今回のエーコの作品はかなり魅力的なキャラ達が出てくる。特にアンパーロが私は好きで、自分に似ていると思った。「女性は感じやすいから。」と儀式で踊る女性達に皮肉の言葉を投げ掛けるのがナイス!その後の彼女の不幸な体験に寄り添えない主人公にイライラした。気持ちは分かるが。
下巻にアンパーロの活躍があるのか期待する。
エーコに出てくる女性は、女性軽視を嫌がるふりはするが、男性目線で描かれているので、都合のよい女性にされてしまっているのが嫌かな…
後は文句なし。訳者も上手いと思う。かなりの知識がないとこんな本は訳せないだろう。私はフランス語話者なので、フランス訛りのイタリア語を日本語で面白く訳しているのに笑いがこみあげた。
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フーコーの振り子 上 (文春文庫 エ 5-1) 文庫 – 1999/6/10
二千年王国を夢みるテンプル騎士団。秘密の記号にこめられた世界制覇への野望とは? 二十世紀最高の知的興奮小説、待望の文庫化
- 本の長さ566ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1999/6/10
- ISBN-10416725445X
- ISBN-13978-4167254452
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1999/6/10)
- 発売日 : 1999/6/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 566ページ
- ISBN-10 : 416725445X
- ISBN-13 : 978-4167254452
- Amazon 売れ筋ランキング: - 235,979位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 46位イタリア文学研究
- - 73位イタリア文学 (本)
- - 3,226位文春文庫
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2006年7月5日に日本でレビュー済み
「すべては繋がっている」という「陰謀のセオリー」。われわれはあふれる記号の海を生きている。直感と推論なき歴史学など存在しない。この作品では、「陰謀論」の生成過程が濃密に活写されている。そしてそれがテンプル騎士団、パルチザン伝説、そして「鉛の時代」の「連関関係」とオーバーラップしている。「つながり」を「発見し」、偽史を練成していくプロセスの描写の濃密さは、見事。
でも、とにかく記号の羅列、羅列なので、正直読むのがしんどい。「薔薇の名前」と比べ、小説として成功しているとはいえないのではないか。でもエコである。彼の美学史や記号論に興味がある人ならきっとわかるかも。この作品が研究者ならば、想像力あふれる研究者ならではの妄想だということが。
あと訳がよくないのだろう。よみにくい。
でも、とにかく記号の羅列、羅列なので、正直読むのがしんどい。「薔薇の名前」と比べ、小説として成功しているとはいえないのではないか。でもエコである。彼の美学史や記号論に興味がある人ならきっとわかるかも。この作品が研究者ならば、想像力あふれる研究者ならではの妄想だということが。
あと訳がよくないのだろう。よみにくい。
2004年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本語版が余りに劣悪なので,英語版に切り替えたら,読了に1箇月かかった.いけさんが怒って居られる恐れ入谷の鬼子母神は,英語版では Amen. その前の行に素粒子加速器を表す長い学問用語があって,聞かされた方がもう沢山だと言う意味でそう唱える.一般に,用語は宗教から錬金術,現代科学まで厳密で,ふざけた言葉は出てこない.薔薇の名前のレビューに述べたように,Eco の語彙は実に巨大で,イギリス人も英語版は字引が必要だ,とこぼす有様 (Amazon.co.uk を見て下さい).
話し手の Casaubon は,Templars (Knights Templar) の研究でミラノ大学の博士号を得たが,periscope に取付かれている上に,現実と幻覚を区別できない.主な議論相手のBelbo は,振り子に取付かれている.そんな彼等の前に,一斉に処刑された Templars の復讐計画書なるものが持ち込まれる.もう一人の編集者と三人で,これを種に思いつくままに様様な文書やアイディアを MS-DOS パソコンのデータベースとして加えて行く.出来上がった彼等の計画書は,あと一つ,地図さえ見つかれば,思いのまま世界を支配できる,というもの.こうして,パリの Conservatoire des Arts et Metiers で,Templars の総会が開かれ,Belboは人身御供として振り子に殺される.Casaubon の欠点で,どこまで本当だったのかは判らない.それより先,Casaubon の愛人 Lia (子供もいる) は,復讐計画書の原本を研究して,これが現代の,洗濯屋のメモだと結論づける.
