「大人になれ」が著者の定番メッセージですが、今回は(酒井順子の「勝ち犬、負け犬」からの文脈で)「人間になれ」。子どもですらなく、犬…。
「…結婚が約束するのはエンドレスの「不快」である。…「不快な隣人」、すなわち「他者」と共生する能力である。おそらくはそれこそが根源的な意味において人間を人間たらしめている条件なのである。」
「知性というのは「自分の愚かさ」に他人に指摘されるより先に気づく能力のことであって、自分の正しさをいついかなる場合でも言い立てる能力のことではない。」
「手元に「リセットボタン」を握りしめて結婚生活をしている人間は、まさに「リセット可能」であるがゆえに、その可能性を試してみたいという無意識の欲望を自制することができない。」
とたんに、ああ、子どもなんだ、犬なんだ、と気づく。
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街場の現代思想 (文春文庫 う 19-3) 文庫 – 2008/4/10
内田 樹
(著)
仕事とお金の悩みから結婚・離婚話まで、みんなまとめて相談にのろう。身も蓋もない階層社会で、いま真に必要な文化資本を伝授!
- ISBN-104167717735
- ISBN-13978-4167717735
- 出版社文藝春秋
- 発売日2008/4/10
- 言語日本語
- 本の長さ259ページ
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2008/4/10)
- 発売日 : 2008/4/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 259ページ
- ISBN-10 : 4167717735
- ISBN-13 : 978-4167717735
- Amazon 売れ筋ランキング: - 126,352位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
イメージ付きのレビュー
4 星
売れっ子学者さん、電波での露出が少ないのは戦略?
単行本初版は2004年7月6日、NTT出版から。 初期の一般向け著作では、フェミニズム及びジェンダーを標的にしたと言うより、独自の視点からその歴史的役割は終わったのではないかとの新たな解釈を加えた印象。 本書では一見酒井順子の『負け犬の遠吠え』に肩入れしているようにも取れるが、従来は「勝ち組」としていたところを「勝ち犬」の「犬」という侮蔑的表現を用いた点を過大評価、否、曲解、いやいや、内田さん流のジョークのつもりか。 「第一章 文化資本主義の時代」は、養老猛司が「安い給与で長年働かされた報償(東大教授って意外と安いんですね)」と言って憚らなかったベスト・セラー『バカの壁』に肖(あやか)りたいと願いながら(?)、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの「パスカリアン・メディテーション」の紹介じゃないか。 要約すれば、元ヤンキーのアイドルが人の羨む年下人気タレントと結婚、生まれた娘たちを学費の高いインターナショナルスクールに通わせたり、各種習い事をさせたり、ステージ・ママ振りを遺憾なく発揮したりしても、上昇及びセレブ指向の奴隷になっている限り、「勝ち犬」に過ぎないという見解だと書いたら身も蓋も無いか。 第三章では人生相談までやっていて、反撥する方々も少なくはないだろうが、結構、楽しめますよ。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年7月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2009年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
世の中には、何となくおかしいと思うが、筋道を立てて
反論しにくい、というたぐいの正論がある。
例えば「人事評価制度を公明正大にせよ」とか
「がんばって教養を身につけるべき」とか。
まあ、反論出来ないのは自分の論理力の問題なのだが・・
内田樹はそういうこと(対象領域は何でも)に対して、
少し次元を変えた論を起こし、一般的でない結論を提示
しようとする。
その中のいくつかは、「何となく思っていたけれども、自分では
うまく言語化出来なかったこと」という読者のモヤモヤとシンクロする。
そのスッキリ感が、内田樹の本(またはブログ。どちらでも同じだが)
をむさぼり読んでしまう理由だと思われる。
読後は「俺は元々そう思っていたんだよ。内田樹もたまたま同じ
ことを言っているように」と勘違いが残る。
愉悦である。
反論しにくい、というたぐいの正論がある。
例えば「人事評価制度を公明正大にせよ」とか
「がんばって教養を身につけるべき」とか。
まあ、反論出来ないのは自分の論理力の問題なのだが・・
内田樹はそういうこと(対象領域は何でも)に対して、
少し次元を変えた論を起こし、一般的でない結論を提示
しようとする。
その中のいくつかは、「何となく思っていたけれども、自分では
うまく言語化出来なかったこと」という読者のモヤモヤとシンクロする。
そのスッキリ感が、内田樹の本(またはブログ。どちらでも同じだが)
をむさぼり読んでしまう理由だと思われる。
