軽度の押井信者ですが、比較的ナチュラルな立場だと思います。
本書を、他の方も書かれていましたが、大手出版社が出したところに、マスコミとしての数少ない良心を感じます。
「押井守の書籍」から想像する内容とは、半分ぐらいは予想と違うのではないでしょうか。この本の価値は10年先に出てくると思います。
また、映画の書評も、至極まっとうだと思います。「紅の豚」しかり「ゲド戦記」しかり。
「紅の」は男子ですから、好きではあるんですが。それだけでもない。空戦アニメ映画としてジブリブランド抜きに見れば、間違いなく「スカイクロラ」のほうが土俵が違うぐらい上だと思います。
個人的にはジブリ作品では「コクリコ坂」が好きですが、「耳をすませば」同様、アニメーションで行う必要があるのか、という印象は前からありましたし。押井さんがラピュタが好き、というのはちょっと意外でしたが、あれが少年少女向けアニメの傑作であることをお認めである、というのは流石、という印象が深いです。ただし、ムスカの非道をあそこまで見せるのか、というところも同意見です。
そういうバランスという意味では、ジブリ作品ではないですが、「未来少年コナン」はやはり少年少女向けアニメ活劇として金字塔だと思います。NHK向けですから、悲惨シーンも抑制が利いていますが、今ならインダストリアの地下の囚人へのマーキングなんかも無理な表現かも。
あれを現実や実写で行うのはアレで、アニメならでは・・・、という線引きでもないですね・・・。ただ、クリエイターが何を表現したいのか、そのための方法論として、あえてあのマーキングという事象の必然性、うーん、難しいですね。
小生はコナンを小学生低学年で初回放送で見ましたが、レプカというかインダストリアという管理社会での非道さ、あとやけどの熱さというのは人生経験のなさから想像でしかイメージできませんでしたが、「痛そうだな」と思ったことを覚えています。が、子供だからか、そんなにあとを引くほど「残虐行為」とも思わなかったな。
再放送以降のほうがいろいろ考えるようになったかも。コナンという少年の成長物語だったんだな、とわかったのは自身が少年でなくなったあとだったように思います。
アニメはそもそも作りごと、だから何でもできる、というのも違うし、ファンタジーがつくりやすいわけでもない。ぼくはクリエイター側にいるわけではない(学生時代の先輩でひとり、一部でかなり有名な漫画家で、先輩の少ない作品はいずれもアニメ化され、成功作だと思います。先輩も胃が痛くなるような苦労をされているんだろうな、と想像しています)ですが、消費する側でよかったかな・・・。
あ、そうそう、宮崎監督の作品では、実は映画ではない「シュナの旅」が一番好きでした。忘れてました。
追記:2年ほどして再読しましたが、うーむ、おもしろい。ちょうどNHK朝ドラ「なつぞら」を放映しているのですが、日本のアニメ史の中のスタジオジブリを語る、いちばん正鵠を得た内容ではないかと思われます。
読み返して一点、「もののけ姫」で主人公アシタカが「故郷に帰ろうとしないエンディングはおかしい」とのことですが。この解釈は山間僻地という共同体を理解していない発言です。
小生は平家の落ち武者の高知県内の村落に住んだことがありますが、時の権力者から逃れるために人間はこんな僻地に住まないといけなかったのか、と驚嘆しました。まあそれがいわゆる限界集落への萌芽でもあるんでしょうが。権力者からの逃亡というのが、いかなる恐怖なのかを体感できたわけです。同じ構造であるアシタカの集落から、アシタカは冒頭、本人に過失はない理由で共同体から出ることになるわけです、もちろん本人含め誰も望んでいない。が、こうしないと物語がはじまりませんから、怨念の塊の猪神というのはそういう「世の中の理不尽な悪」たとえが不謹慎ですが「急に交通事故の被害者になる」や「通り魔事件の被害者になる」といった例を出せてしまう現実社会がかなわない・・・ですが。閑話休題、かの猪神にはそのような役目であったわけです。アシタカは長老たちの前で髪を落と?し、共同体の人間ではなくなることを宣言します、男長老が顔を覆うのはそういう意味です。誰も見送らないのもそういうことで、その中でカヤがお守りをアシタカに上げるのは自分の操をあげた、ということと同じ意味だと思います。たぶんカヤは村落の中で処女のまま祈祷師のような役職についた人生を送ったのではないのかな。