なぜ本書を購入したのかを思い起こしてみると「おー、あれは遊動円木って名前なのか」と知って、では読んでみるか、だったような気がする。
その程度のきっかけなのだけれど、いやいや“何の気なし”はいいですね、とても面白かった。
と来れば「こんなところが面白かったよ」と伝えなければいけないんでしょう、でもそれがムズカシイ。
落語が本書のベースのひとつにあるせいか、本書を語るときに人情噺、特に“人情”がキーワードになっているようで、ま、そうなんだけど、それはただの氷山の一角的キーワード、かな。
現代の“人情”って?と考えたりするけど、それ以外にもいろいろ散りばめられている、そのいろいろを「いやオレとしてはここがね」と絞り込んで伝えるのがムズカシイ。
って考えると、“噺”やその語り口のほうが本書のキーワードなんだろうな。
落語ではひとりの人間が複数名を演じるのだけど、それを小説として違和感なく読める形にしていたり。
人間誰しにもあるそれまでの歴史と、その人のいるその時を平らに語ったり。
著者の広く深い知識とそれに触れた時の思いをさらりと積み重ねたり。
計算した多層ではなく、自然と織り/折り重なっていく。
伝えることの楽しさ、を実現する困難、を乗り越えるよう努める。
そんな風な、意志を感じる。
遊動亭円木という落語家が登場する十の短篇が収められている本書だけれど、連作短編集というより短篇形式の十章で構成された長編といったほうがしっくりくる。
いや、所収作品に出てくるタペストリーに絡めて言うと、それぞれの作品が織物のようで、そのひとつひとつを観るも良し、重なり合った織物全体を観るも良し。
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遊動亭円木 (文春文庫) 文庫 – 2004/3/12
辻原 登
(著)
高座をおりた遊動亭円木、金魚池にはまって死んだはずが…。落語に日常と幻想とが入り交じる十の奇妙な物語。谷崎潤一郎賞受賞作
- 本の長さ317ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2004/3/12
- ISBN-104167316072
- ISBN-13978-4167316075
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2004/3/12)
- 発売日 : 2004/3/12
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 317ページ
- ISBN-10 : 4167316072
- ISBN-13 : 978-4167316075
- Amazon 売れ筋ランキング: - 301,897位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1945年、和歌山県生まれ。1985年「犬かけて」でデビュー。90年「村の名前」で第103回芥川賞受賞。99年『翔べ麒麟』で第50回読売文学賞、 2000年『遊動亭円木』で第36回谷崎潤一郎賞、05年「枯葉の中の青い炎」で第31回川端康成文学賞、06年『花はさくら木』で第33回大佛次郎賞、 10年『許されざる者』で第51回毎日芸術賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 闇の奥 (ISBN-13: 978-4163288802 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2019年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
後半にでてきた「アヴェック」の表記に一気に引きました。
アベックではいかにも俗っぽくこのカップルの内情を表現できないがための苦肉の記述でしょうが
何度もでてくるこの言葉に過剰反応してしまいおしまいを飛ばし読み状態にしてしまいました。
大事に読み進んでいただけに誠に残念です。
たぶんある種のにおいに対する抗体反応だと思われます。
この作者のどの作品にもこの傾向はあります。
そこが格調高い美しい日本語、名文となる所以なのですが悩ましいところです。
感覚を同じくする方どうぞご注意ください。
アベックではいかにも俗っぽくこのカップルの内情を表現できないがための苦肉の記述でしょうが
何度もでてくるこの言葉に過剰反応してしまいおしまいを飛ばし読み状態にしてしまいました。
大事に読み進んでいただけに誠に残念です。
たぶんある種のにおいに対する抗体反応だと思われます。
この作者のどの作品にもこの傾向はあります。
そこが格調高い美しい日本語、名文となる所以なのですが悩ましいところです。
感覚を同じくする方どうぞご注意ください。
2020年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近は小説より現実社会の話の方が何でも有で、小説を読む気に成らなっかたのですが、エッセイや新書も飽きてきて、つい買ってしまいました。久しぶりの純文学?を読んでみて、思わず、異空間というか不思議な世界に付き合わされている様な気分を味わえました。作者の力というか物語の流れの巧みさなのか、ボンクラの私の感性と想像力を気持ちよく刺激してくれました。
2022年10月3日に日本でレビュー済み
一番いいのは表題作の「遊動亭円木」。これはいちばん感心した。
