アウシュビッツの奇襲という題名でを上梓しなおした本です。
五木寛之氏推薦文の帯付いておりました。
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アウシュヴィッツの音楽隊 単行本 – 2009/4/21
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極限状態の中でも音楽が必要とされていた事実、音楽の力をナチスも利用し、また、音楽家たちが「音楽」に頼って生きのびた事実を伝えるまたとないドキュメント。
- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社音楽之友社
- 発売日2009/4/21
- ISBN-104276214513
- ISBN-13978-4276214514
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商品の説明
著者からのコメント
ともに音楽に憑かれた、ドイツ、ユダヤ両民族の、極限状況におけるドラマを描くノンフィクションです(訳者・大久保喬樹)。
出版社からのコメント
五木寛之氏も絶賛!! 「音楽が人間的であった幸福な時代がアウシュヴィッツで終わった。
それでもなお人間的であろうとする魂の葛藤がここにある。
名著「夜と霧」と対極にある20世紀のドキュメント。
音楽と人間に対する眼差しを
一変させるであろう
必読の1冊がここにある!! 」 ...... 五木寛之
それでもなお人間的であろうとする魂の葛藤がここにある。
名著「夜と霧」と対極にある20世紀のドキュメント。
音楽と人間に対する眼差しを
一変させるであろう
必読の1冊がここにある!! 」 ...... 五木寛之
レビュー
五木寛之氏も絶賛!! 「音楽が人間的であった幸福な時代がアウシュヴィッツで終わった。
それでもなお人間的であろうとする魂の葛藤がここにある。
名著「夜と霧」と対極にある20世紀のドキュメント。
音楽と人間に対する眼差しを
一変させるであろう
必読の1冊がここにある!! 」 ...... 五木寛之 --出版社からのコメント
それでもなお人間的であろうとする魂の葛藤がここにある。
名著「夜と霧」と対極にある20世紀のドキュメント。
音楽と人間に対する眼差しを
一変させるであろう
必読の1冊がここにある!! 」 ...... 五木寛之 --出版社からのコメント
著者について
著者2名は、アウシュヴィッツ音楽隊のメンバーで、音楽隊であることによって終戦まで生き延び、奇跡的に救出された。訳者大久保喬樹氏は現在東京女子大教授、著書に「岡倉天心」「風流のヒント」「日本文化の系譜」など多数あり。初版執筆当時にパリに留学しており、原著者と直接接触してこの本を預けられ、パリで翻訳、帰国後弊社から出版した。
登録情報
- 出版社 : 音楽之友社; 四六版 (2009/4/21)
- 発売日 : 2009/4/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 190ページ
- ISBN-10 : 4276214513
- ISBN-13 : 978-4276214514
- Amazon 売れ筋ランキング: - 544,742位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 952位ワールドミュージック
- - 1,013位ワールド楽譜・スコア・音楽書
- - 10,437位その他楽譜・スコア・音楽書
- カスタマーレビュー:
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2024年1月13日に日本でレビュー済み
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2022年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アウシュビッツのことを考えるなら、一読するべきだ。
2013年7月21日に日本でレビュー済み
1948年にフランスで発行され、日本語訳は1974年に刊行された。
私としては刊行直後の70年代に一度読んで以来多分2度目の読書。
ジョルジュ・デュアメルによる序文が初めにあり、
著者(2名だが本文中では1名のように記述されている)による「序章」に続いて
22章から成る本文がある。
最後に「訳者あとがき」がある。
本文では、著者が家畜用の貨車から降ろされ、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の囚人として
収容所の建物まで徒歩で到着したところから始まり、
音楽部隊の一員としての、収容所における見聞及び体験が事細かにつづられ、
最後に何とか生還する見込みになったところまでのことが描かれている。
今回の読書で特に印象に残ったことは、デュアメルの序文、著者による序章、
それに訳者によるあとがきである。
それらの文章の中には以下のような哲学的考察が記述されている。