で、当時「アシタカ、カヤの小刀をサンに上げるのはひどい」という女子たちの発言を聞きましたが、アシタカは冒頭で村落の境界を出たときから、カヤのことも忘れなければいけない立場です。それしかサンにあげられるものがなかったんだから、一男子としては「無い袖は振れない」的現象であり、映画的にもありでないの、とは思います。なにせ、呪いを解決しない限りはアシタカにとっては死出の旅の物語であり、中盤でもいろいろなエピソードでそれを語っていますよね。で、ラストシーンに向けてですが、仮に怨念猪神の呪いがとけたとしても、生まれ故郷にはもう戻れない。アシタカの自分の居場所探し(もしかしたら死に場所だったのかも、カタルシスを通じてそうではなくなるのですが)な物語であり、ラストで故郷に帰ろうとするのを欲するのは、おかしな解釈だと思います。

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誰も語らなかったジブリを語ろう (TOKYO NEWS BOOKS) 単行本 – 2017/10/20
押井守
(著)
世界のアニメーションに影響を与えた“スタジオジブリ”を、これまた世界中からリスペクトされる監督・押井守が語り尽くす。スタジオジブリの劇場公開作を振り返りつつ、「これまでのジブリ、これからのアニメーション」まで縦横無尽に語った痛快&ディープなインタビュー。<目次>第一章 矛盾を抱えた天才 宮崎駿/第二章 リアリズムの鬼 高畑勲/第三章 ジブリ第三の監督たち/第四章 小さな巨人――スタジオジブリ カバーイラスト/湯浅政明
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社東京ニュース通信社
- 発売日2017/10/20
- 寸法13 x 1.8 x 19 cm
- ISBN-104198645027
- ISBN-13978-4198645021
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商品の説明
著者について
映画監督。1951年生まれ。東京都出身。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに。主な監督作品に『うる星やつら オンリー・ユー』(83)、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)、『機動警察パトレイバーtheMovie』(89)、『機動警察パトレイバー2theMovie』(93)。『GHOSTINTHESHELL/攻殻機動隊』(95)はアメリカ「ビルボード」誌セル・ビデオ部門で売り上げ1位を記録。『イノセンス』(04)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に、『スカイ・クロラTheSkyCrawlers』(08)はヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品された。近作に『THENEXTGENERATIONパトレイバー』シリーズ全7章(14~15)、『THENEXTGENERATIONパトレイバー首都決戦』(15)。最新作は『ガルム・ウォーズ』(16)。
登録情報
- 出版社 : 東京ニュース通信社 (2017/10/20)
- 発売日 : 2017/10/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4198645027
- ISBN-13 : 978-4198645021
- 寸法 : 13 x 1.8 x 19 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 404,230位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,438位漫画・アニメ・BL(イラスト集・オフィシャルブック)
- - 60,802位ノンフィクション (本)
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2017年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本はジブリ映画を観た事がある方の為の物です。
