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なにも願わない手を合わせる (文春文庫 ふ 10-4) 文庫 – 2006/10/6
藤原 新也
(著)
59歳で亡くなった兄の供養のため四国巡りをする著者がたどりついた祈りのかたちとは……。死を受け入れる「心のありかた」を問う
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2006/10/6
- ISBN-104167591049
- ISBN-13978-4167591045
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2006/10/6)
- 発売日 : 2006/10/6
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 254ページ
- ISBN-10 : 4167591049
- ISBN-13 : 978-4167591045
- Amazon 売れ筋ランキング: - 486,778位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 6,304位文春文庫
- - 8,072位近現代日本のエッセー・随筆
- - 48,148位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても面白く読ませていただきました。本当にありがとうございました。
2011年10月26日に日本でレビュー済み
2003年に東京書籍から出た単行本の文庫化。
死と生にまつわるエッセイを集めた本である。兄の死をきっかけにお遍路さんをしたときのことが中心になっており、写真もすべてその際に撮られたもの。
近所のおばあさんが足を痛めたことで急速に元気を失っていく姿、評論を依頼してきた彫刻家の死、蝶の死の瞬間を目撃したこと、あどけない子どもの未来に待ち受ける苦しみ、石仏のなかに見えた救いなどが語られている。
衝撃的で、切れ味があり、心に重く響くような文章で、なかなか良かった。この人に独特の写真もいい。色彩感覚が違う。
死と生にまつわるエッセイを集めた本である。兄の死をきっかけにお遍路さんをしたときのことが中心になっており、写真もすべてその際に撮られたもの。
近所のおばあさんが足を痛めたことで急速に元気を失っていく姿、評論を依頼してきた彫刻家の死、蝶の死の瞬間を目撃したこと、あどけない子どもの未来に待ち受ける苦しみ、石仏のなかに見えた救いなどが語られている。
衝撃的で、切れ味があり、心に重く響くような文章で、なかなか良かった。この人に独特の写真もいい。色彩感覚が違う。
2022年11月30日に日本でレビュー済み
藤原新也(1944年~)氏は、現・北九州市に生まれ、東京藝大中退後、インド、東南アジア、アフリカ、アメリカなどを放浪し、写真・エッセイ集を発表。1972年発表のデビュー作『印度放浪』は青年層のバイブル的な存在となり、1981年の『全東洋街道』で毎日芸術賞を受賞、1983年の『東京漂流』は、大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推されたが、辞退した。同年に発表された『メメント・モリ』(ラテン語で“死を想え”)は、隣り合わせの死と生を考えさせる代表作である。
私にとって藤原氏は、三指に入る好みの(写真などを含む広い意味での)書き手・表現者で、これまで、上記の作品のほか、『日々の一滴』、『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』、『たとえ明日世界が滅びようとも』、『祈り』等、数々の作品を手にしてきたが、本書は既に絶版になっており、たまたま新古書店で見つけて入手した。
本書は、59歳で亡くなった兄の供養のために四国霊場八十八ヵ所を巡り、そこで出会った出来事や考えたこと、及び、それまでの人生や旅において接した数多くの「死」についての想いを綴ったもので、2003年に出版、2006に文庫化された。
藤原氏は、インドやチベットを長く放浪し、父と母が亡くなった際にも四国巡りを行っているというが、今回の旅の途中で、「祈る」という行為について、それが、愛する者の供養のためであれ、煩悩や執着心からの解放を望むためであれ、畢竟、「○○のために祈る」、即ち自己救済の行為の一つであることに気付き、「自己救済の祈りから解放されたいと思うようになった」と書いている。(その違和感は、これまでずっと抱き続けていたものなのだろう)
そして、青龍寺(三十六番札所)で、両親に連れられた幼女の、無心にして、なお全感覚で目の前の世界を感じているであろう「祈り」、大人の「祈り」とは分かち難い「(自己救済の)願い」を一切含まない純粋な「祈り」に出逢い、本来あるべき「祈り」の姿とは、「なにも願わない。そしてただ無心に手を合わせる。」ということだと思い至る。
更に、数々の野辺の地蔵を見るうちに、旅を終えて俗世間に戻ったときに、どのような他者の不安や心の荒廃をも受け止め得る「海のような自分になりたい。」と祈るようになるのである。
