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ある異常体験者の偏見 (文春文庫 306-7) 文庫 – 1988/8/1

4.5 5つ星のうち4.5 18個の評価

戦前戦後、日本人は一貫して“意見の多様性の欠如”という軌道を走っていると説く著者が、そこからの脱却の道を追及する警世の書
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (1988/8/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1988/8/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 315ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4167306077
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4167306076
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 18個の評価

著者について

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山本 七平
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2022年5月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後、日本統治構造を見破られない為にとうの昔から日本は認知戦に嵌められてきたわけですね。
所々感じる違和感の正体はここにあったのだと腹落ちしました。
ウクライナ騒動にしろ、疫病騒ぎにしろ、真相に近づくヒントがこの本には描かれていると思います。
とはいえ、ネットニュースのコメント欄なんかを見ている限り(専門家とかプロとかって妙な肩書き含め)、今は〝インボウロン”というバカの壁に囲まれたゲットーにて穏やかに暮らしてますので、救いがない。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年3月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、第二次世界大戦で日本が中国に敗北した原因に関してなされた元毎日新聞編集委員、新井宝雄の分析に対して、著者が「ショック」を受けたことを告白することから始まる。

新井氏は日本の敗因について曰く。
「・・・私は・・・『深い反省からこそ多くのもの生まれる』と考えている。
たとえば強大な武器を持っていた日本がなぜ中国に敗れたのか。それは偶然に負けたのではなく負けるべくして負けたのである。それは、なかば植民地化された中国を、独立化したいという中国民衆の燃えたぎるエネルギー、いいかえれば反帝、反封権の進んできた中国力革命の力量によって負かされたのである。・・・」

これに対して著者は、
新井氏の日本敗因に関する発想は、戦時中の日本軍、日本人の発想と比べれば、
「・・・新井氏の『日本軍』というところが『英米軍』にかわり、『民衆の燃えたぎるエネルギー』が『精神力』にかわっているにすぎないのではないか。・・・」
と。

これを受け、本書が発行された頃、日本で「進歩的文化人」と称されるマスコミを中心にを覆っていた文化大革命礼賛、追従の「空気」は、結局のところ、戦時中の日本を覆っていた「空気」の裏返しに過ぎないのではないか、と問題提起する。

そこから著者は、縷々と新井氏と議論を進めていく。

冒頭に著者が受けた「ショック」とは何だろう。

それは、新井氏の論文の裏に見え隠れする日本人に共通する何かではないか。

重要な問題に対する客観的な原因究明を先送りにし、「あいまいなきれいごと的発想」でその時点の「空気」に合わせ、自身の良心を示そうとする態度。

例えば、新井氏の反論文の題名のに使われる「人間」という言葉である。

「重要なのは人間である」?。日本人ならば誰しも少なからずクラッとくる抽象的なマジックワード(山本七平氏の表現を借りれば、実質的な意味が不明OR/AND意味を持たない「空体語」)を振りかざしながら肝心の議論から目を逸らさせようとする欺瞞的な態度。

このような抽象的な思考様式と行動様式に乗って「正直者は必ず報われる!!」「正義は勝つ!!」という類のどこかいかがわしくも文句のつけようがない標語を掲げながら、自爆するまで、行けるところまで突撃しようとする態度こそは、戦時中に特攻隊員など多くの国民,若者を苦しめた元凶であり、そしてその基本的態度は戦後も全く変わっていないのではないか。

日本だけで200万人という犠牲を被った挙句の総括が、このザマか!!という「怒り」だったのではないかと思う。

その後、新井氏と山本氏との間に交わされた議論、そしてそこで示される山本氏のさまざまな観点からの考察は、今でも我々に非常に強烈な示唆を与えてくれるものと信ずる。

当時の「空気」を想像するに、山本氏の本書での考察は当に“KY”と思われ、その分析・追及が鋭ければ鋭いほど、社会的な波紋は想像以上だったろう。

小生が思うに、著者が本書を通じて一般社会に投げかけたかったであろう疑問は・・・

本来、客観的であるべき事実の探究が、何故特定のイデオロギーによって左右されてしまうのか?
何故、進歩的文化人といわれる人々は左に倣えで南京事件から百人切りを肯定し、そして当時の文化大革命の成功を喧伝するのか、逆に右翼といわれる人々は右へ倣えそれらの事実を否定するのか。
これは偶然の一致か?
いかにも摩訶不思議でおかしいではないか?

