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臆病者のための裁判入門 (文春新書) 新書 – 2012/10/19
橘 玲
(著)
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購入オプションとあわせ買い
著者はひょんなことから知人の外国人男性の保険金受け取りをめぐるトラブルの解決を手助けすることになりました。非は完全に保険会社にあることがわかり、すぐに解決するかに見えましたが、事態は思わぬ方向に進展し、ついに「少額訴訟制度」を利用して、裁判に訴えることに。「少額訴訟制度」とは、請求額が60万円以下なら、簡易裁判所で審理から判決までを原則1日で行ってくれる制度です。市民が身近な紛争を裁判で安価で簡便に解決できるように1998年に作られました。日本を「法の支配」が行き届いた「法化社会」にしよう、という思いが、この「少額訴訟制度」には込められています。
しかし、著者と知人の外国人男性は、摩訶不思議なニッポンの裁判制度の闇に迷い込んでしまいます。どこに行っても、悪い人には会わず、善意の人ばかりなのに、簡易裁判所と地方裁判所をたらいまわしにされ、少額の保険金と賠償が得たいだけなのに、多大な時間と労力を費やすことになってしまいました。一日で終わるはずが、決着を見るまでに何と二年半の歳月が流れていました。
その体験を元に日本のニッポンの「使えない」司法制度の問題点を解明したのがこの新書です。問題の一端は、「少額訴訟制度」で扱える紛争の種類が家賃未納や交通事故の損害賠償など定型的なものに限られていること。著者が関わったようなちょっとこみいった訴訟になると簡易裁判所では扱ってくれないのです。
公正中立な「法化社会」を建設する過渡期にあるニッポンで、素人が少しでもややこしい訴訟を始めるとどんな目に遭うのか?
その一部始終がわかる貴重なルポであり、身近にはなったけれど、まだまだ使い勝手が悪いニッポンの裁判を使いこなすための画期的な入門書でもあります。
面白くてためになる一冊です。
しかし、著者と知人の外国人男性は、摩訶不思議なニッポンの裁判制度の闇に迷い込んでしまいます。どこに行っても、悪い人には会わず、善意の人ばかりなのに、簡易裁判所と地方裁判所をたらいまわしにされ、少額の保険金と賠償が得たいだけなのに、多大な時間と労力を費やすことになってしまいました。一日で終わるはずが、決着を見るまでに何と二年半の歳月が流れていました。
その体験を元に日本のニッポンの「使えない」司法制度の問題点を解明したのがこの新書です。問題の一端は、「少額訴訟制度」で扱える紛争の種類が家賃未納や交通事故の損害賠償など定型的なものに限られていること。著者が関わったようなちょっとこみいった訴訟になると簡易裁判所では扱ってくれないのです。
公正中立な「法化社会」を建設する過渡期にあるニッポンで、素人が少しでもややこしい訴訟を始めるとどんな目に遭うのか?
