國語、國法、國史と日本語、國際法、日本史は違ふものですが、それは我國の國柄を基軸としてゐるかどうかといふ根本の違ひでせう。
この「私の國語敎室」は國語(仮名遣ひ)から我國の國柄(文化)を明らかにする名著であると思ひます。
明治期から燻つてゐた「國語改良(改惡・破壊)論者」がGHQ軍事占領下と云ふ我國の混乱(公職追放と共産主義者(文化破壊、革命思想)等政治犯の釈放)に乗じて「現代かなづかい」や「当用漢字」を制定しましたが、これは國語とは云へぬばかりか、日本語としても國語學とは無縁に、極めて政治的な都合から改惡されたものであり、そこには「合理性」も「論理性」もなく、甚だ「現實的」ではないものでしたが、占領體制下から戰後體制へと引き繼がれ今日でも學校で敎育され、世間一般にまかり通つてゐるのです。
余談かもしれませんが、この國語敎育の弊害は英語等の外國語敎育にも及んでゐると思ひます。
國語敎育(現代仮名遣い)の不徹底な表音(音韻)主義では、いくら英語敎育を施しても會話出来る英語は身に付かないでせう。
これは本来、語に従ふ仮名遣ひを無理やりに發音に従はせた矛盾を正当化した結果の、因果応報だと思ふのですが、國語も英語も一音一音の發音に拘泥する事になり、本来の「語」を傳へる事を置き去りにしてゐるからです。
確かに發音も大切でせうけれど、それが意志を傳へるといふ本来の目的に適はないなら本末転倒です。
實體験として「Thank you」と發音する際に「サンキュー」ではなく「タンキュー」と發音した方が断然、相手に意志が通じます。
英語が話せるやうにと幼い子供を英語漬けにする親もゐますが、英語圏で生活してゐる訣でもないのにこんな敎育をしてゐては自國の文化を十分に身に付ける事を阻碍してゐると思ひます。これは植民地や奴隷の特徴である事大主義といふもので文化とは眞逆のものです。
結果として英語が流暢に話せるやうになつても、話すべき内容の伴はない人間が出来上がるのではないでせうか。
いくらネイティブ・スピーカーと同じやうに話しても、空虚な根無し草が國際社會に於いてどう映るのか想像すると、それは植民地敎育を受けた「西洋人モドキ」としか見做されないのではないでせうか。
外國語敎育がどうあるべきかといふ根本に、自國の文化(國語)を身に付けた眞の國際人を育てるといふ基軸を持たねばなりません。
實例として「廣瀬武夫」中佐を挙げませう。彼はロシアへ調査に赴きロシア語を身に付け、その後は駐在武官となりましたが、社交界でも交友を持ちロシアの人達から尊敬を得ました。
これは彼のロシア語が巧みであつたからなのでせうか。さうではないでせう。
後に日露戰爭を戰つた相手(敵)からも、彼が尊敬されたのは彼自身の優秀さや勇気も勿論ですが、祖國の文化を身に付けた國際人、詰まり、日本人としての堂々たる態度があつてこそではないでせうか。
今日、私達日本人が海外からも評価され、信頼されるのは、これまで先人達が培つた實積が基にあるのです。
特に西洋列強に屈し植民地支配を受けてきた東洋の國々からは、自らの不利にも關はらず英米を相手に解放戰爭を戰ひ抜いた我國に対して賞賛の聲を戴けるのは、實に誇らしい事と思ひます。大東亜戰爭は自衛の爲でもありましたが、やはり感謝されるのは嬉しいですね。
このやうに海外に対する時も自國の文化をしつかりと身に付ける事が大切なのですから、況んや國内をや。
さうであるのに、文化の基本である國語も、規範である憲法も「なりすまし詐欺」の儘であれば、今日の不振は必然でせう。
これは私達自身の手で自らの國語(文化・國柄)を混乱させ破壊する愚行ですが、それを無視して私利私欲、賢しらをする腐れ儒者と姦吏(官吏)を糺し、今一度日本を洗濯する爲に、これらの事に無關心であつた多くの人々の目を覺ます責任が私達にはあると思ひます。
「現代仮名遣い」を支持する人達は狂信的ですが、怖れる事も難しい論争をする必要もありません。
この似非仮名遣いは仮名遣ひに非ずといふ事、既に本書でも徹底的に明らかにされてゐるのですから、私達の成すべき事は福田恆存先生や祖先の遺志を繼ぎ「真相はかうだ!」と國語の本来の在り方を確認し、先ずは實踐を通じて廣めて行けば良いと思ひます。