結局,この大作はなにを言いたいのか.恐らくBelboたちのやったようなでっち上げがどんなに危険かを例示し,ついでに,怖ろしい心理スリラー (あるいは,怪談) として纏め上げたのかと思われる.なお,英語版でも,フランス語,ドイツ語,イタリア語,ヘブライ語,ギリシャ語が断りなしに現れる有様で,余り読めとは言えない.
話し手の Casaubon は,Templars (Knights Templar) の研究でミラノ大学の博士号を得たが,periscope に取付かれている上に,現実と幻覚を区別できない.主な議論相手のBelbo は,振り子に取付かれている.そんな彼等の前に,一斉に処刑された Templars の復讐計画書なるものが持ち込まれる.もう一人の編集者と三人で,これを種に思いつくままに様様な文書やアイディアを MS-DOS パソコンのデータベースとして加えて行く.出来上がった彼等の計画書は,あと一つ,地図さえ見つかれば,思いのまま世界を支配できる,というもの.こうして,パリの Conservatoire des Arts et Metiers で,Templars の総会が開かれ,Belboは人身御供として振り子に殺される.Casaubon の欠点で,どこまで本当だったのかは判らない.それより先,Casaubon の愛人 Lia (子供もいる) は,復讐計画書の原本を研究して,これが現代の,洗濯屋のメモだと結論づける.
結局,この大作はなにを言いたいのか.恐らくBelboたちのやったようなでっち上げがどんなに危険かを例示し,ついでに,怖ろしい心理スリラー (あるいは,怪談) として纏め上げたのかと思われる.なお,英語版でも,フランス語,ドイツ語,イタリア語,ヘブライ語,ギリシャ語が断りなしに現れる有様で,余り読めとは言えない.
2018年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「薔薇の名前」で苦渋を舐めたにも関わらず、また作者の作品を読むという愚を犯してしまった。作者は確かに世界的な記号学者なのかも知れないが、作家としての資質はゼロである。読者の楽しみのために小説を書くと言うよりは、自身の博識を"ひけらかす"ために小説を書いているという気配が濃厚で、読んでいて少しも面白くない。作中で、ボルヘスの一節が引用されるが、博識を文学へと昇華させたボルヘスとは大違いである。
下巻は未読だが、どうやら、<テンプル騎士団>2000年の計画(陰謀)に気付いた主人公達3名(その内、1名は<テンプル騎士団>の研究家)が窮地に陥るという物語らしいが、作品の冒頭で既に窮地に陥っているにも関わらず、事件のキッカケから、窮地に陥るまでの経緯の説明が長過ぎるのである。しかも、上述した通り、<テンプル騎士団>を初めとする、ヨッロッパの暗黒時代の事柄(興味を持つ日本人が居るだろうか?)を中心として、作者自身の博識を"ひけらかし"たり、作者自身の思惟を気儘に綴っていたりするだけで、読者は置き去りである。
大作だが愚作。そんな印象しか与えない作品で、私は一応上巻は読み切ったが、まるで我慢比べをしている様で、貴重な時間をムダに費やしてしまったという後悔の念しか感じなかった。
下巻は未読だが、どうやら、<テンプル騎士団>2000年の計画(陰謀)に気付いた主人公達3名(その内、1名は<テンプル騎士団>の研究家)が窮地に陥るという物語らしいが、作品の冒頭で既に窮地に陥っているにも関わらず、事件のキッカケから、窮地に陥るまでの経緯の説明が長過ぎるのである。しかも、上述した通り、<テンプル騎士団>を初めとする、ヨッロッパの暗黒時代の事柄(興味を持つ日本人が居るだろうか?)を中心として、作者自身の博識を"ひけらかし"たり、作者自身の思惟を気儘に綴っていたりするだけで、読者は置き去りである。
大作だが愚作。そんな印象しか与えない作品で、私は一応上巻は読み切ったが、まるで我慢比べをしている様で、貴重な時間をムダに費やしてしまったという後悔の念しか感じなかった。
