1995年(平成7年)に発覚した、アメリカ合衆国を舞台とする経済犯罪事件である「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」の詳細を余すことなく描いた「歴史的価値の高い」記録書簡。
2024年現在「失われた30年」と表される時代の幕開けの一端を知ることのできる秀作。
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告白 (文春文庫 い 40-1) 文庫 – 1999/5/7
井口 俊英
(著)
- 本の長さ415ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1999/5/7
- ISBN-10416762401X
- ISBN-13978-4167624019
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1999/5/7)
- 発売日 : 1999/5/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 415ページ
- ISBN-10 : 416762401X
- ISBN-13 : 978-4167624019
- Amazon 売れ筋ランキング: - 193,661位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 84位その他の事件・犯罪関連書籍
- - 128位事件一般関連書籍
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんな規模の大きな企業に勤めているわけではありませんが、新たにできたコンプライアンス部門に配属になり、いろいろ検索しているうちにこの本に出会いました。
具体的にどうしてこのようなことが起きたのか、陥っていったのかが書いてあって、うなづけるところもあった。
怒りも覚えた。
悲しくもなった。
途中で止めたくなったが、読み終えました。
いい勉強になりました。
具体的にどうしてこのようなことが起きたのか、陥っていったのかが書いてあって、うなづけるところもあった。
怒りも覚えた。
悲しくもなった。
途中で止めたくなったが、読み終えました。
いい勉強になりました。
2022年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大和銀行NY支店の事件は知ってましたが、最近この本を読みました。
井口俊英さんは、米国の大学卒業、英語上手、穏やかで気遣い上手、米国の現地採用(契約社員)ながら大和銀行の本社まで出張して米国事情を説明、副支店長まで昇進。女性に人気あり、逮捕→刑務所の4年間を支えた2番目の妻 明美さんは 17才年下の美人。
巨額の損失を上手に隠蔽、多数の監査を無事やり過ごし、背低いが体力あり 激務とストレスに非常に強い、浪費せず質素な生活。大和銀行NY支店の部下の扱いも上手。
こんな優れた方が、どうして 金儲けが下手(取引の勝率2割)、次々 取引の損失を重ねるのか?
不思議な秀才 井口俊英さんのご冥福をお祈りします。
井口俊英さんは、米国の大学卒業、英語上手、穏やかで気遣い上手、米国の現地採用(契約社員)ながら大和銀行の本社まで出張して米国事情を説明、副支店長まで昇進。女性に人気あり、逮捕→刑務所の4年間を支えた2番目の妻 明美さんは 17才年下の美人。
巨額の損失を上手に隠蔽、多数の監査を無事やり過ごし、背低いが体力あり 激務とストレスに非常に強い、浪費せず質素な生活。大和銀行NY支店の部下の扱いも上手。
こんな優れた方が、どうして 金儲けが下手(取引の勝率2割)、次々 取引の損失を重ねるのか?
不思議な秀才 井口俊英さんのご冥福をお祈りします。
2018年5月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者の自己弁護的な構成はいまいちの感、もっとドキュメンタリー構成が欲しかった
2019年5月12日に日本でレビュー済み
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ひとりの人間がどこまでたたかえるのか、著者が信念を貫いて戦った貴重な記録を残してくれた本です。お亡くなりになった著者のご冥福をお祈りします。
2013年6月11日に日本でレビュー済み
以前から読みたいと思っていた本書をブックオフで見かけて早速買って読んでみた。
ノンフィクションということや事件の内情暴露といった面も興味深いが、私にとってはもっとも印象的だったのは「心理的」な供述である。
感想を一言で表すとするならば「これは誰にでも起こりうること」ということだ。
井口氏の人となりや歪んた正当化意識などは後述するが、なによりも重要なのは井口氏は普通の人であった。
つまり私でありあなたなのだ。本書を読んで彼は狂ってるし、自分は違うというのは簡単だ。
しかし果たして本当にそうだろうか?
