面白い。読み始めたら終わりまで一気に読ませてしまう快著である。
著者は企業の危機管理を専門とする弁護士。一般にはあまりなじみのない分野だ。
それにもかかわらず,法律のシロウトが読んでもその面白さは減じることはない。
その理由は,この本が,著者が実際に手がけた山一證券「自主廃業」後の社内調査委員会委員の仕事(第1章)と,
日本長期信用銀行(長銀)経営陣に対して起こされた「国策裁判」での弁護活動(第2章)という2つの事案の,
内側からのドキュメンタリーであるからだ。いや,ドキュメンタリーという表現では生やさしいかもしれない。
むしろ,国策捜査やマスコミ,世間の風潮など周囲のすべてを敵に回して戦った弁護士の「実戦」記と言ったほうがよいだろう。
またその一方で,本書は,逆境にあっても自らの経営責任を真正面から引き受けて誠実に戦った真の企業人たちへのオマージュ
として読むことができる。それは具体的には,山一がなぜ自主廃業に至らなければならなかったのかを徹底調査した
社内調査委員会委員長の嘉本隆正元常務であり,長銀経営陣に対する国策捜査によって刑事被告人にされ,
最高裁で逆転無罪判決を勝ち取った須田正巳元副頭取である。しかし,彼ら二人に限らず,本書に登場する元社員、元行員たちは
とても魅力的である。それは彼らがまぎれもなく「プロ」であり,一人一人が元社員,元行員としての自らの「落とし前」を
つけようとしているからだ。いまも混迷の度を増す日本経済界において、彼らは「ラスト・サムライ」だったのだろうか。
そうではないと信じたいが。
簿外債務の「飛ばし」の実態や「当時の公正な会計慣行は何か」といった専門的な事柄に関しては,図表入りで説明されており,
経済のシロウトにもよくわかる配慮がなされている。
文章の読みやすさも特筆される。

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今、明かされる「山一・長銀破綻」の真実 修羅場の経営責任 (文春新書 825) 新書 – 2011/9/20
国広 正
(著)
山一の社内調査委員会で経営責任を追及し、長銀事件で経営陣を国策捜査から救った弁護士。自らの秘録を通じ、金融システムを問う
- 本の長さ211ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2011/9/20
- ISBN-104166608258
- ISBN-13978-4166608256
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2011/9/20)
- 発売日 : 2011/9/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 211ページ
- ISBN-10 : 4166608258
- ISBN-13 : 978-4166608256
- Amazon 売れ筋ランキング: - 451,794位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 917位文春新書
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2022年11月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白かったです。
山一證券のケースではCSRのような考え方が責任感のある従業員たちから提唱されているように見受けられるのが興味深かったです。「法的責任判定の最終報告書」が公表されていない点を見ると、責任を押し付けられたと言える野澤社長もどこかで山一的隠蔽体質のようなものは持っていたのだなと感じました。
そもそも何故営業特金という商品が生まれたのか、東急百貨店との取引をどう精算したのか、当時の大蔵省の金融行政の稚拙さなどにも興味が湧いたので「社内調査報告書」や「しんがり」を読んでみようと思います。
長銀のケースでは破綻前の銀行が前期に配当をしていた?という確かに怪しい会計事件ではありますが、やはり経営的ミスと法律的責任を切り分ける冷静な対応を当時の日本社会は出来なかったのだなと残念に思いました。
金融債を発行して中長期の貸付を行なうビジネスモデルの転換が何故出来なかったのか、多角的に検証する検討会で全てを洗いざらい話してもらったほうが後世にとっては価値があったと思います。「裁判の公開」とはいえ当時の長銀経営者のナマの声は殆ど残っていないので、きっとまた同じような優秀な人達で構成された集団的意思決定のミスを繰り返すのだと思います。
山一證券のケースではCSRのような考え方が責任感のある従業員たちから提唱されているように見受けられるのが興味深かったです。「法的責任判定の最終報告書」が公表されていない点を見ると、責任を押し付けられたと言える野澤社長もどこかで山一的隠蔽体質のようなものは持っていたのだなと感じました。
そもそも何故営業特金という商品が生まれたのか、東急百貨店との取引をどう精算したのか、当時の大蔵省の金融行政の稚拙さなどにも興味が湧いたので「社内調査報告書」や「しんがり」を読んでみようと思います。
長銀のケースでは破綻前の銀行が前期に配当をしていた?という確かに怪しい会計事件ではありますが、やはり経営的ミスと法律的責任を切り分ける冷静な対応を当時の日本社会は出来なかったのだなと残念に思いました。
