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逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく) 単行本 – 2009/12/1
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言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。
ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、
「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。
かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の
「植物的な生」を身体ごと肯定する。
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社医学書院
- 発売日2009/12/1
- ISBN-104260010034
- ISBN-13978-4260010030
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究極の身体ケア
言葉と動きを封じられたALS患者の意思は、身体から探るしかない。ロックトインシンドロームを経て亡くなった著者の母を支えたのは、「同情より人工呼吸器」「傾聴より身体の微調整」という即物的な身体ケアだった。 かつてない微細なレンズでケアの世界を写し取った著者は、重力に抗して生き続けた母の「植物的な生」を身体ごと肯定する。
*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
実家の母の左の乳房にがんが発見されたとき、私はロンドンの郊外、テムズ川の西南に広がるリッチモンドパーク南端の街ニューモルデンに住んでいた。
日本の金融機関に勤めていた夫がロンドン支社勤務になり、一九九三年の春から私たちは家族そろって二度目の海外生活を送っていた。けれども、翌九四年の春に母は乳房ごとがんの摘出手術を受けることになり、私は一歳と五歳の二人の子どもを両腕に抱えて、一時帰国することになったのだ。
それは、不穏な予感に苛まれる日々のはじまりだった。
母によれば、初めて乳房の辺りにごりんとした感触を見つけたのは、友人と訪れた信州の温泉に入ったときだった。湯煙の向こうに三人の尼僧の剃髪した頭が霞んでみえた。ただそう聞けば夢のような優しい光景だが、母には不吉な予感がしたという。
「背中にもときどき痛みが走っていたから、たぶんこれはもう、初期ではないと思う……」
日本でもようやく患者主体の医療とかインフォームド・コンセントなどという言葉が聞かれるようになり、がんも告知される時代になっていた。母も大学病院の外科医から、それはていねいな説明を受けていて、闘病の心構えもできていた。
このときは、病気の本人が家中でもっともしっかり病気を受け止めていたし、万事において自分で采配を振るっていた。手術の段取りも母は医師と相談をして決めていたから、家族には事後報告で済んでいた。手術当日は持病の狭心症に慎重すぎるほどの対応がなされたため、術後もなかなか目覚めないほどに麻酔が効いてしまったのだが、そうとは知らない父と妹はただおろおろと廊下で気を揉んでいたという。
母は術後二週間ほどで退院してきた。だから一時帰国のお見舞いといっても名目ばかりで、私にとってはのんびりできる里帰りに変わりなかった。母も久しぶりに会う孫の成長に目を細めて、リハビリと称しては台所に立ち、得意の煮物をつくってくれた。しかし実際には母の予想したとおり早期発見とはいえない進行がんだったから、温存療法どころではなく念には念を入れた処置がなされていた。
「どれどれ」と胸を開いて手術痕を見せてもらうと、脇の下のリンパ腺も大きくえぐりとられ、筋肉を剥がされたような左の胸は、肋骨が皮膚の下に透けて見えた。その胸の傷は、母の陽気な振る舞いとは裏腹に、手術の侵襲性と深刻な現実を物語っていたのである。私の動揺を見て、母はため息まじりに寂しそうに笑った。
「これじゃあ、もう温泉には入れないわよね」
そしてぽつりとこう続けた。
「パパがわたしのことを、かたわになったなんて言うのよ」
そういう言い方でしか自分のショックを誤魔化せない父なのだ。
