「旅する力」において沢木耕太郎は、ベストセラーになった「深夜特急 第一便、第二便、第三便」の元になるバックパック旅行に出かけることになった経緯を中心に、26歳当時、自分がどのような場所でどのような文章を書いて いたか、旅行から戻ってきてから「深夜特急」を書くことになる長い年月の間、どのように、また文章の世界に戻ってきたかについて、記憶を辿るように、割と 刻銘に思いや考えを綴っています。
「深夜特急」ファンの主人が、同じような装丁のその本を気に入って読んでいるのを見て、 おそらく「後日談」的な、気軽に読めるタイプのエッセイだろうと思って読んだのですが、実際はそう気軽なものではなく(気軽な章もあったけど)、「この テーマについて書く」(沢木さんの場合、=この人を書く、と同義)と決めた理由や、それを相談した当時世話になっていた雑誌社の先輩方の反応、書いた後の 評判、自分の気持ちの動き、雑誌に書いた文章を本にまとめようとするのになかなかまとめられなかったその理由、などなど、沢木耕太郎さんその人が、どんな 考えで自分の書いた文章に向き合い、向き合い続けていこうとしているのかが、よくわかる本でした。
話の中心は、やはり例の 旅ですので、その前後の話が多くなります。よって、大学卒業後の23歳〜30歳あたり。「テロルの決算」でノンフィクションの賞をとる32歳ぐらいまでの ことが濃く書かれています。なぜ書いたか、書いてみてどうだったか。それは作者本人のその作品に対する「レビュー」のようなものです。読みたくなるのも当 然、そうして、沢木さんの30歳ぐらいの著作を読み始めるようになりました。
「危機の宰相」は、1977年、文藝春秋(月 刊誌)に、その一部が発表されたのが最初。その後、本人のあとがきによると、単行本としてまとめようとすると、目の前に新たな「書きたいこと」があらわれ 後回しになり、「本」になるまでに29年もかかってしまったそうです。危機の宰相である、池田勇人が首相を務めた1960〜1964年。「所得倍増」「高 度経済成長」「東京オリンピック」「夢の超特急」という、今の時代を生きる人からすると、むかしむかしの物語のようなお話です。
詳 しくは調べていませんが、今の低成長の時代に、「では、過去はどうたったか」と、敗戦のどん底からGDP第二位に登りつめるまでの日本の経済政策やその頃 の政治家、経済人について書かれたものは、きっとたくさんあることでしょう。けれど、首相池田勇人本人というより、そのブレーンと、彼らが掲げた「所得倍 増計画」というキャッチフレーズはどのようにして生まれたか?という1点について、周辺をくまなく取材し書き上げた本として、これは異色のものだったんで はないでしょうか。
表象的なことだけで考えれば、大蔵省出身で通産大臣を経験して首相になった池田勇人のキャッチフレーズ としての「所得倍増計画」は、結果論として「うまくいったから」ということもあり、それに何の疑問も生まれませんが、沢木さんは、「誰が言い出したのか」 「なぜ言い出したのか」「そもそも、所得倍増とは何を指すのか」について疑問を持ち、「こうだったのではないか」という仮説を立てて、池田勇人を書いたも のを読み、そこに出てくる人たちや関係する人たちに取材をし、ひとつひとつ、確かめながら「やはりそうだった」と結論付けしたり、「ということは、さらに こうではないか」とまた新たな仮説を立てて…という作業を繰り返しています。
「みんながこうだと認識している、当然と思わ れていること」について、「待てよ、ほんとにそうなのか?」という視点を持てることって、すごいな、と思います。そして、自分なりの仮説を立て、調べ、検 証し、まったく違った真実や結論をあぶりだす作業をやり遂げることも。だからこそ、29年も経ってしまった2006年であっても単行本化され、現代の私た ちが読むべき価値のある本になっているのだと思います。それは、人気作家の沢木耕太郎さんの本だから、という出版側の市場価値だけではなく、今の世の中を どうしていくかをもう一度考えるために、この時代のこと、この時代の政治家のことを知ることが出来る価値、だと思いました。