金融債を発行して中長期の貸付を行なうビジネスモデルの転換が何故出来なかったのか、多角的に検証する検討会で全てを洗いざらい話してもらったほうが後世にとっては価値があったと思います。「裁判の公開」とはいえ当時の長銀経営者のナマの声は殆ど残っていないので、きっとまた同じような優秀な人達で構成された集団的意思決定のミスを繰り返すのだと思います。
2014年6月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本当に修羅場だというのが生々しく記述されていて、面白かった
弁護士の業務がどんなものかも書かれており、読みやすかった
弁護士の業務がどんなものかも書かれており、読みやすかった
2011年12月27日に日本でレビュー済み
それまではどちらかというと社会派だった熱血漢の弁護士が破綻した大企業に関わる大問題と格闘する話である。
第1部は簿外債務をきっかけに経営不安に陥り、自主廃業を迫られた山一証券で、社内調査員会のメンバーとして事件の真相究明に取り組んだ経緯。
第2部は不良債権を抱え金融再生法の下で国家管理に追い込まれた長銀に関し、国策捜査の対象として粉飾決算したとの理由で訴追された最後の経営者(副頭取)を弁護し、一審、二審では有罪となったが、最高裁で覆した話。
弁護士の書いたものらしく、話のテンポが良くポイントも明確、また描かれた人間像もさもありなんという形でくっきりしていて、一気に読み通せる。
山一に関しては筆者も述べているようにその後不祥事が起こった会社の第三者委員会のモデルになったことが一番重要であろう。
ピンポイントの論点としては委員会の最後の段階で、“法的責任判定委員会”の方向性に関し、山一(廃業準備中の)の経営陣と深い対立があったことがわかる。筆者も“判定委員会の依頼者は誰なのか”という理論的問題を提起した、とするが、ある意味で死につつある会社で、株主コントロールもワークしていない場合、実務的に(実利的に)何のためか?誰のための作業か?という問題は残ろう。結局真相究明あるいは責任追及という美学しかないのでは?という気もする。
長銀に関しては、裁判で争われたのは不良債権の引当が当時の会計慣行に沿ったものであったか否か?(否であれば粉飾)という点である。個人的には本件の刑事事件としては無罪という結果は妥当と思う。
ただし、一方で(誤解を恐れず言えば)被告人らも誠実なるが故に当時不良債権に関し税法基準ベースによる引当では不十分ではないか(本当はもっと悪いかも)という不安を持っていたのではないか?それが自己に不利な供述調書にもつながっている様な気がする。
当たり前だが、資産の評価あるいは貸金の回収可能性の評価に“客観的な真理”はなかろう。
その意味では、色々形式基準は増えているとは思うが、現在においても関係者にとってリスクを孕んでいる分野なのだろう。
ともあれ正義追求の旗を心に宿し、粘り強く論点を明確化し主張していくことの重要さを教えてくれる一書である。
第1部は簿外債務をきっかけに経営不安に陥り、自主廃業を迫られた山一証券で、社内調査員会のメンバーとして事件の真相究明に取り組んだ経緯。
第2部は不良債権を抱え金融再生法の下で国家管理に追い込まれた長銀に関し、国策捜査の対象として粉飾決算したとの理由で訴追された最後の経営者(副頭取)を弁護し、一審、二審では有罪となったが、最高裁で覆した話。
弁護士の書いたものらしく、話のテンポが良くポイントも明確、また描かれた人間像もさもありなんという形でくっきりしていて、一気に読み通せる。
山一に関しては筆者も述べているようにその後不祥事が起こった会社の第三者委員会のモデルになったことが一番重要であろう。
ピンポイントの論点としては委員会の最後の段階で、“法的責任判定委員会”の方向性に関し、山一(廃業準備中の)の経営陣と深い対立があったことがわかる。筆者も“判定委員会の依頼者は誰なのか”という理論的問題を提起した、とするが、ある意味で死につつある会社で、株主コントロールもワークしていない場合、実務的に(実利的に)何のためか?誰のための作業か?という問題は残ろう。結局真相究明あるいは責任追及という美学しかないのでは?という気もする。
長銀に関しては、裁判で争われたのは不良債権の引当が当時の会計慣行に沿ったものであったか否か?(否であれば粉飾)という点である。個人的には本件の刑事事件としては無罪という結果は妥当と思う。
ただし、一方で(誤解を恐れず言えば)被告人らも誠実なるが故に当時不良債権に関し税法基準ベースによる引当では不十分ではないか(本当はもっと悪いかも)という不安を持っていたのではないか?それが自己に不利な供述調書にもつながっている様な気がする。
当たり前だが、資産の評価あるいは貸金の回収可能性の評価に“客観的な真理”はなかろう。
その意味では、色々形式基準は増えているとは思うが、現在においても関係者にとってリスクを孕んでいる分野なのだろう。
ともあれ正義追求の旗を心に宿し、粘り強く論点を明確化し主張していくことの重要さを教えてくれる一書である。
2017年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キチンとした取材を元に書かれた書。