サブタイトルに「ジブリ作品が10倍面白くなる」とありますがジブリ映画を今から観よう又は観た事の無い方には本の内容が全く分からないと思うので注意してください。
内容については2人は互いに縁が長く押井守氏は宮崎駿監督の事を詳しく知ってると思わせる文脈が多々ありかなり楽しめました。
サブタイトルに「ジブリ作品が10倍面白くなる」とありますがジブリ映画を今から観よう又は観た事の無い方には本の内容が全く分からないと思うので注意してください。
内容については2人は互いに縁が長く押井守氏は宮崎駿監督の事を詳しく知ってると思わせる文脈が多々ありかなり楽しめました。
2020年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
制作側に立った解釈本。とはいえ関係値が高い押井さんならでは視点と、映画監督としての視点が相まって、とても面白く読む事が出来ました。これからも押井本を読んでゆきたいです。
2021年12月14日に日本でレビュー済み
ジブリ全作品の批評が会話形式で記載されている。
手厳しいところもあるが不快感はなく、終始談笑といった感じ。
現在(2021年)だと、おまけがついた増補版が出ているので、そちらを購入した方がよい。
手厳しいところもあるが不快感はなく、終始談笑といった感じ。
現在(2021年)だと、おまけがついた増補版が出ているので、そちらを購入した方がよい。
2018年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
シビアに作品ひとつひとつを語られていて、ジブリ作品に敬意を表しつつも、
独特の視点を押井さん流に教えてくれる一冊だと思います。
自分自身が「?」と思っていた部分でも周りの賞賛する風潮に掘り下げられなかったことが
押井さんの言葉によって、新しい一面を知ることができましhた。
帯通り語り尽くしていると思います。
独特の視点を押井さん流に教えてくれる一冊だと思います。
自分自身が「?」と思っていた部分でも周りの賞賛する風潮に掘り下げられなかったことが
押井さんの言葉によって、新しい一面を知ることができましhた。
帯通り語り尽くしていると思います。
2019年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
押井守が各ジブリ作品の批評や感想を述べている。
それを読めて楽しめた。
へー、こう思ってんだなぁと。
けれど、誰も知らなかったジブリって内容ではないかなぁ。
コアな宮崎高畑ファンなら大体承知済みな感じです。
それを読めて楽しめた。
へー、こう思ってんだなぁと。
けれど、誰も知らなかったジブリって内容ではないかなぁ。
コアな宮崎高畑ファンなら大体承知済みな感じです。
2018年9月9日に日本でレビュー済み
多くの優れたアニメ作品を生み出した押井守さんと映画ライターの渡辺マキさんの対談形式で進められていく内容でした。対談ですから、スラスラ読めます。感覚的な語りが続きますが、本書の場合は、それが功を奏していました。
ジブリ礼賛の本は数多出版されています。それはそれで結構なのですが、アニメ文化の行く末を案じており、宮崎駿さんへの批判もまた、今後に必要な視点でしょうし、指摘でしょう。
多くの優れた作品を生み出した押井守さん独自の見方が新鮮でした。宮崎さんや鬼籍に入られた高畑勲さんや鈴木敏夫さんとの交友が本書の背景にあります。仕事を一緒にした時間があるからこそ、辛辣なことを言っても許されるのかもしれません。
『紅の豚』は宮崎さんそのもの、ということは公開当初から語られていました。「宮さんの映画が常に破綻している」と、『紅の豚』を取り上げて論じていました。感性の問題ですから、とやかくは言いません。映画の個性という点では、そこまでバランスの悪さを強調しなくても良いように思っているのですが。
主人公に宮崎さんが投影されている話が随所出てきます。クリエーターのサガかもしれません。それが悪いかどうかは見る人が判断するわけですから。作家というものはそういうものではないでしょうか。客観的な観点を持つアニメなんて一番面白くない代物だと思います。
独自の見解もまた、必要だという読後感です。押井守さんにも今後、また新しい視点の作品を作ってほしいと思いました。