一つ一つの事実の検証が特定のイデオロギーによって左右されてよいのか。不偏不党の観点から客観的になされるべきではないのか。

という至極自然で素朴な疑念であると思う。

氏の一貫した冷徹な論理展開に、多くの人々が“詐欺師”“右翼”等と一方的な罵倒に徹してしまう心情も理解できる。
なぜなら氏の論を受け入れればそれは即ち自分の社会的なレゾンデートルが根本から崩壊してしまうと思われるからだ。

その後、山本氏の考察が上記のようなレッテル貼りによって黙殺されていったとしても不思議ではない。

戦後日本における一巨人の思考方法を学ぶ上でも、必読の書として強く推薦する。ぜひ、諸兄ご自身の頭で是非をお考え頂ければ、様々な貴重な示唆が得られるもの信ずる。
36人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大東亜戦争の敗因はなんであったのか?如何にすれば日本に勝機はあったのか?いやそもそも
勝てる見込みなど毛頭なかったのだろうか?山本氏のような実際の戦争体験者からナマの体験
談を聞くことは貴重である。強大な武器を持った無敵皇軍というのはつくられた虚像であり、
実際は粗悪な材質と加工による欠落兵器集団であった旧日本陸軍の実態。当時の中国兵は永続
的な内戦で鍛えられていて神出鬼没、戦争の超ヴェテランであり、世界最強の歩兵であった。

軍人による扇動のやり方はひじょうに簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、人々を
盲目にし、同時にそのヒステリーから生じるエネルギーがある対象に向かうように誘導する。
その方法論はシェークスピアの「ジュリアス シーザー」に実に明確に示されている。有名な
アントニーの演説である。

マッカーサーの巧妙な占領政策によって言論統制やプレスコードの実態は不思議なほど一般に
は知られていない。実際は戦時中の言論統制以上のものであったという。日本のマスコミは戦
時中は軍部に妥協し、戦後はGHQの手先となった。「史上最も成功した占領政策」というのは、
その体質、体制が既に日本にできあがっていたからこそできたものだろう。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
随分経年(発行30年)しているのにとても綺麗な状態に驚きました。髪はそれなりに赤茶けていましたが、綺麗だったので感謝しつつ読ませていただきました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年6月14日に日本でレビュー済み
「…強大な武器を持っていた日本がなぜ中国に敗れたのか。
 それは偶然にまけたのではなく、負けるべくして負けたのである。
 それは、なかば、植民地化された中国を、独立した近代国家にしたいという
中国の民衆の燃えたぎるエネルギー、
いいかえれば反帝・反封建の道を進んできた中国革命の力量によって負かされたのである。」

「 新井(宝雄)氏(毎日新聞記者)は、日本は『偶然に負けたのではなく、負けるべくして負けたのである』
と言っておられる。
 このことは、戦後、収容所で、陸大出の高級将校、特にまじめな人が、
ほとんど口を揃えていったことである。
 ただその意味は新井氏とは全く逆なのである。」
「陸軍には兵棋演習というのがあって、地図の上で一種の駒を動かして、
徹底的に討論する。
何度やっても負けるという結論しか出なければ、
兵団をふやすか、勝てる位置まで撤退するか、しなければならない。
それをどちらもしなければ初めから負けるときまっているわけである。
もちろん私などはこれに参加できる位置にはおらず、
傍見する機会が偶然あっただけである。
収容所で親しくなったある参謀の話では、大本営では、大きな地図の上で、
師団単位でこれを行う。
ところが、海軍の敗戦や戦略爆撃機による空襲を全然計算に入れなくても、
何度やってみても、中国軍相手だけで、最終的には負けるという結論しかでなかったそうである。」