その一部始終がわかる貴重なルポであり、身近にはなったけれど、まだまだ使い勝手が悪いニッポンの裁判を使いこなすための画期的な入門書でもあります。
面白くてためになる一冊です。
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2012/10/19
- ISBN-104166608835
- ISBN-13978-4166608836
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2012/10/19)
- 発売日 : 2012/10/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 254ページ
- ISBN-10 : 4166608835
- ISBN-13 : 978-4166608836
- Amazon 売れ筋ランキング: - 249,145位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 588位文春新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』が30万部を超えるベストセラーに。06年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。橘玲公式サイト http://www.tachibana-akira.com/
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いつものように橘さんの本は面白い
2021年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の裁判制度を網羅的に書いた一冊。ストーリー調で読みやすい。初めて裁判をする側、される側にとっておすすめの一冊。
2020年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文章が分かりやすく、理解しながら読み進めました。勉強になる内容でした。
2018年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は本人訴訟を勧める本ではないし、本人訴訟の役にも立たないだろう。むしろ、本人訴訟の負担とリスクがわかる本。
また、本人訴訟を通して日本の裁判の実態がよくわかる。この点は、弁護士は誰でも知っているが、国民のほとんどは関心がない。弁護士は、日本の裁判がいかに利用しにくいかを本に書いても客が増えるわけではないので、市民にほとんど説明をしないが、この本は、日本の裁判の問題点を明らかにする点で重要な意味を持っている。
著者は、この事件を引き受ける弁護士などいないという弁護士のアドバイスに基づいて本人訴訟をし、苦労するが、控訴審では、「知り合いの弁護士」に安い費用で受任してもらい、和解で解決する。それなら、最初から「知り合いの弁護士」に委任すればよかったのではないかというのが初歩的な疑問。著者は、この本を書くために本人訴訟をしたと思われる。保険会社は12万円の保険金をいつでも支払う用意があったが、被害者が保険金請求をしなかったことは(132頁)、裁判をするためだったのだろう。真実を明らかにするために金銭を受け取らずに金銭を請求したいという人が時々いるが、「裁判は真相究明のための手続」ではないので、裁判になじまない。
著者は、この紛争を単純な紛争と考えていたが、現実には「ものすごく面倒で時間のかかる紛争」だった。その点も弁護士に相談すればすぐにわかることだが、それを覚悟のうえで本人訴訟をしたのだろう。フツーの者にはそれはできない。
裁判は、5分で終わる手続きのために、裁判所が遠方から関係者を呼び出すことを意に介さない世界である。サラリーマンは、そのために丸1日の有給休暇をとらなければならない。時間がかかる点は、本人訴訟でも弁護士に依頼しても同じ。日本の調停や裁判は、本人訴訟を前提としている。日本では弁護士強制主義を採用していないので、弁護士をつけるのは、あくまで例外的な扱いである。しかし、裁判所は、本人訴訟をものずごくいやがる。本人訴訟では自分たちの仕事と手間が増えるからである。裁判で弁護士をつければ裁判所と当事者の手間が減る。