我國は現存する最古の傳統國家であり、海外でも日本文化が高く評価されてゐますが、單に古いからと云つて「傳統」とは云へず、また上澄みだけを掬つてもそこに醸された豊穣さも薫りも無ければ「文化」とは云へない筈です。
しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花 ~本居宣長
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私の國語教室 (文春文庫 ふ 9-3) 文庫 – 2002/3/8
福田 恆存
(著)
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何度でも言はう。「現代かなづかい」は、かなづかひではない、と。國語問題の本質がここに在る。「現代かなづかい」の不合理と不徹底と論理的混乱は、「表記法は音にではなく、語に随ふべし」といふ全く異種の原則を導入したことから起つた。この原則に基く歴史的かなづかひの合理性、論理的一貫性を具体例を挙げて論証、国語問題の本質を剔抉して学界、論壇、文壇に衝撃を与へた不朽の名著の再刊。(目次)「現代かなづかい」の不合理。歴史的かなづかひの原理。歴史的かなづかひ習得法。國語音韻の変化。国語音韻の特質。國語問題の背景。追記。福田恒存全集覚書四解説 市川浩。
- 本の長さ360ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2002/3/8
- ISBN-104167258064
- ISBN-13978-4167258061
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2002/3/8)
- 発売日 : 2002/3/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 360ページ
- ISBN-10 : 4167258064
- ISBN-13 : 978-4167258061
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2019年1月20日に日本でレビュー済み
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「旧かなづかひで書く日本語」と併せて読むことをお勧めします。日本語表記について、「私の國語教室」の方がより詳細専門的になっております。
2023年11月16日に日本でレビュー済み
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日本語については日頃から何故こうなったのかという疑問点に 専門家の先生も同じように考えておられたのか、正に目から鱗 でした。
2016年1月6日に日本でレビュー済み
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いわゆる戦後教育で育ったものとしては驚くべき内容が書かれています。本当は今すぐにでも歴史的仮名遣や正漢字を使ってこの文章を書きたいのですが、全くと言ってよいほど経験がないので、現代かなづかいと常用漢字で書きます。
2013年11月に投稿されているレビュー(投稿者:安倍屋さん)は私が強く伝えたいと思っていることが見事に記載されていましたので、ぜひそちらも参考にしていただけるとよいかと思います。
私はあまり器用でなく、学校で疑問に思ったことや引っかかったことがあるとそれをほっとけない人間でした。そのため学校を修了(最終的に大学院で博士号を取得)してからも、もやもやをいろいろと抱えた大人になりました。その突破口となったのが、現在の日本を考えるうえで、150年の時間軸を捉えて、すなわち江戸時代幕末から現在に至る道程を知り、理解していくことでした。