乳房を失った妻。女性としての自信も失った母を慰めることもできない。そんな反応も父らしいといえば父らしかった。しかし後になって振り返れば、このときは母はまだ、片方の乳房を失った「だけ」だったのだ。
(第1章「静まりゆく人」より)
商品の説明
出版社からのコメント
登録情報
- 出版社 : 医学書院 (2009/12/1)
- 発売日 : 2009/12/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4260010034
- ISBN-13 : 978-4260010030
- Amazon 売れ筋ランキング: - 144,174位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
重度障害者や難病・ALS等のアドボカシーやケアワーカーの支援が主な仕事。難病患者家族の個別療養相談や重度訪問サービスを提供する介護者派遣事業所および介護職の養成を全国の支援者と共同しておこなっている。
1962年東京生まれ。1995年に母がALSを発症。95年12月から07年9月に自宅で看取るまで在宅人工呼吸療法を行い、2003年4月介護の社会化を目指して有限会社ケアサポートモモ設立、代表取締役就任。2004年5月ALSヘルパーの養成研修事業のためにNPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会を当事者の橋本操らと設立、副理事長に就任。2006年5月日本ALS協会理事、2007年ALS/MND国際同盟会議理事に就任。2010年5月ALSの治療選択を巡る家族の葛藤をつづった『逝かない身体』で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2013年2月立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。2014年1月博士論文(改稿)「生存の技法 ALSの人工呼吸療法をめぐる葛藤」で河上肇賞奨励賞受賞。
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トップレビュー
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ALSの母親の姿や、介護の様子が、具体的かつ客観的に描かれ、書きぶりは冷静だが、内容は壮絶。
呼吸器の装着についての「本人の曖昧さにいらついて、『もし本気で呼吸器をつけたくないのなら、ここに一筆書いてよ』と母を責めたこともあった(p.44)」著者が、やがて「『病人を急がせて白黒はっきりさせる』ようなことはしないでおくことにした(p.45)」り、「二〇〇〇年から二年のあいだ……ALSの安楽死法制化に興味をもち、自分のホームページにもそう書いた(p.195)」著者が、2009年に書かれたあとがきでは、尊厳死法制化について「長患いの人の生を切り棄てる方向に猛スピードで走り出しているようで気が滅入り(p.264)」と批判的になったりといった、自らの考え方の推移・変化も包み欠かさず書かれていて、迷いながらすすんでいる人なのだなと思う。とても考えさせられる。
でも、だからこそ、こんな私にも伝わるものがある。
ただし、両親や妻や子供たち、家族を心から愛する者として、ALSではないが病身の義父を自宅で看取ったものとして、在宅医療に携わる者として、私は著者の考え方や生き方に共感できない。
声なき人の声を代弁しているという自負、父親や夫に対する冷ややかな視線、家族というものや人間関係に対する考え方・・・
否定はしない。
ただ、これを「よく頑張った」とか「素晴らしい」という論調で単純に捉えてしまう人間がいそうで、怖い。
在宅医療について、日本の医療・介護全般について、先入観を持たれてしまいそうで、怖い。
この本は著者の感情が吹き荒れている。
事実というより、その強い感情が読む人の心を揺さぶるのだ。
だからこそ、私は嫌いなのだ。まだ不確かな私の感情も、揺さぶられるようで。
父は70代という年齢もあり、呼吸器も胃ろうもせず、最後は脳梗塞でふんわりした意識のまま逝きました。健康では無い母と、他県に暮らす私ではマンパワーの面でも延命措置の考えはありませんでした。著者の方のように外野の声や目がなかった事も、潔く放棄できてしまった理由のひとつですし、外野に口だけ出されても、私は夫や子供は犠牲に出来なかったので家族の歴史や事情も含め私の考えとは違うんだと思いつつ、父を想って何度も涙して読みました。
