ドビュッシー等のフランス音楽を中心としたピアニストとしても活躍する青柳いづみこのエッセイ。私はあまり星座に掛けた物言いは好みませんが、内容は非常に面白いと思いました。
エッセイとはいうものの、深い考察に基づくものも多く、私は後半の「ピアニスト的演奏論」と「演奏することと書くこと」が、正にピアニストならではの分析があり、なるほどと思うものがありました(特にアルゲリッチがなぜ協演を好むか、とミケランジェリのマニエリズム)。
また「演奏することと書くこと」では、「批評の暴力と諸問題」が特に示唆に富む内容であると思います。私は中学や高校のころ(30年以上前です)、音楽評論を読みあさり、あれこれ友人と語ることに熱中していた時期がありました。しかしある時期を境にして、音楽評論家(音楽評論ではない)のありように疑問を持ち、彼ら(特に中心となっている人たちは)は単にその時々にレコード会社が持ち上げる演奏家を、まるで新しいものを見つけたかのようにちょうちん持ちをしているにすぎないのではないか、と思い出し、ほとんど読むのを止めてしまいました。またある特定の演奏家に対し狂信的としか思えないような書きようをしていて、その演奏に対し興奮しているのはわかるが、それがどんな演奏かが見えない場合もあります。彼女の評論は非常に地に足が着いていて、どういう演奏かが具体的に見える。また演奏家の立場から、演奏会に対する評論が録音に対する評論との違いを論じている箇所も面白く読ませてもらいました。
もう一つマルセイユ時代の思い出(ピアニストバルビゼとの思い出等)もとても良い。音楽をすることと欠点のない演奏をすることの違いが、よく言われることだけれど、単なる精神論に終わってしまうことが多い話ですが、それがよく表現されていると思いました。実はそれが一番私が好ましいと思った所です。
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双子座ピアニストは二重人格?―音をつづり、言葉を奏でる 単行本 – 2004/11/1
青柳 いづみこ
(著)
1:■私のなかの「二つ」
2:ピアノとエクスタシー
3:私がピアノをやめるとき
4:図書館で見たドビュッシーの素顔
5:二つのフランス
6:仮面のある風景
7:コラム「弦がきれた!」
:■ドビュッシーのなかの「二つ」
9:もし、ドビュッシーがジイドだったら ?
10:ピアノで描くドビュッシーの光と影
:ワーグナーとドビュッシー
12:ペレアスとメリザンド
13:コラム「感覚指数」
14:■ピアニスト的作曲家論
15:モーツァルトとの出会い
16:おとぎばなしと《魔笛》~グリム、エッシャー、モーツァルト
17:ピアニシモの秘密~マーラーとドビュッシー
1:劣等生のサティ
19:ニュートラルなシューベルト
20:ドイツの黒い森 ブラームス
21:シューマンのジレンマ
22:コラム「楽器の顔」
23:■音楽の背景
24:あぶない鏡の幻想~ドビュッシーとアッシャー家の崩壊をめぐって
25:1980年の青春~ドビュッシーとパリの詩人たち
26:パリの街、セーヌは流れる
27:コメディア・デッラルテ(イタリア喜劇)と音楽~じとじととからからのお話
:水の女
29:ドビュッシーとラヴェルの話
30:コラム「カメラマン」
31:■大いに飲み、食べ、語る
32:酒は涙かためいきか
33:食の審美眼
34:フランス音楽のエスプリ
35:マルセイユの思い出
36:ニースの桃の夢~マルセイユと南フランス
37:コラム「ネルの思い出」
3:■ピアニスト的演奏論
39:キャンセルする天才、しない天才~アルゲリッチとラローチャ
40:双頭の女神ヤヌス~ポリーニとミケランジェリ
41:マニエってるミケランジェリがドビュッシーを弾くと
42:神の国の序列~『グルダの真実』を読んで
43:作曲家系ピアニストの演奏は、なぜ面白いのか?
44:コラム「無駄毛再考」
45:■演奏することと書くこと
46:批評の暴力
47:批評の諸問題
4:安川加寿子先生の評伝を書き終えて
49:書評とコンサート評
50:演奏することと書くこと
51:あとがき
2:ピアノとエクスタシー
3:私がピアノをやめるとき
4:図書館で見たドビュッシーの素顔
5:二つのフランス
6:仮面のある風景
7:コラム「弦がきれた!」
:■ドビュッシーのなかの「二つ」
9:もし、ドビュッシーがジイドだったら ?
