井上ひさしが編んだ太宰治バラエティブック。作品中心でなく、太宰という人物にスポットをあてている。幼少期から晩年の太宰、彼の手紙や原稿、初出の掲載誌、事件の新聞記事など、写真も満載。文庫とは思えぬほどの豪華さだ。
なかでも、井上の講演録「太宰治と私」が読ませる。太宰とはどういう人間だったのかを井上流に解いてみせる。
コラム「証言による太宰治」は11人の関係者へのインタビュー(1989年に実施されている)。昭和13年に太宰が長期に逗留していた天下茶屋の娘、昭和15年の旧制新潟高校での講演を企画した学生、昭和23年に太宰の口述原稿を筆記し、遺体の捜索にもあたった編集者……など。みな貴重な証言だ。
巻末に、こまつ座の「人間合格」が挿まれているが、これはオマケかな。
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太宰治に聞く (文春文庫 い 3-24) 文庫 – 2002/7/10
嘘が破綻しそうになると、死を決意なさるんですね
あの世の太宰治に井上ひさし氏が「あの時のこと」を根ほり葉ほり問いただす奇想天外なインタビューほか、太宰の秘密を明かす一冊
あの世の太宰治に井上ひさし氏が「あの時のこと」を根ほり葉ほり問いただす奇想天外なインタビューほか、太宰の秘密を明かす一冊
- 本の長さ347ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/7/10
- ISBN-104167111233
- ISBN-13978-4167111236
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/7/10)
- 発売日 : 2002/7/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 347ページ
- ISBN-10 : 4167111233
- ISBN-13 : 978-4167111236
- Amazon 売れ筋ランキング: - 824,471位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,587位文春文庫
- - 120,065位ノンフィクション (本)
- - 199,218位文学・評論 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2003年5月30日に日本でレビュー済み
著者は、夏目漱石、樋口一葉、宮沢賢治らを戯曲に仕立てているが、太宰治を戯曲で描いたのが「人間合格」。著者は、この作品を作るために太宰にのめりこんで作った。全作品を読破し、研究記録を読み漁り、太宰縁の人への取材。その結果、人間・太宰治に新たな視点があたった。それを記録したのがこの本である。著者自身による仮想対談、著者の講演録、太宰の年代記と解説、知人の証言録、井伏鱒二と長部日出男の対談。こまつ座の公演台本等太宰に関する記録が詰め込まれている。それらが、人間・太宰を映し出している。作家としての太宰を著者はやはり”天才”と考えた。太宰治の熱心な読者には、様々な新発見があるだろう。ただ、作品を読まずしてこの本を読んでもあまり面白みはないかもしれないが、太宰を読む切っ掛けになるかもしれない。肩のこらない、著者一流のユーモアたっぷりの太宰論。おもしろい。
2019年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
詳しい資料のようなものでもあり、参考になりました。
2008年5月7日に日本でレビュー済み
この本のなかで、私の印象に残ったものは次の二点だ。
一点目は、こうだ。文学の創造とは、誰も見ていない事実から、高貴な宝玉を見つけ出す行為である。と言う太宰の志に、井上ひさし氏は、難破した水夫の話を通して触れた。難破した水夫が、必死で燈台の窓ぶちにしがみつく。やれ嬉しや、助けを求めて叫ぼうとする、窓のうちを見れば、今しも燈台守一家のつつましくも幸福な夕食の最中である、ああ、いけねえ、俺が今叫んだら、その凄惨な一声で、この一家の幸福はめちゃくちゃになる、と一瞬戸惑った、ほんの一瞬である、とたちまち大波が押し寄せて、この内気な水夫を沖遠く拉し去った、この美しい行為は、誰も見てはいなかった。月も星も。燈台守一家も。それでも、この話は、本当にあったのだ。そのような誰も見ていない事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたい、というのが太宰の願いであり、その願いに触れた井上ひさし氏の願いでもあるはずだ。
二点目は、こうだ。氏は太宰が演じたかったのは、ユダではなく、キリストであった、と言っている。
