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中絶と避妊の政治学: 戦後日本のリプロダクション政策 単行本 – 2008/8/1
- 本の長さ308ページ
- 言語日本語
- 出版社青木書店
- 発売日2008/8/1
- ISBN-104250208184
- ISBN-13978-4250208188
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登録情報
- 出版社 : 青木書店 (2008/8/1)
- 発売日 : 2008/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 308ページ
- ISBN-10 : 4250208184
- ISBN-13 : 978-4250208188
- Amazon 売れ筋ランキング: - 830,575位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,194位政治入門
- カスタマーレビュー:
著者について
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塚原久美(つかはら くみ)
プロフィール
中絶問題研究家、公認心理師、臨床心理士、中絶ケアカウンセラー。自ら長年中絶のスティグマ(負の烙印)に苦しめられてきた経験を元に、中絶問題を学際研究。著書『日本の中絶』(ちくま新書)『中絶のスティグマをへらす本』(Kindle)『中絶薬がわかる本』(アジュマ)『中絶技術とリプロダクティヴ・ライツ』(勁草書房:山川菊栄賞、ジェンダー法学会西尾学術賞)、訳書『中絶がわかる本』(アジュマ)『新版 中絶と避妊の政治学』(岩波書店)『水子供養』(明石書店)など。オンラインでもラブピースクラブの連載コラム『中絶再考』の他、集英社性知識イミダス、文春オンライン、講談社FRaUなどで発信。RHRリテラシー研究所主宰。ASAJメンバー。日本人のリプロの環境を改善することがライフワーク。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の嫌な部分がはっきりと客観的に表現されていて気分が悪かったですが、日本女性として知っておくべきだし考えないといけない問題だ
2013年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の先進国ではピル解禁→中絶合法化が多い中、日本ではその真逆なのはなぜ?
という問題提起に基づいた本。その視点だけでもかなり面白いです。
という問題提起に基づいた本。その視点だけでもかなり面白いです。
2008年9月10日に日本でレビュー済み
『世界的に見れば、日本のピル解禁と中絶合法化の順序が他の国とは逆転している。それだけでも不思議なのに、しかも両者の合法化には半世紀もの時間差がある……なぜなのか、そしてそれは何をもたらしたのか。』
(↑訳者のブログ [...] より)
日本のリプロダクティブヘルス史(という言い方をしてもいいのか?)には、荻野美穂の仕事などが挙げられるだろうし、オンラインでは渋谷知美の「コンドームと日本人」([...] )が面白く読めたわけだけれど、こういう海外の研究者のものも「外からどう見えるか」というのが判ってくることが有意義。
ともすれば、リプロダクティブヘルスに関する政治史を「進歩的フェミニズム vs 保守的家父長制イデオロギー」の対立図として一面的に見てしまいがちになるものだけれど、けっしてそういう単純なものでもない、ということを指摘しているのが本書の醍醐味だろう(それはけっしてフェミニズムを貶めるものでもない)。 政治的エリート主義と政治的多元主義をめぐる解説としても、また、戦後リブ〜フェミニズム史としても読める。
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「コンドームが破れてしまったらどうしよう。それでもし恋人が妊娠してしまったら、、、、」という恐怖に苛まれた男性は少なくない。森岡正博の膣内射精暴力論(<検索すれば出てくるはず)に頷いた"仲間"は私だけではないはずだ。
が、そもそも合意の上での共同作業であるはずの行為が、不可抗力によって「男による女への」加害性を帯びてしまう(あるいは潜在的に加害性を帯びている)というのはどうなのか? 頭では納得しつつもどこか釈然としないような?
そういう「加害性」の源泉は、"自らの暴力性や身勝手さに無自覚なバカな同性=オトコたち"にあるわけで、同性として「いい迷惑」であるわけだが、そういう「バカども」と同じ加害性を、自ら意図しないで「たまたま破れたコンドーム」「意図せず漏れ出た精液」によって自分も負ってしまいかねないということの理不尽さに怯え、おののく。。。。。。
といった思考というのが少なくない男性たちに自然に起こってしまうのは、そもそもピルをはじめとする女性が主体となっての避妊法が普及せず、もっぱらコンドームによって「避妊は男性の責任」(しかも避妊成功率は実に低い)とされてしまっていた"日本に特有の事情"下にあるから、、ともいえそうだ。
女性が避妊の主体としてきちんと自立できる条件が整えられることは、男性の自立・解放の条件でもあるのだろう。
本書の視点は、ともすれば「男性の暴力性」を本質主義的に捉えて倫理的に攻撃する方向性に向きがちな考え方(そこには相応の正当性はあることはいうまでもない)に対し、「それとは別に、もっと制度設計として適切な措置があるはずだ」ということに気づかせてくれるのではないだろうか。
(↑訳者のブログ [...] より)
日本のリプロダクティブヘルス史(という言い方をしてもいいのか?)には、荻野美穂の仕事などが挙げられるだろうし、オンラインでは渋谷知美の「コンドームと日本人」([...] )が面白く読めたわけだけれど、こういう海外の研究者のものも「外からどう見えるか」というのが判ってくることが有意義。
ともすれば、リプロダクティブヘルスに関する政治史を「進歩的フェミニズム vs 保守的家父長制イデオロギー」の対立図として一面的に見てしまいがちになるものだけれど、けっしてそういう単純なものでもない、ということを指摘しているのが本書の醍醐味だろう(それはけっしてフェミニズムを貶めるものでもない)。 政治的エリート主義と政治的多元主義をめぐる解説としても、また、戦後リブ〜フェミニズム史としても読める。
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「コンドームが破れてしまったらどうしよう。それでもし恋人が妊娠してしまったら、、、、」という恐怖に苛まれた男性は少なくない。森岡正博の膣内射精暴力論(<検索すれば出てくるはず)に頷いた"仲間"は私だけではないはずだ。
が、そもそも合意の上での共同作業であるはずの行為が、不可抗力によって「男による女への」加害性を帯びてしまう(あるいは潜在的に加害性を帯びている)というのはどうなのか? 頭では納得しつつもどこか釈然としないような?
そういう「加害性」の源泉は、"自らの暴力性や身勝手さに無自覚なバカな同性=オトコたち"にあるわけで、同性として「いい迷惑」であるわけだが、そういう「バカども」と同じ加害性を、自ら意図しないで「たまたま破れたコンドーム」「意図せず漏れ出た精液」によって自分も負ってしまいかねないということの理不尽さに怯え、おののく。。。。。。
といった思考というのが少なくない男性たちに自然に起こってしまうのは、そもそもピルをはじめとする女性が主体となっての避妊法が普及せず、もっぱらコンドームによって「避妊は男性の責任」(しかも避妊成功率は実に低い)とされてしまっていた"日本に特有の事情"下にあるから、、ともいえそうだ。
女性が避妊の主体としてきちんと自立できる条件が整えられることは、男性の自立・解放の条件でもあるのだろう。
本書の視点は、ともすれば「男性の暴力性」を本質主義的に捉えて倫理的に攻撃する方向性に向きがちな考え方(そこには相応の正当性はあることはいうまでもない)に対し、「それとは別に、もっと制度設計として適切な措置があるはずだ」ということに気づかせてくれるのではないだろうか。