到着予定が6/12でしたが、届いたのは6/14でした。
品物は、古くて茶色く髪が変色していましたが、折り跡などもなく、とてもきれいな状態でした。
本が安いので、送料が高かったのですが、お買い得だったと思います。
到着の遅れはありましたが、特に急いでいなかったので、気にならなかったです、、
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件 (文春文庫) 文庫 – 1987/3/1
澤地 久枝
(著)
明治十一年八月、東京・竹橋で近衛砲兵の暴動が起った。五十五名の関係兵士がみせしめのため銃殺された。歴史の闇に置きざりにされた兵士たちのドラマを掘り起す
- 本の長さ366ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1987/3/1
- ISBN-104167239086
- ISBN-13978-4167239084
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1987/3/1)
- 発売日 : 1987/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 366ページ
- ISBN-10 : 4167239086
- ISBN-13 : 978-4167239084
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,193,467位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 423位その他の事件・犯罪関連書籍
- - 867位漢字・文字
- - 10,369位文春文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
ノンフィクション作家。1930年東京に生まれ、4歳で渡満。敗戦の翌年引揚げる。1949年中央公論社経理部員となり、早稲田大学第二文学部に学ぶ。卒 業後『婦人公論』編集部へ転属。63年、編集次長で病気退職、のち五味川純平氏『戦争と人間』の資料助手。72年『妻たちの二・二六事件』刊行、73年、 フリーのライターに。『火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』(第五回日本ノンフィクション賞)(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 きもの箪笥 (ISBN-13: 978-4473036506 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2016年1月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当時の日本の社会状況、貧しい階層の人たちの切なさを感じました
2020年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
息子よりも若い世代の真っ直ぐな思いが、国家中枢に翻弄され、忘れられた事件。
2014年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまり知られていない事件でありなじみはなかったが、沖縄返還の密約を書かれた澤地久枝さんの本であり買いました。資料もなく小説、ドキュメントにするのも難しい題材を丁寧に整理されていて大変なことだったろうなと思います。基本的に明治となり西郷隆盛との戦が終わり、今後の陸軍の基本形態ができる契機となった大事件でしょう。庶民とかけ離れた参謀中心の、政治と乖離した天皇直属の軍隊規律をつくり戦争に突き進んだ根本がここにみえます。秘密裏に権力者だけで都合よく決められ裁かれていく過程は、太平洋戦争の処理と変わりません。これからも一億総懺悔となりすべての責任が曖昧化された国民性は永井荷風がいうように治らないのかなと・・・・
2017年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
火はわが胸中にありは、このような事件があったことは殆ど知られていなかった事件であり、よくぞ表にしてくれたという気持ちになりました。
2009年4月3日に日本でレビュー済み
竹橋事件は、あの二.二六事件を上廻る規模の銃殺処刑者53名を出しながら、ほとんど誰にも知られずにいた。それでいいのか、いや、よくない、いい筈がないと叫ぶ著者澤地久枝の「執念」が、百年後、百三十年後の私たちに歴史の闇に葬られた人間の無念さと純真さを教えてくれる。
ノンフィクション作品とは自由にはばたく想像力の翼をもたない作家の手慰みにすぎないのではと懐疑的に思っている愚か者に、本書(『火はわが胸中にあり』)はガツンと一発<頂門の一針>を喰らわせ、月並みに「労作」と呼ぶことがためらわれるのだ。