読後は「俺は元々そう思っていたんだよ。内田樹もたまたま同じ
ことを言っているように」と勘違いが残る。
愉悦である。
2010年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一連の街場シリーズ、やめられずに、とうとう3冊連続で読んでしまった。けれど、この面白さは止まりそうにもないし、ありがたい事に、まだシリーズが続いているので、これから読破するのが楽しみだ。
現代思想というタイトルなので、哲学的な内容かと思っていたが、現代人の考え方について書かれたものだから、お固い内容ではない。もちろん、哲学的要素は出てくるものの、その知識はなくてもきちんと解説してくれているので安心して読める。基本的には、著者が教授を勤める大学の講義をまとめた形式なので、話し言葉で綴られており、とても読みやすい。
また、この現代思想版においては、人生相談形式が新鮮な試みだった。ここに寄せられた質問は、かつて質問してみたかったような、一般的で普遍的な質問であることが少なくない。同時に、こういう質問に著者はどうこたえるのであろうか、というわくわくした気持ちで、ページをめくる手は止まらなかった。
人生相談で回答しているなかに、著者の人間としての幅に触れるのが非常に心地よい。著者の人柄がよくあらわれてると言える。著者の素晴らしい学歴と研究により、そのような学者だ、という先入観で見ていたので、「あ、こんな繊細な機微に触れられるのは、このことを経験知としてしっているんだな」という事が随所に見られる。
離婚についての見解は、下記のようなものだ。
「幸福であれ不幸であれ、未来についてクリアカットな想像を抱くものはそのような未来を招き寄さずにはおれない。これが第一の命題。男女関係においては、相手が示す『理解不能』のふるまいについて私たちは『考え得る限り最悪の解釈』を採用する傾向がある。これが第二の命題。この二つを総合すると、私たちの誰にとっても、愛の終わりは構造的に不可避であるという結論が導かれる。(中略)その生来の『癖』をいつでも勘定に入れて運転すればよろしいのである。」
抜粋すると全く意味が分からないが、本を読めば、著者の経験知にも触れながら、この見解に至る説明が丁寧に記されている。
非常に清々しく、心地よい。こんな先生のもとで勉強できないのは残念だが、このように、本を通してその思想に親近感を持って触れられるというのは、読書のよい所だと、つくづく実感した。
現代思想というタイトルなので、哲学的な内容かと思っていたが、現代人の考え方について書かれたものだから、お固い内容ではない。もちろん、哲学的要素は出てくるものの、その知識はなくてもきちんと解説してくれているので安心して読める。基本的には、著者が教授を勤める大学の講義をまとめた形式なので、話し言葉で綴られており、とても読みやすい。
また、この現代思想版においては、人生相談形式が新鮮な試みだった。ここに寄せられた質問は、かつて質問してみたかったような、一般的で普遍的な質問であることが少なくない。同時に、こういう質問に著者はどうこたえるのであろうか、というわくわくした気持ちで、ページをめくる手は止まらなかった。
人生相談で回答しているなかに、著者の人間としての幅に触れるのが非常に心地よい。著者の人柄がよくあらわれてると言える。著者の素晴らしい学歴と研究により、そのような学者だ、という先入観で見ていたので、「あ、こんな繊細な機微に触れられるのは、このことを経験知としてしっているんだな」という事が随所に見られる。
離婚についての見解は、下記のようなものだ。
「幸福であれ不幸であれ、未来についてクリアカットな想像を抱くものはそのような未来を招き寄さずにはおれない。これが第一の命題。男女関係においては、相手が示す『理解不能』のふるまいについて私たちは『考え得る限り最悪の解釈』を採用する傾向がある。これが第二の命題。この二つを総合すると、私たちの誰にとっても、愛の終わりは構造的に不可避であるという結論が導かれる。(中略)その生来の『癖』をいつでも勘定に入れて運転すればよろしいのである。」
抜粋すると全く意味が分からないが、本を読めば、著者の経験知にも触れながら、この見解に至る説明が丁寧に記されている。
非常に清々しく、心地よい。こんな先生のもとで勉強できないのは残念だが、このように、本を通してその思想に親近感を持って触れられるというのは、読書のよい所だと、つくづく実感した。
2011年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭の文化資本の獲得などの記述はなるほどと思わせるに十分になってる。
全体的に一般常識を覆す解を提供し、読者を覚醒させる内容である。
しかし何となく「観念界のお遊び的」のような気もして、面白いとは思うのだが、だから何だと思ってしまった。現代思想とタイトルにはうたっているが、どこが思想なのかよく分からなかった。
全体的に一般常識を覆す解を提供し、読者を覚醒させる内容である。
しかし何となく「観念界のお遊び的」のような気もして、面白いとは思うのだが、だから何だと思ってしまった。現代思想とタイトルにはうたっているが、どこが思想なのかよく分からなかった。
2021年4月12日に日本でレビュー済み
エッセイを集めたもの。
読んでいくと
・そうそう、そのとおり!
