“わが「転向」”と題されているが、吉本隆明は
『従来の資本主義が生産本位のものであったのに対して、現在の資本主義はむしろ消費本位とも言うべき産業形態に再編され、高度化した、ということではないかと思います。この高度化した資本主義を、僕らは超資本主義、あるいは消費資本主義と名づけることにします。』(P36)
という、変化に対応した思考転換であり、自身の左翼性はより発展し揺るがないとしている。その担保として次の引用文に表わされるように、消費資本主義に大衆の原像を見出していること、消費資本主義の果てに革命を配置していること、を定礎している。
『大衆の原像ということが年来の思想のカギでした。僕が旧来の「左翼」思想と訣別したところがあるとすれば、「大衆」と呼ばれてきた層が、日本の社会の中枢を占めるようになったのではないかという認識から始まった』(P16)
『日本が超資本主義の段階に達して、潜在的な革命権が、消費という決定的な切り札を握った民衆へ移動したということの反映ではないか』(P13)
しかしそれは、単なる大衆迎合と無い物ねだりではないのか。そう問われれば、吉本は消費資本主義を生み出した高度経済成長の動力が、日本大衆独自の欲望と主体性、そして共同性にあるとして反論したはずである。昭和20年8月15日に20歳であり、敗戦と飢えるということがどういうことか知っていた吉本にとって、戦後の高度経済成長は災害ユートピア建設のように感じられただろう。それは多くの日本人の感性とも通底しており、吉本の精神に「大衆の原像」として自然に深く刻み込まれたように思える。
吉本が見出した「大衆の原像」はまた、彼の精神的安定にも大きく寄与することになる。
『そして「七ニ年頃にどうやら時代の大転換があった」と分析ができてからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみついている人々とのつきあいは免除してもらうことにしました。これまで責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代が変ってしまったんだから罪贖感もこれきににさせてもらおう』(P23)
時代の変換と大衆の原像を重ね合わせることで、知識人として同伴した60年安保闘争や全共闘の呪縛を都合よく清算したことが記されている。書かれてはいないが、七ニ年の連合赤軍事件が吉本にとって第二の敗戦体験となったのではないか。もしかするとこの時点で、彼の思想的使命である天皇制との対決も棚上げしたのかもしれない。以降吉本は、ポップカルチャーの分析やファッション雑誌に登場したり原発容認の論陣を張るなど、消費資本主義の進展を擁護し自分以外の左翼を時代遅れと切り捨てることをもって、思想的特異性とした。このやり口は、吉本の死後も根強く日本の論壇に引き継がれているように感じられる。
『それまで僕は、太宰治の小説「右大臣実朝」にある「人間というのは暗いうちは亡びない、明るいのは亡びの姿だ」という言葉が好きで、それに固執し、そこを掘り下げていけば大丈夫だと思っていました。しかし彼らの明るさ、軽さを「亡びの姿」で片付け、きちんと分析をしなかったなら、この時代では使いものにならないように思えてきたのです。』(P18)
明るさと軽さが売りの消費資本主義が、消費者という大衆による革命をもたらすことなく終焉し、暗黒世界を無理やり大量の人工灯で照らし出すことで「明るい!」と、軽く強弁する今の時代から吉本隆明を振り返る時、暗さに徹底して向き合う重要性とその困難さを思わずにいられない。我々は吉本隆明が到達できなかった「大衆の原像」に、再び分け入らなければならない革命の時期を迎えた。吉本隆明は認めないだろうが、七ニ年に彼は多くの大衆とともに、鍋山貞親や佐野学の場合と同じ倫理的意味を持つ転向を行ったのだ。
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わが転向 (文春文庫 よ 16-1) 文庫 – 1997/12/1
吉本 隆明
(著)
六〇年安保闘争への同伴をふりかえり、自らの思考変換(転向)を真摯に語る話題の書。イデオロギーの溶けた時代の新・新左翼宣言
- 本の長さ202ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1997/12/1
- ISBN-104167289040
- ISBN-13978-4167289041
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1997/12/1)
- 発売日 : 1997/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 202ページ
- ISBN-10 : 4167289040
- ISBN-13 : 978-4167289041
- Amazon 売れ筋ランキング: - 640,853位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,313位文春文庫
- - 10,201位近現代日本のエッセー・随筆
- - 26,721位評論・文学研究 (本)
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2004年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「わが転向」というと刺激的なタイトルだが、「消費資本主義」に関する論考など内容は彼がこれまでいろいろなところで書いてきいることと重複する部分が多い。吉本は「中学教育」と題するエッセイで「ほんとに学歴や社会的地位など大した問題でないという道を歩めるのは、ごくまれな天才とそれにふさわしい超人的努力をした人だけだ」と述べて学歴不要を唱えるリベラルな学者や評論家の欺瞞性を非難しているが、どうもこれは吉本らしくない発言である。なぜって、大学に行く人は高校卒業人口の半分にも満たないし、私の親族の誰も大卒ではないのにちゃんと人間生活を送っている。だいたい、普通の人生を歩むのにいちいち「超人的努力」をしなければいけないのではちょっと身がもたないのではないか。吉本は塾を肯定的に捉えているが、それは彼の消費資本主義の考え方から言えば当然そうなる。が、塾にもやはりいろいろあって、単に受験つめこみ教育をコピーしただけのものがほとんどだから、子供たちの精神に与える影響は良いことばかりとはいえない。なによりも、問題なのはこの国の教育に多様性がないことである。もちろん、大学という受験教育の元凶に身をおきながら、現状を変える努力もせず、塾を言葉だけで批判している似非知識人よりは数倍もましな意見である。
2013年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この一冊を読めば、吉本さんが、何に対して孤軍奮闘して、戦ってきたか、今の現状はどうか?これから先の展望が、おぼろげながらわかる気がする。
2013年6月3日に日本でレビュー済み
1994年11月のインタビュー記事を改定して載せているのですが、
日本の産業構造の構成が大きく変わってきている事を指摘し、これ
までの経済政策が役に立たない事を指摘し考え方を大きく変える
必要がある事を訴えています。このインタビューだけでも読んで欲しい。
20年経っているのに今でも古い考え方の人が多いように思います。
日本の産業構造の構成が大きく変わってきている事を指摘し、これ
までの経済政策が役に立たない事を指摘し考え方を大きく変える
必要がある事を訴えています。このインタビューだけでも読んで欲しい。
20年経っているのに今でも古い考え方の人が多いように思います。
2002年8月9日に日本でレビュー済み
著者は昔からの左翼で、作家の吉本ばなな氏の父親であることでも有名です。タイトルは、左翼からの転換を示唆しますが、内容は現在の共産党や社民党に代表されるような左翼を批判しているだけではありません。むしろ、著者独自の視点から政治・経済・社会の様々な問題を論評した本として、非常に面白い内容となっています。伝統的な左翼からの乖離という意味では、マルクス主義的な生産者重視の見方は現代にそぐわず、現実に起こっているのは、「消費化」なのだという視点は、社会学なので論じられている問題としても、興味深いものでした。また、政治的には、小沢一郎氏を採り上げ、その主張に同意するところ、否定するところ、を忌憚なく述べているところも、面白かったです。
2003年5月30日に日本でレビュー済み
ここでいう「転向」は、坪内祐三ではないが、「1972」頃から段々と世界が変容して来て工業化社会の段階のマルクス主義ではそのまま対応できなくなってきている事を主に指しているようだ。ここらから公害病が精神病にシフトし、第三次産業への就労者が半数を超えた。そこで必要とされる未知の倫理を巡って、吉本は全ての論者と対立する。