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対談 中国を考える (文春文庫) 文庫 – 1983/2/25
- 本の長さ218ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1983/2/25
- ISBN-104167105519
- ISBN-13978-4167105518
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1983/2/25)
- 発売日 : 1983/2/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 218ページ
- ISBN-10 : 4167105519
- ISBN-13 : 978-4167105518
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,689,928位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 11,897位文春文庫
- - 95,738位歴史・地理 (本)
- - 137,216位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1924(大正13)年、神戸に生まれる。大阪外語大学印度語部卒業。同校西南亜細亜語研究所助手を勤めるが終戦によって辞職し、家業の貿易に従事。 1961年、『枯草の根』により江戸川乱歩賞を受賞し作家生活に入る。69年、『青玉獅子香炉』により直木賞、70年、『玉嶺よふたたび』『孔雀の道』に より日本推理作家協会賞、71年、『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞、76年、『敦煌の旅』により大佛次郎賞、89年、『茶事遍路』により読売文学 賞(随筆・紀行賞)、92年、『諸葛孔明』により吉川英治文学賞、93年、朝日賞、さらに95年、「作家としての業績」により日本芸術院賞をそれぞれ受賞 する。日本芸術院会員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『秘本三国志(六) 』(ISBN-10:4122052157)が刊行された当時に掲載されていたものです)
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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内容は両者とも綿密な知識と実体験に基づいて対談しているので、なるほどなと思わされる場面も多くありました。
日本の言葉の語源や歴代日本水軍の弱さについて語り合っている部分などは、大変興味深いものでありました。
しかし、もう半世紀近く前の情報を使っているので、現在の中国のイメージとのギャップを感じる部分も少なかったというのも事実です。
氏の小説については依然として賞味期限を心配する必要はないと思いますが、こういった対談というのは少し厳しいかなという気がします。
読むのなら早めに手をつけるべき作品だと思います。
久々に中国に行ったので、自分のなかで中国への興味が再燃して、この本を買いました。
面白い❗知見のある方が、そういう人たち通しで対談すると、こんなに面白い話になるんだな、というのがまず感想。
学生のときに駆け足で通りすぎた近代史についても語られており、興味深く読みました。
中国人が西郷隆盛のことは知っている、とか国語ではなく普通語なのだ、といった話から司馬さんと井上靖さんの対談でも話題になっていた遊牧民的な考え方について、など…
もちろん、弱点は古いということだと思います。1983年の文庫の新装ですから日本人がふらっと中国に遊びに行ったりしている時代ではなく、今のように中国が世界の中で躍進しているということもありません。
中国は、それを通して日本はどうなるのかな?という空気を感じさせます。
ただ、素晴らしい文明と長い歴史を持っている中国にとって、この三十年というのはそんなに長い時間の経過ではないとも思わされます。
この時の時代の空気はこうだったんだなー、ということを感じられるのも、私は魅力だと思います。
この二人に今の時代に再度対談をして欲しい、けれど無理なので…今の時代を代表する方に同じような本を出して欲しいです。
結果実りは少なく、逆に対談の怖さを知る本、となってしまいました。
先ず対談名手の司馬氏が、自身のペースを発揮し得たのが、僅かに第1章東夷北狄と中国の二千年のみで、第2章近代における中国と日本の明暗からは、陳氏のエリアに殆ど取り込まれてしまっている、ことに驚きました。
またその司馬氏が、対談が行われた1970年代の空気にも支配されていたことに。添え書きで「中国という国もしくは社会」の「むずかしさ」を補足してはいるが、件の第2章は、アメリカに出し抜かれた中国との関係を、急ぎ追い付こうとした、この時期の日本の期待先行の色が、ここにも及んでいたか、と思われるほどに、文明創出を成した中国礼賛で結ばれてしまっています。
現今の中国が、真の姿なのか、それとも一時的な姿なのか、今後の付き合い方を探る上で鍵となるが、漢民族が版図を統一し、外に繁栄を誇れるは、この時期辺りからで、彼らの高揚も理解出来なくもないとすれば、隣国に位置する我々の意識・見方に、多少の余裕が生まれはするものの、この対談を通して知るは、歴史を知ることの意義を学ぶとともに、彼の司馬氏でさえ、文明創出に幻惑されて、後の「ロシアについて」は冷静になれたのに、この「中国を考える」では時の風に乗ってしまっていた、その発見に戒めを感じる書、ともなりました。