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発送元: 『もったいない本舗』 ※通常24時間以内出荷。※商品状態保証。法能店 販売者: 『もったいない本舗』 ※通常24時間以内出荷。※商品状態保証。法能店
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死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う 単行本 – 2008/1/10
森達也
(著)
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知っているのに誰も知らない、僕らが支える「死刑」というシステム。
できる限りは直視したい。知ったうえで考えたい。
罪とは、罰とは、命とは、何だろう?
著者渾身の書き下ろし最新作。死刑をめぐる三年間のロードムービー。
できる限りは直視したい。知ったうえで考えたい。
罪とは、罰とは、命とは、何だろう?
著者渾身の書き下ろし最新作。死刑をめぐる三年間のロードムービー。
- 本の長さ328ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日出版社
- 発売日2008/1/10
- ISBN-104255004129
- ISBN-13978-4255004129
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商品の説明
著者について
森達也(もり・たつや)
1956年広島県呉市生まれ。映画監督、作家。1998年、自主制作ドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞を受賞。著書に『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『いのちの食べかた』(理論社)、『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)、『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』(集英社新書)などがある。
1956年広島県呉市生まれ。映画監督、作家。1998年、自主制作ドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭にて審査員特別賞、市民賞を受賞。著書に『放送禁止歌』(知恵の森文庫)、『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『いのちの食べかた』(理論社)、『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)、『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』(集英社新書)などがある。
登録情報
- 出版社 : 朝日出版社 (2008/1/10)
- 発売日 : 2008/1/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 328ページ
- ISBN-10 : 4255004129
- ISBN-13 : 978-4255004129
- Amazon 売れ筋ランキング: - 770,767位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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![森 達也](https://m.media-amazon.com/images/I/01Kv-W2ysOL._SY600_.png)
広島県生まれ。映画監督、作家。1998年にドキュメンタリー映画『A』を発表。2001年、続編の『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『極私的メディア論』(ISBN-10:4904795075)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
犯罪抑制のために死刑制度は必要と思っています。ただ作者のように考える人もいてその考えは大切だと改めて考えさせられる内容となっています。
2009年4月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の特長については他の方々のレビューに譲るとして、
冤罪死刑の可能性についても入門書になる一冊だと思った。
冤罪で吊るされていった命、冤罪で確定死刑囚として人生の
大半を奪われた人々、しかも後者は無罪放免になっても
故郷に帰れないと言う哀しさ、これらの事柄に我々はあまりにも無知だ。
日本社会が死刑を排除するか、存置するか考える時
濡れ衣を着せられたまま死刑になった、いや国家権力に殺された人々
がいることも知らなければならないはずなのに
なぜこんなに情報が少ないのかと唖然とする。
それは勿論、冤罪で死刑になった死者が口を開いてくれることは