個別企業よりも日本企業共通の病巣を描いています。
個別企業よりも日本企業共通の病巣を描いています。
2011年12月4日に日本でレビュー済み
それでも企業不祥事が起こる理由
以来、国広正氏の著書に手を伸ばす。
山一の件では、総会屋絶縁チームで一旦挫折した筆者が社内調査委員会に参画し、1998年10月「法的責任判定の最終報告書」を提出している。
長銀の件では、筆者らが、経営責任と法的責任を混同する検察により被告人とされた当時の首脳陣を弁護し、逆転無罪を勝ち取っている。
筆者は山一の嘉本氏、長銀の須田氏の両氏に対し、それぞれ経営責任を果たそうとした姿勢を評価している。
山一証券の件は、筆者が専門領域を生かして粛々と作業進めることに対し、社内的な抗争に何度となく翻弄されている。
長銀の件は、那須弁護士からの打診に筆者が躊躇した際に、筆者の部下の五味氏が引受に乗り気になり、背中を押された形で着手に至っている。
法人に対する弁護士としては長銀の被告人弁護の方が数段やり甲斐ある仕事だったのではないか。
個人的には当初山一の方に関心があった。しかし、知人の多い山一より、長銀の件の方が感動する場面が多かった。
本書p149にある、「銀行実務家と法律実務家の『壁』」を打ち破るには、中小企業診断士をはじめとする経営コンサルタントが橋渡しになれる可能性がある。
経営破綻表面化当時に経営を任された者が、数多い競合も実行していた慣行に基づく処理を行っただけで、刑事責任を問われ集中攻撃を浴びるようでは、耐えられない。
大野木元頭取をはじめとする長銀被告人の苦闘には、本来マスコミや一般国民が支援すべきだったと思う。
山一の件では、総会屋絶縁チームで一旦挫折した筆者が社内調査委員会に参画し、1998年10月「法的責任判定の最終報告書」を提出している。
長銀の件では、筆者らが、経営責任と法的責任を混同する検察により被告人とされた当時の首脳陣を弁護し、逆転無罪を勝ち取っている。
筆者は山一の嘉本氏、長銀の須田氏の両氏に対し、それぞれ経営責任を果たそうとした姿勢を評価している。
山一証券の件は、筆者が専門領域を生かして粛々と作業進めることに対し、社内的な抗争に何度となく翻弄されている。
長銀の件は、那須弁護士からの打診に筆者が躊躇した際に、筆者の部下の五味氏が引受に乗り気になり、背中を押された形で着手に至っている。
法人に対する弁護士としては長銀の被告人弁護の方が数段やり甲斐ある仕事だったのではないか。
個人的には当初山一の方に関心があった。しかし、知人の多い山一より、長銀の件の方が感動する場面が多かった。
本書p149にある、「銀行実務家と法律実務家の『壁』」を打ち破るには、中小企業診断士をはじめとする経営コンサルタントが橋渡しになれる可能性がある。
経営破綻表面化当時に経営を任された者が、数多い競合も実行していた慣行に基づく処理を行っただけで、刑事責任を問われ集中攻撃を浴びるようでは、耐えられない。
大野木元頭取をはじめとする長銀被告人の苦闘には、本来マスコミや一般国民が支援すべきだったと思う。
2011年9月27日に日本でレビュー済み
前半は山一証券が破綻した真の原因は何だったかの調査を委託された一人の弁護士の回顧録です。
弁護団の中でひとり筋を通し、情報リークの疑いまで掛けられて「俺ではありません」と声をふり絞るくだりはこの書のクライマックスといえます。
後半は、「経営陣の企業犯罪を告発するプロフェッショナル」が一転、世論をバックにした国策捜査「長銀事件」の被告人の弁護を引き受け、敗訴敗訴ののちに逆転勝訴に至るまでの苦闘の記録です。
世の中の訴訟物語や企業戦記モノには、勝ったら自慢話、負けたら言い訳というものもまま見られます。
しかしこの本はそのたぐいのものではありません。それは法解釈や世論を一度棚上げにして、正しさとは何か、企業人は何をなし得るか、を一職業人として考え続ける著者の類まれな資質によるものでしょう。
この本は毀誉褒貶の次元を超えて、あえて火中の栗を拾った「敗れざる者たち」への挽歌がこめられているのです。
日々の生活や仕事の中で正しさとは何かという疑問に直面したことのあるすべてのひとびとにお勧めしたいと思います。
ただし、読み始めると寝られなくなるので、夜10時以降に手に取ることはお勧めしません。
弁護団の中でひとり筋を通し、情報リークの疑いまで掛けられて「俺ではありません」と声をふり絞るくだりはこの書のクライマックスといえます。
後半は、「経営陣の企業犯罪を告発するプロフェッショナル」が一転、世論をバックにした国策捜査「長銀事件」の被告人の弁護を引き受け、敗訴敗訴ののちに逆転勝訴に至るまでの苦闘の記録です。
世の中の訴訟物語や企業戦記モノには、勝ったら自慢話、負けたら言い訳というものもまま見られます。
しかしこの本はそのたぐいのものではありません。それは法解釈や世論を一度棚上げにして、正しさとは何か、企業人は何をなし得るか、を一職業人として考え続ける著者の類まれな資質によるものでしょう。
この本は毀誉褒貶の次元を超えて、あえて火中の栗を拾った「敗れざる者たち」への挽歌がこめられているのです。
日々の生活や仕事の中で正しさとは何かという疑問に直面したことのあるすべてのひとびとにお勧めしたいと思います。
ただし、読み始めると寝られなくなるので、夜10時以降に手に取ることはお勧めしません。