本エッセイ集に書かれているのは、藤原氏が向かい合った、人の死や別れに関わる個別の場面であるが、我々は、その一つ一つを読みながら、他者の生や死といかに対すべきかを、自ずと考えることになる。。。
時を置いて再読したいと思う一冊である。
(2022年11月了)
私にとって藤原氏は、三指に入る好みの(写真などを含む広い意味での)書き手・表現者で、これまで、上記の作品のほか、『日々の一滴』、『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』、『たとえ明日世界が滅びようとも』、『祈り』等、数々の作品を手にしてきたが、本書は既に絶版になっており、たまたま新古書店で見つけて入手した。
本書は、59歳で亡くなった兄の供養のために四国霊場八十八ヵ所を巡り、そこで出会った出来事や考えたこと、及び、それまでの人生や旅において接した数多くの「死」についての想いを綴ったもので、2003年に出版、2006に文庫化された。
藤原氏は、インドやチベットを長く放浪し、父と母が亡くなった際にも四国巡りを行っているというが、今回の旅の途中で、「祈る」という行為について、それが、愛する者の供養のためであれ、煩悩や執着心からの解放を望むためであれ、畢竟、「○○のために祈る」、即ち自己救済の行為の一つであることに気付き、「自己救済の祈りから解放されたいと思うようになった」と書いている。(その違和感は、これまでずっと抱き続けていたものなのだろう)
そして、青龍寺(三十六番札所)で、両親に連れられた幼女の、無心にして、なお全感覚で目の前の世界を感じているであろう「祈り」、大人の「祈り」とは分かち難い「(自己救済の)願い」を一切含まない純粋な「祈り」に出逢い、本来あるべき「祈り」の姿とは、「なにも願わない。そしてただ無心に手を合わせる。」ということだと思い至る。
更に、数々の野辺の地蔵を見るうちに、旅を終えて俗世間に戻ったときに、どのような他者の不安や心の荒廃をも受け止め得る「海のような自分になりたい。」と祈るようになるのである。
本エッセイ集に書かれているのは、藤原氏が向かい合った、人の死や別れに関わる個別の場面であるが、我々は、その一つ一つを読みながら、他者の生や死といかに対すべきかを、自ずと考えることになる。。。
時を置いて再読したいと思う一冊である。
(2022年11月了)
2023年6月8日に日本でレビュー済み
この本のタイトルとなっている話を寺社に行くたびに思い出してしまいます。50歳を過ぎて、歳を重ねるごとに死が身近に感じられるようになりました。だいぶ前に買ったこの本を読み返して、新たなる感動が湧き出てきます。著者のお兄さんとお地蔵さんとの話、変わり果てた同級生との邂逅も、せつなく、痛く、美しく感じました。名著です。
2006年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の写真集を眺めたことがありましたが、原色の多いインド、東洋もので今一つ心を打つものではありませんでした。この本も、四国お遍路の写真集かと思って眺め始めましたが、亡くなられた兄を追悼して四国霊場に赴く、そして、ひたすら無心に手を合わせるという、日本人の素朴なこころが美しい文体で語られています。 また、写真も素晴らしいものです。 長い間の放浪がこのような魂の昇華といったものを生むのかと感嘆しながら読みました。 何時までも手元において、家族や知人を失って心が挫けそうになった時、逆に、小さな成功を収め、自分自身の慢心を諫めたいとき、ページを開きたくなる本でした。
2004年1月31日に日本でレビュー済み
藤原新也の「全東洋街道」は印象に残っている。素っ気ないけど色は多い写真とコンパクトな文章。その後は、書店でぱらぱら見たことはあるがしばらく買っていなかった。この本の題名に興味が持たれて久々に購入した。
この本は死へとつながる自分自身や周りの人たちを念頭に置きながら、同じような構成でつないでいる。
どこまで計算尽くなのかわからなくなるが、引き込まれる。
祈りや願いが伝わってくる写真も多い。
少し変わった著者の雰囲気を楽しめる。
この本は死へとつながる自分自身や周りの人たちを念頭に置きながら、同じような構成でつないでいる。
どこまで計算尽くなのかわからなくなるが、引き込まれる。
祈りや願いが伝わってくる写真も多い。
少し変わった著者の雰囲気を楽しめる。
2016年12月13日に日本でレビュー済み
「メメントモリ」と合わせて、読んで下さい。
友人が死んだ時に読みふけった「メメントモリ」
身内が亡くなった時に読み返した本書
どちらも、腹に堪えます。
友人が死んだ時に読みふけった「メメントモリ」
身内が亡くなった時に読み返した本書
どちらも、腹に堪えます。
2011年4月4日に日本でレビュー済み
手を合わせて祈るということは、自分が自分に触れ、自分が自分と手をつなぎ、自分の中に棲むいろんな人たち(亡き祖父母等)を呼び起こし、また宥める行為なんでしょうと、この本の写真とエッセイに触れて感じました。
文庫版の表紙のお地蔵さまの写真は静謐ですばらしく、これを本棚に飾るだけでも買う価値があると思います。
文庫版の表紙のお地蔵さまの写真は静謐ですばらしく、これを本棚に飾るだけでも買う価値があると思います。