こ の本ではじめて存在を知りましたが、池田勇人のブレーンとして、下村治という経済学者が出てきます。「高度経済成長」と唱え、そのさなかにある1970年 ころから、「ゼロ成長」を唱え始めた、常に"遠くを見つめて"いる人で、1989年、バブルの絶頂期に亡くなったそうです。「必ず破綻の時がくる」と言っ ていたとか(息子さんによるあとがき)。こうした、専門的な知識と自らの理論、滅私奉公に近い「国に尽くしたい」という思いを持った官僚や政策ブレーン が、この本にはたくさん登場しますが、今の時代はどうだろうか。彼らがいないから、政治がブレるのか、使い手であるリーダーにのみ問題があるのか、そのあ たりを、もう少し考えてみなければなりません。
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危機の宰相 (文春文庫 さ 2-13) 文庫 – 2008/11/7
沢木 耕太郎
(著)
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安保闘争の終わった物憂い倦怠感の中、日本を真っ赤に燃え立たせる次のテーマ「所得倍増」をみつけた3人の敗者たちのドラマ
- 本の長さ333ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/11/7
- ISBN-104167209136
- ISBN-13978-4167209131
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2008/11/7)
- 発売日 : 2008/11/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 333ページ
- ISBN-10 : 4167209136
- ISBN-13 : 978-4167209131
- Amazon 売れ筋ランキング: - 75,760位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,166位文春文庫
- - 18,114位ノンフィクション (本)
- - 21,515位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1947(昭和22)年、東京生れ。横浜国大卒業。
ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、1979年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年には『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。常にノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995(平成7)年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表。
2000年に初めての書き下ろし長編小説『血の味』を刊行。2002年から2004年にかけて、それまでのノンフィクション分野の仕事の集大成『沢木耕太郎ノンフィクション』が刊行され、2005年にはフィクション/ノンフィクションの垣根を超えたとも言うべき登山の極限状態を描いた『凍』を発表、大きな話題を呼んだ。
イメージ付きのレビュー
3 星
「所得倍増」の発想は何処から来たか
今や成長はしないしできない、低成長はおろか、縮小経済でやっていこうという人もいるし、いやいや、改革して成長できるようにすべきだという人もいる。成長に関してはあらゆる可能性が議論になっている。 一昔前は成長は大前提で、今の中国以上の成長経済を実現していたのが日本経済であった。その成長経済を安定軌道に乗せる議論に対して寧ろ所得倍増というキャッチフレーズである種の大望を抱かせた、抱かせられた時代があった。それは八十年代の結果として失敗することになるバブル以前に、実体的な形で実現したものだったが、これは誰が発想したものだったのだろうか、というのが本書がこだわった事だ。 振り返ってみれば、戦後復興後の経済が頓挫するか安定軌道に入るのか加熱しすぎて巧くいかなくなるのか訳が分からなくなり始めようとしていた時、バブル以前にちょっと視たかったいい夢、それを視せてもらえたのが所得倍増だった、とも言えよう。高度成長の果実がインフレ抑制や格差拡大阻止の必要となって日本経済に重く圧し掛かろうとしていた時、全く最適の政策が実行されたということでもあろう。 しかし今日、千差万別の経済世界を金融が一つの世界経済として強制的に結び付け、戦争しない福祉国家は復興という成長の条件を失っている。ここでこそ、金融の原点、財政の原点に立ち返って、経国済民、人々の生活と環境を支えるものとして経済政策の基本を見直さねばならない時が来ていると言うべきだろう。