でも、会話などが全篇的に通俗。描写が少なくてストーリーに偏重的な文章は、最初は主人公が盲だから描写を省いているのかと思った。しかし、辻原の小説はだいたいこういう傾向にある。あと、辻原の『抱擁』のように、結局どうなったのかよくわからない短篇があったり、どうも都合がよすぎる普通ならありえないような箇所も多々あったりする。
佐々木敦や筒井康隆は、2つ目の「大切な雰囲気」をパラフィクションだとして、すごいすごいとほめている。しかし、そんなにすごいのだろうか。私も最初はおっと思ったが、よくよく振返ると小説の脇道として矢野がメタ的に示唆するだけで、本筋とは関係がない。試みとしてはおもしろいが、ただそれだけの話だ。
そして、堀江敏幸の解説は意味不明である。《なんとも言いしれぬ破壊衝動と、破滅への鋭敏なアンテナがひっそりと埋め込まれてもいるからである。》だの、《遊動円木は宙に浮いた不発弾となって、穏やかな日常を支える危険なかすがいになる。》だの、最後の文章にいたっては《金魚池のあおみどろに淀んだ水の熱がどんなふうに発酵してきたのかを見定めるために》なんてひどいと思った。まず「水の熱」とはなにか。さらに「発酵」は科学用語である。比喩だとしても下手なので、一般人にも理解できるように書いてください。
買った文春文庫は第2刷で、初版から14年も経っていた。異例である。谷崎賞のおかげか、宮下奈都がほめたおかげか。
でも、会話などが全篇的に通俗。描写が少なくてストーリーに偏重的な文章は、最初は主人公が盲だから描写を省いているのかと思った。しかし、辻原の小説はだいたいこういう傾向にある。あと、辻原の『抱擁』のように、結局どうなったのかよくわからない短篇があったり、どうも都合がよすぎる普通ならありえないような箇所も多々あったりする。
佐々木敦や筒井康隆は、2つ目の「大切な雰囲気」をパラフィクションだとして、すごいすごいとほめている。しかし、そんなにすごいのだろうか。私も最初はおっと思ったが、よくよく振返ると小説の脇道として矢野がメタ的に示唆するだけで、本筋とは関係がない。試みとしてはおもしろいが、ただそれだけの話だ。
そして、堀江敏幸の解説は意味不明である。《なんとも言いしれぬ破壊衝動と、破滅への鋭敏なアンテナがひっそりと埋め込まれてもいるからである。》だの、《遊動円木は宙に浮いた不発弾となって、穏やかな日常を支える危険なかすがいになる。》だの、最後の文章にいたっては《金魚池のあおみどろに淀んだ水の熱がどんなふうに発酵してきたのかを見定めるために》なんてひどいと思った。まず「水の熱」とはなにか。さらに「発酵」は科学用語である。比喩だとしても下手なので、一般人にも理解できるように書いてください。
買った文春文庫は第2刷で、初版から14年も経っていた。異例である。谷崎賞のおかげか、宮下奈都がほめたおかげか。
2018年4月29日に日本でレビュー済み
主人公は、遊動亭円木と言う噺家なのですが、不摂生がたたり目が見えなくなります。
そのために、真打を前にして高座を降りることになります。
この小説の構成は、10編の連作短編集の形をとっているのですが、冒頭から主人公が金魚池に落ちて死んでしまったかという場面が登場します。
この死にかけたことで、「視覚」に勝る何か特殊な感覚を会得します。
そこからのこの主人公と贔屓筋の明楽の二人の絶妙のコンビが、周囲の人々の心を救ってゆきます。
そして、この盲目の噺家は誰にも好かれます。
手を差し伸べずにはおられない気持ちにさせると言えば言えるのですが、それだけでは語りつくせない魅力を持っているのでしょう。
この円木を中心に、集まってくる様々な人たち。みんな気がいいのです。
こうした「盲目」と言う様なハンデを抱えると、何となく引け目を感じて引っ込み思案になってしまうのですが、円木は寧々という女性と結婚し、2000を超える落語をすべて記憶しようという、大きな目標を持ちます。
こうしたことや、病気の明楽を思う気持ちが、人間としての魅力を作っているのでしょう。
こうした年の取り方をしたいと思わせてくれる穏やかな気持ちにさせてくれる秀作です。
そのために、真打を前にして高座を降りることになります。
この小説の構成は、10編の連作短編集の形をとっているのですが、冒頭から主人公が金魚池に落ちて死んでしまったかという場面が登場します。
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そこからのこの主人公と贔屓筋の明楽の二人の絶妙のコンビが、周囲の人々の心を救ってゆきます。
そして、この盲目の噺家は誰にも好かれます。
手を差し伸べずにはおられない気持ちにさせると言えば言えるのですが、それだけでは語りつくせない魅力を持っているのでしょう。
この円木を中心に、集まってくる様々な人たち。みんな気がいいのです。
こうした「盲目」と言う様なハンデを抱えると、何となく引け目を感じて引っ込み思案になってしまうのですが、円木は寧々という女性と結婚し、2000を超える落語をすべて記憶しようという、大きな目標を持ちます。
こうしたことや、病気の明楽を思う気持ちが、人間としての魅力を作っているのでしょう。
こうした年の取り方をしたいと思わせてくれる穏やかな気持ちにさせてくれる秀作です。
2005年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
遅ればせながら著者の最高傑作を紐解き、感歎!!