「この書物は私たちにドイツの収容所の人殺したちが音楽を愛していたことを教えてくれる。
そうだ、聖なる音楽、気高い音楽もまたこの恐ろしい運命の巻き添えとなることを避けはできなかったのだ。」
(デュアメルによる序文)
「アウシュビッツは、ある意味で私たちがそこに入ることによって離れてこなければならなかった世界の
”陰画”だった。そこでは私たちの最も本質的な崇高さというものが悪徳とみなされた。
私たちの理性は狂気の兆候ととられた。反対に、それまで教育の力によって押えられてきた最も卑しい本能が
疑うべからざる徳となり、生きのびるための一つの条件になった。」(著者による序章)
「訳者によるあとがき」は、全体にこの本の良い解説にもなっている。
著者たちにとっては一縷の救いともなり得た収容所における音楽活動が、
デュアメルとしては救いのない状況に利用されたゆゆしきことと
みなされており、著者は訳者に対して「デュアメルによる序文は日本語の訳書には収録する必要は
ないのではないか」と提案したそうだが、
訳者としては著者の気持ちはそのまま理解しつつも、デュアメルの見解にもそれとは異なる真実を見出して
訳書にも「デュアメルによる序文」をそのまま掲載した、と説明されている。訳者の深い考察が感じられる。
長い年月をおいて再読したわけだが、冷静な理性に裏打ちされた良書だということを改めて思った。
私としては刊行直後の70年代に一度読んで以来多分2度目の読書。
ジョルジュ・デュアメルによる序文が初めにあり、
著者(2名だが本文中では1名のように記述されている)による「序章」に続いて
22章から成る本文がある。
最後に「訳者あとがき」がある。
本文では、著者が家畜用の貨車から降ろされ、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の囚人として
収容所の建物まで徒歩で到着したところから始まり、
音楽部隊の一員としての、収容所における見聞及び体験が事細かにつづられ、
最後に何とか生還する見込みになったところまでのことが描かれている。
今回の読書で特に印象に残ったことは、デュアメルの序文、著者による序章、
それに訳者によるあとがきである。
それらの文章の中には以下のような哲学的考察が記述されている。
「この書物は私たちにドイツの収容所の人殺したちが音楽を愛していたことを教えてくれる。
そうだ、聖なる音楽、気高い音楽もまたこの恐ろしい運命の巻き添えとなることを避けはできなかったのだ。」
(デュアメルによる序文)
「アウシュビッツは、ある意味で私たちがそこに入ることによって離れてこなければならなかった世界の
”陰画”だった。そこでは私たちの最も本質的な崇高さというものが悪徳とみなされた。
私たちの理性は狂気の兆候ととられた。反対に、それまで教育の力によって押えられてきた最も卑しい本能が
疑うべからざる徳となり、生きのびるための一つの条件になった。」(著者による序章)
「訳者によるあとがき」は、全体にこの本の良い解説にもなっている。
著者たちにとっては一縷の救いともなり得た収容所における音楽活動が、
デュアメルとしては救いのない状況に利用されたゆゆしきことと
みなされており、著者は訳者に対して「デュアメルによる序文は日本語の訳書には収録する必要は
ないのではないか」と提案したそうだが、
訳者としては著者の気持ちはそのまま理解しつつも、デュアメルの見解にもそれとは異なる真実を見出して
訳書にも「デュアメルによる序文」をそのまま掲載した、と説明されている。訳者の深い考察が感じられる。
長い年月をおいて再読したわけだが、冷静な理性に裏打ちされた良書だということを改めて思った。
2009年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アウシュヴィッツに関しての書物の殆どが残虐な大量虐殺の描写のみであったが、この本を読んで収容所の中の人間的関係特に友情や恋愛があった事「音楽」が存在していたという事実に驚かされた。そして「音楽」を奏でるという現在ではあまり重要視されていない演奏家達が最優先で特別待遇だった事に尚驚いた。大量虐殺が行われつつ音楽が兵士達を癒し続けていた事実はドイツ人がこよなく音楽を愛していたというだけではなく、むしろ「音楽」も持つ純潔性がアウシュヴィッツで終わりを告げたと判断する方が良い。音楽は愛そのものであり大虐殺の血で汚れた兵士の癒しになど使われてはならないのだから。
2014年9月28日に日本でレビュー済み
それが持つ性格から読者に真摯さを求めざるを得ない書物があるとすれば、この書はそのひとつであることは間違いがないだろう。ここには、ある限られた条件下、極限下、閉じられた世界で人間が取りうる様々な態度が描かれているが、これはかつて存在したドイツ第三帝国が行った、ある民族や人間に対する巨大な殺戮の特殊性を描いたものではない。これは今後も人類が行う可能性がある、いや、現在も世界の何処かで行われている、人類の普遍的な側面を描いた世界なのである。
いかに正義という名の元に多くの戦争が行われて来たか?