2016年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まんまと引っかかってしまった。エーコの図書館並みの博学とダヴィンチコードの上をゆくスリリング、かつ先の見えない展開。劇中劇のようなベルボのトラウマを引きずった小説、周りを見渡せば、不死身のサンジェルマン伯爵(?)を含め怪しい人物ばかり。あまりの説得力に、地下鉄は世界中の地下世界の入り口か?とマジでぞっとする始末。閉館後の博物館のカビ臭さまで漂ってくるような…それもそのはず、主人公はすっかり恐怖に縮み上がってひきこもってしまう。そんな中で女性のたくましく、健全な認識は同姓としてうれしい限りである。また、出版業界の裏ワザには笑わせられる。エーコの実体験か?彼の最新本がその絡みのようなので、発売が楽しみ。
2002年3月31日に日本でレビュー済み
きっと読みきるのが難しい部類の話だと思う。
まき戻る時間、突然現れるベルボの小説のような小説、出版社の事務室の中のマニアックすぎる会話、時折現れるサンジェルマンの影、場と心を乱すロレンツァの姿。
最初は遊び半分、けれども次第にのめりこんで行く「真実を作りだすこと」に、もし読んでいるこちら側もハマってしまったら、多分、物事を見る目が少し歪んでくると思う。
読後、物事を片端から関連付ける癖がついてしまって未だに苦労している。
テンプル騎士団や薔薇十字、ユダヤ教の秘儀、ゴーレム、オカルトの知識がほとんどないのでぽんぽん飛び出す専門用語には苦労するけれど、それを知るのも醍醐味。
難をつけるなら、これはどう見てもミステリーではないだろう。
ラストを迎えても、考えねばならない事がたくさんありすぎる。
まき戻る時間、突然現れるベルボの小説のような小説、出版社の事務室の中のマニアックすぎる会話、時折現れるサンジェルマンの影、場と心を乱すロレンツァの姿。
最初は遊び半分、けれども次第にのめりこんで行く「真実を作りだすこと」に、もし読んでいるこちら側もハマってしまったら、多分、物事を見る目が少し歪んでくると思う。
読後、物事を片端から関連付ける癖がついてしまって未だに苦労している。
テンプル騎士団や薔薇十字、ユダヤ教の秘儀、ゴーレム、オカルトの知識がほとんどないのでぽんぽん飛び出す専門用語には苦労するけれど、それを知るのも醍醐味。
難をつけるなら、これはどう見てもミステリーではないだろう。
ラストを迎えても、考えねばならない事がたくさんありすぎる。
2008年6月15日に日本でレビュー済み
「薔薇の名前」がとても好きなので、文庫化された時にすぐに買って読み始めた物の・・・とても読みにくかったです。
理由はただ一つ、訳が問題なのです。
他の方もレビューに書かれていますが、普通ならあり得ない言い回しを利用するというのは雰囲気ぶち壊し。訳し方が古いと言うわけではありません。とにかく読みにくい。
全体的に難解さを増してくれている訳に負けて、ずっと放置していました。その後全部読み切りましたが、殆ど意地でした・・・
ところどころ面白い箇所で引き込まれる物の、描写の訳が解りづらく着いていけないこともしばしば。何度読む手が止まったことか。
なので翻訳物が苦手な人にはオススメできません。面白いからなおさら残念です。
もう一度誰か訳し直してくださったら読み直したい本です。
理由はただ一つ、訳が問題なのです。
他の方もレビューに書かれていますが、普通ならあり得ない言い回しを利用するというのは雰囲気ぶち壊し。訳し方が古いと言うわけではありません。とにかく読みにくい。
全体的に難解さを増してくれている訳に負けて、ずっと放置していました。その後全部読み切りましたが、殆ど意地でした・・・
ところどころ面白い箇所で引き込まれる物の、描写の訳が解りづらく着いていけないこともしばしば。何度読む手が止まったことか。
なので翻訳物が苦手な人にはオススメできません。面白いからなおさら残念です。
もう一度誰か訳し直してくださったら読み直したい本です。
2016年4月15日に日本でレビュー済み
"薔薇の名前"で好評をもって迎えられた記号学者エーコの2作目の小説である。購入してから読むまでに10年、読み始めて2週間かけて読み了えた。あらすじを知ってから読んでもこの小説の魅力を減じられることはないだろうから、ざっとまとめてみる。