現在の教育で大変不満な点は、なぜそうするのか、その説明や経緯(歴史も含めて)をほとんど教えてくれないことです。それができない理由は、説明が大変なのではなく(もしそうだとすれば、大学で多くの謎が解けていたはずです)、上記したように欧米文明と対峙することになり始めた約150年前からの合理的には説明しづらい様々な出来事、つまり不合理で錯綜に満ちた出来事によって生じてきてしまっていることが多いためであると感じています。
国の根幹に係わる日本国憲法がどのように作られていったのかを知った時の衝撃は大変大きかったのですが、同様に国語も国の根幹に係わる重大事項でありながら、現代かなづかいや当用漢字の制定理由の裏に漢字廃止の魂胆があったとは驚きです。一体全体こういうことを企てた人たちは日本人なのでしょうか。千年以上続いてきた文化や伝統をいとも簡単に改変(もっと言えば破壊)しようとするその使命や自信はどこから来るのでしょうか。いや、そんなものは無かったのです。追記以降に詳述されているように、気づいていないだけだったのです。
今後は歴史的仮名遣や正漢字を大切にしていくと心に決めました。
2013年11月に投稿されているレビュー(投稿者:安倍屋さん)は私が強く伝えたいと思っていることが見事に記載されていましたので、ぜひそちらも参考にしていただけるとよいかと思います。
私はあまり器用でなく、学校で疑問に思ったことや引っかかったことがあるとそれをほっとけない人間でした。そのため学校を修了(最終的に大学院で博士号を取得)してからも、もやもやをいろいろと抱えた大人になりました。その突破口となったのが、現在の日本を考えるうえで、150年の時間軸を捉えて、すなわち江戸時代幕末から現在に至る道程を知り、理解していくことでした。
現在の教育で大変不満な点は、なぜそうするのか、その説明や経緯(歴史も含めて)をほとんど教えてくれないことです。それができない理由は、説明が大変なのではなく(もしそうだとすれば、大学で多くの謎が解けていたはずです)、上記したように欧米文明と対峙することになり始めた約150年前からの合理的には説明しづらい様々な出来事、つまり不合理で錯綜に満ちた出来事によって生じてきてしまっていることが多いためであると感じています。
国の根幹に係わる日本国憲法がどのように作られていったのかを知った時の衝撃は大変大きかったのですが、同様に国語も国の根幹に係わる重大事項でありながら、現代かなづかいや当用漢字の制定理由の裏に漢字廃止の魂胆があったとは驚きです。一体全体こういうことを企てた人たちは日本人なのでしょうか。千年以上続いてきた文化や伝統をいとも簡単に改変(もっと言えば破壊)しようとするその使命や自信はどこから来るのでしょうか。いや、そんなものは無かったのです。追記以降に詳述されているように、気づいていないだけだったのです。
今後は歴史的仮名遣や正漢字を大切にしていくと心に決めました。
2023年11月12日に日本でレビュー済み
なんとなく気になったので購入しましたが、正直難しく思えて理解できてません。
文章自体は歴史的仮名遣いと旧漢字で構成されていますが、前後の文脈を見て読めないことはありません。
ただ内容がこ難しくて、肝心な現代仮名遣いの不条理さについてはよく理解できませんでた。
文章自体は歴史的仮名遣いと旧漢字で構成されていますが、前後の文脈を見て読めないことはありません。
ただ内容がこ難しくて、肝心な現代仮名遣いの不条理さについてはよく理解できませんでた。
2023年2月3日に日本でレビュー済み
高校生のときに私はこの本に出合ひ、以来旧仮名旧字体の信奉者です。レビューは旧仮名で書きます(ただし字音は使へません)。パソコンに入つてゐるのは普通のソフトですから、仮名はいつたん新仮名で打つてから訂正します(面倒ぢやないかつて? もう癖になつてゐるので、楽しいもんです)が、旧字体は使へません。でも手書きなら、若い時に覚えたおかげで、日頃使用する漢字は旧字で書けます。漢字が好きだつたので、習得は全然苦になりませんでした。
