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新装版 義経 (下) (文春文庫) (文春文庫 し 1-111) 文庫 – 2004/2/10
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- 本の長さ498ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2004/2/10
- ISBN-104167663120
- ISBN-13978-4167663124
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2004/2/10)
- 発売日 : 2004/2/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 498ページ
- ISBN-10 : 4167663120
- ISBN-13 : 978-4167663124
- Amazon 売れ筋ランキング: - 92,442位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 525位歴史・時代小説 (本)
- - 1,292位文春文庫
- - 2,329位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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キャラクター設定と心理描写、状況解説などなど
人気の理由がとてもよく分かりました
巻末『悪』はほろんだ 敬服いたします
司馬は、源義経を軍事的には優れた才能を持った天才であるも人間としては何かが欠けている人物として描く。幼いころの経験が義経を歪な人物としてしまったのだ。情にあつく人を疑うことを知らない性格、政治的痴呆という欠点は最終的に彼自身の首を絞めていくことになる。
「判官びいき」という言葉がある。その語源は源義経である。彼の官職が判官であった。その義経が悲劇的な最期を遂げた。人々は死後も敗者であるはずの彼を慕うようになっていった。そのことをあらわすように「判官びいき」という言葉が広く定着していったのだ。
まさに、源義経は日本人にとって昔から悲劇のヒーローである。
しかし、司馬遼太郎が優れているのは、従来のような知勇を兼ね備えた名将であり、美男子だったという義経像を破壊していることだ。単なる悲運の武将として描くのではなく、人間として描かれていることが本作の最大の魅力である。
それをよく表しているのが幼いころの牛若丸(義経)の姿を描いている上巻である。
「司馬は、個と個のぶつかり合いだった合戦を集団戦に変え、騎兵を使った戦術を編み出したのは義経であるとし、その武将としての能力を高く評価している。
その一方で司馬は、土地の所有にこだわる武士の願望をかなえる形で、朝廷の影響力を排した封建制という、新たな枠組みを作ろうとした頼朝の理想を理解できない義経は、後白河法皇に籠絡され、頼朝の怒りを買うなど、政治的な能力は皆無だったとしている」(歴史街道2022年4月号52頁)。
ともすれば、義経ファンが激怒しそうな設定ではあるが、個人的には人間としての義経像というものをあますことなく描かれているように思う。上巻ですでにそのあやうさは描かれている。
鎌田正近は幼い義経に次のように語る。
「復讐者の資質は」
と正近はいうのである。
──この濁世の栄達をのぞむな。栄華にあこがれるな。
正近の言葉は、少年の心につぎつぎと滲みこんでゆく。
ここに後の悲劇のはじまりが垣間見えるのだ。復讐することだけを目的とした義経と新たな武家政権を確立しようとしている頼朝でははじめから目的が違っていた。平家を滅ぼすということでは、互いに協力関係にあるも平家滅亡が目的の義経と平家滅亡が新たな武家政権確立の手段である頼朝では相容れるはずがなかった。
「狡兎死して良狗煮らる」という有名な格言がある。平家という強大な敵がいなくなった以上、頼朝にとっては自らの政権構想を全く理解しない義経こそ最大の敵でしかなかった。だからこそ、彼は討たれた。
この下巻では、義仲追討から義経の最期まで描かれている。
しかしながら、他の方のレヴューでも書かれているように本当にあっさりとしている。義経の都落ちから衣川での最期までわずか4ページしかないのだ。多くの人は、これを物足りないと感じるからこそ下巻に対しての評価が低いのではないか。私自身も、最初に読んだときはあまりにもあっさりとしたラストにあっけにとられたのを覚えている。
私を含めて多くの人が読みたい義経像というものは「悲劇のヒーロー」としての義経であるからではないか。しかし、司馬遼太郎がはじめからその義経像というものを壊すことを目的として本作を描いているならば、話は変わってくる。なぜならば、司馬遼太郎が意図的にそうしているからだ。
講談などでは語られる有名なエピソードを司馬遼太郎が描かなかったのはなぜか?
本作『義経』で司馬遼太郎が描いていること、描かなかったことをあらためて考えていくことで司馬が義経をどう解釈しどのようにとらえているかが少しは理解できたように思っている。
それをよく表しているのがラストの次の文章である。
その首が酒漬けにされて鎌倉へ運ばれてきたとき、頼朝は、
「悪は、ほろんだ」
といった。
が、「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを漏れきいた世間の者も、また京の廷臣たちも、
──悪とは、なんだろう。
ということを一様に考えこまざるをえなかった。後世に至るまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。
この文章にこの作品の主題とも言うべきものがはっきり語られているように思うのだ。
都落ちから衣川での最期までがわずか4ページだからこそこの文章が活きてくる。仮に、都落ちから奥州へ逃れ、衣川で最期を遂げるまでを講談のように描いてしまったならば、この一文はおそらく蛇足になっていたのではないか。今回、『義経』の上下巻を読み通してあらためてそう思った。
(2022.4.1記)
本巻では、木曾軍討滅、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いという、義経を有名にした場面が描かれてゆく。
父の敵討ちを目的としていた義経にとってのラスボス=平清盛は、1181年閏2月に病死していた。
しかしその時22歳の若者は、兄・頼朝から誉められたい・認められたいという子供じみた(今風に言えば強烈な“承認欲求”)エネルギーを平氏滅亡のために発動する。
都落ちしたとはいえ、西日本に基盤を持つ平氏は、得意の水軍も保持し勢力を盛り返していた。
それでも義経は、義仲を討った宇治川の戦い(1184年1月)を起点にしても、壇ノ浦の戦い(1185年3月)までわずか1年2か月しかかけずに平家を滅亡させている。
やはり、軍事の天才というほかない。
本作では、その天才と同居する幼児性を、鎌倉殿(頼朝)との比較であぶり出す。
俺は上巻の印象をレビューで「RPGのような」と表現した。
しかしこの下巻では、主人公(義経)が、その純粋さがゆえに、手練手管のモンスターたち(鎌倉や朝廷)に翻弄される場面が増え、RPGならではの爽快感はしぼんでゆく。
普通の若者であれば、徐々に“大人側”に染まってゆくのだろう。
しかし、義経にはそれができなかったし、大人たちの思惑など最期まで理解できなかったのである。。。
本巻では「鵯越」も義経の発案・実行という描かれ方をしている(ただし、重要人物である多田行綱はしっかり登場する)し、フィクションとされる那須与一の「扇の的」の場面も描かれている。
しかし、これらは源平合戦になくてはならない場面だし、義経の颯爽とした活躍を引き立たせる場面なので、小説ではアリである。
一方で、同じフィクションである「勧進帳」や「弁慶の立ち往生」で有名な奥州落ちから死については触れられず、「諸国の山河にかくれ、・・・最後に衣川の持仏堂に逃げ入り、自害した。」とわずか二行で終わっている。
俺はこれで良いと思っている。
それまでで、本作の主題は書き尽くされているからだ。
(この終わり方は、同著『新史 太閤記』に似ている)。
本巻の中で畠山重忠が、戦場を駆け抜ける義経の姿について感嘆する場面がある。
「―――どこか、神に似通うていた。」
平家を滅亡させたことにより、日本史上、初めての有名人(ヒーロー)になった男は、それからわずか4年で死ぬ。
この悲劇は、『平家物語』などにより貴族や庶民へと語り継がれ、日本文化を彩ってゆく。
日本史に義経を持ったことを幸せに思う。
若者は読んで自分がいかに恵まれてる方と見直すべき本です!