著者は、時間に余裕のある作家であり、本を書く目的があったので、裁判に時間と労力をかけることができたが、そうではないフツーの人は真似をしない方がよい。裁判のために人生の貴重な時間を無駄に使うことになる。裁判を弁護士に依頼すれば、労力は弁護士が負担するが、その代わり弁護士費用がかかる。自動車保険に弁護士特約がついていれば、保険で弁護士費用を賄える。この事件でも、30万円くらい払えば引き受ける弁護士はいくらでもいただろう。
弁護士に依頼しないことが不利になることがこの本でよくわかる。
この本は、東京地裁での経験を書いているが、地方の裁判所の調停委員は法律の素人がほとんどであり、法律をよく知らない。調停委員は普段裁判所にいないので、調停開始時間が始まってから初めて記録に目を通すケースが多く、5分くらいでざっと記録に目を通す程度で申立内容を理解していないことが多い。まれに事前に裁判所に来て記録を読む調停委員がいても、それは出勤扱いされず、給料は出ない。暴言、無知をさらけだす調停委員もいる。ただし、東京は弁護士の調停委員が多い。調停委員はボランティア活動のような、仕事のような、公務員のような(非常勤の公務員だが)、民間人のような、専門家のような、素人のような(法律の素人も多い)不思議であいまいな存在である。それ故、調停制度は裁判所からは、裁判官の負担を減らす制度として歓迎されるが、弁護士はあまり関心を持たず(弁護士は訴訟をしたがる)、国民に理解されていない。日本の調停制度は先進国にない特有の制度であり、そのためその法的性格に関して法律家がさかんに議論をしているが、国民には関係のない議論。
簡易裁判所と地方裁判所の間の事件のたらいまわしはいかにも日本の裁判所らしい。ありそうな話である。外国人の本人訴訟は、通常は裁判所の水際作戦で受理しない方法をとり、ほとんどの人は裁判所の窓口で強引に説得されて諦める。この点は行政指導と同じ。
著者は、裁判官が立証をうながさなかった点を問題にするが、裁判は、自由競争に基づく弁論主義が採用され、立証するかどうかは自己責任とされる。本人訴訟でも同じ。裁判官がアドバイスすることはありえない。それだから本人訴訟は不利である。日本の裁判では社会的に強い者が有利である。金のない人は弁護士に頼めず、裁判で不利になる。裁判に使える資金は国民と役所・大企業では天地ほど差がある。裁判所も社会構造の一部であり、社会的格差が裁判に反映するが、それを知らない国民が多い。そのような法律に従って弁護士も裁判官も仕事をしている。弁護士も法律を守る義務がある。それを変えるためには法改正が必要であり、それを求める一部の法律家の運動があるが、国民の関心は低い。法律や裁判に対する無関心は、国民自身の不利益をもたらすのだが、この点は他の分野でも同じ。
法律は人間同士の紛争を解決するために設けた社会のルールであり、裁判はその紛争を解決するための国家的サービスの一部である。人間同士の紛争のすべてについて黒白の決着をつけるとすれば、多額の税金がかかる。経済優先の政策をとる日本では費用対効果を重視し、司法に税金をかけない。その結果、少額紛争は放置ないし、あいまいに解決されている。財界や政権から見れば、庶民同士の少額紛争はドーデモヨイことだが、その点の国民の関心と不満が高まればそれが社会的混乱を招き、次の選挙に影響するので、多少は考えるだろう。しかし、現状では、司法に対する国民の関心はマスコミがとりあげる大事件や裁判、裁判員裁判、テレビのバラエティ番組・弁護士ドラマなどに限られ、自分たちが関係する少額紛争制度に向いていない。明治以降の日本の司法改革はすべて上からの改革だったので、「上」に都合のよい制度になっている。法科大学院政策も同じ。日本の裁判制度は、国民のためというタテマエで、実態は裁判所が運用しやすいようにできている。最近増えた若手弁護士はものわかりがよく裁判所に実に協力的であり、裁判所に歓迎される。裁判所や法テラスに逆らう弁護士は事件を回してもらえない。
ただし、いずれ(数十年後には)日本でも、北欧やドイツのように少額紛争に弁護士をつけやすくし、費用対効果がなくてもその費用を税金でまかなう制度が実現するだろう。その国の裁判制度は、国民のレベルに応じたものになる。北欧の司法制度は市民の高い法意識の結果である。
