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本が好き、悪口言うのはもっと好き (文春文庫 た 38-1) 文庫 – 1998/3/10

5つ星のうち4.5 21個の評価

対象の場合 規約
支那という国名表記にメスを入れ、返す刀で李白と杜甫、狩野亨吉や江馬修を論じ、湖辺の侘び住いから鋭い書評を放つ。第11回講談社エッセイ賞を受賞した傑作痛快評論集。(坂梨隆三)

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (1998/3/10)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1998/3/10
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 319ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4167598019
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4167598013
  • カスタマーレビュー:
    5つ星のうち4.5 21個の評価

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高島 俊男
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2022年7月2日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    誰かが木村という男を軽んじている場合、その彼が「木村」と呼ぶ時、その言葉には嘲りや蔑みの調子を含むかもしれないが、それは彼の木村に対する評価なり感情の問題であって、「木村」という言葉の問題ではない。
    本来これがすべて。
     日本でも有名なチャイナ人作家魯迅だって、日本語で話す場合、自らを「支那人」と称していた。
     「支那」が不当な差別だ!と騒ぐ人は、日本と支那を本店と支店になぞらえて蔑視だ!とやるらしい。
     自らが中心で偉く、周辺は格下だとナチュラルに思いこんでいる彼らだからこそ敏感に喚くわけで、アホかとは思うものの彼らがそう考えるのは理解できる。
     日本人でそう考える輩は、ほんと気持ち悪いだけだが。

     以前わたしは、中華民国以前に中国はなかったと考えていたが、皇帝がいる宮城都市を中国と呼称していたと、岡田英弘の『よくわかる! 読む年表 中国の歴史』で習った。元々「国」は「土塁で囲まれた居住地域」を意味していたらしい。
     本稿ではそれも踏まえて、中華帝国に臣下の礼をとってきた相手に対しては、みずからを中央の高みに置いて、「中国」と称していたという。
     この場合の「中国」のニュアンスは「われら高尚な国≒おれさま」という偉そうなニュアンスだから、話者の自己認識はウリナラと近いかもしれないww
     また臣下の方から使う「中国」のニュアンスは「あなたさま」であるww
     いずれにしても、この場合の「中国」は普通名詞。
     実際、『日本書紀』の雄略天皇紀に自分たちの朝廷という意味で「中国」を使った例もあるという。

     いずれにせよ、支那という言葉が差別語だと言う輩は、この言葉を作ったのが日本だという前提があるわけだが、実際にはあちらが先で、その後日本に伝わった。
     自らを支那とか至那とか記すのは、五世紀頃のあちらの仏僧が始めたらしい。
     インド人が彼らの居住する地方をシナ、チナと呼ぶのに漢字をあてた。当時はむしろ褒詞だった筈で、あの三蔵法師玄奘が摩訶至那と誇り高く言ってたとかw
     つまり支那に悪い意味があるのではないのだが、大多数のチャイナ人も自分たちの文献に支那を使っていたことを知らないのだと指摘している。
     日本でも支那の言葉が入ってきたのは平安時代に仏教経由であって、日本の文献で初めて支那の文字が現れるのは空海の書だという。その後はやはり一般庶民への膾炙はなく、林羅山、新井白石などの学者の書に使用例があるだけで、支那の言葉が庶民へもどっと広がったのは、明治になってChinaの訳語として使われ始めてからだという。

     どうも日本の外交は大正から昭和初期になると、すでにボンクラだったようだ。
     最初に中華民国がイチャモンをつけてきた時、シナはチャイナと同じで、そのシナに支那の字をあてたのは君らの先祖だとカウンターできていれば、現在こんな体たらくにはなっていなかったのではないだろうか。

     とまあ、歴史的な正解は以上のようなことだが、現代のチャイナ人と多くの日本人活動家とお花畑たちが支那は差別語だと考えて、すでに辞書にまで卑語と記された現代では一々このような論で啓蒙することは適わない。覆水盆に帰らずである。
     一方、古来より日本では本州西部が中国だ。羽柴秀吉の中国大返しも別に大陸から返したわけではないし、現代でも車で岡山県に行く際は中国縦貫自動車道路を使う。

     「人が嫌がることはしない」媚中福田康夫とかパチンコ岩屋毅ではないが、今さら支那を説明するのは面倒だし、かといってかの国を中国と呼ぶのは腹立たしい。
     というわけで、わたしはチャイナ、チャイナ人と呼称するようにしている。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2012年1月26日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    私も本が好きです。そして、悪口を言うのはもっと好きです。
    読んでて、ああ、そうなの? そうかー! と感心したり、思い当たって、ニヤニヤしたり。
    星の数を5つにしても良いけど、4つにした理由は、一気に読むと悪口の毒気にヤラレそうになるから。
    ヤヤコシヤーヤヤコシヤー、私がそなた(筆者)でそなたが私・・・、の気分。ゴメンね。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2017年10月18日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    中国には、みずからの民族、土地、国を全体的にあらわす呼称がなかった。春秋戦
    国の昔は、晋、斉、魯などの部分的な国名しかなく、秦帝国からのちは漢、唐、宋
    などから中華人民共和国にいたるまで、それぞれの国号はあるが、これらは全時代
    をカバーするものではない。そこで全部をひっくるめた呼び名として、昔は「唐(か
    ら)」、「漢土、唐土(もろこし)」などが使われ、近代になって支那が普及した。
    これはチャイナの訳語であることは言うまでもない。