ありえないばかりか、無罪放免になっても再審請求等で消耗しきって
社会に訴えることも出来ないからなのだろう。
ならば社会の方から彼らに耳を傾け注意深く聴く必要があるのではないか。
本書で紹介されている冤罪事件についてこれから調べようと思った。
そして無実の命が不当に奪われる可能性が残る限り、私は
死刑廃止派に鞍替えすることにした。
(もしくは存置のモラトリアム状態を望む)
あまりに無知であった自分に赤面する想いである。
冤罪死刑の可能性についても入門書になる一冊だと思った。
冤罪で吊るされていった命、冤罪で確定死刑囚として人生の
大半を奪われた人々、しかも後者は無罪放免になっても
故郷に帰れないと言う哀しさ、これらの事柄に我々はあまりにも無知だ。
日本社会が死刑を排除するか、存置するか考える時
濡れ衣を着せられたまま死刑になった、いや国家権力に殺された人々
がいることも知らなければならないはずなのに
なぜこんなに情報が少ないのかと唖然とする。
それは勿論、冤罪で死刑になった死者が口を開いてくれることは
ありえないばかりか、無罪放免になっても再審請求等で消耗しきって
社会に訴えることも出来ないからなのだろう。
ならば社会の方から彼らに耳を傾け注意深く聴く必要があるのではないか。
本書で紹介されている冤罪事件についてこれから調べようと思った。
そして無実の命が不当に奪われる可能性が残る限り、私は
死刑廃止派に鞍替えすることにした。
(もしくは存置のモラトリアム状態を望む)
あまりに無知であった自分に赤面する想いである。
2011年8月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死刑は人の命を奪うことだからダメ。
報復は何も産み出さないよ〜。
被害者遺族の気持ち?なったことないからわかりませーん。
それより、僕がお話しした死刑囚、すごくいい人だったんだよ〜。殺しちゃダメだってば。
ということがのんびり延々と書かれた本。くっだらない。
そしてとにかく上から目線。ロジックではハナから廃止派(=自分)の勝ちだと筆者は決めつけてる。
「あすの会」松村氏の話は、こんな本に載せられるべきではない。
報復は何も産み出さないよ〜。
被害者遺族の気持ち?なったことないからわかりませーん。
それより、僕がお話しした死刑囚、すごくいい人だったんだよ〜。殺しちゃダメだってば。
ということがのんびり延々と書かれた本。くっだらない。
そしてとにかく上から目線。ロジックではハナから廃止派(=自分)の勝ちだと筆者は決めつけてる。
「あすの会」松村氏の話は、こんな本に載せられるべきではない。
2010年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「あんな奴、死刑になって当然だと思わないか」友人から訊かれたときの私の返事は、「わからない」 弁護士である私の返事がわからないだなんて、納得がいかないという気持ちを友人は顔にあらわにした。
死刑の是非について、考えたこともなかったし、調べたこともなかった。だから、「わからない」というのは当然の答え。しかし、もう少し、刑罰について考えてみてもよいと思う。極刑である死刑についてはなおさらだ。この本は、そのための1歩になると思う。死刑制度のなりたちや執行方法、死刑をめぐる人々−死刑囚、元死刑囚、被害者の家族、刑務官、教誨師、弁護士、政治家−のインタビュー、国際的動向など、死刑を多角的にとらえている。
読み終わって思うのは、犯罪によって愛する家族を失った人々に対する社会のケア・システムの必要性だ。どんなにケアしても、遺族の悲しみを消すことはできないだろうが、それが人間社会の一員として、われわれにできる最大のことではないだろうか。加害者を殺してお終い、ではあまりにも被害者の命を軽んじている気がする。
死刑の是非について、考えたこともなかったし、調べたこともなかった。だから、「わからない」というのは当然の答え。しかし、もう少し、刑罰について考えてみてもよいと思う。極刑である死刑についてはなおさらだ。この本は、そのための1歩になると思う。死刑制度のなりたちや執行方法、死刑をめぐる人々−死刑囚、元死刑囚、被害者の家族、刑務官、教誨師、弁護士、政治家−のインタビュー、国際的動向など、死刑を多角的にとらえている。
読み終わって思うのは、犯罪によって愛する家族を失った人々に対する社会のケア・システムの必要性だ。どんなにケアしても、遺族の悲しみを消すことはできないだろうが、それが人間社会の一員として、われわれにできる最大のことではないだろうか。加害者を殺してお終い、ではあまりにも被害者の命を軽んじている気がする。
2022年8月26日に日本でレビュー済み
1死刑の根拠
死刑制度存置論の根拠として、筆者が最後まで否定しきれないとするものは、被害者の遺族の復讐感情だけである。
その点につき幾つか気が付いたことを以下述べてみる。
まず、日本の現行法上、法定刑に死刑が定められている犯罪は、人を死に致した犯罪だけに限られない(この点は筆者も言及している)。
そうすると、例えば、内乱罪や外患誘致罪で人を死亡させなかった場合には死刑を適用すべきでないという結論になるはずだが、その結論でいいのだろうか?