つまり、中小出版者の編集者や協力者が、"テンプル騎士団の陰謀"について遊び半分で論じ、まとめてしまったところ、遊びで済まなくなったという話しである。物語の展開としては前作"薔薇の名前"とは違って謎解きに重きを置かれた小説ではないので思わせぶりな伏線などは基本的にないが、兎に角、展開が拡散と収束を繰り返し、話しが進まない。
しかもウンベルト・エーコは記号論の学者である。記号論とはシニフィエンとかシニフィアを用いて、言葉の持つ概念について分析する哲学的方法論である。つまりエーコが用いている単語が実際自分が理解している意味で使われているのだろうか、など疑問が持ち上がってきてしまう。その上、翻訳になっているから、もうどうなのか確かめようもない(イタリア語に長けているなら別なのだろうけど)。そうしたことにかかずり合っていると、いつまでも読み進められなくなる。その内に煙に巻かれている様な気になってきて、いつしか不思議な小説世界に引きずり込まれてしまう。それこそがエーコの狙いなのかも知れないけれども。文章自体は自然で決して読み難い訳ではない。良い評判は聞かないものの個人的には、翻訳としては良心的な労作の部類だと思う。
テンプル騎士団の陰謀と言えば、大体想像が付くと思われるが、要はオカルトを題材にしている。オカルトは神秘主義などと共に語られることが多く、本邦では「月刊ムー」的な位置付けのシニフィエとなってしまっているが、背後に隠された物を白日の下に曝すと言ったニュアンスで使用されることが多い用語である。しかも元来は異端とか俗説と言った概念であり、知的作業の所作であり、知的遊戯である。その意味では文庫版の帯に書かれていた「知の響宴」の意図が理解出来ると思う。そしてこうしたものはまさにエーコの為に用意された主題と言っても良いのではないか。
では、小説自体の体裁であるが、これがまた秀逸だと自分は思うのだけれど、喜劇になっている。エーコは幾度か、オカルティズムの陥穽に対するストレートな批判を織り交ぜて、主人公への読者の感情移入を阻害する。それにより物語をシリアスに進められながらも喜劇に帰着させている。ところでオカルティズムの技法というのは、資料の深読みを積み上げて、独自の結論を導き出すというものである。巷に言う「行間を読む」作業は裏読みであるが、それに更に別の意味付けをすることが深読みである。賢明であれば、この時点で論理が飛躍してしまっていて、客観的でなくなっていることに気付く筈である。エーコはこうした批判的視点を所々に導入している。恐らく、登場人物の中でこの客観性を終止保っていたのは只一人だけである。
そうして延々と前置きが積み重ねられていくので前述の通り、話しが進まない。時折、収束していくかと思えば、また拡散することが幾度も繰り返される。読んでいるといつまでも終わらないのではないかと気持ちが挫けそうになるが、それを堪えて読み進めると、恐らく全体の8割方進んだ所辺りから、展開は速度を増し、大団円を迎えることとなる。謂わば、ディスニーランドにあるスプラッシュマウンテンの様な物語である。
ところで、振り子と共に提示されるフーコーは通常レオン・フーコーである。フーコーの振り子とは、地球の自転を証明する為の実験で、振り子自身は単振動を繰り返しているに過ぎないが、地球の自転により少しづつ軌跡がズレていくというものである。主人公たちが"テンプル騎士団"の陰謀に振り回される様を隠喩しているのだろう。またレオン・フーコー自身が"正式な科学者"ではなかった為、この振り子の実験自体が当時オカルト扱いを受けていたそうである。深い題名である。また哲学の世界ではミシェル・フーコがいる。この人は自分自身が構造主義として理解されながら、構造主義を批判し続けた人であるが、その重要な主張の一つに「知と権力」の関係性についての考察がある。テンプル騎士団に限らず、一般的にオカルトとは権力との関連を想定されるものである。エーコは、記号学者として題名にこうしたシニフィエの拡散をも内包しているのではないか、などと勘ぐってしまう。そして、すっかりエーコの罠に嵌まり、登場人物たちとは一線を画していたつもりが木乃伊になってしまい、日常で深読みする癖がいつしか付いてしまっているのである。