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2012年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2024年5月16日に日本でレビュー済み
わたしが持っている文庫版は2017年の2刷で、帯に「40年間、読み継がれるノンフィクションの金字塔」とある。奥付を見ると、単行本化が2006年で、文庫化が2008年。それなのに、なぜ40年間? と思うが、その経緯は、著者本人によるあとがきに詳しい。
とにかく本書の原型は1977年に発表されているのである。同時代的に読んでいたら、カッカとして面白かったろうなと思う。しかし宏池会も解散が決定した今、よい時代があったんだね、というような気分が先立って、どうもスリリングというわけにいかない。
それでも、「政策がうまくいっているとき、あたかも政策そのものが存在していないかのように見えることがあるが、なくなってみるとその重要性がわかるというのが世の常だ」(P277-278)といわれると、池田勇人と所得倍増計画の意義が再認識できる。その本質を見極めて描き切った沢木耕太郎もすごいと思う。
一方で…とまたループするのだが、たとえば本書には何度か「野(や)にある」という表現が出てくるけれど、勝った負けたもしょせんは自民党内の派閥による疑似政権交代に過ぎないんじゃないの、という索漠とした思いがないでもない。沢木耕太郎というブランド力があったから読み通せた気がする。
とにかく本書の原型は1977年に発表されているのである。同時代的に読んでいたら、カッカとして面白かったろうなと思う。しかし宏池会も解散が決定した今、よい時代があったんだね、というような気分が先立って、どうもスリリングというわけにいかない。
それでも、「政策がうまくいっているとき、あたかも政策そのものが存在していないかのように見えることがあるが、なくなってみるとその重要性がわかるというのが世の常だ」(P277-278)といわれると、池田勇人と所得倍増計画の意義が再認識できる。その本質を見極めて描き切った沢木耕太郎もすごいと思う。
一方で…とまたループするのだが、たとえば本書には何度か「野(や)にある」という表現が出てくるけれど、勝った負けたもしょせんは自民党内の派閥による疑似政権交代に過ぎないんじゃないの、という索漠とした思いがないでもない。沢木耕太郎というブランド力があったから読み通せた気がする。
2017年9月4日に日本でレビュー済み
1950年代から60年代へ。「アンポ反対」から「所得バイゾー」へ。
日本の社会が大きく移り変わっていく瞬間を描いたドキュメンタリー。
50年代と60年代では「流行語」の性質も大きく変わっている。
50年代の流行語は、政治や文化の中で自然発生的に生まれた言葉であったのに対し、60年代のそれはコピーライターによって「つくられる」ものとなっていた。
そうであるならば、時の総理大臣池田勇人が掲げた「所得倍増」も一種の政治的コピーライトであり、「つくられたもの」であるといえる。
ではこの言葉をつくった「ライター」はなにものだったのか。
「所得倍増」が産み落とされるまでの情勢、それに関わる集団・個人の分析が緻密に行われている。
一種の「政策過程論」的小説といえるだろう。
日本の社会が大きく移り変わっていく瞬間を描いたドキュメンタリー。
50年代と60年代では「流行語」の性質も大きく変わっている。
50年代の流行語は、政治や文化の中で自然発生的に生まれた言葉であったのに対し、60年代のそれはコピーライターによって「つくられる」ものとなっていた。
そうであるならば、時の総理大臣池田勇人が掲げた「所得倍増」も一種の政治的コピーライトであり、「つくられたもの」であるといえる。
ではこの言葉をつくった「ライター」はなにものだったのか。
「所得倍増」が産み落とされるまでの情勢、それに関わる集団・個人の分析が緻密に行われている。
一種の「政策過程論」的小説といえるだろう。
2020年9月3日に日本でレビュー済み
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日経新聞で、すごく褒めてあったので、いままで沢木さんは、読まず嫌いのほうでしたが、試しに購入しました。