次に、殺人罪の例で言うと、被害者が身寄りのないホームレスであれば、強い復讐感情を抱く家族がいないので、死刑にするには及ばないことになりそうだが、その結論でいいのだろうか?
(身寄りのない被害者を殺した場合、犯人を死刑にする根拠があるのか、という点を検討していないので星二つ減にしました)
被害者の家族の復讐感情を強調すると、ローマ帝国の時代がそうだったように、犯人を被害者家族に引き渡して「気のすむようにして良いよ」ということになりそうだが、国家の司法制度として、それで良いのだろうか?
2死刑と文化
死刑制度については、その国の文化と切り離しては論じられない。
欧米が死刑を廃止したのはキリスト教の教義と切り離しては考えられないし、イスラム圏で廃止国がないのもイスラム教と切り離しては考えられない。
日本では自殺で落ち度を償う切腹文化と切り離すわけには行かないだろう。
もっとも、小泉八雲の本などを読むと、昔の日本人は、犯罪被害者になると「これも前世の縁」だと諦めたようであるから、近時の被害者感情の高揚も歴史的な伝統とも言えないであろう。
死刑廃止論者は死刑存置論者から、しばしば「人権屋」などと罵られるが、皮肉なことに、近時の被害者感情の高まりは、明らかに欧米風の人権意識の高揚の結果である。
3被害者感情の慰藉
被害者の感情も、政府が保険類似の制度を充実させ、被害者一人当たり最低で一億円程度の金銭を被害者家族に支給するようにすれば、相当程度緩和されると思われる(本来は加害者が支払うべきだと筋論にこだわっていると、何時まで経っても解決できないけれども)。
4執行方法の残酷性
日本の死刑制度を論じる者は、執行方法が明治時代の太政官布告のまま行われていることに無頓着である。米国の注射式など、実績も十分にあり、かつ、より苦痛の少ない方法で行うべきという方向性にならないのも不思議なことである。
5小括
筆者は真面目な性格らしく、煩悶しているようにも見えるが、死刑制度は奥が深い。いくら思考を巡らせても堂々巡りに陥り、論理的に結論に至るものではない。
筆者には、将来更に思索を深めて「死刑2」を書いていただくことを期待している。
死刑制度存置論の根拠として、筆者が最後まで否定しきれないとするものは、被害者の遺族の復讐感情だけである。
その点につき幾つか気が付いたことを以下述べてみる。
まず、日本の現行法上、法定刑に死刑が定められている犯罪は、人を死に致した犯罪だけに限られない(この点は筆者も言及している)。
そうすると、例えば、内乱罪や外患誘致罪で人を死亡させなかった場合には死刑を適用すべきでないという結論になるはずだが、その結論でいいのだろうか?
次に、殺人罪の例で言うと、被害者が身寄りのないホームレスであれば、強い復讐感情を抱く家族がいないので、死刑にするには及ばないことになりそうだが、その結論でいいのだろうか?
(身寄りのない被害者を殺した場合、犯人を死刑にする根拠があるのか、という点を検討していないので星二つ減にしました)
被害者の家族の復讐感情を強調すると、ローマ帝国の時代がそうだったように、犯人を被害者家族に引き渡して「気のすむようにして良いよ」ということになりそうだが、国家の司法制度として、それで良いのだろうか?
