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零戦の誕生 (文春文庫) 文庫 – 2005/8/10

4.1 5つ星のうち4.1 11個の評価

零式戦闘機のメカニズムと名もなき戦士たち。零戦の誕生に携わった数多の青春群像を紙上に蘇らせた戦記ノンフィクションの白眉

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2005/8/10)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/8/10
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 349ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4167679574
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4167679576
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 11個の評価

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森 史朗
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2013年1月10日に日本でレビュー済み
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 世界的・歴史的な名機、「三菱十二試艦戦零式艦上戦闘機A6M1」。その誕生に到る時代の要請と経緯、そして誕生後太平洋戦争を迎える迄に、幾多の障害を乗り越えて、より完成度を高めていった試行錯誤の挑戦とを、開発した技術者とテストパイロット、日華事変下の時代背景、新鋭機の前線投入を待ちわびる最前線搭乗員達の苦闘などを、縦横に絡めて描いた見事な記録文学である。

 今日でこそ不朽の名声を誇る零戦だが、その誕生当時は機体の大きさと、主力の96式戦闘機に比べて幾分落ちる運動性とで、その試作完成機は搭乗員に敬遠された。物語は横須賀航空隊格納庫に埃を被って放置されている零戦を、歴戦の羽切松雄一空曹が見詰める情景から始まる。

 零戦は、海軍の過酷すぎる要求を、三菱開発陣が智恵と工夫と技術の限りを尽くして、文字通り血の滲む努力と研究を経て産み出された機体である。基礎工業力に乏しい当時の日本にあって、当時の世界水準を凌駕する奇跡の名機でもあった。戦闘機設計主任は余りにも高名な堀越二郎。他に加藤定彦(降着装置)、畠中福泉(兵装艤装)、井上伝一郎(動力艤装)、曽根嘉年(機体強度・構造計算)、更に未開拓分野のフラッター(震動)研究の第一人者、松平精技師らの、20代から30代の若いスタッフ達によって開発は進められた。

 大陸の日華事変は膠着の様相を示し始めていた。当時新鋭の三菱96式艦上戦闘機は、素晴らしい空戦性能と搭乗員の高錬度とで目覚ましい戦果を挙げていたが、航続力の著しい不足で中攻隊の援護が出来ず、中国奥地へ戦闘機の援護無しに進撃する中攻は甚大な被害を蒙っていた。米陸軍退役のクレア・リー・シェンノート指導下の中国空軍は国際社会の潤沢な支援を受け効果的な迎撃を行い、海軍中攻隊の被害は黙視せざる状態に直面していた。一方で二連空戦闘機隊もまた、大林法人・潮田良平・田熊繁雄・金子隆司・池田魁・南郷茂章・山下七郎・手島秀雄(空母加賀)らの優れた指揮官を失っている。此の事は太平洋戦争へ計り知れない影響を与えた。此の現状にたまりかねて、12空司令三木森彦大佐の名で、横須賀航空隊、航空本部宛「12試艦戦への要求性能に関する所見」が提出された。

 それらには当然戦訓や最前線の意見を加味したものであったが、三菱技術陣には衝撃的な「初速の劣小なる翼上二十粍機銃は戦闘機には百害ありて一利なし」と迄書かれていた。しかし設計陣には強い信念と次世代主力戦闘機への明確なヴィジョンを持っていた。

 20ミリ機銃を止め航続力を減らせば、96艦戦の後継戦闘機としては搭乗員に受け入れやすい機になるだろう。しかし戦闘機としての寿命は短く、発動機を将来大馬力の物に換装したとしても余裕のない設計となる。日本の戦闘機の性格は格闘戦至上で少数精鋭主義のいわば名人芸で、此れに偏重した結果、日本の戦闘機は極めて軽く、速度、運動性で世界水準を大きく越え、搭乗員の技術も独特な発展を遂げていた。反面、堀越技師の戦後の述懐によれば、『対戦闘機空戦性能を偏重し』、『高速度重武装戦闘機の研究にブレーキをかけ』、『長い間戦闘機自体の防禦力への関心の芽生えを押さえる結果となった』という。

 昭和15年3月11日、12試艦戦の大陸進出直前に、試作2号機は空中分解、空技廠飛行実験部の奥山益美工手は殉職した。此の事故は徹底的な検証の結果、フラッター(振動)が原因と解り、松平精技師が心血を注いで此れを改良した。7月15日、横山保大尉の6機、続いて下川万兵衛大尉の6機が大陸進出。7月24日、零式艦上戦闘機として制式採用。そして昭和15年9月13日、進藤三郎大尉指揮の零戦13機は重慶上空で中国軍機27機全機を撃墜、味方は全機帰還と云う伝説を遺した。

 ところが昭和16年4月17日、横須賀空で試験中再び空中分解事故が発生。操縦の下川万兵衛大尉が殉職した。機体軽量化を徹底し過ぎた為に、主翼のねじり剛性が低下した事によるフラッター発生が原因と、再び松平精技師によって突き止められ、直ちに対策が取られた。松平技師のフラッター研究は此の後、局地戦闘機「雷電」、艦上爆撃機「彗星」にも応用され、昭和20年、「紫電改」が400ノット(時速740キロ。マッハ0.8)で空中分解した際も、対策の技術的難問に直面している最中、8月15日を迎えた。松平技師は戦後、下川大尉達の犠牲により、日本独自の振動研究が発達を遂げ、『これは、われわれ日本人の誇りであると思う。』と回想している。

 零戦の中国戦線投入から昭和16年8月31日迄に、撃墜・撃破266機(内不確実3)、味方損害2機(しかも地上砲火による)という、信じがたい数字を残した。シェンノートらは自国に驚異の敵新鋭戦闘機出現についての警告を送り続けた。しかし、日本人にそのような戦闘機が作れる筈がない、と上層部に一蹴された結果は、太平洋戦争緒戦の零戦の圧倒的な活躍であった。ところが、その報告書に留意した一人の男がいた。空母「レキシントン」第3戦闘機隊長ジョン・スミス・サッチ少佐である。彼の編み出した2機編隊での対零戦戦法「サッチ・ウィーブ」は、零戦神話を突き崩す最初の一撃となる。しかし、真珠湾上空に零戦がその姿を現すまで、米本土の誰一人、その恐るべき破壊力について注意を払わずにいた。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主任技師の堀越二郎著の「零戦」と補完し合える内容です。

「零戦」においては、九六式艦戦及び零式艦戦の開発の苦労などが主であり、中国大陸での内容はその結果として書かれているものであり、視点はあくまでも開発者側がメインです。
本作はその逆に、なぜ九六艦戦が歓迎され、さらに零戦が必要となったのかというものをどちらかというと中国大陸での戦闘部隊からの視点が主であり、戦闘機不要論なども絡まり、様々な証言を紹介しています。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2005年11月13日に日本でレビュー済み
「零戦の誕生」といっても、零戦の開発の話が出てくるのは真ん中くらいからです。中国大陸での戦争の推移など、零戦を必要とする歴史的背景を描いていて、太平洋戦争勃発前の泥沼に足を突っ込んでいく経過を飛行機を中心にわかりやすく書かれていました。
また現在では「制空権」の維持のために、戦闘機が必要なことは常識ですが、当時は「戦闘機不要論」なるものがあり、それが間違いであることが実際に示されていく過程が面白く感じました。
もちろん飛行機に関する技術的な苦労も書かれていますが、太平洋戦争直前の歴史の一面を知るには良書だと感じました。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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