内容がドはまりで、沢木さんの本を続々と読み続けています。危機の宰相は必読文献です。
いまや私は「サワキスト」です。
内容がドはまりで、沢木さんの本を続々と読み続けています。危機の宰相は必読文献です。
いまや私は「サワキスト」です。
2017年8月14日に日本でレビュー済み
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池田勇人とその周辺の話が最近流行っているのは、世の中がいまひとつだからでしょうか。
とても面白かったです。沢木さんはやっぱりすごい。
とても面白かったです。沢木さんはやっぱりすごい。
2011年8月7日に日本でレビュー済み
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本書は、高度成長の時代を描いた ノンフィクションの傑作です。
本書が、2006年に単行本で出版されたときは、意外な感じがしました。
沢木耕太郎と「政治・経済モノ」のイメージが結びつかなかったのです。
更に、これが、池田勇人、田村敏雄、下村治による所得倍増計画の話と知ったときは、「何をいまさら」という違和感がわいてきました。
この3人の物語は、すでに、同種の本が出版され、ほぼ定説のようになっていたからです。
あとがきに、飯田経夫 名大教授の、「どうして、『危機の宰相』を本にしないんですか。学者や評論家たちが、あなたのアイデアを平然と盗用していますよ。」という記述があります。
ここで、いまや定説となった高度成長の物語は、実は、1977年、文藝春秋に発表した、沢木耕太郎の手によるものであった、と知ったときは、非常に驚きました。
政治・経済という目に見えないもの、因果関係のはっきりしないものを、これほど明解に描いたものはない、と思います。
首相であった池田勇人はともかく、一官僚であった 下村治を正当に評価し、一般には全く無名の 田村敏雄をとりあげた 着眼点はすごいと思いました。
まさしく、傑作だと思います。
特に文庫本は、あとがき、下村治の子息の解説 を含め、全頁、中身の濃い傑作です。
沢木耕太郎という人に驚嘆しています。
(75)
本書が、2006年に単行本で出版されたときは、意外な感じがしました。
沢木耕太郎と「政治・経済モノ」のイメージが結びつかなかったのです。
更に、これが、池田勇人、田村敏雄、下村治による所得倍増計画の話と知ったときは、「何をいまさら」という違和感がわいてきました。
この3人の物語は、すでに、同種の本が出版され、ほぼ定説のようになっていたからです。
あとがきに、飯田経夫 名大教授の、「どうして、『危機の宰相』を本にしないんですか。学者や評論家たちが、あなたのアイデアを平然と盗用していますよ。」という記述があります。
ここで、いまや定説となった高度成長の物語は、実は、1977年、文藝春秋に発表した、沢木耕太郎の手によるものであった、と知ったときは、非常に驚きました。
政治・経済という目に見えないもの、因果関係のはっきりしないものを、これほど明解に描いたものはない、と思います。
首相であった池田勇人はともかく、一官僚であった 下村治を正当に評価し、一般には全く無名の 田村敏雄をとりあげた 着眼点はすごいと思いました。
まさしく、傑作だと思います。
特に文庫本は、あとがき、下村治の子息の解説 を含め、全頁、中身の濃い傑作です。
沢木耕太郎という人に驚嘆しています。
(75)
2019年9月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
師匠の吉田茂と違って、池田勇人は身の引き際が良い。後継宰相佐藤栄作は高度成長の負の側面である「公害」に対して後手に回った。
2015年4月22日に日本でレビュー済み
「私的」でもなく情緒てきでもない。沢木耕太郎らしくないノンフィクション。
テロルの決算のような例もあるけれども、この本の対象は山口二矢と比較にならない程、名前が知れ渡った総理大臣だ。その意味でも沢木耕太郎らしくはない。
ただ、こんな感じのノンフィクションをもっと書いて欲しい気になるから不思議だ。
テロルの決算のような例もあるけれども、この本の対象は山口二矢と比較にならない程、名前が知れ渡った総理大臣だ。その意味でも沢木耕太郎らしくはない。
ただ、こんな感じのノンフィクションをもっと書いて欲しい気になるから不思議だ。