収容所という殺戮現場で、ただ音楽を奏でられる能力があったがために生き延びられたに過ぎない数人の人間たち。これは偶然に過ぎない。また、人間が音楽を深く愛好することと、何かの契機によって他人を殺戮できることとは何の矛盾も無いように思われる。
収容所の音楽隊が奏でる音楽のすぐ傍で大量の人々が流れ作業的に殺戮されて行く。
この書物を読んで感じることは、私たちはこの様な残虐性を残虐と思わずに実行できる能力を持ち合わせているということだ。
人間は虱を殺すだろう、我々はドイツ人にとって虱と同じなのだ…というような収容所の囚人による表現が出てくるが、この言い回しは、私がこの書を読む以前から大量虐殺を行使する人間について思っていたものと同じである。
自らの中の残虐性から目を逸らさないこと。
そもそも最初から、その残虐な能力と音楽への愛好心はひとりの人間の中で平気で成立するのだ。音楽を愛好していれば、どんな残虐なことも行わないと考えるのは、戦争や虐殺に巻き込まれたことのない人間のただの幻想に過ぎない。
また、ひとりの人間が音楽の愛好者であることと、ある集団、国家等がある思想、政治性に基づいて行う行為には関係が無い。要はひとりの人間が単独で行う残虐性と、ある国家等が行う残虐性とは性質が異なる、ということだ。そこを誤解してはいけないと思う。
もし私たちにこの様な大量虐殺を避けたいと願う意思があるならば、正義や平和を訴えるのではなく、自らの残虐性を認めて、国家による残虐行為に組み込まれるのを拒否し続けるしかない。
音楽はわたしたちの崇高さを謳い上げているのではない。わたしたち、この人間という、小さな惨めな生き物の悲劇性を歌っているのだ。
いかに正義という名の元に多くの戦争が行われて来たか?
収容所という殺戮現場で、ただ音楽を奏でられる能力があったがために生き延びられたに過ぎない数人の人間たち。これは偶然に過ぎない。また、人間が音楽を深く愛好することと、何かの契機によって他人を殺戮できることとは何の矛盾も無いように思われる。
収容所の音楽隊が奏でる音楽のすぐ傍で大量の人々が流れ作業的に殺戮されて行く。
この書物を読んで感じることは、私たちはこの様な残虐性を残虐と思わずに実行できる能力を持ち合わせているということだ。
人間は虱を殺すだろう、我々はドイツ人にとって虱と同じなのだ…というような収容所の囚人による表現が出てくるが、この言い回しは、私がこの書を読む以前から大量虐殺を行使する人間について思っていたものと同じである。
自らの中の残虐性から目を逸らさないこと。
そもそも最初から、その残虐な能力と音楽への愛好心はひとりの人間の中で平気で成立するのだ。音楽を愛好していれば、どんな残虐なことも行わないと考えるのは、戦争や虐殺に巻き込まれたことのない人間のただの幻想に過ぎない。
また、ひとりの人間が音楽の愛好者であることと、ある集団、国家等がある思想、政治性に基づいて行う行為には関係が無い。要はひとりの人間が単独で行う残虐性と、ある国家等が行う残虐性とは性質が異なる、ということだ。そこを誤解してはいけないと思う。
もし私たちにこの様な大量虐殺を避けたいと願う意思があるならば、正義や平和を訴えるのではなく、自らの残虐性を認めて、国家による残虐行為に組み込まれるのを拒否し続けるしかない。
音楽はわたしたちの崇高さを謳い上げているのではない。わたしたち、この人間という、小さな惨めな生き物の悲劇性を歌っているのだ。
