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私の岩波物語 (文春文庫 や 11-11) 文庫 – 1997/5/9
山本 夏彦
(著)
岩波書店、講談社、中央公論社以下の版元から電通、博報堂など広告会社まで、日本の言論を左右する面々の過去を、自ら主宰する雑誌の回顧に仮託しつつ論じる。(久世光彦)
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1997/5/9
- ISBN-104167352117
- ISBN-13978-4167352110
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1997/5/9)
- 発売日 : 1997/5/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4167352117
- ISBN-13 : 978-4167352110
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,360,516位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 367位出版・自費出版関連書籍
- - 560位メディアと社会
- - 1,687位ジャーナリズム (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和初期をほうふつさせてくれた。出版・販売の機微・多難さを知る。
2017年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いちど買っていたのですが捨ててしまいました。もう一度読みたくて購入しました。
内容はだいたい頭に入っていたはずなのに、あたらしい発見があります。
内容はだいたい頭に入っていたはずなのに、あたらしい発見があります。
2003年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本夏彦氏の慧眼と一流の辛辣な文章にによって、明治以降の日本の出版界の裏事情と言うべき内容が語られる貴重な書である。
岩波書店、講談社、ちくまといった出版社がどのように出来、今日にいたっているかは、言論の主が当事者であるだけに日常語られることは少ない。
著者は言わば、そうしたタブーとも言うべき分野に対して、全く遠慮会釈なく斬り込み、その姿をさらしてくれる。特に日本語が駄目になった主犯とも言うべき「岩波用語」の罪状をつまびらかに、わかりやすくさらしてくれる。
よくここまでとも驚く内容もあるが、それは筆者の日本語に対する愛情、文語文ややまと言葉への愛惜に裏打ちされたものであるため、不愉快になることがない。
出版のありかた、日本語を考える上で必読の書であると思う。
岩波書店、講談社、ちくまといった出版社がどのように出来、今日にいたっているかは、言論の主が当事者であるだけに日常語られることは少ない。
著者は言わば、そうしたタブーとも言うべき分野に対して、全く遠慮会釈なく斬り込み、その姿をさらしてくれる。特に日本語が駄目になった主犯とも言うべき「岩波用語」の罪状をつまびらかに、わかりやすくさらしてくれる。
よくここまでとも驚く内容もあるが、それは筆者の日本語に対する愛情、文語文ややまと言葉への愛惜に裏打ちされたものであるため、不愉快になることがない。
出版のありかた、日本語を考える上で必読の書であると思う。
2016年7月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
出版界のことが、率直に記述されています。やはり山本 夏彦はすごいの一言。
2014年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本夏彦氏の「文語文」を読了し、他の著作も読んでみたくなり購入した。岩波書店の歴史、筑摩書房との関係、難解な岩波用語など、参考になった。お薦め。
2014年8月26日に日本でレビュー済み
本書は出版当初、岩波書店関連の書店さんが、てっきり岩波讃歌の書籍であると誤解し、大量に仕入れて平積みにして販売していたところ、読者から岩波批判の本だよ、と教えられて慌てて奥に引っ込めたといういわくつきの書籍です。当のご本人の山本氏が対談で話していたのを雑誌で読んだことがありますので、事実なのでしょう。
小生が最初に読んだのは『私の岩波書店』は、平成6年5月に発行され、当時の定価は1,700円(税込み)です。
茶色の帯には「岩波書店を論じて完膚なし!」と大きな白抜きです。それに呼応するように、裏表紙の帯には次のように書かれています。
「私はこの長い物語を「私の岩波物語」から始めたい。岩波書店主人岩波茂雄はまじめな人、正義の人として定評がある。私はまじめな人、正義の人ほど始末におえないものはないと思っている。
私はほかに能が無いので、・・・・・・・・。」
これがご存じ山本節(やまもとぶし)で、一事が万事がこの調子です。
正義と良心のかたまり。
戦後の岩波はミスりードの歴史。
国語の破壊者としての岩波。
等々。
とりわけ「国語の破壊者としての岩波」には私も全く同感で、
「日本語とは似ても似つかぬ岩波用語」で、誤訳を恐れるあまり「良心的な、あるいは臆病な翻訳者は、徹底的にあるいは奴隷的に原文を尊重するようになった。どこからも文句が出ないような訳文が多くなった。従って文章はリズムと骨格を失った。」
日本語を破壊した罪は大きいと思われます。
