初版1953年当時の翻訳者の使う日本語が、新鮮だ。
現在であったなら、こぎたない、みすぼらしい、といった直裁な表現は避けるであろう。
訳者は、そんなことは気にせず、できるだけ原文に近い日本語で訳したのか、
著者が不敬な人間だと思われるように意図したか、著者と表題の人物に敵意を持っていたか、
それとも、単に時代になせるわざだったのか、どうもこれが一番しっくりくるが、…。
義宮(現在の常陸宮正仁親王殿下)のことは、当初から褒めていたり、認めているが、
明仁親王のことになると、批判が目立つ。
最後には、明仁親王についても、さまざまに褒め言葉を並べるのだが、それは、ほぼ、
著者がもたらした教育の賜物である、と読めてしまう。
自分の教育の成果を公にして、自画自賛から広く世間に賞賛を求めたもの、とも感じられる。
そして、教育しても、なお、短所が目立つような読後感を持たせるのは、意図的なものだろうか。
天皇皇后両陛下や義宮殿下、また姉宮への敬意や敬愛は感じられるのだが、…。
著者が日本に滞在中に、すでに妃の選定について、小泉信三氏らと協議している様子なので、
軽井沢での避暑の間に、すでに、選考が始まっていて、避暑に来ていた別荘持ちの娘にも、
何らかの視線があったのではないか、というのは、うがち過ぎだろうか。
気に入った訳ではないが、戦後から平成のあり方を読む上では、一読の価値があると思う。
8時間前後。
黄金製のナイフやフォークが、戦後も使われていたと記されているが、いまは、どうなっているのだろう。
まさか、ヤ◯オク済みではあるまいが。
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皇太子の窓 (文春学藝ライブラリー 雑英 14) 文庫 – 2015/4/20
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「あなたにお願いしたいのは、皇太子殿下のために、
今までよりももっと広い世界の見える扉を開いていただきたいということです」
終戦直後の昭和21年から4年間、当時の皇太子(いまの天皇陛下)の英語の家庭教師を務めた著者・ヴァイニング夫人が、ともに過ごした日々を語りつつ、窺い知れなかった皇室の姿を描き出し、ベストセラーとなった回想録。
作家として活躍し、絶対的平和主義を貫くエーカー教徒あであったヴァイニング夫人。
英語を通じて自由と正義と平和を学び、成長してゆく皇太子の姿を瑞々しい筆致で書き留め、占領下の日本人がいかに生き、新しい道をいかに切り開こうとしたか、マッカーサーや憲法成立過程にも触れながら克明に綴る。
日米の交流の窓となり、懸け橋となったヴァイニング夫人の人柄がにじむ、戦後70年の歩みを振り返るうえでも画期的な一冊。
今までよりももっと広い世界の見える扉を開いていただきたいということです」
終戦直後の昭和21年から4年間、当時の皇太子(いまの天皇陛下)の英語の家庭教師を務めた著者・ヴァイニング夫人が、ともに過ごした日々を語りつつ、窺い知れなかった皇室の姿を描き出し、ベストセラーとなった回想録。
作家として活躍し、絶対的平和主義を貫くエーカー教徒あであったヴァイニング夫人。
英語を通じて自由と正義と平和を学び、成長してゆく皇太子の姿を瑞々しい筆致で書き留め、占領下の日本人がいかに生き、新しい道をいかに切り開こうとしたか、マッカーサーや憲法成立過程にも触れながら克明に綴る。
日米の交流の窓となり、懸け橋となったヴァイニング夫人の人柄がにじむ、戦後70年の歩みを振り返るうえでも画期的な一冊。
- 本の長さ493ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2015/4/20
- 寸法10.7 x 2 x 15.3 cm
- ISBN-104168130444
- ISBN-13978-4168130441
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2015/4/20)
- 発売日 : 2015/4/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 493ページ
- ISBN-10 : 4168130444
- ISBN-13 : 978-4168130441
- 寸法 : 10.7 x 2 x 15.3 cm
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2013年12月8日に日本でレビュー済み
今上陛下は、敗戦後、教育係として来日したヴァイニング夫人の指導と教育を受けておられる。
昭和天皇は、「ヴァイニング夫人をお招きしたことは最大の成功であった」と述べておられた。
そのヴァイニング夫人が、キリスト教派の中でも絶対平和主義を貫くクェーカー派の熱心な信徒
であったことは注目に値する。米国のクエーカー教徒の多くは、第二次大戦中も、良心的兵役拒否
を貫いて戦闘に参加しなかった。ヴァイニング夫人の著書『民主主義の先駆者・ウィリアム=ペン』
や『皇太子の窓』を読むと、夫人がいかに徹底した平和主義者であり、民主主義者であったかが
よく理解される。熱心なクエーカー教徒であった夫人が、その絶対平和主義の理想を、陛下にも
教授したであろうことは想像に難くない。『皇太子の窓』には、日本に出発する時の高鳴る胸の内
を次のように語っている。
「・・私は、平和と和解のために献身したいという願いも強かった。日本が新憲法において
