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新装版 翔ぶが如く (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-96) 文庫 – 2002/3/8
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- 本の長さ361ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/3/8
- ISBN-104167105969
- ISBN-13978-4167105969
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/3/8)
- 発売日 : 2002/3/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 361ページ
- ISBN-10 : 4167105969
- ISBN-13 : 978-4167105969
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,376位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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あとは勅裁を得るだけ。一日だけ奏上を待ってくれと西郷に懇願。後藤象二郎は一日くらいいいではないかととりなす。この一日が運命を変える。その後、三条は懊悩で人事不省に陥る。意識が戻ったのは翌日夜。この空白期間を伊藤博文は最大限利用する。岩倉は、両説を奏上するというと、江藤は聖断に任せるようなやりかたは君主に責任を帰すことになると大反対。岩倉もこのときは決死。三条の代理を頼まれているのではなく、君主より代理を命じられているのだから、自分が見たる通りの廟議の実情を君主に開陳し、その上で、自分の意見を奏上すると譲らない。岩倉は、征韓論者に囲まれながら屈せず。西郷は一笑して「よく踏ん張った」と述べたという。
征韓論が敗れると、西郷は東京をすみやかに退去する。東京にいれば、これを担ごうとする血気の集団が騒擾を起こすと判断した、と大久保は見る。西郷が政府を転覆しようとすれば簡単だった。西郷は都督として近衛軍を握っていたから。しかし、それをしなかった。
黒田清隆が泥酔の挙句、妻を惨殺する事件が発生。大久保はこれをもみ消す。西郷も去り、新聞も弾圧されると、この専制政府にブレーキをかけるには暗殺しかない。大久保が紀尾井坂で落命した誘因は、黒田夫人の怪死事件にあるという。黒田は西郷に恩義がある。しかし、北海道経営に熱中していた黒田にとって、征韓論のような外征を起こされることも困る。ゆえに、黒田は征韓論に反対。
己を愛するは善からぬことの第一なり、というのが西郷の口癖。この評価基準からすれば桐野利秋は合格。西郷は桐野を高く評価していた。一方、弟の西郷従道は桐野を嫌い、桐野が兄を過たせることをおそれたという。
幕末の尊王攘夷は、天皇絶対制を目指したものではない。あくまでも国防(攘夷)が主で、尊王は主ではない。尊王家の吉田松陰さえ、「幕府が堂々としてれば、あくまでもこれをおし立てて外夷のあなどりを防ぐ」という構想だったらしい。国家中心の思想。国家を犠牲にしても天皇制を守るという論理が成立するのは太平洋戦争終末期のこと。それ以前は天皇と国家は一体という論理だった。
木戸孝允は自分を英雄豪傑などと思ったことはなかったはず。本質は書生。しかし、後輩が自分に対する謙虚さを失うことは嫌う。
長州人から見ると、薩摩は長州ほどの苦労をせずに果実を手に入れたように思える。惨憺たる苦労をしたのは西郷や大久保だけで、他の薩摩人は鳥羽伏見の戦いの段階において大規模な軍事参加をしただけ、といえないこともない。
欧米発展の秘密を福沢諭吉は自由と権利にある、と見る。川路利良は警察にあると見る。国権的ではあるが、警察がフランス革命の所産であると見るところは核心において福沢と一致する部分もあるかもしれない。国権の管理下において人民の自由と権利を守りたいという強烈な気分があったのではないか。
新国家は内務省から誕生する、というのが大久保の信念。内務省管轄の警視庁をつくることに没頭している川路の信念でもある。そういう川路にとって征韓論は愚論。
人は法の前に平等であり、法の源泉は国家であり、ゆえに国家は価値が高い、という思想は司法省(江藤新平が頂点)によって打ち立てられ、川路はその思想の使徒だった。
陽気な人格というものは欠点でさえ愛嬌になり、失敗でさえ気の毒になるという効用をもつ。秀吉は暴虐な部分が多かったが人気がある。陰気ということは、いかに誠実で謹直であっても、えたいの知れない腹黒さを感じさせる。家康は独裁者的残忍性はなかったが人気がない。
岩倉具視は、死期が迫っているとき、西郷を朝鮮に派遣した方がよかった、と洩らしたという。
宮崎滔天の思想は、国家を超越した世界意識に立つ人類主義にある。日本がいかに大きくなっても世界を動かすことはできないと見切り、その理想を中国に賭けた。
「国家は会計によって成りたつものにあらず」「高き、見えざるもので成り立つ」。本巻は西郷の思想に多く頁を割いている。そして「かれの没落は、明治国家が国家としてのもっとも重要なものを削りおとしてしまった」と結論づけるが、日本帝国を「“雑貨屋”の帝国主義」とこき下ろした司馬らしくない説である。また西郷の敗北は当時の日本語が成熟していなかったことによるとし、「日本にうまれたことの不幸」とまで書くが、大久保も日本語で論じたのである。
司馬の全作品を通してそうだが、山県有朋に対する酷評は何によるのだろう。山県を「模倣者」であり単なる「実務家」と批判するが、明治人などほとんど欧米の模倣者である。増して山県は百姓兵を薩摩武士に勝つまでに育て、「世論に惑はず政治に拘らず」とする軍人勅諭を作ったのだ。後年、軍人が政治を横議して亡国に至ったとはいえ、それはその当時の軍人の責に帰すべきであり、溯って創始者を責めるのはお門違いではないか。
ひょんな場所からひきずりだしたガタイの大きな幼帝を担ぎ上げ脆弱な国家体制を強固にする為戦う。
岩倉具視の大芝居に負けたセゴはやがて川路の放った刺客の罠にニセどんらが引っ掛かり暴発して、
西郷どんは しもた と叫ぶが歴史は動く動くべくして西南の役へと突き進んでゆく。
天皇に統帥権を持たせた事が昭和軍閥の暴走と亡国に繋がったのを中高学校ではひとことも言わない。
日本人はフランス革命もパリコミューンすらをも経験していないし主権者であるという意識が猛烈に薄い。
明治の官僚独裁政治は現在もなにひとつだに変わっていないのは当時言われたままの日本国愚民だから。
司馬遼太郎の筆致に圧倒される全7冊です。
司馬史観の正否はともかくとして、当時の政治的な策動というのがどんなものだったのか理解するための一助となる読書となった。