大正5年12月9日、漱石最期の日は土曜日だった。いよいよ危ないということで、学校へ行った子供たちは早退して、父親に会いに行く。……そこでその子(引用者註:次女恒子)と近所の小学校へ行ってる四番目の娘とがまず会いに行きました。するとあんまり面変わりがしているので悲しくなったものでしょう。愛子というその四番めの娘がたまらなくなって泣き出しました。で私がこんなところで泣くんじゃないとなだめますと、それが 続きを読む