また、本人訴訟を通して日本の裁判の実態がよくわかる。この点は、弁護士は誰でも知っているが、国民のほとんどは関心がない。弁護士は、日本の裁判がいかに利用しにくいかを本に書いても客が増えるわけではないので、市民にほとんど説明をしないが、この本は、日本の裁判の問題点を明らかにする点で重要な意味を持っている。
著者は、この事件を引き受ける弁護士などいないという弁護士のアドバイスに基づいて本人訴訟をし、苦労するが、控訴審では、「知り合いの弁護士」に安い費用で受任してもらい、和解で解決する。それなら、最初から「知り合いの弁護士」に委任すればよかったのではないかというのが初歩的な疑問。著者は、この本を書くために本人訴訟をしたと思われる。保険会社は12万円の保険金をいつでも支払う用意があったが、被害者が保険金請求をしなかったことは(132頁)、裁判をするためだったのだろう。真実を明らかにするために金銭を受け取らずに金銭を請求したいという人が時々いるが、「裁判は真相究明のための手続」ではないので、裁判になじまない。
著者は、この紛争を単純な紛争と考えていたが、現実には「ものすごく面倒で時間のかかる紛争」だった。その点も弁護士に相談すればすぐにわかることだが、それを覚悟のうえで本人訴訟をしたのだろう。フツーの者にはそれはできない。
裁判は、5分で終わる手続きのために、裁判所が遠方から関係者を呼び出すことを意に介さない世界である。サラリーマンは、そのために丸1日の有給休暇をとらなければならない。時間がかかる点は、本人訴訟でも弁護士に依頼しても同じ。日本の調停や裁判は、本人訴訟を前提としている。日本では弁護士強制主義を採用していないので、弁護士をつけるのは、あくまで例外的な扱いである。しかし、裁判所は、本人訴訟をものずごくいやがる。本人訴訟では自分たちの仕事と手間が増えるからである。裁判で弁護士をつければ裁判所と当事者の手間が減る。
著者は、時間に余裕のある作家であり、本を書く目的があったので、裁判に時間と労力をかけることができたが、そうではないフツーの人は真似をしない方がよい。裁判のために人生の貴重な時間を無駄に使うことになる。裁判を弁護士に依頼すれば、労力は弁護士が負担するが、その代わり弁護士費用がかかる。自動車保険に弁護士特約がついていれば、保険で弁護士費用を賄える。この事件でも、30万円くらい払えば引き受ける弁護士はいくらでもいただろう。
弁護士に依頼しないことが不利になることがこの本でよくわかる。
この本は、東京地裁での経験を書いているが、地方の裁判所の調停委員は法律の素人がほとんどであり、法律をよく知らない。調停委員は普段裁判所にいないので、調停開始時間が始まってから初めて記録に目を通すケースが多く、5分くらいでざっと記録に目を通す程度で申立内容を理解していないことが多い。まれに事前に裁判所に来て記録を読む調停委員がいても、それは出勤扱いされず、給料は出ない。暴言、無知をさらけだす調停委員もいる。ただし、東京は弁護士の調停委員が多い。調停委員はボランティア活動のような、仕事のような、公務員のような(非常勤の公務員だが)、民間人のような、専門家のような、素人のような(法律の素人も多い)不思議であいまいな存在である。それ故、調停制度は裁判所からは、裁判官の負担を減らす制度として歓迎されるが、弁護士はあまり関心を持たず(弁護士は訴訟をしたがる)、国民に理解されていない。日本の調停制度は先進国にない特有の制度であり、そのためその法的性格に関して法律家がさかんに議論をしているが、国民には関係のない議論。
簡易裁判所と地方裁判所の間の事件のたらいまわしはいかにも日本の裁判所らしい。ありそうな話である。外国人の本人訴訟は、通常は裁判所の水際作戦で受理しない方法をとり、ほとんどの人は裁判所の窓口で強引に説得されて諦める。この点は行政指導と同じ。
