味深し.
「他社の策動」を疑う毎日新聞側のトンデモ結論(p.28)には苦笑.
▼
ブログ論壇の特質;
「既存のマスコミが絶対に理解できない,かつ,生理的にも受け付けられないネットの特徴は,『編集権を読者に委ねている』ということ」(p.40)
「新聞社は,膨大な数の専門記者を擁し,記者クラブ制度を利用して,権力の内部に入り込むことによって,一次情報を得るという取材力の部分では,卓越した力を発揮してきた.
だが,その一次情報を元に組み立てる論考・分析は,旧来の価値観に基づいたステレオタイプな切り口の域を出ていない.
たとえばライブドラ事件に対しては,『マネーゲームに狂奔するヒルズ族』ととらえ,格差社会に対しては,『額に汗して働く者が報われなければならない』と訴えるような,牧歌的な世界観である」(p.41)
もしそうだとするなら,確かに既存マスコミ側の抵抗感は強そう.
▼
ウィキペディア「情報操作」事件(p.50-55)
ウィキペディア,ひいてはネットの集合知は,どのように作用していくのかが明白に.
ただ,
「このようにしてウィキペディアの編集行為が可視化されていけば,それらは撲滅不能な存在ではなく,社会システムの一つとして捉える事が可能になってくる」(p.55)
という見方は,現状を鑑みるに,牧歌的なきらいが.
通報合戦,訴訟合戦への可能性もあることを考えると,いささか楽観論では?
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「問題に取り組む時間や労力は有限であり,全ての(平和)問題に取り組むことはできない」というのが,チベット問題に際したAMLでの多数派意見(p.63)
個人はそうかもしれないが,それを平和運動団体という組織にまで当てはめるのは,聊か問題ありかと.
課題ごとに議論が行われるような政治の枠組みの誕生の可能性(p.68-69)
まあ,下手すると,単なる「野合」になるわけだが.
▼
「参加」へのハードルを低めている,ニコニコ動画の「コメント」機能(p.77)
動画そのものから「動画へのコメント」という「ずらし」を行ったことが,ニコニコ動画成功の要因.
ニコニコ動画のコメント機能は,字数制限と,コメントがどんどん流れていくため,2ちゃんのような誹謗中傷のコメントが発生しにくいシステムに(p.101)
実際には,発生しにくいのではなく,発生していてもスルーされ易いシステムだと言えよう.
インターネットに理想を求める人は,そこに暖かいふれあいばかりを見てしまう,牧歌的ネット論(p.82)
清濁併せ持つのが,人間の関与するシステムの本質である模様.
▼
アフィリエイト目的で,他のブログなどの記事をコピーしただけのブログが,量産されてしまうシステム(p.112)
著者も指摘するように,これはネット全体の検索機能を阻害し,情報収集・分析上の脅威となりうるだろう.
実際,特に時事問題において,検索上邪魔なコピー・ブログが決して少なくない.
▼
「ホーボー」とは?(p.170-171)
著者の認識は,「フリーター≒都市型ホーボー(放浪労働者)」というものである模様.
「そして,かれらが社会との細いつながりを維持するために利用しているのがインターネット」(p.171)
との記述も.
▼
和風風土はネットに何をもたらしているか?;
歴史的に振り返ってみれば,日本のブログの特徴である,公共性の乏しさ・極私的世界は,日本人の「日記好き」に源流があるのかも(p.183-184)
一向に「公」に立ち向かっていかないという,この言論空間の傾斜のようなものは,近代化の波に晒された明治の頃からの,日本文化の難問(p.183)
ネット時代の特徴なのではなく,実は歴史的なものだという視点は,当方にとっては斬新・興味深し.
個人が直接社会に対面しなければならない状況に直面しつつある中,いまだに「オカミに頼り,偉いヒトに言いつけ続けている」日本の社会的風土(p.201-203)
ただし,「個人が直接社会に対面しなければならない状況に直面しつつある」というのは,著者が本書の中で述べている,「携帯端末の普及に伴う現象」としている著者の持論であり,普遍的事実なのかどうかは未確定であるので,その点は留意されたし.
▼
民主主義の根幹である,「違う価値観の人間も認め合う」を破壊する,「サイバー・カスケード」とは?(p.235)
ネット論壇の集合知は,そこで何の議論が行われるのかを知っているのは「参加している人たちだけ」という現象(p.237)
いまだにターリバーン擁護をしている人を見るにつけ,上記のような傾向は痛感.
ただ,必要があれば,別の議論の場にも出かけるのが容易であるというコスト・パフォーマンスの良さも,ネットにはあり.
▼
ただし本書は,世代対立という話に結び付けようとするあまり,強引な論理展開あり.
たとえば,「ブログ論壇を形成しているのが,ロスト・ジェネレーション世代」(p.15)という指摘には違和感あり.
amazonにおける他の方の書評でも指摘されていたことだが,巻末にて著者が紹介している「著名ブロガー」には,リアル社会での成功者が多く含まれており,著者の主張との間にはギャップが.
また,橋本教授の「我慢を知らない若者」論のコラムが,「炎上」した要因について,著者は
「これは激烈な世代間対立なのだ」(p.127)
としているが,これもちと違う気がする.