2012年2月13日に日本でレビュー済み
内容は読む価値があるものだと思いますが一人ひとりの回想をそれぞれ
独立してまとめたほうが良かったと思います。
独立してまとめたほうが良かったと思います。
2009年7月7日に日本でレビュー済み
アウシュビッツ・ビルケナウといえば、巨大な殺人強制収容所。その悲惨な歴史はだれもが眉をひそめたくなる、ヒトラー率いるナチの残虐性。そしてユダヤ人の1000万人を超すともいわれる、大量虐殺の事実を思い出します。ところが、このアウシュビッツやビルケナウのような、こうした巨大な強制収用所にあっても、ユダヤ人による音楽隊がドイツ人によって組織され、楽器や楽譜を支給。収容所配属のドイツ人のために、生演奏の音楽が日々提供され楽しまれていたことが紹介されています。
実際にアウシュビッツに送られた複数のユダヤ人著者が音楽隊に入隊させられ、過酷な労働にも耐えて奇跡的に生還した物語。知られざる生死を分けた、この収容所での生活が仔細に書かれています。
囚人たちが整列して朝の強制労働に出向くとき、音楽隊は勇ましい行進曲で送り出し、夕方に帰りつくとまた行進曲で迎える。こうしたことを生活の節目節目で実行したがる興味深いドイツ人の心理が、ユダヤ人の立場から分析されています。人間であるユダヤ人を、まるでシラミか屠殺場に送りだす豚のように顔色一つ変えずに殺すドイツ人が、ひとたび音楽隊の奏でるクラシック音楽に感極まり涙を流す。この不思議な変貌をどのように理解したらいいのかが、平易なことばでつづられていることに感銘を受けました。
こうした強制収用所の中には、列車で次々に送られてくる哀れなユダヤ人の、わずかな大切な所有物を、容赦なくすべて取り上げ分類し、そうして略奪したものを交換して、不正にも豊かになるドイツ人や一部に特権ユダヤ人があったといいます。その収容所の実態とは、だれもが想像している悲惨な情景とはまったく違った一面があり、豪華絢爛で時には華やかさまであったといいます。とても信じがたい世界を、著者がかいま見ることに。後世の人に伝えなければならない。その思いが、痛いほど伝わってくる珠玉の一冊です。
実際にアウシュビッツに送られた複数のユダヤ人著者が音楽隊に入隊させられ、過酷な労働にも耐えて奇跡的に生還した物語。知られざる生死を分けた、この収容所での生活が仔細に書かれています。
囚人たちが整列して朝の強制労働に出向くとき、音楽隊は勇ましい行進曲で送り出し、夕方に帰りつくとまた行進曲で迎える。こうしたことを生活の節目節目で実行したがる興味深いドイツ人の心理が、ユダヤ人の立場から分析されています。人間であるユダヤ人を、まるでシラミか屠殺場に送りだす豚のように顔色一つ変えずに殺すドイツ人が、ひとたび音楽隊の奏でるクラシック音楽に感極まり涙を流す。この不思議な変貌をどのように理解したらいいのかが、平易なことばでつづられていることに感銘を受けました。
こうした強制収用所の中には、列車で次々に送られてくる哀れなユダヤ人の、わずかな大切な所有物を、容赦なくすべて取り上げ分類し、そうして略奪したものを交換して、不正にも豊かになるドイツ人や一部に特権ユダヤ人があったといいます。その収容所の実態とは、だれもが想像している悲惨な情景とはまったく違った一面があり、豪華絢爛で時には華やかさまであったといいます。とても信じがたい世界を、著者がかいま見ることに。後世の人に伝えなければならない。その思いが、痛いほど伝わってくる珠玉の一冊です。