もともと色彩語に関する部分を参照したくて購入したのだが、本書がこれまで読んだことのある日本語解説本とスタンスを異にしていたことがとても印象的で、示唆に富んだ内容だった。
著者の小松英雄氏は日本の歴史を研究してきた方で、日本語史の目的とは、「現に話されている日本語を、日本語話者の集団によってコントロールされているダイナミックな体系として把握し、日本語運用のメカニズムを、そして日本語に生じる変化のメカニズムを理解すること」であると、巻頭言で述べている。
基本色彩語が世界的に見ても同じ色であり、文化が発展するに従い色の種類も分化していくことも同様で、似て非なるもの・ことを伝える必要性が生じるからこそ、言葉が増え、表現が増え、定着していくということには納得できる。
言語やその他の非言語コミュニケーションは全てコミュニケーションを目的とした手段としてダイナミックに変化して適応してきた結果であり、その変化は使われ続ける限り終わらない。
TwitterだろうがFacbookだろうが、その他道具と呼ばれるものは全て目的を達成するための媒体であり、使うこと自体を目的にしても発展はない。目的に向かって使うからこそより効果的なものに進化するのである。
我々がほぼ自然に使っている言葉も同様に単なる道具であり、常に変化するものであるということを明確に認識できたことで見えることも多いはず。
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日本語の歴史: 青信号はなぜアオなのか 単行本 – 2001/1/1
小松 英雄
(著)
身近な疑問を着実に育て、日本語運用のメカニズムにせまる。数々の新見を平明に提示した、日本語史研究の新しい波《ヌーベル・バーグ》がここからまきおこる。前著より約1年、待望の最新刊!
- ISBN-104305702347
- ISBN-13978-4305702340
- 出版社笠間書院
- 発売日2001/1/1
- 言語日本語
- 本の長さ256ページ
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
青信号はなぜアオなのか-。身近な疑問を着実に育て、日本語運用のメカニズムに迫る、役に立つ日本語史入門。数々の新見を平明に提示した、日本語史研究の新しい波。
著者について
1929年東京生まれ。現在、東呉大学(台湾)客座教授。筑波大学名誉教授。文学博士。著書に「日本語はなぜ変化するか」「古典和歌解読」「仮名文の構文原理」「やまとうた」ほか。
登録情報
- 出版社 : 笠間書院 (2001/1/1)
- 発売日 : 2001/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4305702347
- ISBN-13 : 978-4305702340
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,240,325位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 760位日本語の語源・歴史・方言
- - 4,504位日本語研究
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月13日に日本でレビュー済み
・実例として和歌がたくさん出てくるのにわざとなのか横書きで恐ろしく読みにくい。
・言語学の通説的な水準の理解でレベルの低い国語学批判しているが、一般人にはどうでも良い。
・同趣旨の批判の繰り返しが多いが肝心の積極的主張の根拠は説明が甚だ不十分。
・各種国語辞典を引用しひどく批判しているがそれなら自分で作るべきで、フェアではない。
しかし、
「和語」を「一次和語」と「活写語」(擬態語、擬音語、擬声語)の二つのサブグループに分ける構想は興味深い。
日本語は「シクシク泣く」など「活写語+動詞」という形式で他国語に比した動詞の少なさを補い、場面を生き生きと描写できているという。
ただ「活写語にも片仮名表記がふさわしい」という主張は無理がある。平仮名と片仮名の使い分けが必要で一律片仮名では引っ掛かりが多くうるさくて良文にならない。
「梢を抜けてくる秋の光が彼女の上着の肩の上でちらちらと踊っていた。」
「電車はそんな親密な裏町を縫うようにするすると走っていった。」
「そのあたたかい小さなかたまりは僕の腕の中でじっと身をすくめ、耳をぴくぴくと震わせていた。」
(ノルウェイの森)
・言語学の通説的な水準の理解でレベルの低い国語学批判しているが、一般人にはどうでも良い。
・同趣旨の批判の繰り返しが多いが肝心の積極的主張の根拠は説明が甚だ不十分。
・各種国語辞典を引用しひどく批判しているがそれなら自分で作るべきで、フェアではない。
しかし、
「和語」を「一次和語」と「活写語」(擬態語、擬音語、擬声語)の二つのサブグループに分ける構想は興味深い。
日本語は「シクシク泣く」など「活写語+動詞」という形式で他国語に比した動詞の少なさを補い、場面を生き生きと描写できているという。
ただ「活写語にも片仮名表記がふさわしい」という主張は無理がある。平仮名と片仮名の使い分けが必要で一律片仮名では引っ掛かりが多くうるさくて良文にならない。
「梢を抜けてくる秋の光が彼女の上着の肩の上でちらちらと踊っていた。」
「電車はそんな親密な裏町を縫うようにするすると走っていった。」
「そのあたたかい小さなかたまりは僕の腕の中でじっと身をすくめ、耳をぴくぴくと震わせていた。」
(ノルウェイの森)
2009年11月6日に日本でレビュー済み
最近の日本語の変化について、乱れている日本語を正すべきという意見が数多く見受けられるなか、著者はそんなものは素人論議で、言葉が変化するのには、それなりの理由があると断言する。
例えば五段活用動詞の音便形が何故生じたかについて、その時点では非音便形と音便形が共存していて、それぞれがフォーマルさ、インフォーマルさを示す文体指標として機能していたとの説明には納得させられた。
例えば五段活用動詞の音便形が何故生じたかについて、その時点では非音便形と音便形が共存していて、それぞれがフォーマルさ、インフォーマルさを示す文体指標として機能していたとの説明には納得させられた。
2001年11月11日に日本でレビュー済み
日本語に関する書籍が数多く出版される中で、小松英雄先生の著書には当たり外れがないといわれています。それは、著者の日本語に対する尽きることのない情熱が本からにじみ出ているからだと思います。この本は、日々の何気ない疑問からアプローチしてゆき、その根底にあるものを鋭く考察しているといえるでしょう。