筆者には,違いをうまく説明できないのが残念だが.
さらに著者は,全体最適化や資源の効率配分,最適なコストパフォーマンスといった戦略の発想が存在しない,マスメディアのワイドショー的な感情論は,日本社会の最大の病理の一つであり,マスメディアの最大のタブー(p.136-137)とする.
確かに「アスプリー」(オスプレイ)報道や原発報道を見ても,そうした感情論報道に埋め尽くされがち.
それはいいのだが,ネットにおける感情論vs戦略論のせめぎあいまで,世代間対立論へ強引に持っていこうとするのは,いかがなものか.
日本のネット論壇が,政治影響度が弱い理由にすら,「ロストジェネレーション世代が担っているから…」(p.239-240)という論理展開に至っては…
単に「うざい」から敬遠されているだけでは?
▼
加えて,その,時事ネタから論を展開するスタイルのため,各章の関連性は比較的希薄.
さらに,本書全体に言えることだが,論拠の多くをブログからの出典に頼っているが,そのブログがどこまで客観性を担保できているか,どこまで科学的正当性があるかなどは,該当ブログを実際に見ても不明.
そのため,本書の記述も客観的論拠を欠く結果に.
▼
ともあれ,いわゆる「牧歌的」ネット全肯定をしている論者や,逆にネット叩きに汲々とするマスメディアに比べれば,
ステマ・ブログが炎上した理由一つとっても,
「インターネットの空間が,広告代理店やPR会社という,ネットの「当事者」ではない「第三者」によって蹂躙され,しかも「カネで書かせる」というコントロールが持ち込まれることに対して,インターネットの皮膚感覚として,痛烈な拒否反応を示したのだった. しかし,この皮膚感覚は,なかなか外部のリアル世界には理解されない」(p.189)
これはステマの炎上事例に過ぎないが,そうしたケース・スタディさえせず,安易に「ネットイナゴ」などの造語で対応しようとするマスメディア,安易にいじめ問題と結び付けようとした「識者」に比べ,どれだけ的確であることか.
▼
読め.
【関心率11.81%:全ページ中,手元に残したいページが当方にとってどれだけあるかの割合.当方にとっての必要性基準】
大手新聞社の質の低さについては、もうこの本を読むまでもないことだが、的確に書かれていると思う。
しかし、ネットとリアル社会との対立をロストジェネレーションと呼ばれる若者世代と団塊を中心とする世代との対立と重ねると言う構図はあまりにも短絡的ではないかと思われる。
第9章、トリアージに関しては全くいただけない。
「『もう助かりそうにない患者』と助かりそうな患者を判別できるというゴマカシ。そのような診断は、おうおうにして自己成就的なものです。医者に『助かりそうにない』と判断されて見捨てられた患者は助からない場合が多い。そうなったら、はたして医者の予言が当たったのでしょうか?」
こんなトリアージを全く理解していない意見をまともな意見としてとりあげるのはいかがなものか。医療行為が全て確率論であると言うことを全く理解していないこういう意見がまかり通っているから医療崩壊が起こっているんだけど。こういう意見も公平にとりあげるのがジャーナリストの姿勢と言うものなのでしょうか。
NetNews,BBSに始まり、2チャンネルで暴走し、ブログで燃焼しきるだろうか。
上澄みは、きちんと救いあげ、社会に蓄積されるだろうか。
もてはやすのはなんのためだろう。
NetNews,BBSの頃から、ネットワークにおける論壇は、
薄っぺらい意見がもてはやされる傾向がないだろうか。
膨大なネットワーク論壇には、
本質を突きぬくものがあるかもしれない。
活発にとりかわされる議論。
その場を主に構成する1970年代生まれの「ロストジェネレーション」世代の人々と
既存のトップダウン式マスメディアとの対立状況や現状を示した本。
文藝春秋刊「諸君!」に連載されている「ネット論壇時評」の改稿です。
ブログ論壇を構成する人々と、既存マスメディアの論の対立として
著者が重んじているのは、ライブドア問題、小泉首相、毎日デイリーニューズです。
特に毎日デイリーニューズの不信な記事の掲載を
ネットなどの抗議活動によって訂正に追い込み、広告を失わせた「勝利」は
詳しく書かれています。
他にも、あらたにすやウィキペディア、秋葉原殺傷事件、
政治家たちが登場したニコニコ動画やユーチューブなどを例にあげ
世代間差と対立構造を描こうとしています。
問題点としても、衆愚化やリテラシーの差とともに
社会的弱者層であるロスジェネ世代が中心であるために
現実社会での影響の小ささなど、世代問題も挙げています。
著者がチェックしているブログが多く、興味深かったです。(リストつき)
・人は自分が他人によって認められる(承認される)ことを望む。
↓
・ネットでは他人と知り合う機会が増えるため承認される回数は多くなる。
↓
・だが、ネットでの関係は趣味が同じなど限定的なので承認のレベルも低い。
↓
・一方、リアルな世界での恋人とは、全人格を無条件に承認してくれる存在。
↓
・秋葉原連続殺傷事件の犯人には恋人がおらず、それを持つ大多数の人間に嫉妬した。
上記の考察は本書の主題ではないが、
「全人格を無条件に承認してくれる存在」というフレーズが
非常に印象に残った。