「岩波用語の支配から知識人は断じて免れていない。建築やデザイン雑誌の論文までが晦渋難解を極めるのは岩波用語の拙い模倣で、その上に片カナ語をちりばめるからである。いま三十代の若者が岩波の哲学叢書の読者であるはずはないが、その師匠である大学の教授連は岩波の申し子だから、学生はレポートを同じ用語で書かなければ点がもらえない。優等生ほどわからないことをいうのはそのせいである。それより小中学の教師の岩波用語もどきは一大事で、それは家庭にまではいってきている。」
上記、山本氏の指摘は鋭く、本書『私の岩波物語』が出版されて以後、この影響があったのかなかったのか、古書業界でも岩波書店のほとんどのものが以前にも増して古書価がさらに暴落し続け、現在も古書業界においても岩波神話は完全に崩壊しているようです。
もちろん岩波書店の翻訳書がすべて悪文と言っているわけではなく、主要な翻訳書にその傾向が顕著であることを指摘されているわけです。
ところで、戦前と戦後の岩波書店の変節ぶりは有名なのですが、戦前の岩波文化を支えた「オールドリベラリスト」といわれる先生方には、ずいぶん気骨のある人々がありました。たとえば和辻哲郎、津田左右吉というお二人の戦前戦後を通じた首尾一貫ぶりは武士道的な輝きがあり、とりわけ津田左右吉の戦後の著作は岩波書店の変節とは相容れず、それでもこの巨人を排除するわけにもゆかず、ずいぶんてこずられた逸話も多いのですが、詳細を記すとさらに岩波文化を完膚なきまでに叩くことになりますので、ここでは詳しく触れないことにします。
小生が最初に読んだのは『私の岩波書店』は、平成6年5月に発行され、当時の定価は1,700円(税込み)です。
茶色の帯には「岩波書店を論じて完膚なし!」と大きな白抜きです。それに呼応するように、裏表紙の帯には次のように書かれています。
「私はこの長い物語を「私の岩波物語」から始めたい。岩波書店主人岩波茂雄はまじめな人、正義の人として定評がある。私はまじめな人、正義の人ほど始末におえないものはないと思っている。
私はほかに能が無いので、・・・・・・・・。」
これがご存じ山本節(やまもとぶし)で、一事が万事がこの調子です。
正義と良心のかたまり。
戦後の岩波はミスりードの歴史。
国語の破壊者としての岩波。
等々。
とりわけ「国語の破壊者としての岩波」には私も全く同感で、
「日本語とは似ても似つかぬ岩波用語」で、誤訳を恐れるあまり「良心的な、あるいは臆病な翻訳者は、徹底的にあるいは奴隷的に原文を尊重するようになった。どこからも文句が出ないような訳文が多くなった。従って文章はリズムと骨格を失った。」
日本語を破壊した罪は大きいと思われます。
「岩波用語の支配から知識人は断じて免れていない。建築やデザイン雑誌の論文までが晦渋難解を極めるのは岩波用語の拙い模倣で、その上に片カナ語をちりばめるからである。いま三十代の若者が岩波の哲学叢書の読者であるはずはないが、その師匠である大学の教授連は岩波の申し子だから、学生はレポートを同じ用語で書かなければ点がもらえない。優等生ほどわからないことをいうのはそのせいである。それより小中学の教師の岩波用語もどきは一大事で、それは家庭にまではいってきている。」
上記、山本氏の指摘は鋭く、本書『私の岩波物語』が出版されて以後、この影響があったのかなかったのか、古書業界でも岩波書店のほとんどのものが以前にも増して古書価がさらに暴落し続け、現在も古書業界においても岩波神話は完全に崩壊しているようです。
もちろん岩波書店の翻訳書がすべて悪文と言っているわけではなく、主要な翻訳書にその傾向が顕著であることを指摘されているわけです。
ところで、戦前と戦後の岩波書店の変節ぶりは有名なのですが、戦前の岩波文化を支えた「オールドリベラリスト」といわれる先生方には、ずいぶん気骨のある人々がありました。たとえば和辻哲郎、津田左右吉というお二人の戦前戦後を通じた首尾一貫ぶりは武士道的な輝きがあり、とりわけ津田左右吉の戦後の著作は岩波書店の変節とは相容れず、それでもこの巨人を排除するわけにもゆかず、ずいぶんてこずられた逸話も多いのですが、詳細を記すとさらに岩波文化を完膚なきまでに叩くことになりますので、ここでは詳しく触れないことにします。
2012年9月17日に日本でレビュー済み
「工作社」の社史を書くとして、普通の社史は社員でさえ読まないからと、自らの半生を語りながら、日本の大正・昭和・平成に至る言論界の歴史を活写している。岩波・朝日・NHK・電通を語りながら、日本のマスコミと日本人を語っている。
作家の生き様・原稿料にも触れ、紙屋・印刷屋・製本屋にも触れる。出版も、営業・編集・取り次ぎと触れない分野なしと言っていい。言論に携わる者、携わりたいと思っている者は、必読である。彼の予言は、悲しいかなほとんどが当たる。私は、彼の予言を覆すようなマスコミ人が生まれることを期待するものである。
なお、「解説」(久世光彦)で述べられている『年を歴た鰐の話』は、03年文藝春秋から発行されてしまった。本人の遺言とは思えない。それに、絶賛されるほどの作品とも思えない。ある年代の人たちにとっては、思い入れがあるのでしょうが。
作家の生き様・原稿料にも触れ、紙屋・印刷屋・製本屋にも触れる。出版も、営業・編集・取り次ぎと触れない分野なしと言っていい。言論に携わる者、携わりたいと思っている者は、必読である。彼の予言は、悲しいかなほとんどが当たる。私は、彼の予言を覆すようなマスコミ人が生まれることを期待するものである。
なお、「解説」(久世光彦)で述べられている『年を歴た鰐の話』は、03年文藝春秋から発行されてしまった。本人の遺言とは思えない。それに、絶賛されるほどの作品とも思えない。ある年代の人たちにとっては、思い入れがあるのでしょうが。
2007年4月1日に日本でレビュー済み
岩波講談社中公文春といった出版社のことならそれ相応の本が出てますが、それに加えて電通や製紙印刷製本取次まで語り尽くし、これ1冊で出版界全体のことがわかってしまうという恐るべき本。なんらかの出版にたずさわる人なら当然読んでおくべきですね。