著者は、裁判官が立証をうながさなかった点を問題にするが、裁判は、自由競争に基づく弁論主義が採用され、立証するかどうかは自己責任とされる。本人訴訟でも同じ。裁判官がアドバイスすることはありえない。それだから本人訴訟は不利である。日本の裁判では社会的に強い者が有利である。金のない人は弁護士に頼めず、裁判で不利になる。裁判に使える資金は国民と役所・大企業では天地ほど差がある。裁判所も社会構造の一部であり、社会的格差が裁判に反映するが、それを知らない国民が多い。そのような法律に従って弁護士も裁判官も仕事をしている。弁護士も法律を守る義務がある。それを変えるためには法改正が必要であり、それを求める一部の法律家の運動があるが、国民の関心は低い。法律や裁判に対する無関心は、国民自身の不利益をもたらすのだが、この点は他の分野でも同じ。
法律は人間同士の紛争を解決するために設けた社会のルールであり、裁判はその紛争を解決するための国家的サービスの一部である。人間同士の紛争のすべてについて黒白の決着をつけるとすれば、多額の税金がかかる。経済優先の政策をとる日本では費用対効果を重視し、司法に税金をかけない。その結果、少額紛争は放置ないし、あいまいに解決されている。財界や政権から見れば、庶民同士の少額紛争はドーデモヨイことだが、その点の国民の関心と不満が高まればそれが社会的混乱を招き、次の選挙に影響するので、多少は考えるだろう。しかし、現状では、司法に対する国民の関心はマスコミがとりあげる大事件や裁判、裁判員裁判、テレビのバラエティ番組・弁護士ドラマなどに限られ、自分たちが関係する少額紛争制度に向いていない。明治以降の日本の司法改革はすべて上からの改革だったので、「上」に都合のよい制度になっている。法科大学院政策も同じ。日本の裁判制度は、国民のためというタテマエで、実態は裁判所が運用しやすいようにできている。最近増えた若手弁護士はものわかりがよく裁判所に実に協力的であり、裁判所に歓迎される。裁判所や法テラスに逆らう弁護士は事件を回してもらえない。
ただし、いずれ(数十年後には)日本でも、北欧やドイツのように少額紛争に弁護士をつけやすくし、費用対効果がなくてもその費用を税金でまかなう制度が実現するだろう。その国の裁判制度は、国民のレベルに応じたものになる。北欧の司法制度は市民の高い法意識の結果である。
2013年9月23日に日本でレビュー済み
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TVや電車に登場する弁護士事務所の広告。消費者金融への過払い金請求の広告だ。数年前までは考えられなかった事だが、これらは「全てを法律にのっとって解決する」という今の日本社会のありようを示している。
この本は『マネーロンダリング』『黄金の羽根』シリーズの橘玲による「裁判入門」である。
知人の外国人から損害保険の支払いをめぐるトラブルを相談されたことから、著者は知人の代理人として、弁護士のいない「本人訴訟」で保険会社を訴えることなった。
内容は物損事故の保険金12万円を支払え、というもの。
物損事故の保険金を支払え。ここまではいい。だが、ここで保険会社の担当者は勝手に自損事故として処理する、という妙な事がおこる。
もちろん、そんな時の対応マニュアルなどない。非は認めるが金は払わないという保険会社に対して、筆者たちは裁判を起こすことにした。
ここから繰り広げられるのは日本の会社と司法をめぐる奇妙な実態であった。
本書の要旨は極めて単純である。
・日本の会社は「コンプライアンス主義」であり、名目のわからない金を払ったりマニュアルの想定外の事態への対応力が極めて弱い
・よって、今の日本社会は当時者同士で揉め事の話をつける時代は終わり、誰もが裁判所を利用して民事紛争を解決する「法化社会」になりつつある。
・少額の民事訴訟の場合、費用と時間がかかりすぎるため全くわりにあわない。
・「定形化されない」紛争を解決するために今後、本人訴訟はどんどん増えていくだろう。ただし、その処理能力と効率性(何の法律の知識もない人が訴訟を行わなければならない)から、本人訴訟は限界にきている。
・「裁判」と「当事者同士による話し合い」の中間としてADR(裁判外紛争解決手続)という制度があり、これを最大限活用した方が良い。
散々、たらい回しのあげく、東京高裁まで争ったこの事件、2年間をかけて和解金として支払われた金額は14万円。「日本人はどれだけ働くんだい?」という知人の言葉が胸を打つ。
確かにあまりにも非効率だからだ。そもそも、当事者同士で解決すれば、保険会社側が「柔軟な対応」を行えば同じような結論をもっとずっと短期間に出せたのではないだろうか。だが、高度にコンプライアンス化された今の日本の会社ではこうした「マニュアル外」の対応を許す状況にない。