戦争を放棄したことは、わたしにはきわめて意義深いことに思われた。平和のために一切
を賭けようとしてしている日本の人々にはげましを与え、それからまた、永続的な平和の
基礎となるべき自由と正義と善意との理想を、成長期にある皇太子殿下に示す絶好の機
会が、いま眼の前にあるのだ。」(『皇太子の窓』)
「・・日本が軍国主義的独裁政治に対する大きな幻滅の反動から、いま慌てふためいて
熱心に信奉し始めたあの民主主義なるものの精髄を、殿下がご理解になる一助ともなれば
幸いだと思ったのであった。・・・民主主義の第一要件は、個人の価値と尊厳に対する
尊敬の念でなければならぬと私は思った。第二の要件は、ウィリアム・ペン
(17世紀・ペンシルヴェニア州の建設者)が上手に表現しているーー“
政治は、その下にある人民が自由に参加し得るものであり、そこでは法律が支配するが、
人民はまたそれらの法律にも関与する者なのである”」(同上)
また今上陛下は、父君である昭和天皇が、今次の大戦において国民に多くの犠牲と塗炭
の苦しみを味わわせたことに深く心を痛めておられたことをよくご存知である。
戦後、新憲法が施行された翌年から、絶対平和主義であるヴァイニング夫人によって
民主主義と平和主義について徹底した教育を受けられた今上陛下は、平和憲法を持つ
新生日本の象徴天皇にふさわしい平和精神の持ち主であることを、日本国民は知る必要
があると思う。
今上陛下は、敗戦後、教育係として来日したヴァイニング夫人の指導と教育を受けておられる。
昭和天皇は、「ヴァイニング夫人をお招きしたことは最大の成功であった」と述べておられた。
そのヴァイニング夫人が、キリスト教派の中でも絶対平和主義を貫くクェーカー派の熱心な信徒
であったことは注目に値する。米国のクエーカー教徒の多くは、第二次大戦中も、良心的兵役拒否
を貫いて戦闘に参加しなかった。ヴァイニング夫人の著書『民主主義の先駆者・ウィリアム=ペン』
や『皇太子の窓』を読むと、夫人がいかに徹底した平和主義者であり、民主主義者であったかが
よく理解される。熱心なクエーカー教徒であった夫人が、その絶対平和主義の理想を、陛下にも
教授したであろうことは想像に難くない。『皇太子の窓』には、日本に出発する時の高鳴る胸の内
を次のように語っている。
「・・私は、平和と和解のために献身したいという願いも強かった。日本が新憲法において
戦争を放棄したことは、わたしにはきわめて意義深いことに思われた。平和のために一切
を賭けようとしてしている日本の人々にはげましを与え、それからまた、永続的な平和の
基礎となるべき自由と正義と善意との理想を、成長期にある皇太子殿下に示す絶好の機
会が、いま眼の前にあるのだ。」(『皇太子の窓』)
「・・日本が軍国主義的独裁政治に対する大きな幻滅の反動から、いま慌てふためいて
熱心に信奉し始めたあの民主主義なるものの精髄を、殿下がご理解になる一助ともなれば
幸いだと思ったのであった。・・・民主主義の第一要件は、個人の価値と尊厳に対する
尊敬の念でなければならぬと私は思った。第二の要件は、ウィリアム・ペン
(17世紀・ペンシルヴェニア州の建設者)が上手に表現しているーー“
政治は、その下にある人民が自由に参加し得るものであり、そこでは法律が支配するが、
人民はまたそれらの法律にも関与する者なのである”」(同上)
また今上陛下は、父君である昭和天皇が、今次の大戦において国民に多くの犠牲と塗炭
の苦しみを味わわせたことに深く心を痛めておられたことをよくご存知である。
戦後、新憲法が施行された翌年から、絶対平和主義であるヴァイニング夫人によって
民主主義と平和主義について徹底した教育を受けられた今上陛下は、平和憲法を持つ
新生日本の象徴天皇にふさわしい平和精神の持ち主であることを、日本国民は知る必要
があると思う。
2021年2月27日に日本でレビュー済み
1946年から1951年まで、上皇陛下(当時は皇太子)の家庭教師を務めた女性の回想録。
当時の記録が瑞々しく描かれていて内容も引き込まれるが、それ以上に、文章が美しすぎて驚く。とても格調高い言葉。訳者あとがきから見るに、もともとの英文の美しさによるものというよりは(もちろんそれもあるだろうけれど)訳者の小泉一郎氏の手によるものだろう。
当時の日本の街並みとそこで生きる人々、すでに開発され失われた当時の自然、子供から青年に代わる皇太子殿下の眩いまでの姿、それらの描写はひたすら美しくて、背筋の伸びる気持ちになった。
とくに得難いと感じたのは、女史がはじめて学習院を訪れ、立ち並ぶ全校生徒の前で挨拶として子供たちに贈った言葉。
「 (前略)
私が日本へ参った第一の理由は、日本が新憲法で国策遂行の具としての戦争を放棄したからです。他の国々も日本の後からついてゆかねばなりません。日本がその苦難と敗北との中から新しい力と夢を得て、平和への道において世界を指導し得るようになることを、私は信じて疑いません。
あなた方若い人々こそ、それを成就する責任をもっているのです。人間の誰もが自分の内部にある最もよきものを発達させ得る世界、自由な人々がすべての人間の利益のために共に働き得る世界を創造することが、あなた方の仕事です。私は、あたたかい友情を胸に抱いて、また、あなた方の立派な先生方と御一緒に、あなた方を、いま申したような偉大な仕事をする人間に育てあげることに少しでも力をつくしたいと願って、ここへ参ったのです。」
こんな言葉を子供にかけられる大人、いまの日本にいる???