当時の介護制度や情報の少ないなか、これ程の介護をされていた(その結果、天職に就かれたのだと思います)お宅が偶然にも以前勤務していたところから5分程の場所だと知り、驚いたり泣いたり笑ったり(同級生との再会のくだりや世代の話で)、何度も思いを馳せて読み終わった後、どっと疲れました。
私は読んだらすぐ本を処分するのですが、この本はずっと本棚に置いておきます。
大宅賞を受賞する前から話題になっていたが、やはり、とてもたくさんのことを考えさせる本だった。これは多くの人に勧めたい。
本書は、ALSの母親を12年間看た記録。
しかし、単なる介護の記録ではない。ALS患者の介護を通して、生の在り方、死の在り方について自問し、著者自身が掴んだ答えが示されている。
ALS(筋委縮性側策硬化症)は、全身の筋肉が衰えていく難病だ。
そのような病について、健康に生きている人間は、「絶望」のイメージを思い浮かべてしまう。たいていの人は、自分がALSになったらなどと考えたくはないし、介護する立場になることも、できれば想像したくないだろう。
しかし、本書を読んで、こうしたイメージは変わった。
「実際のところとてもたくさんの人たちが死の床でさえ笑いながら、家族や友人のために生きると誓い、できるだけ長く、ぎりぎりまで生きて死んでいったのである。だから、あえて彼らのために繰り返して言うが、進行したALS患者が惨めな存在で、意思疎通ができなければ生きる価値がないというのは大変な誤解である」
著者はこんなふうに書いている。
ALSという難病で、全身が動かせなくなり、言葉を発することも、眼球さえも動かせない状態になっても、「今、ここに、その人(患者)が生きている」ということに意味があるということだ。
これは、患者自身が自分の「生」に意味を見出すかどうかだけではなく、周囲の人、家族や介護者が、患者の「生」に意味を見いだせるかどうかが鍵となってくる。
「ALSの人の話は短く、ときには投げやりのようであるけれども、実は意味の生成まで相手に委ねることで最上級の理解を要求しているのだ」と著者はいう。
当人は「何もできない」存在か。
当人は「すべてを他人に委ねる」存在か。
同じ状態であっても、この2つの捉え方は大きく異なる。
同じ状態でも、その存在の価値は異なる。
捉え方によって介護に対する姿勢は変わるだろうし、介護に携わる生活の意味付けや、
介護者の人生観も変わると思う。
「生きているとは、どういうこと?」。
介護者は、ALS患者から、その「生」の解釈を委ねられる。
「生きる」ことについて、より深く向き合い、考えさせられる人たちだろう。
ALSの人の苦しみ、悲しみ、強さがわかる1冊です
その覚悟は尊敬に値するが、なぜか、読書の間イライラした。それは筆者が投資したコストが計り知れないから、
もう、これまでの決断を否定的に考える柔軟性を失っていることが原因だと思う。
柔軟さを欠いた思想は、とても窮屈だ。特に「死」に対しての拒絶反応は「暗黒の死」「体温を奪い去る死」など
おどろおどろしい表現になっていて、偏りを感じた。
個人的には、死でしか解決できない苦しみというものは、世の中に存在していると思う。けして自殺を推奨するわけではないが、
「すこしでも喜びを感じてほしい。少しでも苦しい思いをしないでほしい」という考えから、呼吸器をつけない選択(つまり「死」)も
あたたかな形で存在することだって可能だと思う。
身体が動かなくて、意思疎通ができない状態で呼吸器をつけるということは「苦しみ」でしかないと思う。
例え、看護や介護で工夫を続けて「和らげる」ことはできても。
その苦しみを10年以上、生身の身体を差し出して受け止めたのは「母」である。
それを相殺すべきものがあったとしたら「母の喜び」でしかなく、それは当然、母個人の口から語られるべきものであろう。
この本には「母個人の言葉」が少なすぎる。いくらALSで表現ができないといえども、もっとたくさんの「つらい」というサインを
出したはずなのに、とても、少なすぎる。または、救いのあるような「母の口からでた喜びの表現」をもっと記載してほしかった。
TLSになったあとに、筆者は様々な「解釈」を重ねるが、生身の母にとってはどうでもよいことだ。
筆者に対しては尊敬の念を抱いている分、この、否定的解釈をよせつけない、思考の固さが残酷な現実として、のしかかる。
現在も、なんとも処理しきれていない感情が残る。
介護を経験するということが、いかに莫大なコストを投資することなのか。
そして、人はあまりに多くのコストを投資した対象に対して、否定的に考える柔軟性を失うということがわかる。
介護をした方の思考変遷をリアルにおえる点で、問題提起の本として、優れている。