ジブリ礼賛の本は数多出版されています。それはそれで結構なのですが、アニメ文化の行く末を案じており、宮崎駿さんへの批判もまた、今後に必要な視点でしょうし、指摘でしょう。
多くの優れた作品を生み出した押井守さん独自の見方が新鮮でした。宮崎さんや鬼籍に入られた高畑勲さんや鈴木敏夫さんとの交友が本書の背景にあります。仕事を一緒にした時間があるからこそ、辛辣なことを言っても許されるのかもしれません。
『紅の豚』は宮崎さんそのもの、ということは公開当初から語られていました。「宮さんの映画が常に破綻している」と、『紅の豚』を取り上げて論じていました。感性の問題ですから、とやかくは言いません。映画の個性という点では、そこまでバランスの悪さを強調しなくても良いように思っているのですが。
主人公に宮崎さんが投影されている話が随所出てきます。クリエーターのサガかもしれません。それが悪いかどうかは見る人が判断するわけですから。作家というものはそういうものではないでしょうか。客観的な観点を持つアニメなんて一番面白くない代物だと思います。
独自の見解もまた、必要だという読後感です。押井守さんにも今後、また新しい視点の作品を作ってほしいと思いました。
2019年3月10日に日本でレビュー済み
本書は『TV Bros.』に不定期で掲載された押井守×渡辺麻紀による対談の完全版である。
私は雑誌掲載時からこの対談が気に食わなかった。
映画ライターを自称する渡辺麻紀の見識があまりにも浅すぎるからだ。対談相手としては不適当であるとしか思えない。
このコンビには何冊もの著書があるがどれも驚くほど内容がない。
本書でジブリについて語り合った対談部分は全部で230ページであるが、その中で21作品について作品ごとに語っており、つまり平均すると各作品ごとに10ページ前後しか語っていないことになる。
しかも対談形式だから押井守の発言は当然10ページ分あるわけではない。この渡辺麻紀とかいう無能な映画ライターが無内容な相槌を打っている分だけ押井の発言は削られるのだ。
しかも本の下段部分は全ページに渡り帯状に不必要な注釈部分が占領しており、本書の内容をさらに薄くする役割を果たしている。
230ページ分の対談を時間にすると、分量的には2時間のラジオくらいの内容しかないことになる。2時間のラジオでジブリ21作品を順番に語って実のある話になるわけがない。
これではほとんど何も語っていないも同然であり、単なる雑談の文字起こしである。
500mlのカルピスウォーターを銭湯の湯船に注いでおちょこで飲んだくらいの味の薄さである。
こんなものに金を払うのも馬鹿馬鹿しいが、押井守も渡辺麻紀も東京ニュース通信社も徳間書店もとにかくジブリの名前を使って商売したいという共通の目的があったからこそ発売されたのであろう。事実発売から1年で3刷もされており、これは押井守がこれまで出した本の中では最高の売り上げを示している。
さて、そうやってジブリブランドに寄生した形で作られた本書であるが、最初に書いたように自称映画ライターの渡辺麻紀の無能ぶりがまず目につく。何が無能かというと、『月刊アニメージュ』でアニメ記事やコラムを執筆するアニメライターであり、アラフォーでそれなりにキャリアもあるはずの映画ライターの渡辺麻紀が、ナウシカやトトロを「今回初めて観た」と言っているのである。
そんな人間がアニメライターや映画ライターを名乗っていいのか?
そしてそんな人間が押井守の対談相手であっていいのか?
もちろんいいわけがない。押井守はジブリに対する愛憎が強すぎて、客観的な視点を持つことが出来ず、そして宮崎・高畑・鈴木の三者にあまりに近すぎる立場にいた(というか友達だった)ために、ジブリ公式の関連本などなにも読んでいないであろうから、事実誤認が非常に多い。
押井は、「僕が想像するに―といっても間違ってはいないはずだけど」という無根拠な推測による断定を元に論を展開していくのだが、これらはほとんど間違っている。だがこれはまあいい。全作品をこうやって語るのだから、それを否定したら本書が成立しない。それに映画監督というものはそういうものだ。
だが、作品成立過程の事実関係は公の資料で簡単に確認できるものであるし、映画ライターであるのならば、最低限そのくらいの勉強をしてから対談に臨むものである。
ところがこの渡辺麻紀とかいう人は、ジブリに関して完全に無知であり、それどころか対談が決まるまで作品すら見たことがなかったというのだから驚いた。あー驚いた。本当に驚いた!