棚の本は90%以上が旧仮名旧字体です。いづれ絶滅するのがわかつてゐたので、若いころに一生の間に読む分くらゐを購入しておきました。本当によかつたと思ひます。新仮名新字体の本は、今や全部キンドルで済ませられますので、スペースの心配もなくなりました。紙と電子の違ひなんぞ何でもありません。同じ活字だと思つてゐます。
「私の国語教室」を読む気になつたのは、福田恒存訳シェイクスピア全集に触れ、その訳文及び「解題」に感じ入つたのと、三島由紀夫「仮面の告白」、ヘミングウェイ「老人と海」の、新潮文庫の解説にも惚れこんだからです。
当時はまだ存命でした。劇団「昴」を率ゐて演出もしてをり、「オイディプス王」の訳を「新潮」で読み、上演を見ました。小池朝雄(刑事コロンボの吹き替へで有名になつてゐました)が「フォールスタフ」(福田の表記)を演じた「ヘンリー4世(第1部)」にも行きました。「教養問答」に起こつた客席の拍手を覚えてゐます。「ヘッダ・ガーブラー」も読みました。シェイクスピアの翻訳で一番感銘を受けたものとしては「コリオレイナス」を挙げませう。
小林秀雄を継ぐ者は福田恒存だ、と坂口安吾だつたかがかつて言つたさうですが、私はやがて、福田の文章により惹かれるやうになりました。福田は小林と違つて理詰めです。筋が通つてゐます。大学生のころは防衛論などにも傾倒したものですが、私は日本を憂へる柄ではありませんから、やはり第一の書は「私の国語教室」であり、演劇論・翻訳です。
新仮名は時代の流れ、今さら旧仮名旧字体に戻れるか、と考へる方、いや表記の問題なんか考へたこともない方が、日本国民の99.9%でせう。この本に倣つて、英語は発音なんか表記の基準にしてゐない、語を基準とし、綴りは複雑怪奇のままなのに、世界を席巻しようとしてゐるんだと唱へてみたつて、誰も聞く耳を持ちやしません。ここではレビューを旧仮名旧字体で書いてらつしやる方も、ほかのレビューは新仮名なのです。
誰もが弄ぶ政治や防衛の論議なら、現在も福田の思想は多少云々されますが、彼が心の底から気にかけてゐたのは日本語のことだつたらうと思ひます。その志はもはや一顧だにされなくなりました。しかし、私は自分さへ古事記・万葉から鷗外・谷崎・三島あたりまでを旧仮名旧字体で読み、その体系に浸つてゐれば満足です。福田に感謝あるのみです。
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「私の国語教室」を読む気になつたのは、福田恒存訳シェイクスピア全集に触れ、その訳文及び「解題」に感じ入つたのと、三島由紀夫「仮面の告白」、ヘミングウェイ「老人と海」の、新潮文庫の解説にも惚れこんだからです。
当時はまだ存命でした。劇団「昴」を率ゐて演出もしてをり、「オイディプス王」の訳を「新潮」で読み、上演を見ました。小池朝雄(刑事コロンボの吹き替へで有名になつてゐました)が「フォールスタフ」(福田の表記)を演じた「ヘンリー4世(第1部)」にも行きました。「教養問答」に起こつた客席の拍手を覚えてゐます。「ヘッダ・ガーブラー」も読みました。シェイクスピアの翻訳で一番感銘を受けたものとしては「コリオレイナス」を挙げませう。
小林秀雄を継ぐ者は福田恒存だ、と坂口安吾だつたかがかつて言つたさうですが、私はやがて、福田の文章により惹かれるやうになりました。福田は小林と違つて理詰めです。筋が通つてゐます。大学生のころは防衛論などにも傾倒したものですが、私は日本を憂へる柄ではありませんから、やはり第一の書は「私の国語教室」であり、演劇論・翻訳です。
新仮名は時代の流れ、今さら旧仮名旧字体に戻れるか、と考へる方、いや表記の問題なんか考へたこともない方が、日本国民の99.9%でせう。この本に倣つて、英語は発音なんか表記の基準にしてゐない、語を基準とし、綴りは複雑怪奇のままなのに、世界を席巻しようとしてゐるんだと唱へてみたつて、誰も聞く耳を持ちやしません。ここではレビューを旧仮名旧字体で書いてらつしやる方も、ほかのレビューは新仮名なのです。