つまり、中小出版者の編集者や協力者が、"テンプル騎士団の陰謀"について遊び半分で論じ、まとめてしまったところ、遊びで済まなくなったという話しである。物語の展開としては前作"薔薇の名前"とは違って謎解きに重きを置かれた小説ではないので思わせぶりな伏線などは基本的にないが、兎に角、展開が拡散と収束を繰り返し、話しが進まない。
しかもウンベルト・エーコは記号論の学者である。記号論とはシニフィエンとかシニフィアを用いて、言葉の持つ概念について分析する哲学的方法論である。つまりエーコが用いている単語が実際自分が理解している意味で使われているのだろうか、など疑問が持ち上がってきてしまう。その上、翻訳になっているから、もうどうなのか確かめようもない(イタリア語に長けているなら別なのだろうけど)。そうしたことにかかずり合っていると、いつまでも読み進められなくなる。その内に煙に巻かれている様な気になってきて、いつしか不思議な小説世界に引きずり込まれてしまう。それこそがエーコの狙いなのかも知れないけれども。文章自体は自然で決して読み難い訳ではない。良い評判は聞かないものの個人的には、翻訳としては良心的な労作の部類だと思う。
テンプル騎士団の陰謀と言えば、大体想像が付くと思われるが、要はオカルトを題材にしている。オカルトは神秘主義などと共に語られることが多く、本邦では「月刊ムー」的な位置付けのシニフィエとなってしまっているが、背後に隠された物を白日の下に曝すと言ったニュアンスで使用されることが多い用語である。しかも元来は異端とか俗説と言った概念であり、知的作業の所作であり、知的遊戯である。その意味では文庫版の帯に書かれていた「知の響宴」の意図が理解出来ると思う。そしてこうしたものはまさにエーコの為に用意された主題と言っても良いのではないか。
では、小説自体の体裁であるが、これがまた秀逸だと自分は思うのだけれど、喜劇になっている。エーコは幾度か、オカルティズムの陥穽に対するストレートな批判を織り交ぜて、主人公への読者の感情移入を阻害する。それにより物語をシリアスに進められながらも喜劇に帰着させている。ところでオカルティズムの技法というのは、資料の深読みを積み上げて、独自の結論を導き出すというものである。巷に言う「行間を読む」作業は裏読みであるが、それに更に別の意味付けをすることが深読みである。賢明であれば、この時点で論理が飛躍してしまっていて、客観的でなくなっていることに気付く筈である。エーコはこうした批判的視点を所々に導入している。恐らく、登場人物の中でこの客観性を終止保っていたのは只一人だけである。
そうして延々と前置きが積み重ねられていくので前述の通り、話しが進まない。時折、収束していくかと思えば、また拡散することが幾度も繰り返される。読んでいるといつまでも終わらないのではないかと気持ちが挫けそうになるが、それを堪えて読み進めると、恐らく全体の8割方進んだ所辺りから、展開は速度を増し、大団円を迎えることとなる。謂わば、ディスニーランドにあるスプラッシュマウンテンの様な物語である。
ところで、振り子と共に提示されるフーコーは通常レオン・フーコーである。フーコーの振り子とは、地球の自転を証明する為の実験で、振り子自身は単振動を繰り返しているに過ぎないが、地球の自転により少しづつ軌跡がズレていくというものである。主人公たちが"テンプル騎士団"の陰謀に振り回される様を隠喩しているのだろう。またレオン・フーコー自身が"正式な科学者"ではなかった為、この振り子の実験自体が当時オカルト扱いを受けていたそうである。深い題名である。また哲学の世界ではミシェル・フーコがいる。この人は自分自身が構造主義として理解されながら、構造主義を批判し続けた人であるが、その重要な主張の一つに「知と権力」の関係性についての考察がある。テンプル騎士団に限らず、一般的にオカルトとは権力との関連を想定されるものである。エーコは、記号学者として題名にこうしたシニフィエの拡散をも内包しているのではないか、などと勘ぐってしまう。そして、すっかりエーコの罠に嵌まり、登場人物たちとは一線を画していたつもりが木乃伊になってしまい、日常で深読みする癖がいつしか付いてしまっているのである。