我々にも経験があるだろう。銀行や役所での非人道的なまでのマニュアル主義に。これも「法化社会」の一つの側面なのだ。
最後に、筆者はこの本を書いた理由として、福島第一原発の事故とその損害賠償請求について触れている。
恐らく、今後福島第一原発をめぐる賠償金請求は、消費者金融による過払い金請求や、ブラック企業対策などと並ぶ司法業界の一大ビッグビジネスとなっていくだろう。
だが、問題は福島の事故は過払い金などと違って全く定形化できないという事なのだ。被害の程度も違えば、直接の因果関係さえよくわからない。福島から非難した人もいれば風評被害で損害を被った人もいる。すでにADRの原発版、原発ADRにはそうした訴えが山のように持ち込まれている。そうした訴訟が日本中から山のようにやってくる事態、それに司法はどう対処していくだろうか。
この本は『マネーロンダリング』『黄金の羽根』シリーズの橘玲による「裁判入門」である。
知人の外国人から損害保険の支払いをめぐるトラブルを相談されたことから、著者は知人の代理人として、弁護士のいない「本人訴訟」で保険会社を訴えることなった。
内容は物損事故の保険金12万円を支払え、というもの。
物損事故の保険金を支払え。ここまではいい。だが、ここで保険会社の担当者は勝手に自損事故として処理する、という妙な事がおこる。
もちろん、そんな時の対応マニュアルなどない。非は認めるが金は払わないという保険会社に対して、筆者たちは裁判を起こすことにした。
ここから繰り広げられるのは日本の会社と司法をめぐる奇妙な実態であった。
本書の要旨は極めて単純である。
・日本の会社は「コンプライアンス主義」であり、名目のわからない金を払ったりマニュアルの想定外の事態への対応力が極めて弱い
・よって、今の日本社会は当時者同士で揉め事の話をつける時代は終わり、誰もが裁判所を利用して民事紛争を解決する「法化社会」になりつつある。
・少額の民事訴訟の場合、費用と時間がかかりすぎるため全くわりにあわない。
・「定形化されない」紛争を解決するために今後、本人訴訟はどんどん増えていくだろう。ただし、その処理能力と効率性(何の法律の知識もない人が訴訟を行わなければならない)から、本人訴訟は限界にきている。
・「裁判」と「当事者同士による話し合い」の中間としてADR(裁判外紛争解決手続)という制度があり、これを最大限活用した方が良い。
散々、たらい回しのあげく、東京高裁まで争ったこの事件、2年間をかけて和解金として支払われた金額は14万円。「日本人はどれだけ働くんだい?」という知人の言葉が胸を打つ。
確かにあまりにも非効率だからだ。そもそも、当事者同士で解決すれば、保険会社側が「柔軟な対応」を行えば同じような結論をもっとずっと短期間に出せたのではないだろうか。だが、高度にコンプライアンス化された今の日本の会社ではこうした「マニュアル外」の対応を許す状況にない。
我々にも経験があるだろう。銀行や役所での非人道的なまでのマニュアル主義に。これも「法化社会」の一つの側面なのだ。
最後に、筆者はこの本を書いた理由として、福島第一原発の事故とその損害賠償請求について触れている。
恐らく、今後福島第一原発をめぐる賠償金請求は、消費者金融による過払い金請求や、ブラック企業対策などと並ぶ司法業界の一大ビッグビジネスとなっていくだろう。
だが、問題は福島の事故は過払い金などと違って全く定形化できないという事なのだ。被害の程度も違えば、直接の因果関係さえよくわからない。福島から非難した人もいれば風評被害で損害を被った人もいる。すでにADRの原発版、原発ADRにはそうした訴えが山のように持ち込まれている。そうした訴訟が日本中から山のようにやってくる事態、それに司法はどう対処していくだろうか。
2013年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冤罪という深刻な問題は一部あるものの、市民は概ね裁判所を通じて公正・正義を
享受できるとほとんどの人が想像していると思うが、この本を読
むと実際は違う思い知らされる。
そもそも民事では裁判を受けること自体が難しいケースが多く、仲裁などの