ところで、一点目に紹介した水夫の話は、少し形は変えてはいるものの、「一つの約束」、「雪の夜の話」、「惜別」の三作品で繰り返し登場しており、さらには太宰の母校青森中学の講演の際にも、語ったとされている。なぜ、太宰は、こんなにも水夫の話にこだわったのか。その答えは、二点目に挙げたことにある、と私は考えている。太宰は、水夫の話を語ることによって、自らがキリストをまねぶ者となる、と言う決意を暗に宣言したのではないか、と。水夫は、見知らぬ<家庭の幸福>を守るために命を捨てた。それは、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし、という聖句を実践した、<美しい>行為だった。太宰もまた、水夫のように、命がけで、日本を批判し、新しい日本を生み出そうとした。キリストが、ユダヤ教徒の偽善を批判し、キリスト教を生み出したように。
井上ひさし氏は、水夫の話における燈台守の行為にスポットライトをあてなかった。燈台守は、自分が果たすべき職務を怠った。だから、水夫は難破し、命を落としてしまった。私は、実は、そう読んでいる。というのも、水夫が命を落としたとき、燈台守一家は、一家団欒して、夕食の最中だった。ゆえに、水夫の死はおろか、水夫の難破にさえ、気づいていない。これは、海難事故防止をつとめるべきはずの燈台守としては、<燈台守、失格>の烙印を押されても、致し方ないのではないか。太宰は、自分たち家族だけの幸福を、その家に閉じ込めた燈台守一家のありかたを批判している。その批判には、どんな<寓意>があるのか? 世界を一家のようにする、大東亜共栄圏、大東亜新秩序建設、などといった、アジアみんなの幸福を謳いながら、そのくせ、日本だけが幸福になろうとするあり方に、その批判が向けられていた、と私は見ている。太宰は、日本の軍部によるミス・リーディング(誤誘導)を、文学上のミス・リーディングに移し変え、それとはわからない形で、実にたくみに、批判して見せた。なんてのは、私のミス・リーディング(誤読)らしい。
附記。このレヴューは、ほかの多くの私のレヴュー同様、プロフィール画面に列挙、紹介している人々の説をふまえたものであり、私のオリジナルの意見ではない。
一点目は、こうだ。文学の創造とは、誰も見ていない事実から、高貴な宝玉を見つけ出す行為である。と言う太宰の志に、井上ひさし氏は、難破した水夫の話を通して触れた。難破した水夫が、必死で燈台の窓ぶちにしがみつく。やれ嬉しや、助けを求めて叫ぼうとする、窓のうちを見れば、今しも燈台守一家のつつましくも幸福な夕食の最中である、ああ、いけねえ、俺が今叫んだら、その凄惨な一声で、この一家の幸福はめちゃくちゃになる、と一瞬戸惑った、ほんの一瞬である、とたちまち大波が押し寄せて、この内気な水夫を沖遠く拉し去った、この美しい行為は、誰も見てはいなかった。月も星も。燈台守一家も。それでも、この話は、本当にあったのだ。そのような誰も見ていない事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたい、というのが太宰の願いであり、その願いに触れた井上ひさし氏の願いでもあるはずだ。
二点目は、こうだ。氏は太宰が演じたかったのは、ユダではなく、キリストであった、と言っている。
ところで、一点目に紹介した水夫の話は、少し形は変えてはいるものの、「一つの約束」、「雪の夜の話」、「惜別」の三作品で繰り返し登場しており、さらには太宰の母校青森中学の講演の際にも、語ったとされている。なぜ、太宰は、こんなにも水夫の話にこだわったのか。その答えは、二点目に挙げたことにある、と私は考えている。太宰は、水夫の話を語ることによって、自らがキリストをまねぶ者となる、と言う決意を暗に宣言したのではないか、と。水夫は、見知らぬ<家庭の幸福>を守るために命を捨てた。それは、一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにてあらん、もし死なば、多くの実を結ぶべし、という聖句を実践した、<美しい>行為だった。太宰もまた、水夫のように、命がけで、日本を批判し、新しい日本を生み出そうとした。キリストが、ユダヤ教徒の偽善を批判し、キリスト教を生み出したように。
井上ひさし氏は、水夫の話における燈台守の行為にスポットライトをあてなかった。燈台守は、自分が果たすべき職務を怠った。だから、水夫は難破し、命を落としてしまった。私は、実は、そう読んでいる。というのも、水夫が命を落としたとき、燈台守一家は、一家団欒して、夕食の最中だった。ゆえに、水夫の死はおろか、水夫の難破にさえ、気づいていない。これは、海難事故防止をつとめるべきはずの燈台守としては、<燈台守、失格>の烙印を押されても、致し方ないのではないか。太宰は、自分たち家族だけの幸福を、その家に閉じ込めた燈台守一家のありかたを批判している。その批判には、どんな<寓意>があるのか? 世界を一家のようにする、大東亜共栄圏、大東亜新秩序建設、などといった、アジアみんなの幸福を謳いながら、そのくせ、日本だけが幸福になろうとするあり方に、その批判が向けられていた、と私は見ている。太宰は、日本の軍部によるミス・リーディング(誤誘導)を、文学上のミス・リーディングに移し変え、それとはわからない形で、実にたくみに、批判して見せた。なんてのは、私のミス・リーディング(誤読)らしい。
附記。このレヴューは、ほかの多くの私のレヴュー同様、プロフィール画面に列挙、紹介している人々の説をふまえたものであり、私のオリジナルの意見ではない。