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日本人へ 国家と歴史篇 (文春新書 756) 新書 – 2010/6/17
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「夢の内閣をつくってみた。大臣たちは、私が慣れ親しんできたローマの皇帝にする」――治者とは? 戦略とは何か? 現代日本が突き当たる問題の答えは、歴史が雄弁に物語っている。
著者はその答えをローマ帝国二千年の繁栄のなかに探していく。では、総理は? 改革担当は? 未来を語るカギは、まさに歴史のなかにあることの証ではないだろうか。第一弾「リーダー篇」につづく21世紀の「考えるヒント」、月刊「文藝春秋」の看板連載のシリーズ化第二弾!!。
- 本の長さ264ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2010/6/17
- ISBN-104166607561
- ISBN-13978-4166607563
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2010/6/17)
- 発売日 : 2010/6/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 264ページ
- ISBN-10 : 4166607561
- ISBN-13 : 978-4166607563
- Amazon 売れ筋ランキング: - 247,280位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1937年7月7日、東京生れ。
学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。
1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008-2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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歴史は紡がれている。
それは仁徳のあるリーダーが未来をきりひらいてきたと言っても過言ではあるまい。さあ、日本に産まれし、生を与えられたる者よ、選ばれし者よ、使命を改めて、問うてみないか?
時代の先駆者に今こそ、翔け‼️
足掛け4年分を纏めたものです。
前半は以外にも、のんびりと進みます。
イタリアを巡るエッセイ集といった感じです。
15年に渡った、「ローマ人の物語」の執筆から解放された安堵
感が出ているのでしょうか。
後半に入ると、俄然、緊張感が増し、前巻と同様に、政策への
提言も増えてきます。
この辺りは、「ローマ亡き後の地中海世界」の執筆時期と重な
るようです。
前巻や本作の前半・後半のトーンの変化と、同時期の執筆作品
との影響関係の類推も、興味深いところでした。
ローマを含めイタリアの歴史に通じている筆者が、日本の動きを歴史的な視点から考察したもの。
示唆に富んだ内容です。
毎月の雑誌の切り取り記事よりは、流れが読めて理解しやすいです。
一方、違和感のある個所もあり、その一つは「靖国に行ってきました」の箇所です。「游就館の展示とは日本側の歴史認識を示したものである、ということだった。つまり、追い込まれてやむなく起ったのが日本にとっての第二次世界大戦であった。」(60-61頁)とありますが、「追い込まれてやむなく起った」というのは一部日本人の認識に過ぎず、それを「日本側の歴史認識」などと広く言われるのは迷惑至極です。このことについて批判も否定もしていないところを見ると、著者も同じ歴史認識を共有しているように見受けます。
第二次大戦(太平洋戦争)は英仏などに遅れた日本が必死で植民地主義をとりいれようとして、没落した中国を相手に日清戦争を起こし、また日露戦争で遼東半島に足がかりを得ると満州鉄道の権利を得て、傀儡の満州国を建設したことに始まります。また、朝鮮半島を併合するとともに東南アジアに資源を求めて進出し、英米仏などの抵抗を受けます。やがて日本は愚策中の愚策である真珠湾攻撃を実行し、中立主義で固まっていた米国国民を対日戦争に結束させます。米国を中心とする連合軍の反攻により次々と領土を奪い返され、最終的に米軍による本土爆撃、沖縄占領、原子爆弾によりついに降伏します。