「射撃をすれば高温の火薬ガスと弾丸の摩擦で砲身は熱する。
これに砲弾を装填したところに『打ち方待て』の号令がかかり、
そのまま放置しておくと薬頭内の装薬の温度が上昇する。
それを忘れてそのまま射撃を再開すると、
この砲弾だけは異常な遠方に飛んでいってしまう。
それがロケットともなると、その日、その時の気温だけで、射距離が常に狂う。
また向い風、横風、追い風も砲弾に作用するが、
ロケットだと、比較にならぬほどさらにさらに強い影響をうける。
従ってミサイルの特質は、これらすべての不確定要素を計算して確定要素とし、
それに基づいてロケットを誘導できるという点にあるはずである。
いわば電算機が生み出した兵器というべきであろう。
計算機を使うという発想は日本軍にもあり、その初歩的なものなら私も使ったことがある。
偏差盤といって、偏差公会法で使う一種の計算盤だが、ただこれは、制度が悪くて使い物にならなかった。
 従って、当時の新聞・雑誌が書きたてたような『ミサイル時代』という特別な時代が始まったわけではなかった。
規模が極端に大きくなり、測定の技術と計算の技術が異常に高くなったというだけで、
友軍の頭越しに相手の心臓部に巨大な砲弾を送りこむという根本的発想には少しも変化はない。
従って原則は砲兵と同じで、あらゆる不確定要素を徹底的に追及し、
計算して、これを確定要素に織り込むという態度にならざるを得ない。
そして相互にこういう態度で、徹底的に不確定要素を消去してしまえば、
計算が終わったときにすでに結果は出ている。
従ってあの老佐官がいったような結果
『つまるところ砲兵だけになったら戦争は起こらん』
『測地が終ってあらゆる要素が確定したら、それで終りじゃろ』。
計算してすべての結果がもうわかっているのに『撃ち合ってみるバカはおらんじゃろ、
だからいくさにはならんのじゃよ』。
という状態になったわけである。
つまり計算が終ったときに戦争は終り、だれも『やってみにゃわからん』とは考え得ない状態である。
 したがって『冷戦の思想』というのが特別にあったわけではないし、
冷戦が極限まで進むと熱戦になるわけでなく、
冷戦と熱戦とは発想が全く逆方向なのである。
そしてその発想の逆転は、何らかの形の『精神力』対『武器』とか、
『民衆のもえたぎるエネルギー』対『武器』といった発想、
いわば『不確定要素』対『確定要素』という発想が出てくると生ずる。
そしてひとたびこの発想に転じ、不確定要素が前面に押し出されると、
もう一切の分析も計算も討論は不可能になる。
そして大勢はただ、この不確定要素をスローガンにして大声で叫ぶものにひきずられていく、
という結果にならざるを得ない。
何しろ不確定要素だから、『ある』といえばあり、『ない』といえばない―
いわば最初にのべた『資産の水増し評価』ににてくるからである。
従って議論自体が成立せず、一方的な言いまくりにならざるを得ない。
そして言いまかした方がすべてをひきずっていく。」