その理由は下記の2点からなる。
1、自分の行動からくる負の結果に対しての責任逃避。
まず第一に、彼によれば1000億円の損失の全ての始まりは5万ドルの損失を隠すことから始まっている。
そしてその記述がされている部分に下記のように記されている。
「購入をすすめた業者が2−3日もすれば回復すると断言したのでそれまで延ばすことにした」
「日に日に自分の給料の2年分も損失に危機感を持ちなんとか損を埋めなければならないと思った」
「しかし私にはこれ以外方法はなかった」
「絶対にこれ一回で損失分を儲けなければならなかった」
「損切るということ自体全く予定外であった」
またこれら始めとして、横領の際、逮捕の際、取り調べの際などこうなったのは自分以外の何かの責任で今の状況になったという解釈が随所で見られる。
私もそうだがこれを事後こうして第三者の目線で見れば馬鹿な事をしてるなと思うだろうが、自分が当事者になれば大小はあるものの誰でも彼のような感情になってしまうことは、投資投機を経験したことのある人であれば想像するのは容易だろう。
雑誌新聞に書いてあったから、有名投資家が言ってたから、アナリストが言ってたから、何故この銘柄に限って、何故このタイミングに限って、何故自分だけなどの気持ちが少しでも横切ったことはないだろうか?
2、自己暗示による認識の正当化
第二に自己暗示による認識の正当化である。
良いか悪いかは別として12年もの間誰にも言えない現在進行形でかつ日に日に状況が悪くなっていく罪を、心に持ち続けることは人間にとってなかなか出来る事ではない。
そしてそれを可能にするのは自分に対する嘘、つまり認識の曲解である。
世の中の事象で自分に100%落ち度があるという事は殆ど存在しないと思う。
客観的に測れる指標があったとして自分の落ち度が99%だったとしても1%のそうではないモノに責任を転嫁したいと思ってしまうのは睡眠や食欲と同類で人間の本能と言っていいだろう。
そしてそれは自分の解釈によって1%が99%にもなり得てしまう。
我々人間にとって事実=事実なのではなく、認識=事実なのである。
そして井口氏もそれを長年繰り返すうちに自分で自分にマインドコントロールにかけ、彼の中で本当の事実としてしまったのだ。
我々人間は日々の判断や認識の中で自覚しているよりも、遥かに主観的にまた非合理的に物事を判断している。
しかし、自分にとっては自分は客観的、合理的人間なんだということが事実であり、それを疑う余地がない。
そしてこういった思い上がりは全ての人間に当てはまることでもある。
井口氏はそれは飛び抜けてはいるが典型的な例だと思われる。
私としても以上のことを理解した上でも「そうは言っても自分は彼のようにはならないし、1000億円はさすがにないわ」
と心のどこかで思ってしまっている。物事の判断は常に相対であり、その相対は常に歪んでいる。
例えば痴漢ー窃盗ー強盗ー殺人と犯罪がある場合、絶対的な善悪の度合いは変わらないはずなのに、実際は自分がどこに立っていて左右に何があるかで相対的つまり自分の認識としての善悪の度合いは変わってくる。
それを自分自身で認識できないと大小はおいといて井口氏と同じ状況に自分も十分なりえるが、しかし人間の自然な心理としてはそれが難しい。
いかに積極的に自己コントロールが重要でなおかつそれを継続させるかが必要になってくる。
話はそれてしまったが、本書は読み物として面白いと思っただけでなく、自分というものに今一度というか継続的に対峙して
常に監視していなければならないと思い出させてくれるとても意義のある本であった。
ノンフィクションということや事件の内情暴露といった面も興味深いが、私にとってはもっとも印象的だったのは「心理的」な供述である。
感想を一言で表すとするならば「これは誰にでも起こりうること」ということだ。
井口氏の人となりや歪んた正当化意識などは後述するが、なによりも重要なのは井口氏は普通の人であった。
つまり私でありあなたなのだ。本書を読んで彼は狂ってるし、自分は違うというのは簡単だ。
しかし果たして本当にそうだろうか?