10:ピアノで描くドビュッシーの光と影
:ワーグナーとドビュッシー
12:ペレアスとメリザンド
13:コラム「感覚指数」
14:■ピアニスト的作曲家論
15:モーツァルトとの出会い
16:おとぎばなしと《魔笛》~グリム、エッシャー、モーツァルト
17:ピアニシモの秘密~マーラーとドビュッシー
1:劣等生のサティ
19:ニュートラルなシューベルト
20:ドイツの黒い森 ブラームス
21:シューマンのジレンマ
22:コラム「楽器の顔」
23:■音楽の背景
24:あぶない鏡の幻想~ドビュッシーとアッシャー家の崩壊をめぐって
25:1980年の青春~ドビュッシーとパリの詩人たち
26:パリの街、セーヌは流れる
27:コメディア・デッラルテ(イタリア喜劇)と音楽~じとじととからからのお話
:水の女
29:ドビュッシーとラヴェルの話
30:コラム「カメラマン」
31:■大いに飲み、食べ、語る
32:酒は涙かためいきか
33:食の審美眼
34:フランス音楽のエスプリ
35:マルセイユの思い出
36:ニースの桃の夢~マルセイユと南フランス
37:コラム「ネルの思い出」
3:■ピアニスト的演奏論
39:キャンセルする天才、しない天才~アルゲリッチとラローチャ
40:双頭の女神ヤヌス~ポリーニとミケランジェリ
41:マニエってるミケランジェリがドビュッシーを弾くと
42:神の国の序列~『グルダの真実』を読んで
43:作曲家系ピアニストの演奏は、なぜ面白いのか?
44:コラム「無駄毛再考」
45:■演奏することと書くこと
46:批評の暴力
47:批評の諸問題
4:安川加寿子先生の評伝を書き終えて
49:書評とコンサート評
50:演奏することと書くこと
51:あとがき
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社音楽之友社
- 発売日2004/11/1
- ISBN-104276211883
- ISBN-13978-4276211889
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登録情報
- 出版社 : 音楽之友社 (2004/11/1)
- 発売日 : 2004/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 237ページ
- ISBN-10 : 4276211883
- ISBN-13 : 978-4276211889
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,384,242位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 514位演奏家・指揮者・楽器の本
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2006年2月18日に日本でレビュー済み
非クラシック通で、フランス文学と、髪の長い(美)女と、水と(美)女のモチーフと、ドビュッシーと、星占いの大好きな私が、CD「水の音楽」のピアニストであり、書籍「水の音楽」の著者である青柳氏を双子座と知って、どれだけ嬉しかったことか。はい、もちろん私も双子座です。この本を読んで、シューマン、ワグナー、アルゲリッチも双子座だと知った……やっぱり、変わってる?
そもそもピアニストと文筆家を両立することそのものが、肉体的にも精神的にも困難なことだと、初めて知った。それは、文学が本質的に退廃的な、ネガティヴな視点を前提にしているのに対して、音楽はボジティヴなほう、美しいほうに向っていくからだそう。なるほど、演奏家の視点から見ると、そういうことになるのか。ピアノはごく幼少期からの膨大な時間のレッスンを必要とするので、他の楽器の演奏者に比べて優等生的な性格になるというのも目からウロコ。
しかし青柳氏は非優等生的なのか、周囲の反対を押してマルセイユに留学する。少し上達するとパリ音楽院に入学してしまうので、子供と老人が多く、グランドピアノの数も揃わず、大きなコンサートホールもなく、各パートのずれたオーケストラと演奏したり、ヴァイオリンの子供の生徒とソナタを弾いたりしながら、氏は「この音楽的僻地で四年間、大いに勉強し、演奏し、かつ食べ、飲み、料理をつくり、しゃべり、旅行し、物を書き、ピアノがうまくなって帰ってきた。音楽する、ということが本質的に生きることと同義であるとすれば、私は初めてそこで本当に生きたから、私の音楽も生き返ったのだろう」……この文章に触れてわかりました、なぜ非クラシック通の私がこの人のファンになったのか。言うなれば、音色が文学的なのだ。
ドビュッシーのほかモーツァルトやブラームスを語る章も、ピアニストの本音や、すばらしい食べっぷり飲みっぷりを語る章も、全てが楽しい。
そもそもピアニストと文筆家を両立することそのものが、肉体的にも精神的にも困難なことだと、初めて知った。それは、文学が本質的に退廃的な、ネガティヴな視点を前提にしているのに対して、音楽はボジティヴなほう、美しいほうに向っていくからだそう。なるほど、演奏家の視点から見ると、そういうことになるのか。ピアノはごく幼少期からの膨大な時間のレッスンを必要とするので、他の楽器の演奏者に比べて優等生的な性格になるというのも目からウロコ。
しかし青柳氏は非優等生的なのか、周囲の反対を押してマルセイユに留学する。少し上達するとパリ音楽院に入学してしまうので、子供と老人が多く、グランドピアノの数も揃わず、大きなコンサートホールもなく、各パートのずれたオーケストラと演奏したり、ヴァイオリンの子供の生徒とソナタを弾いたりしながら、氏は「この音楽的僻地で四年間、大いに勉強し、演奏し、かつ食べ、飲み、料理をつくり、しゃべり、旅行し、物を書き、ピアノがうまくなって帰ってきた。音楽する、ということが本質的に生きることと同義であるとすれば、私は初めてそこで本当に生きたから、私の音楽も生き返ったのだろう」……この文章に触れてわかりました、なぜ非クラシック通の私がこの人のファンになったのか。言うなれば、音色が文学的なのだ。
ドビュッシーのほかモーツァルトやブラームスを語る章も、ピアニストの本音や、すばらしい食べっぷり飲みっぷりを語る章も、全てが楽しい。