著者が取る手法は、匂坂法務官の極秘記録から二.二六事件での軍部の隠蔽工作を暴き出した『雪はよごれていた』と同様に、残された歴史資料(「口供書」という名の竹橋事件関係者の陳述書、日記手紙類、新聞記事など)を丹念に読み込み、矛盾点や疑問点を探る地道な作業に拠る。
遺族への取材から隙間を埋める新事実を得ると、それをジグソーパズルのように当て嵌めてゆく。巻末の処刑者名簿からは知りえない明治初期に年若くして散った叛乱兵士たちの<想い>や<人間像>を描き切るまで、執筆対象に寄り添うことを著者は厭わない。
旧士族西郷軍と西南戦争で激戦を交わした元鎮台兵が近衛部隊には数多くいたこと、その一人は徴兵制により養家から身代わり入隊させられた孤児だったこと、天皇警護の近衛兵士たちが自発的に誘い合って格差待遇の改善を求める強訴手段に出たこと、砲弾が手に入らないまま山砲を曳いて押し出したことに計画性があるようでないような杜撰さが表われていること。
平農民出身者にも新時代の向学心からフランス語や火砲術に長けた読書家、知識人が少なくなかったこと、しかし陸軍卿山県有朋を初め政府上層部は徴兵による兵士を単に<消耗品>としか見ていなかったこと、事前に蜂起叛乱の企てがあるのを知りながら不平分子への<見せしめ>にするため敢えて暴発を許した疑いが濃いことなどが判ってくる。
作家の執念がもたらした魂の産物である本書から、歴史の真実がもつ重みをどう汲み取り、どのように感じ、何を学び得るかが、日本人一人ひとりに問われている。
ノンフィクション作品とは自由にはばたく想像力の翼をもたない作家の手慰みにすぎないのではと懐疑的に思っている愚か者に、本書(『火はわが胸中にあり』)はガツンと一発<頂門の一針>を喰らわせ、月並みに「労作」と呼ぶことがためらわれるのだ。
著者が取る手法は、匂坂法務官の極秘記録から二.二六事件での軍部の隠蔽工作を暴き出した『雪はよごれていた』と同様に、残された歴史資料(「口供書」という名の竹橋事件関係者の陳述書、日記手紙類、新聞記事など)を丹念に読み込み、矛盾点や疑問点を探る地道な作業に拠る。
遺族への取材から隙間を埋める新事実を得ると、それをジグソーパズルのように当て嵌めてゆく。巻末の処刑者名簿からは知りえない明治初期に年若くして散った叛乱兵士たちの<想い>や<人間像>を描き切るまで、執筆対象に寄り添うことを著者は厭わない。
旧士族西郷軍と西南戦争で激戦を交わした元鎮台兵が近衛部隊には数多くいたこと、その一人は徴兵制により養家から身代わり入隊させられた孤児だったこと、天皇警護の近衛兵士たちが自発的に誘い合って格差待遇の改善を求める強訴手段に出たこと、砲弾が手に入らないまま山砲を曳いて押し出したことに計画性があるようでないような杜撰さが表われていること。
平農民出身者にも新時代の向学心からフランス語や火砲術に長けた読書家、知識人が少なくなかったこと、しかし陸軍卿山県有朋を初め政府上層部は徴兵による兵士を単に<消耗品>としか見ていなかったこと、事前に蜂起叛乱の企てがあるのを知りながら不平分子への<見せしめ>にするため敢えて暴発を許した疑いが濃いことなどが判ってくる。
作家の執念がもたらした魂の産物である本書から、歴史の真実がもつ重みをどう汲み取り、どのように感じ、何を学び得るかが、日本人一人ひとりに問われている。
2010年11月20日に日本でレビュー済み
明治10年に勃発した西南戦争が終結した後、その西郷軍鎮圧に向かった政府軍兵士が起こした反乱事件を「竹橋事件」という。これは、その真相を描いた内容である。政府軍兵士、それも天皇陛下を守護する近衛兵が反乱を起こすという、政府に対しての相当な不満が兵士のなかに存在していたことになる。
事前に不満兵士の決起暴動は鎮圧側にもれていたために不発に終わったが、政府首脳、とくに陸軍卿の山縣有朋は相当な衝撃を受けている。しかしながら、自らは西南戦争による潤沢な恩賞を受けながら、現場で苦労をした兵士には何らの恩賞すらなかった。どころか、兵隊への給与品や食事という待遇が予算削減によって減額されている。このことが不満要因となって暴発した事件であるが、このことは長い年数、闇に葬られていた。
多くの兵士が処刑されたこの事件を振り返ると、明治維新とはなんだったのか、そう疑問視したくなる内容である。
事前に不満兵士の決起暴動は鎮圧側にもれていたために不発に終わったが、政府首脳、とくに陸軍卿の山縣有朋は相当な衝撃を受けている。しかしながら、自らは西南戦争による潤沢な恩賞を受けながら、現場で苦労をした兵士には何らの恩賞すらなかった。どころか、兵隊への給与品や食事という待遇が予算削減によって減額されている。このことが不満要因となって暴発した事件であるが、このことは長い年数、闇に葬られていた。
多くの兵士が処刑されたこの事件を振り返ると、明治維新とはなんだったのか、そう疑問視したくなる内容である。