その理由は下記の2点からなる。
1、自分の行動からくる負の結果に対しての責任逃避。
まず第一に、彼によれば1000億円の損失の全ての始まりは5万ドルの損失を隠すことから始まっている。
そしてその記述がされている部分に下記のように記されている。
「購入をすすめた業者が2−3日もすれば回復すると断言したのでそれまで延ばすことにした」
「日に日に自分の給料の2年分も損失に危機感を持ちなんとか損を埋めなければならないと思った」
「しかし私にはこれ以外方法はなかった」
「絶対にこれ一回で損失分を儲けなければならなかった」
「損切るということ自体全く予定外であった」
またこれら始めとして、横領の際、逮捕の際、取り調べの際などこうなったのは自分以外の何かの責任で今の状況になったという解釈が随所で見られる。
私もそうだがこれを事後こうして第三者の目線で見れば馬鹿な事をしてるなと思うだろうが、自分が当事者になれば大小はあるものの誰でも彼のような感情になってしまうことは、投資投機を経験したことのある人であれば想像するのは容易だろう。
雑誌新聞に書いてあったから、有名投資家が言ってたから、アナリストが言ってたから、何故この銘柄に限って、何故このタイミングに限って、何故自分だけなどの気持ちが少しでも横切ったことはないだろうか?
2、自己暗示による認識の正当化
第二に自己暗示による認識の正当化である。
良いか悪いかは別として12年もの間誰にも言えない現在進行形でかつ日に日に状況が悪くなっていく罪を、心に持ち続けることは人間にとってなかなか出来る事ではない。
そしてそれを可能にするのは自分に対する嘘、つまり認識の曲解である。
世の中の事象で自分に100%落ち度があるという事は殆ど存在しないと思う。
客観的に測れる指標があったとして自分の落ち度が99%だったとしても1%のそうではないモノに責任を転嫁したいと思ってしまうのは睡眠や食欲と同類で人間の本能と言っていいだろう。
そしてそれは自分の解釈によって1%が99%にもなり得てしまう。
我々人間にとって事実=事実なのではなく、認識=事実なのである。
そして井口氏もそれを長年繰り返すうちに自分で自分にマインドコントロールにかけ、彼の中で本当の事実としてしまったのだ。
我々人間は日々の判断や認識の中で自覚しているよりも、遥かに主観的にまた非合理的に物事を判断している。
しかし、自分にとっては自分は客観的、合理的人間なんだということが事実であり、それを疑う余地がない。
そしてこういった思い上がりは全ての人間に当てはまることでもある。
井口氏はそれは飛び抜けてはいるが典型的な例だと思われる。
私としても以上のことを理解した上でも「そうは言っても自分は彼のようにはならないし、1000億円はさすがにないわ」
と心のどこかで思ってしまっている。物事の判断は常に相対であり、その相対は常に歪んでいる。
例えば痴漢ー窃盗ー強盗ー殺人と犯罪がある場合、絶対的な善悪の度合いは変わらないはずなのに、実際は自分がどこに立っていて左右に何があるかで相対的つまり自分の認識としての善悪の度合いは変わってくる。
それを自分自身で認識できないと大小はおいといて井口氏と同じ状況に自分も十分なりえるが、しかし人間の自然な心理としてはそれが難しい。
いかに積極的に自己コントロールが重要でなおかつそれを継続させるかが必要になってくる。
話はそれてしまったが、本書は読み物として面白いと思っただけでなく、自分というものに今一度というか継続的に対峙して
常に監視していなければならないと思い出させてくれるとても意義のある本であった。
2015年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
監査に関係した仕事をしているので興味深く読んだ。
性善説を前提にした組織では事の大小はあってもこのような事件は必ず発生し、それは当事者のではなくリスク管理ができていない組織の欠陥と考える。
組織運営に携わる人々の必読書。
性善説を前提にした組織では事の大小はあってもこのような事件は必ず発生し、それは当事者のではなくリスク管理ができていない組織の欠陥と考える。
組織運営に携わる人々の必読書。
2013年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ずいぶん前の事件でしたが、仕事でかかわることになり、思い出して注文しました。
注文後翌々日くらいに届き、とても早くてきれいで満足しています。
ありがとうございました。
注文後翌々日くらいに届き、とても早くてきれいで満足しています。
ありがとうございました。