2死刑と文化
死刑制度については、その国の文化と切り離しては論じられない。
欧米が死刑を廃止したのはキリスト教の教義と切り離しては考えられないし、イスラム圏で廃止国がないのもイスラム教と切り離しては考えられない。
日本では自殺で落ち度を償う切腹文化と切り離すわけには行かないだろう。
もっとも、小泉八雲の本などを読むと、昔の日本人は、犯罪被害者になると「これも前世の縁」だと諦めたようであるから、近時の被害者感情の高揚も歴史的な伝統とも言えないであろう。
死刑廃止論者は死刑存置論者から、しばしば「人権屋」などと罵られるが、皮肉なことに、近時の被害者感情の高まりは、明らかに欧米風の人権意識の高揚の結果である。
3被害者感情の慰藉
被害者の感情も、政府が保険類似の制度を充実させ、被害者一人当たり最低で一億円程度の金銭を被害者家族に支給するようにすれば、相当程度緩和されると思われる(本来は加害者が支払うべきだと筋論にこだわっていると、何時まで経っても解決できないけれども)。
4執行方法の残酷性
日本の死刑制度を論じる者は、執行方法が明治時代の太政官布告のまま行われていることに無頓着である。米国の注射式など、実績も十分にあり、かつ、より苦痛の少ない方法で行うべきという方向性にならないのも不思議なことである。
5小括
筆者は真面目な性格らしく、煩悶しているようにも見えるが、死刑制度は奥が深い。いくら思考を巡らせても堂々巡りに陥り、論理的に結論に至るものではない。
筆者には、将来更に思索を深めて「死刑2」を書いていただくことを期待している。
2010年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死刑制度に対して真剣に向き合い、煩悶を繰り返しながら自らの答えを模索していく著者の苦悩をありのままに綴った一冊です。
廃止、存置派、両の意見に耳を傾け、自らの考えや葛藤、困惑、矛盾など些細な心の揺れ動きまでありのままに載せており、死刑制度について共に考えを深めていこうという論調で書かれています。
最終的に著者は自らの立ち位置を決めるわけですが、内容としては終始問題提起本となっています(廃止寄りではありますが)
著者は読者に対して答えは与えてくれません。どの立場をとるのかは自らで考えなくてはいけません。
存置派の人も、廃止派の人も、中立な立場の人も、死刑なんてどうでもいい人も、本書を読めばきっと混乱すると思います。そして考えると思います。
問題提起本としては非常に秀逸です。
廃止、存置派、両の意見に耳を傾け、自らの考えや葛藤、困惑、矛盾など些細な心の揺れ動きまでありのままに載せており、死刑制度について共に考えを深めていこうという論調で書かれています。
最終的に著者は自らの立ち位置を決めるわけですが、内容としては終始問題提起本となっています(廃止寄りではありますが)
著者は読者に対して答えは与えてくれません。どの立場をとるのかは自らで考えなくてはいけません。
存置派の人も、廃止派の人も、中立な立場の人も、死刑なんてどうでもいい人も、本書を読めばきっと混乱すると思います。そして考えると思います。
問題提起本としては非常に秀逸です。
2012年9月24日に日本でレビュー済み
4日かけてどうにか読み終えました。著者が言っていることの意味がわからないところが多く困りました。読み終わってから著者の著作を調べたところ、30冊ありました。それだけ著作があるという事は作家として認められているという事かと思います。しかし、今回はじめてそのうちの一冊を読んだのですが、誰を読者として想定して書いているのかという事に私は疑問を持ちました。私の知的レベルでは理解できない記述が多すぎました。
同じ作家の藤井誠二さんとの対談での録音テープを聞きながら「何を言おうとしているのだろうと我ながら首を傾げたくなる」という記述があります。著者自身が自分の言っていることの曖昧さを認めています。それでいて死刑については悩みながらも反対の立場を表明しています。その論旨展開にはしばしば首を傾げてしまいました。
3年以上にわたる取材と考察の上での刊行だといいます。その努力は評価できると思います。しかし、322ページというボリュームは余りにも冗長という感じをぬぐいきれません。 「死刑について、真剣に考えたいと思うのならば、全くもってオススメしない。著者の自己陶酔に苛立つだけだ」 というレビューもあります。まったく同感です。