方法もあるが、機能しない場合が多い。また、判決や仲裁で勝ち得たはずの
ものも、単に相手方に無視されて、結局お金が返ってこないケースも多々あ
るという公正・正義の実現とは程遠い司法の状況には驚くべきところがあっ
た。
冤罪の発生は警察や検察の在り方に原因があるというのが一般のイメージだと
思うが、この本を読むと、裁判所の中にも冤罪の生む土壌が大いにあると
感じさせられる(この本は民事を扱ったものだが)。その観点から
世間の焦点が裁判所に全く当たっていないことも大問題であると感じさせる。
橘さんは好きな作家の1人で、いつも楽しく読ませていただくのですが、
学問的な意味で、ややいい加減な記述があったり、専門家の間でコンセンサス
が得られていないことについて、断定的に書き切ってしまう「粗さ」がある
という批判がネットなどでも多い。
自分も楽しんで読みながらも、同様のことを結構感じたりするのだが、
この本に関しては、『「リビジョニスト」の指摘した日本の特異性は、
実はアジア全般に広くみられるものだ』という主旨の部分は、全く事実と
異なっていると思う。
リビジョニストが指摘した日本の特異性は、法に依らずコネや裁量に
よって物事が決まる人治主義的な側面という単純なものではなく、官僚機構を
中心とした権力システムが、天下り等を代表とする非公式な仕組みによって
社会全般に巧妙かつ強力に張り巡らされていることを指しているはず。
にもかかわらず、上記のように「アジア全般に・・・・」というのはあまりに
粗いと思われる。(アジアの他の国に、日本の官僚機構支配のような強固な
権力構造が見られますか?)
とはいえ、読んでいて面白く、裁判所の裏側を世間に知らしめるという
意味で大変意義ある本だと思います。
享受できるとほとんどの人が想像していると思うが、この本を読
むと実際は違う思い知らされる。
そもそも民事では裁判を受けること自体が難しいケースが多く、仲裁などの
方法もあるが、機能しない場合が多い。また、判決や仲裁で勝ち得たはずの
ものも、単に相手方に無視されて、結局お金が返ってこないケースも多々あ
るという公正・正義の実現とは程遠い司法の状況には驚くべきところがあっ
た。
冤罪の発生は警察や検察の在り方に原因があるというのが一般のイメージだと
思うが、この本を読むと、裁判所の中にも冤罪の生む土壌が大いにあると
感じさせられる(この本は民事を扱ったものだが)。その観点から
世間の焦点が裁判所に全く当たっていないことも大問題であると感じさせる。
橘さんは好きな作家の1人で、いつも楽しく読ませていただくのですが、
学問的な意味で、ややいい加減な記述があったり、専門家の間でコンセンサス
が得られていないことについて、断定的に書き切ってしまう「粗さ」がある
という批判がネットなどでも多い。
自分も楽しんで読みながらも、同様のことを結構感じたりするのだが、
この本に関しては、『「リビジョニスト」の指摘した日本の特異性は、
実はアジア全般に広くみられるものだ』という主旨の部分は、全く事実と
異なっていると思う。
リビジョニストが指摘した日本の特異性は、法に依らずコネや裁量に
よって物事が決まる人治主義的な側面という単純なものではなく、官僚機構を
中心とした権力システムが、天下り等を代表とする非公式な仕組みによって
社会全般に巧妙かつ強力に張り巡らされていることを指しているはず。
にもかかわらず、上記のように「アジア全般に・・・・」というのはあまりに
粗いと思われる。(アジアの他の国に、日本の官僚機構支配のような強固な
権力構造が見られますか?)
とはいえ、読んでいて面白く、裁判所の裏側を世間に知らしめるという
意味で大変意義ある本だと思います。
2017年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
少額トラブル泣き寝入り世界が少しわかり、顧客満足度を謳う損保会社のニコニコ顔の裏面に何があるか、垣間見られる。
そのうち被害者満足度のデーターも出してね、 保険屋さん!
そのうち被害者満足度のデーターも出してね、 保険屋さん!
2015年12月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が、裁判を体験しているようでたいへん興味深かったです。おすすめです。