誰もが弄ぶ政治や防衛の論議なら、現在も福田の思想は多少云々されますが、彼が心の底から気にかけてゐたのは日本語のことだつたらうと思ひます。その志はもはや一顧だにされなくなりました。しかし、私は自分さへ古事記・万葉から鷗外・谷崎・三島あたりまでを旧仮名旧字体で読み、その体系に浸つてゐれば満足です。福田に感謝あるのみです。
2017年3月26日に日本でレビュー済み
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現代かなづかいと歴史的なかなづかいに関する有名な論争について歴史的なかなづかい論者の福田恒存の主張をまとめたものである。
福田の主張は現代かなづかいは不完全な歴史的なかなづかいではないか。助詞の「は」「へ」や「を」が残っているのは歴史的なかなづかいの核心部分が残っているから核心部分を残すのなら全部残せ、つまり歴史的なかなづかいのままにしたほうが文化国家日本にとって様々な利点がのこるではないかというのである。実際歴史的なかなづかいを難しくないとして「歴史的なかなづかいの原理」を紹介し「歴史的なかなづかいのマスターの仕方」の章をもうけて懇切丁寧に紹介している。福田の熱弁に感化されこれ以後、歴史的なかなづかいへ転向するきっかけになった。
現代かなづかいでは表音主義から「は」「へ」「を」の3つだけが例外であったが歴史的なかなづかいでは「語に従う」という原則から外れる例が300に登る。これは全部覚えなければならない。福田恒存はこの程度を覚えるのは日本人として当然だと言っている。
福田の主張は現代かなづかいは不完全な歴史的なかなづかいではないか。助詞の「は」「へ」や「を」が残っているのは歴史的なかなづかいの核心部分が残っているから核心部分を残すのなら全部残せ、つまり歴史的なかなづかいのままにしたほうが文化国家日本にとって様々な利点がのこるではないかというのである。実際歴史的なかなづかいを難しくないとして「歴史的なかなづかいの原理」を紹介し「歴史的なかなづかいのマスターの仕方」の章をもうけて懇切丁寧に紹介している。福田の熱弁に感化されこれ以後、歴史的なかなづかいへ転向するきっかけになった。
現代かなづかいでは表音主義から「は」「へ」「を」の3つだけが例外であったが歴史的なかなづかいでは「語に従う」という原則から外れる例が300に登る。これは全部覚えなければならない。福田恒存はこの程度を覚えるのは日本人として当然だと言っている。
2015年8月31日に日本でレビュー済み
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歴史的假名遣ひを學べます。
たとへば [ i ]の音は「い」と「ゐ」と「ひ」の三字によつて表されますが、それらはどの文字を用ゐてもいいのではなく「石(いし)」「井戸(ゐど)「恋(こひ)」のやうに語によつて書き分けられねばなりません。
これらの語は漢字で書いてしまへば假名遣ひを意識することはないでせう。
而して漢字を隠れ蓑にして假名遣ひを誤魔化しているのが現代の國語教育であると著者はいふ。
私見ではあるが、変化の法則が單簡であれば假名遣ひは容易であらうと思ふ。『おぼえる(覚える)』や『たえる(絶える)』は“え”であるのに対して『たへる(堪える)』や『おしへる(教える)』や『かんがへる(考える)』はなんで“へ”になるのであらうか?まつたく紛らはしいかぎりである。
たとへば [ i ]の音は「い」と「ゐ」と「ひ」の三字によつて表されますが、それらはどの文字を用ゐてもいいのではなく「石(いし)」「井戸(ゐど)「恋(こひ)」のやうに語によつて書き分けられねばなりません。
これらの語は漢字で書いてしまへば假名遣ひを意識することはないでせう。
而して漢字を隠れ蓑にして假名遣ひを誤魔化しているのが現代の國語教育であると著者はいふ。
私見ではあるが、変化の法則が單簡であれば假名遣ひは容易であらうと思ふ。『おぼえる(覚える)』や『たえる(絶える)』は“え”であるのに対して『たへる(堪える)』や『おしへる(教える)』や『かんがへる(考える)』はなんで“へ”になるのであらうか?まつたく紛らはしいかぎりである。