同じ作家の藤井誠二さんとの対談での録音テープを聞きながら「何を言おうとしているのだろうと我ながら首を傾げたくなる」という記述があります。著者自身が自分の言っていることの曖昧さを認めています。それでいて死刑については悩みながらも反対の立場を表明しています。その論旨展開にはしばしば首を傾げてしまいました。
3年以上にわたる取材と考察の上での刊行だといいます。その努力は評価できると思います。しかし、322ページというボリュームは余りにも冗長という感じをぬぐいきれません。 「死刑について、真剣に考えたいと思うのならば、全くもってオススメしない。著者の自己陶酔に苛立つだけだ」 というレビューもあります。まったく同感です。
2010年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「死刑」という恐らく最も明示的な答えを出す事が難しい現代の一大テーマに対し、ドキュメンタリー映画監督の森達也が死刑制度に関わる様々な当事者とのインタビューを通じ、苦悶苦闘しながら挑んだ作品である。
本書の特徴は、「死刑に犯罪の抑止力があるか」、「終身刑の方が倫理的に望ましいか」といった、繰り返されてきた客観的な議論の範疇を超えて、著者自身が死刑の当事者性について考え、葛藤していることであろう。死刑囚、弁護人、刑務官との対話により、死刑というシステムが如何に当事者の倫理や感情を圧殺する形で機能しているのかが見えてくる。一方で、死刑廃止という結論を先験的に導くのではなく、被害者家族等の死刑廃止論者と接合点を持つ事によって、犯罪者を赦し、生かし続ける事の困難さというもう一つの当事者性も明らかになってくる。
そうした中で著者が出す、「それでも僕は死刑囚を死なせたくない」という結論は、一見安直に聞こえるが、この難しい問題の核心を掘り下げてくれる。凶悪犯罪の存在しない社会の実現は難しい。しかし、その解決策として死刑という報復のメカニズムを導入すると、人は人を殺してはいけないという単純かつ絶対的な原理の逸脱が、いつの間にか正当なものとして社会的に看過されてしまう。だがここでも明らかなのは、死刑囚も人であり、彼らの死を容認しているのは、同じ社会の中で存在する私たち自身であるという事実である。死刑の現場が可視化され、裁判員裁判を通じ私たち自身が直接判決を下す立場になりうる今という時代に、森が死刑の当事者性を追求する中で葛藤し、出した一つの単純な結論は、私達を死刑制度の当事者性と他者性の狭間に導き、人を殺す事を容認する不寛容な社会のあり様に疑問符を投じてくれる。
「僕は人に絶望したくない。死んでいい人間などいない。」
そんな著者の率直な言葉が、本書を読み終わった後もいつまでも頭に残っている。
本書の特徴は、「死刑に犯罪の抑止力があるか」、「終身刑の方が倫理的に望ましいか」といった、繰り返されてきた客観的な議論の範疇を超えて、著者自身が死刑の当事者性について考え、葛藤していることであろう。死刑囚、弁護人、刑務官との対話により、死刑というシステムが如何に当事者の倫理や感情を圧殺する形で機能しているのかが見えてくる。一方で、死刑廃止という結論を先験的に導くのではなく、被害者家族等の死刑廃止論者と接合点を持つ事によって、犯罪者を赦し、生かし続ける事の困難さというもう一つの当事者性も明らかになってくる。
そうした中で著者が出す、「それでも僕は死刑囚を死なせたくない」という結論は、一見安直に聞こえるが、この難しい問題の核心を掘り下げてくれる。凶悪犯罪の存在しない社会の実現は難しい。しかし、その解決策として死刑という報復のメカニズムを導入すると、人は人を殺してはいけないという単純かつ絶対的な原理の逸脱が、いつの間にか正当なものとして社会的に看過されてしまう。だがここでも明らかなのは、死刑囚も人であり、彼らの死を容認しているのは、同じ社会の中で存在する私たち自身であるという事実である。死刑の現場が可視化され、裁判員裁判を通じ私たち自身が直接判決を下す立場になりうる今という時代に、森が死刑の当事者性を追求する中で葛藤し、出した一つの単純な結論は、私達を死刑制度の当事者性と他者性の狭間に導き、人を殺す事を容認する不寛容な社会のあり様に疑問符を投じてくれる。
「僕は人に絶望したくない。死んでいい人間などいない。」
そんな著者の率直な言葉が、本書を読み終わった後もいつまでも頭に残っている。