「だが『飢え』の体験も『痛み』の体験も知らぬ人にはこれが分からない。
そこで、満腹しながら、平然と『お前の「飢え」を「飢え」としている』というようなことを、
本当に飢えている人の前でいって、それで『飢えた側に立っている』つもりになっている。
見ていてハラハラする。
 だが以上に述べた状態は一言で言えば『半飢餓』であって、
本当の飢餓でないから、『飢えの力』はまだそれほど強くない。
しかしこの程度でも、今の多くの人には理解しがたい面があるであろう。
無理もない、『飢え』というものは、言葉の限界を超えている生物的なことなので、
どうしても言葉では伝達できない面が出てくるのである。
これがさらに決定的な『餓死寸前』となると、その状態が人間を動かす力は、
飽食している人のあらゆる空想を越えた物すごいものだといっても過言ではない。」
「この力の前には、あの日本軍の鉄の軍紀も一たまりもなく雲散霧消してしまう。
その力のすさまじさ、物すごさ、それは到底、アメリカ軍の弾幕の比ではない。
特に日本人は「飢餓体験」がないだけに、ひとたびこれに会うと、
あらゆる秩序は実にもろく崩れ去ってしまう。
それなのに、否、それであるが故に、『飢えの力』が
どれだけ大きく戦局や国際情勢を動かすのかを、誰も理解していないように思われる。
これが私の飢餓という体験を語ろうと思った理由である。
『大躍進』『文化大革命』を押しとどめ、中国に『政策転換』を行わせたのは、
『飢えの力』ではないのか。
否、少なくとも『飢えの力』が大きな要素ではなかったのか、
という発想は、『昭和元禄飽食の民』から一笑に付されるであろう。
まして大日本帝国の崩壊の最大の要因は、
新井宝雄氏のいわゆる毛沢東の『持久戦論』でも中国の『民衆のエネルギー』でも
アメリカの物量でもなく、
『飢えの力』ではなかったのか。
と同時に、太平洋戦争という無謀な戦争の一因が、
じりじりと一日一日と深刻になっていく『飢え』
―日華事変の翌年、昭和13年の『白米禁止令』から、配給、外米混入、と同時に
時々刻々と逼迫して行った食糧事情と、
なんとかそれから脱却してビルマ米、サイゴン米を確保することではなかったのか。」

「また戦後の平穏は、自民党の『善政?』というより、
むしろ何十年も日本人を苦しめた『飢えの力』が徐々になくなって行ったからではないか。
今もし『飢えの力』が猛威を揮うようなことがあったら、
『一握りの軍国主義者』がいなくても、日本は同じような行動に出るのではないか。
日本の防衛論争は空虚だというが、
そう言っている人自身この問題における『飢えの力』を全く考えていないなら、
同じように空虚ではないのか。
 私はほかの国の政治家も民衆も、この点ではわれわれ日本人とは違うと思っている。
中国首脳もソヴィエトの首脳も、北ヴェトナムの首脳も、
また逆の意味でキッシンジャーも、
この『飢えの力』を知り、これを計算に入れており、それは、また蒋介石も同じだと思う。
 私の社は一部の特殊な印刷を台湾に発注しているので、
直接間接にいろいろ情報が入るが、
政治的・国際的には非常に孤立していながら、
彼らが実に安定し、全く動揺していない一番大きな理由は、
やはりここは『蓬莱の島』で、
今の世界では珍しいほど、「飢え」に縁がないからだと私は思う。
日本は封鎖されれば飢える、しかし彼らは飢えない。
日本は崩壊したが中華民国(=台湾)は健在である、
という事態が招来されても、私は少しも不思議に思わない。
まるで自明なことのように、
日本は長期安定で台湾は不安定の極と考えるのは、
やはり「飢えの力」への認識が完全に欠落しているからであろう。」
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2008年4月30日に日本でレビュー済み
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戦後民主主義の日本で語られる戦争体験は大抵が敗戦体験に過ぎません。特にテレビ、新聞で語られる「戦争を風化させない」「戦争を語りつぐ」などはそうだと思います。そんな中で例外的に戦争体験を語る数少ない人物の一人が山本氏です。戦場の状況、兵士の心理、捕虜体験、そして人間が持つ偏見、どれも興味深いものです。

敗戦体験を語る人は、おそらく反戦運動だと思っているのでしょうが、実際は反戦運動になっていません。なぜならば、敗戦で酷い目に遭ったという話を突き詰めると、勝てば良いという話になり、それに加えて、戦争をしなければ酷い目に遭う時はどうするつもりでしょうか(だからこそ、戦争という選択肢がある)、粛々と酷い目に遭うつもりでしょうか。

あらゆる人間に偏見があり、自分の偏見を絶対視せずに偏見を語り合うことが、真実に近づく道である、という山本氏の主張は考えさせられるものがあると思います。他にも日本人の国民性や精神論などの考察が載っています。真の意味で平和を考えるならば、山本氏の「戦争体験」に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート