私は羽生のファンである。羽生は単に強い棋士と言うだけではなく、従来の将棋観を覆し、究極の将棋を目指している姿勢に惹かれるのである。本書は作家である著者から見た羽生の特徴を物語ったものだが、その裏に羽生の将棋観の一端が窺える。
大抵の大棋士は得意戦法を持っている。しかし、羽生は敢えて得意戦法を持たない。棋風を持たない稀有の棋士なのだ。その心は ? また、羽生は最善手を重視する(相手に対しても要求する)。それは、最後の詰め手順という限られた部分だけではなく、極端に言えば一手目から最善手を考える。これが、究極を目指した将棋だ。また、本書ではコンピュータ将棋についても語られる。チェスにおいてdeep blueがチェス名人に勝った事を受けて、羽生が外人記者の前で、将棋では「私のようなトッププロに勝つのは当分無理」と発言した事は有名。しかし、先日のコンピュータ・ソフト(全数検索方式ベース)との対戦で、渡辺竜王が意外に苦戦した事を受けて、「コンピュータ・ソフトの指す将棋と人間の指す将棋は質が異なるので、自分の感覚を狂わせないため、私はコンピュータ・ソフトとは指さない」と発言したのが印象的。本書の記述と合わせて読むと、より興味深い。
羽生に関する本が多く出ている中、本書は著者が作家としての事象を把握する目が確かなので、羽生の心理・精神面まで踏み込んだ興味深い読み物となっている。羽生ファンにはお勧めの一作。
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羽生21世紀の将棋 単行本 – 1997/5/1
保坂 和志
(著)
- 本の長さ194ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日出版社
- 発売日1997/5/1
- ISBN-104255970149
- ISBN-13978-4255970141
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
「人は将棋を指しているのではなく、将棋に指されている」 羽生善治の行きついた将棋観を、彼のインタビュー、自戦記、それに何人かからの棋士のコメントなどをもとに大胆に読み解く、芥川賞作家の「羽生」論。
登録情報
- 出版社 : 朝日出版社 (1997/5/1)
- 発売日 : 1997/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 194ページ
- ISBN-10 : 4255970149
- ISBN-13 : 978-4255970141
- Amazon 売れ筋ランキング: - 701,021位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,996位将棋 (本)
- - 63,339位エンターテイメント (本)
- - 184,723位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1956年、山梨県生まれ。鎌倉で育つ。早稲田大学政経学部卒業。1990年『プレーンソング』でデビュー。1993年『草の上の朝食』で野間文芸新人賞、1995年『この人の閾(いき)』で芥川賞、1997年『季節の記憶』で平林たい子文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞。その他の著書に『生きる歓び』『カンバセイション・ピース』『書きあぐねている人のための小説入門』『小説の自由』『小説の誕生』ほか。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年1月22日に日本でレビュー済み
俺はアマ将棋2段だ。弱い。強くなろうと思って、将棋の定石本などを
買い揃えて時々そいつを見ながら駒を並べてみる。それで強くなった
気がして将棋道場で指してみるとコロコロ負けて全然強くなっていない。
強くなるにはどうしたらよいか?羽生はプロの将棋界で抜きん出て
強い。なぜ強いかその秘密がわかると俺も強くなれるのではないかと
思って本書を読んだ。将棋は強くはならなかったが、人生を考える上で
とても参考になった。それはこんなところだ。羽生はある局面での最善手
という考えはないという。将棋を指す上で考えるべきは、それまで
指した手が全部生きるような手を考えるのだという。それは一局の
将棋だけではなく人生そのものにも大切な視点ではないか?これまでの
人生のひとコマ一コマを失敗も含めて活かしきるように今を生きる。
この本には、ほかにも生きていくうえで大切な心についてのヒントが
たくさんある。やはり達人はすごい。そして達人の真髄を引き出した
保坂もエライ。
買い揃えて時々そいつを見ながら駒を並べてみる。それで強くなった
気がして将棋道場で指してみるとコロコロ負けて全然強くなっていない。
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強い。なぜ強いかその秘密がわかると俺も強くなれるのではないかと
思って本書を読んだ。将棋は強くはならなかったが、人生を考える上で
とても参考になった。それはこんなところだ。羽生はある局面での最善手
という考えはないという。将棋を指す上で考えるべきは、それまで
指した手が全部生きるような手を考えるのだという。それは一局の
将棋だけではなく人生そのものにも大切な視点ではないか?これまでの
人生のひとコマ一コマを失敗も含めて活かしきるように今を生きる。
この本には、ほかにも生きていくうえで大切な心についてのヒントが
たくさんある。やはり達人はすごい。そして達人の真髄を引き出した
保坂もエライ。
2002年3月25日に日本でレビュー済み
羽生善治をここまできちんと考えて文章にした人は著者がはじめてだろう。
説明がほんとうにうまい。羽生のすごさがぐいぐい伝わってくる。
ご存知の通り羽生善治はあまりにずばぬけているで、アマチュアはもちろんプロも、
彼を遠巻きにしてわけのわからない領域の人として扱ってきたところがある。
それはまあ、一種の思考停止だ。
著者は、羽生のインタビューや自戦記を中心にして、彼の考えていることを
誠実に読み解き、彼の思考の深淵にせまろうとしている。そしてそれは、う
まくいっているように見える。将棋のわからない人が読んでも面白いと思う。
説明がほんとうにうまい。羽生のすごさがぐいぐい伝わってくる。
ご存知の通り羽生善治はあまりにずばぬけているで、アマチュアはもちろんプロも、
彼を遠巻きにしてわけのわからない領域の人として扱ってきたところがある。
それはまあ、一種の思考停止だ。
著者は、羽生のインタビューや自戦記を中心にして、彼の考えていることを
誠実に読み解き、彼の思考の深淵にせまろうとしている。そしてそれは、う
まくいっているように見える。将棋のわからない人が読んでも面白いと思う。
2003年5月17日に日本でレビュー済み
保坂さん(小説家)が羽生さん(棋士)について論じている本なのですが、これは実のところ、全く将棋の本ではありません(笑)。これはいわば言語のフレームワークと、そのフレームワークのなかで言語活動をする人間の関係性について徹底的に論じられている本で、「将棋」は、あくまでも言語のフレームワークの一例として取り上げられているにすぎないようです。
例えば、将棋は、9×9の盤上で行われる。これは将棋における一つのフレームワーク(ルール)です。あるいは最後の打ち歩詰めは禁止されている、これも「将棋」という言語におけるひとつのフレームワークとして考えられます。その限界規定の中で、一つ一つの駒がうまく機能するように考えるのが棋士であり、一つ一つの言葉がうまく機能するように考えるのが小説家ということになります。これが、おそらく保坂さん(小説家)が羽生さん(棋士)について論じようと思ったきっかけだと思います。
いずれにしろ、私はこれを読んでいる間、ところどころに掲載されている棋譜を一度も見ませんでしたが、保坂さんと羽生さんが「同じ話をしている」ということだけは解りました。将棋をしているしていないに関わらず、是非一読をお勧めします。羽生さんは「将棋に指されている」そうですが、私たちも「言葉に話されている」ことが分かるのではないかと思います。
例えば、将棋は、9×9の盤上で行われる。これは将棋における一つのフレームワーク(ルール)です。あるいは最後の打ち歩詰めは禁止されている、これも「将棋」という言語におけるひとつのフレームワークとして考えられます。その限界規定の中で、一つ一つの駒がうまく機能するように考えるのが棋士であり、一つ一つの言葉がうまく機能するように考えるのが小説家ということになります。これが、おそらく保坂さん(小説家)が羽生さん(棋士)について論じようと思ったきっかけだと思います。
いずれにしろ、私はこれを読んでいる間、ところどころに掲載されている棋譜を一度も見ませんでしたが、保坂さんと羽生さんが「同じ話をしている」ということだけは解りました。将棋をしているしていないに関わらず、是非一読をお勧めします。羽生さんは「将棋に指されている」そうですが、私たちも「言葉に話されている」ことが分かるのではないかと思います。