・それ、極端すぎませんか?
・異論あり!
などと内心でつぶやいているうちに読めてしまう。
スラスラと読める理由は、面白いからだ。
知的な香りがするフレーズもけっこうある。
エッセイの見本、エッセイのお手本と言ってもいいと思う。
著者の人気の理由がわかった気がした。
読んでいくと
・そうそう、そのとおり!
・それ、極端すぎませんか?
・異論あり!
などと内心でつぶやいているうちに読めてしまう。
スラスラと読める理由は、面白いからだ。
知的な香りがするフレーズもけっこうある。
エッセイの見本、エッセイのお手本と言ってもいいと思う。
著者の人気の理由がわかった気がした。
2010年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内田樹先生の著書には、私が持っていない視点から物事を論じられていることが多く、読むと毎回「なるほど!」と思わされることが多い。
今回の「街場の現代思想」もそんな一冊でした。
前半は文化資本についてと後半はMeetsRegionalに連載されていた人生相談形式で持論を展開するエッセイが印象的でした。
「文化資本」は、経済的なものの見方とはことなった(それでも経済的に豊かな方が持つ可能性の高い)、人間の資質を捉える概念だと思います。氏より育ちとかそんなところにも通じるような感じもしました。しかしながら、今となっては自分にはどうすることもできないので、せいぜい自分の子どもに「文化資本」の一部でも経験させることができればと思っています。
後半のエッセイで印象的なのは、現代でかけているのは「生きるための意欲」ではなく「死への覚悟」であるということ。「生きることの意味」を知らないのは「死の意味」について考える習慣を失ってしまったから。その論の過程ででてくる墓をつくることが他の動物と人間とを分けるものであること、また他の章で語られている「不都合な隣人」を認めて生活することなどがエッセイを立体的なものとして感じさせてくれる。
このような視点の背景には膨大な智の蓄積があるのでしょうけど、このように「街場」のお話に適用できる才能は凄いと思う。
ホントに面白い本でした。
今回の「街場の現代思想」もそんな一冊でした。
前半は文化資本についてと後半はMeetsRegionalに連載されていた人生相談形式で持論を展開するエッセイが印象的でした。
「文化資本」は、経済的なものの見方とはことなった(それでも経済的に豊かな方が持つ可能性の高い)、人間の資質を捉える概念だと思います。氏より育ちとかそんなところにも通じるような感じもしました。しかしながら、今となっては自分にはどうすることもできないので、せいぜい自分の子どもに「文化資本」の一部でも経験させることができればと思っています。
後半のエッセイで印象的なのは、現代でかけているのは「生きるための意欲」ではなく「死への覚悟」であるということ。「生きることの意味」を知らないのは「死の意味」について考える習慣を失ってしまったから。その論の過程ででてくる墓をつくることが他の動物と人間とを分けるものであること、また他の章で語られている「不都合な隣人」を認めて生活することなどがエッセイを立体的なものとして感じさせてくれる。
このような視点の背景には膨大な智の蓄積があるのでしょうけど、このように「街場」のお話に適用できる才能は凄いと思う。
ホントに面白い本でした。
2004年10月15日に日本でレビュー済み
この著者は「おじさん」ということをウリにしている仏文学者だが、自らを「おじさん」と称することで、ある種の個体存在を先行させることを意味している。それは志村けんが「私が変なおじさんです」と居直るときの機構と同一の先行性である。つまり法や規範に対して、それを逸脱する個体存在の事実性を優先し、そのような個体であることを露骨に提示して居直っている。というわけで読者は次のことを念頭に置くべきだ。この著者の位置取りはレヴィナスとはあまりにもかけ離れて殆ど対極にあるということ。つまりレヴィナスは存在なるものに対する倫理の先行性を思考し、存在論の監牢を突き破るべく存在するのとは別の仕方を模索したのであって、そのようなレヴィナスを「おじさん」なる個体存在の事実性を先行させたうえで道徳講談をするような男が利用している。