押井守が作品成立過程の事実関係に関して明らかに間違ったことを言っていても、渡辺麻紀は無知で無能で不勉強であるから、それを訂正することもできないのである。おかげで、押井のご高説は明白な間違いを土台としてあさっての方向に展開することになり、渡辺麻紀ともどもアホが露呈する形となってしまうのである。こういうことはあってはならないはずである。
押井守の対談相手が叶精二であったならば、こういう愚劣な内容にはならなかったはずである。
なぜ押井守が毎回渡辺麻紀を対談相手にするのかといえば、それは読んで分かる通りに、渡辺麻紀が無知で無能で不勉強で与しやすいからである。反論され論破される恐れが無いからである。つまり渡辺麻紀を完全にナメているからである。
しかし、本書にも良いところはある。湯浅政明の描いた表紙が良い。押井守の顔をあれほど悪意を込めて気持ち悪く描いた表紙絵にはなかなかお目にかかれない。さすが物事の本質を簡潔かつオリジナルな描線でズバリと描くことが出来る天才アニメーターである。押井守の底意地の悪さが良く描けている。
他にも良いところはあったと思ったが、すぐには思い出せないので、思い出したら追記として書くことにする。
押井守の論旨はわりと明快で、オレの作品には構造があるが、ジブリ諸監督の作品にはそれがない。だから映画監督としてはオレのほうが上であり、とくに宮崎駿作品には構造が全くない。あるのはディテールだけだ。だから宮崎駿はアニメーターとしては天才だが監督としてはオレには勝てない。
宮崎駿のクオリティ・技術的な面でのピークは『魔女の宅急便』であり、最高傑作は『千と千尋の神隠し』である。
そしてオレのクオリティ・技術的な面でのピークは『イノセンス』であり、最高傑作は『スカイ・クロラ』である。
『スカイ・クロラ』ほど酷評された押井アニメはないはずだが、本人は「これは自信がある」と断言している。
そして高畑勲は火垂る以降の全作品駄目であり、クソインテリ(本当にこう繰り返し言っている)であり、あんなものは監督ではなくただの文化人崩れである。
押井守が本当に言いたかったことはこのあたりである。
あとはわけのわからない妄言に過ぎない。
曰く「この本が日本初のジブリ批判本である(ジブリの批判本なんてこれまでいくらでもあるんだが・・・)」
曰く「健全な家族の描写がキモチワルイ(それはアンタが2度も結婚に失敗して娘一人育てられなかったからそう思うんであって・・・)」
曰く「ジブリが商業的に成功したのは単にブランド力のおかげであって作品にはその力も価値もない(作品が成功し続けたらこそのブランドであってそれじゃ順番が逆でしょ・・・)」
ジブリアニメがヒットしたのは偶然であって、観客が細密な物量に錯覚しているからであって、鈴木敏夫による宣伝の詐術に騙されいるからだという説は説とは呼べず、何の論考にもなっていない。
それから押井守はもう二度と手描きアニメをやるつもりがないからか、現役アニメーターの仕事をボロクソにこき下ろしていて、ちょっと見苦しいと思ってしまった。
本当に押井守は人間としては気持ちの悪い人間で、人間性も愚劣であり、嫉妬深く、負けを認めず、まさに映画監督としては最高の性格だといえる。こういう人間が映画を作るからこそ面白い映画が生れるのだ。
私は映画監督としての押井守を非常に高く評価している。確かに本人の言うとおり、ジブリの監督とは比較できないくらいの巨大な才能の持ち主である。
天才と呼ばれる監督の中にはごくまれに100点満点の映画を作る人がいる。もちろん生涯に1作品だ。
宮崎駿は『となりのトトロ』を作った。それだけで充分評価に値する(どういうわけか押井守はトトロをいちばん憎悪しているようだが)。
だが押井守は100点満点の映画を3作も作った(BD・劇P・P2)。こういう監督は映画の歴史上他に存在しない。
そういう押井の本は読む価値があるはずだと色々と読んでいるのだが、なかなかいい本に巡り合えない。というかロクな本がない。
まあ、この本はこれはこれでいいし、売れてるみたいだし、無いよりはあったほうがいいから評価はするが、押井守はこの本のリベンジマッチとして、叶精二とジブリの対談本を出すべきである。
押井にはその根性も勇気もないかな?