「追い込まれてやむなく起った」などという日本を被害者と観る靖国神社(とその後ろに控える右寄り勢力)の歴史観をナイーブに受け入れる著者の姿勢はマキャベリを論じる同じ人とは信じられません。それに、あろうことか「日本の首相も日本を訪れる外国の要人たちに、一緒に靖国に行かれませんかと言ってはどうか」(64頁)などと言われたら、思わず「塩野さんお気は確か?お熱を測りましょうか?」などという失礼なことを考えてしまいます。外国要人を案内するのであれば広島長崎の原爆資料館でしょう。日本の歴史について論じるのであれば、それなりの勉強が必要だと思います。靖国神社は単純なネクロポリス(死者の都)とは違います。また、「他国を支配下に置いた歴史をほとんど持ってない日本人」(178頁)というのを読むと著者は日本史を一度も勉強したことがないのだろうかと思わざるを得ません。
「安倍首相擁護論」(77-82頁)は2010年に書かれたとしても大いにずれています。彼の死後に暴かれた宗教組織との黒い密着、公共の私物化、怪しげな人物達との交流、官邸主導人事により官僚を「忖度」だけのイエスマンに堕落させたこと、外交の安倍との掛け声で世界中を飛び回ったにも関わらず全く何の成果も挙がらなかったこと、官邸の取り巻き連中の意見だけを聞いては愚策を繰り返し、また長年の留任により党と議会に対して専制的支配を続けたことなど、数え上げるときりがありません。「誠実のあまりか単純すぎる」(77頁)だの「改革路線の続行と世代交代への断固とした決意」(82頁)などと言われると、一体誰について述べておられるのかさっぱり分かりません。例え2010年に書かれたにしてもよく調べればその兆候はあり、批判の書も出ているわけですから、これも勉強不足というより人を見る目がないとしか言いようがありません。敬愛する塩野さんしっかりして下さい。
一方、海外からみて日本の政治にいらついておられることはよく理解できますし、大いに同感できるところや教えられるところがいっぱいあります。最も感心し同意した個所は「記者クラブの全廃」(228頁)で、「予期していなかった質問に対処して初めて、頭脳の良し悪しが計れる」というくだりです。これは国会での質疑に関しても全く同様で、あらかじめ提出された質問に対して官僚が答えを用意して閣僚はそれを読み上げるだけという生ぬるいことでは国会が丁々発止の議論の場となるはずもなく。それは外交の場においても海外の代表に対して丁々発止のやり取りが出来ずに(言葉の壁は別として)国としての存在感を無くしているという結果に終わっています。
「文明とは歴史が証明しているように、異分子が加わることによって生ずる幾分かの拒絶反応を経験して初めて、飛躍的に発展するものなのである」(231頁)、「サミットは、もうやめたらいいのではないかと思う」(149頁)など、なるほどおっしゃる通りと思います。純粋培養の酸欠脳の二世三世政治家と戦略思想(予期しなかった困難に遭遇してもそれを解決していく才能)の欠如など同感で、しかも日本では現実に大きな問題となっていることです。
その他にも「ブランド品にご注意を」、「バカになることの大切さ」、「イタリアが元気な理由」、「地震国・日本ができること」、「昔・海賊、今・難民」、「価格破壊に追従しない理由」、「仕分けされちゃった私」など、読んで面白く納得の文章がいっぱいあります。
違和感のある部分はありますが、全体としてお薦めする次第です。
なお、小さなことですが「漢字の美しさ」の中で「漢字には書道があるのに、アルファベットにはない」(142頁)と書かれていますが、西欧流書道と言うべき「カリグラフ」があることを指摘しておきます。
著者の日本政治に関しての見識は非常に核心を突いていて、
予想どおりのこと日本の政治が実際につまずいているのがよく分かる。
日本のメディアが作り上げる論調に左右されない場所から
冷静に常識に照らして、状況を正確に捉えて
歴史に学び様々な事例を参考にすれば自ずと問題は分かるのであろう。
同じ歴史の過ちを繰り返さないようにするのは非常に難しい。
「日本的な秀才は予測していた事態への対処は上手いが、
予期していなかった事態への対処は下手なのが特質であるらしい」
との指摘は、原発事故などへの対応で痛感されたことである。
他にも現在、あるいは未来への警鐘となる金言が
隠れているのではないだろうか、と思わせる一冊。
但し、拭い難い『汚点』が一つ。
「靖國に行ってきました」の『遊就館』展示を巡る記述、これには実に恥ずかしい箇所がある。歴史を知らなさ過ぎる、或いは歴史を無視している、それこそ歴史作家として立場を無くしてしまうような。
と云うのも、「遊就館の展示が日本側の歴史認識を示したものである」として、ヨーロッパ・中近東などに点在する戦争展示が、それぞれの国の歴史認識を反映したものになっているのを例に、「日本の首相も日本を訪れる外国の要人たちに、一緒に靖國に行かれませんか、・・・とか言ってみてはどうか」と提案しているが、『政治』の場では、戦後史が改まらない限り、決してこのようには云い得ないのだから。
もう、お分かりですね。