    1912年に中華民国が建国された。日本政府はこれを「支那共和国」と称することが
    多かったが、1930年、中華民国政府は「中華民国」と称するよう求め、政府は「支
    那を中華民国と呼称の旨」閣議決定した。中華民国の強硬な態度の裏には、日本在
    留の支那人留学生たちの「支那」に対する強い反撥があった。しかし、シナはチャ
    イナと同じであり、シナに支那の文字をあてたのは、中国古代の仏教者であったか
    ら、中国人が「支那」を目のかたきにしたのは見当違いと言うしかない。

    1945年、日本が敗戦したとき、中華民国政府は「支那」をやめて「中華民国」と称
    するよう、かさねて要求した。これを受け、政府は「先方の嫌がる支那の文字を使
    わないようしたい」旨の通牒を政府部内のみならず、新聞雑誌、学校に送った。こ
    の通達は中華民国の国号にかかわるものであり、「歴史的、地理的または学術的」
    には何ら制約を加えるものではなかったにもかかわらず、わが国の新聞と出版社は
    無制限に範囲を拡大し、支那は蔑称、卑語であるとして、分野のいかんを問わず徹
    底的に排除した。戦前の学術書を再刊するときすら支那は削除されたのである。

    高島俊男のエッセイ集は、世の中のおかしなことを鋭くえぐった論評が多い。とり
    わけ「社会の木鐸」たるべき大新聞(とくに朝日)のデタラメぶりを追求する舌鋒
    はまことに鋭い。日本の新聞でありながら、ひたすら中国のほうを向いて「朝日新
    聞は中国の味方です」と揉み手する。卑屈のきわみとしか言いようがない。
    14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2021年4月12日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    深い知識を使いながら世相を批評する楽しさ、読者を知的に刺激する。
  • 2013年9月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    知的な世界に軽妙にいざなって貰える知識と技術は余人をもって代えがたい。
    とくに、権威を痛烈にやっつけると胸がすくけれど、やりすぎて、出版の機会を
    なくさないでほしい。
    週刊文春が連載をやめ、出版も断ったとはけしからんと思い、11巻を隅から隅まで
    読んで、圧力がどこから来たか、およそわかった。
    権威を必要以上におちょくってはいけません。
    8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2012年6月13日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    刊行当時に買っていたのだが紛失。「『支那』は悪い言葉だろうか」を再読したくなって、再度購入しました。
    最近、中国に人民元はない (文春新書)を読んで、党の下部組織たる国家という政治体制に興味を持った。では国土と国民を指し示す言葉は何か。それは今のところ「支那」がもっとも適切なのだな、と私は思いました。
    中国は民族に大きな変化がないにもかからわず、殷→周→春秋戦国→晋→漢→・・・と国名(政府)を変化させてきた、征服されてもされざる民族だ。今は中国共産党を頂いているが、その国体を選択した民族は支那人だとすれば結構すっきり説明が行くのだ。もちろん、本書で述べられているように「支那」は蔑称ではない。

    4000年の歴史を持つ国家が同時に「世界の工場」であり、さらには「パクリ天国」となるしたたかさ、そして都市部と農村部の貧富の差をもつ現代中国を少し理解できる。同時に謎も深まる。そんな一節だった。
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2007年12月25日に日本でレビュー済み
     中国文学に滅法あかるく、日本語の使い方に一家言も二家言も持つ偏屈おやじが、バッサバッサと浅薄な文化人を切りまくるエッセイ集です。

     きちんとした「悪口」は、読んでいて気持ちのいいものです。
     高島氏の悪口は、本物だけが発する芳香に満ちていて、芸術品と言ってよいでしょう。

     芸術作品は鑑賞するものであって、批評したり解説したりするものではありません。私からは、特に素晴らしいと感じた個所を紹介させていただきます。

     漢字をはじめ中国文化の恩恵を受けて日本の文化が成立した、という言い方をよく聞きます。中国文化の影響は否定しないものの、高島氏は「恩恵」などと恩義には感じていないことを強調します。同音異義語が多いことで分かるように、現在の日本語の語彙のうち約半分が字音語 (漢字の音読みで成り立つことば)ですが、高島氏は、これを日本語の宿命的な缺陥と言います。
     (「缺」は「欠」の旧字。本書の冒頭に、無分別に旧字を廃したことを糾弾する一文も載っていますが、ここでは措きます)

     日本文化は中国文化より誕生がおそかったので、文字も遅かった。もし中国の言語・文字が入ってこなければ日本語は健全に成熟し、いずれやまとことばに適した文字を生み出していたに違いない。
     それが、まったく違う言葉と文字の「侵入」によって、日本語は発育を阻止され、音だけでは意味が通じない、文字を見なければ伝達できない言葉ができあがってしまった。と高島氏は嘆きます。

     この他、中国文学の造詣が深いだけあって、「ネアカ李白とネクラ杜甫」は絶品です。
     また、「知らず何れの処かこれ他郷」で明かされる田舎ぐらしの様子は、ドーデーの『風車小屋便り』を思い起こさせます。

     芸術作品には好き嫌いがつきものですが、ぜひ一度、鑑賞してみてください。
    26人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2014年2月5日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    歯に衣を着せぬコメント、批判が痛快。作者のように怖いもの知らずで人生を送れたら最高。