私は雑誌掲載時からこの対談が気に食わなかった。
映画ライターを自称する渡辺麻紀の見識があまりにも浅すぎるからだ。対談相手としては不適当であるとしか思えない。
このコンビには何冊もの著書があるがどれも驚くほど内容がない。
本書でジブリについて語り合った対談部分は全部で230ページであるが、その中で21作品について作品ごとに語っており、つまり平均すると各作品ごとに10ページ前後しか語っていないことになる。
しかも対談形式だから押井守の発言は当然10ページ分あるわけではない。この渡辺麻紀とかいう無能な映画ライターが無内容な相槌を打っている分だけ押井の発言は削られるのだ。
しかも本の下段部分は全ページに渡り帯状に不必要な注釈部分が占領しており、本書の内容をさらに薄くする役割を果たしている。
230ページ分の対談を時間にすると、分量的には2時間のラジオくらいの内容しかないことになる。2時間のラジオでジブリ21作品を順番に語って実のある話になるわけがない。
これではほとんど何も語っていないも同然であり、単なる雑談の文字起こしである。
500mlのカルピスウォーターを銭湯の湯船に注いでおちょこで飲んだくらいの味の薄さである。
こんなものに金を払うのも馬鹿馬鹿しいが、押井守も渡辺麻紀も東京ニュース通信社も徳間書店もとにかくジブリの名前を使って商売したいという共通の目的があったからこそ発売されたのであろう。事実発売から1年で3刷もされており、これは押井守がこれまで出した本の中では最高の売り上げを示している。
さて、そうやってジブリブランドに寄生した形で作られた本書であるが、最初に書いたように自称映画ライターの渡辺麻紀の無能ぶりがまず目につく。何が無能かというと、『月刊アニメージュ』でアニメ記事やコラムを執筆するアニメライターであり、アラフォーでそれなりにキャリアもあるはずの映画ライターの渡辺麻紀が、ナウシカやトトロを「今回初めて観た」と言っているのである。
そんな人間がアニメライターや映画ライターを名乗っていいのか?
そしてそんな人間が押井守の対談相手であっていいのか?
もちろんいいわけがない。押井守はジブリに対する愛憎が強すぎて、客観的な視点を持つことが出来ず、そして宮崎・高畑・鈴木の三者にあまりに近すぎる立場にいた(というか友達だった)ために、ジブリ公式の関連本などなにも読んでいないであろうから、事実誤認が非常に多い。
押井は、「僕が想像するに―といっても間違ってはいないはずだけど」という無根拠な推測による断定を元に論を展開していくのだが、これらはほとんど間違っている。だがこれはまあいい。全作品をこうやって語るのだから、それを否定したら本書が成立しない。それに映画監督というものはそういうものだ。
だが、作品成立過程の事実関係は公の資料で簡単に確認できるものであるし、映画ライターであるのならば、最低限そのくらいの勉強をしてから対談に臨むものである。
ところがこの渡辺麻紀とかいう人は、ジブリに関して完全に無知であり、それどころか対談が決まるまで作品すら見たことがなかったというのだから驚いた。あー驚いた。本当に驚いた!