陛下はじめ一家に尊敬されたというのも当然と思える、信仰に裏打ちされた愛情深さに感動した。
当時の記録が瑞々しく描かれていて内容も引き込まれるが、それ以上に、文章が美しすぎて驚く。とても格調高い言葉。訳者あとがきから見るに、もともとの英文の美しさによるものというよりは(もちろんそれもあるだろうけれど)訳者の小泉一郎氏の手によるものだろう。
当時の日本の街並みとそこで生きる人々、すでに開発され失われた当時の自然、子供から青年に代わる皇太子殿下の眩いまでの姿、それらの描写はひたすら美しくて、背筋の伸びる気持ちになった。
とくに得難いと感じたのは、女史がはじめて学習院を訪れ、立ち並ぶ全校生徒の前で挨拶として子供たちに贈った言葉。
「 (前略)
私が日本へ参った第一の理由は、日本が新憲法で国策遂行の具としての戦争を放棄したからです。他の国々も日本の後からついてゆかねばなりません。日本がその苦難と敗北との中から新しい力と夢を得て、平和への道において世界を指導し得るようになることを、私は信じて疑いません。
あなた方若い人々こそ、それを成就する責任をもっているのです。人間の誰もが自分の内部にある最もよきものを発達させ得る世界、自由な人々がすべての人間の利益のために共に働き得る世界を創造することが、あなた方の仕事です。私は、あたたかい友情を胸に抱いて、また、あなた方の立派な先生方と御一緒に、あなた方を、いま申したような偉大な仕事をする人間に育てあげることに少しでも力をつくしたいと願って、ここへ参ったのです。」
こんな言葉を子供にかけられる大人、いまの日本にいる???
陛下はじめ一家に尊敬されたというのも当然と思える、信仰に裏打ちされた愛情深さに感動した。
2015年6月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
稀に見るいい本です。訳者も日本人が読んで違和感なく丁寧なものでした。中学の時英語の授業があり、生徒にアメリカ人の名前がつけられました。ヴァイニングさんの授業から来ていたんですね。
2015年8月2日に日本でレビュー済み
太平洋戦争が終わった後、皇太子(平成の現天皇)のために、アメリカから英語の家庭教師として、ヴァイニング夫人が呼ばれました。
夫人は、皇居内や学習院中等科で、皇太子に英語を教えると共に、皇室の慣習とは異なる、よい意味で常識的な考えが身に付くよう、努力されたようです。
クラスの中でも、他の同級生と同様、できるだけ特別扱いせず、また、一般の家庭と同様、皇太子が兄弟で住めるよう、進言したそうです。
夫人の試みは半ば成功しましたが、帰国されて以降は、やはり旧に復していったように思えます。
いずれにせよ、皇太子がある程度、英語を話せるようになったことや、当時の庶民の生活、皇族の暮らし、マッカーサー元帥との会見、東京裁判の傍聴など、合間合間に描かれた場面にも、興味深いものがありました。
夫人は、皇居内や学習院中等科で、皇太子に英語を教えると共に、皇室の慣習とは異なる、よい意味で常識的な考えが身に付くよう、努力されたようです。
クラスの中でも、他の同級生と同様、できるだけ特別扱いせず、また、一般の家庭と同様、皇太子が兄弟で住めるよう、進言したそうです。
夫人の試みは半ば成功しましたが、帰国されて以降は、やはり旧に復していったように思えます。
いずれにせよ、皇太子がある程度、英語を話せるようになったことや、当時の庶民の生活、皇族の暮らし、マッカーサー元帥との会見、東京裁判の傍聴など、合間合間に描かれた場面にも、興味深いものがありました。