人情ものの外見、読みやすさ、オチの文字通り落語のごとき上手さ、更には現代文学の前線で活躍する著者ならではの<語り=騙り>。そのさり気なさは魔術さながら。遊動亭円木は読者の心に生きていると共に(ジャン・バルジャンのように)、小説言語としても脳内をうごめく(ベケットの短編のように)。
「手だれの文体」という以上の意味をこの物語・語りは具えているのだ。
藤沢周平の滋味ある文体と心を打つ人情物語、そして後藤明生の小説言語を共に具えた稀有の文学世界!!シュールなたとえ(?)ながら、舞城王太郎を好まれる向きにはオススメ?!
人情ものの外見、読みやすさ、オチの文字通り落語のごとき上手さ、更には現代文学の前線で活躍する著者ならではの<語り=騙り>。そのさり気なさは魔術さながら。遊動亭円木は読者の心に生きていると共に(ジャン・バルジャンのように)、小説言語としても脳内をうごめく(ベケットの短編のように)。
「手だれの文体」という以上の意味をこの物語・語りは具えているのだ。
藤沢周平の滋味ある文体と心を打つ人情物語、そして後藤明生の小説言語を共に具えた稀有の文学世界!!シュールなたとえ(?)ながら、舞城王太郎を好まれる向きにはオススメ?!
2011年1月5日に日本でレビュー済み
盲目の噺家円木とその仲間たちをめぐる日常を、東京の下町を舞台に描く連作短編集。現代の東京が舞台であるにも関わらず、何故か江戸を舞台にした時代物ないしは人情話のような、安定した味わいをかもし出している。それは多分に、主役の円木と不動産屋である明楽の旦那の関係が、芸人とそのパトロンという古典的なものであり、この二人の関係を主軸に日常的な出来事や事件のあれこれが描かれているためではないか。
しかも、どんなに時代が変わり、場所が長屋ではなくボタンコートという名の鉄筋コンクリート五階建てのマンションになろうとも、小松川や葛西、新小岩という「土地」が、下町の小説世界の空気を決定してしまうように思われる。
また、脇を固める金魚池、岩茶、大相撲、塩原温泉、鳥海の地酒、落語、イチョウ、山藤とった風物が、小説世界をより堅固なフィクショナルな世界とする礎石として効いている。
それにしても、盲を主人公にするなんて、今のご時勢随分と思い切ったあことをなさるお人だよ、この辻原のセンセー(作者)は。
時に、盲の円木は、目に見えない身の回りの情景を、額の裏側のスクリーンに再現する。しかし考えてみれば、われわれ読者も、本を読みながらそれぞれの場面を、頭に思い浮かべながらページをめくっているのではないか?それを思えば盲の円木も、われわれ読者も立場は一緒だ。
このボタンコートを中心とした円木とその仲間たちの世界が、本当に東小松川界隈に存在するんじゃなかろうか?あったっていいんじゃないか?いや、あってほしいな、そんな思いで本を閉じた(H23.1.3)。
しかも、どんなに時代が変わり、場所が長屋ではなくボタンコートという名の鉄筋コンクリート五階建てのマンションになろうとも、小松川や葛西、新小岩という「土地」が、下町の小説世界の空気を決定してしまうように思われる。
また、脇を固める金魚池、岩茶、大相撲、塩原温泉、鳥海の地酒、落語、イチョウ、山藤とった風物が、小説世界をより堅固なフィクショナルな世界とする礎石として効いている。
それにしても、盲を主人公にするなんて、今のご時勢随分と思い切ったあことをなさるお人だよ、この辻原のセンセー(作者)は。
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このボタンコートを中心とした円木とその仲間たちの世界が、本当に東小松川界隈に存在するんじゃなかろうか?あったっていいんじゃないか?いや、あってほしいな、そんな思いで本を閉じた(H23.1.3)。