押井守が作品成立過程の事実関係に関して明らかに間違ったことを言っていても、渡辺麻紀は無知で無能で不勉強であるから、それを訂正することもできないのである。おかげで、押井のご高説は明白な間違いを土台としてあさっての方向に展開することになり、渡辺麻紀ともどもアホが露呈する形となってしまうのである。こういうことはあってはならないはずである。
押井守の対談相手が叶精二であったならば、こういう愚劣な内容にはならなかったはずである。
なぜ押井守が毎回渡辺麻紀を対談相手にするのかといえば、それは読んで分かる通りに、渡辺麻紀が無知で無能で不勉強で与しやすいからである。反論され論破される恐れが無いからである。つまり渡辺麻紀を完全にナメているからである。
しかし、本書にも良いところはある。湯浅政明の描いた表紙が良い。押井守の顔をあれほど悪意を込めて気持ち悪く描いた表紙絵にはなかなかお目にかかれない。さすが物事の本質を簡潔かつオリジナルな描線でズバリと描くことが出来る天才アニメーターである。押井守の底意地の悪さが良く描けている。
他にも良いところはあったと思ったが、すぐには思い出せないので、思い出したら追記として書くことにする。
押井守の論旨はわりと明快で、オレの作品には構造があるが、ジブリ諸監督の作品にはそれがない。だから映画監督としてはオレのほうが上であり、とくに宮崎駿作品には構造が全くない。あるのはディテールだけだ。だから宮崎駿はアニメーターとしては天才だが監督としてはオレには勝てない。
宮崎駿のクオリティ・技術的な面でのピークは『魔女の宅急便』であり、最高傑作は『千と千尋の神隠し』である。
そしてオレのクオリティ・技術的な面でのピークは『イノセンス』であり、最高傑作は『スカイ・クロラ』である。
『スカイ・クロラ』ほど酷評された押井アニメはないはずだが、本人は「これは自信がある」と断言している。
そして高畑勲は火垂る以降の全作品駄目であり、クソインテリ(本当にこう繰り返し言っている)であり、あんなものは監督ではなくただの文化人崩れである。
押井守が本当に言いたかったことはこのあたりである。
あとはわけのわからない妄言に過ぎない。
曰く「この本が日本初のジブリ批判本である(ジブリの批判本なんてこれまでいくらでもあるんだが・・・)」
曰く「健全な家族の描写がキモチワルイ(それはアンタが2度も結婚に失敗して娘一人育てられなかったからそう思うんであって・・・)」
曰く「ジブリが商業的に成功したのは単にブランド力のおかげであって作品にはその力も価値もない(作品が成功し続けたらこそのブランドであってそれじゃ順番が逆でしょ・・・)」
ジブリアニメがヒットしたのは偶然であって、観客が細密な物量に錯覚しているからであって、鈴木敏夫による宣伝の詐術に騙されいるからだという説は説とは呼べず、何の論考にもなっていない。
それから押井守はもう二度と手描きアニメをやるつもりがないからか、現役アニメーターの仕事をボロクソにこき下ろしていて、ちょっと見苦しいと思ってしまった。
本当に押井守は人間としては気持ちの悪い人間で、人間性も愚劣であり、嫉妬深く、負けを認めず、まさに映画監督としては最高の性格だといえる。こういう人間が映画を作るからこそ面白い映画が生れるのだ。
私は映画監督としての押井守を非常に高く評価している。確かに本人の言うとおり、ジブリの監督とは比較できないくらいの巨大な才能の持ち主である。
天才と呼ばれる監督の中にはごくまれに100点満点の映画を作る人がいる。もちろん生涯に1作品だ。
宮崎駿は『となりのトトロ』を作った。それだけで充分評価に値する(どういうわけか押井守はトトロをいちばん憎悪しているようだが)。
だが押井守は100点満点の映画を3作も作った(BD・劇P・P2)。こういう監督は映画の歴史上他に存在しない。
そういう押井の本は読む価値があるはずだと色々と読んでいるのだが、なかなかいい本に巡り合えない。というかロクな本がない。
まあ、この本はこれはこれでいいし、売れてるみたいだし、無いよりはあったほうがいいから評価はするが、押井守はこの本のリベンジマッチとして、叶精二とジブリの対談本を出すべきである。
押井にはその根性も勇気もないかな?