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黒薔薇 単行本 – 2006/2/17

4.2 5つ星のうち4.2 6個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 河出書房新社 (2006/2/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/2/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 224ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4309017487
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309017488
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 6個の評価

著者について

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吉屋 信子
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カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年5月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 吉屋作品の中では最も自己主張が激しい作品だと言えよう。そして決して万人受けする作品ではない。
 「屋根裏の二処女」においては夢見がちで自閉的な少女として書かれていた滝本章子(別人だろうが)が、今度は教師として登場する。
 そこで当時の官立女学校における不満を内心、もしくは職員室で唐突に爆発させるのは、作者の分身たる「滝本章子」流れとしては当然か。このキャラクターは普段考えを貯めに貯めて、時々爆発させるという傾向がある。それは「地の果まで」の春藤緑にも通じるのだが、ただそのやり方が、非常に子供っぽく感じることが多い。
 ちなみに彼女が学校の体制で怒っているのは三点。一つは学校として月経の調査をすること。二つは遠足にお菓子をもっていかせないこと。三つ目は自分のお気に入りの少女に学校側から見合いの話を進める様な動きがあること。
 正直言えば、当時としてはどれもごく普通のことだったと思われる。おそらく男子の中学校でも、月経に対する精通の調査があってもおかしくはなかった。遠足は「教練」とすれば、お菓子はいらない、というのも教育界からしたら当然だろう。そして良縁があれば、と考えるのも常識としてはごく妥当なところである。
 ただ章子はそのどれにも納得がいかない。何故なら、章子が思い描く理想の学校の姿、少女に対する学校像と、現実がかけ離れているからだ。章子は遠足を「快楽の為に行われる」「ピクニック」と考えている。それは学校の常識ではない。少なくともこの時代の官立の学校における教育ではない。だからこそ、発言した後に怒りだの言ってしまった自分の愚かしさだのに苛まれるのだが、だからと言って学校の空気に現実的に染まろうとするのではない。かと言って男性教諭達を説き伏せるでもない、ただ黙るのである。
 章子の行動はあくまで思うだけで、現実をどうこうしようというものではない。実際教師の仕事も果たして真面目に行っているのかどうかも、記述の面からして怪しい。その意味では、「屋根裏」同様の自閉的傾向がやはり見えるのである。

 ところでこの作品は、昭和二十四年の浮城書房の「黒薔薇」を底本にしているのだが、この版では初出の際の15章以下の一人称を機械的に三人称の常体に書き換えがされている。それはそれで良い。だがこの河出版では、更に初出の際の「おことわり」がついている。これはあくまで一人称にする、ということわりであると思われるので、つけなかった方が文章の流れに叶っていると思われるのだが。
 浮城版の印刷製本デザイン、そして機械的でなおかつ不完全な一人称→三人称の変更を果たして吉屋自身がしたのか、それとも編集部がして、許可を出したのか、それが疑問である。いずれにせよ、「おとこわり」がつきながら三人称のまま、というこの矛盾は気になった。
 また、初版ではレイプして殺されるという展開になっている箇所を浮城版では抹消している。占領期当時の自主検閲(既に終わってはいるが)で伏せ字を避ける傾向と、「月経」という言葉を原稿用紙に書けない程だった吉屋自身が避けたのだと思われるが、ただ殺されるのと、レイプされて殺されるのでは意味あいは変わってくるのではなかろうか。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年9月5日に日本でレビュー済み
黒薔薇を「くろしょうび」と読んでください。

吉屋信子氏の冒頭「ご挨拶」のこの一文にやられました。彼女の「美」へのこだわりがすべて集約されているように思えたから。
そして、その感覚に何ら迷うことなく共感できたから。

彼女が描いたのは、女性教師と女性ととの淡い淡い、でも心の中ではひたすらに熱い愛の世界。
最後の結末があまりにも悲しすぎるので、星を1つ減らしました。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年5月6日に日本でレビュー済み
作品が書かれたのは1925(大正14)年。チャップリンの「黄金狂時代」と同じ年。

吉屋29歳。描かれた主人公の章子は22歳設定。

何もかも気に入らない生活の中で、めりんすの布団で眠ることが唯一の素晴らしい贅沢。

そういう、美しいものに対する執拗な描写は、私は大好きでため息が幾度も。

なにかこう、ゾクゾクする。

辞書や歴史年表を横に置いて、時折、調べ物をしながら読み進め、

80年以上前に書かれたものだとは、とても思えなかった。いやー、面白い。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年2月28日に日本でレビュー済み
近頃の同性愛小説と言えばボーイズラブが頭に浮かぶ。
ボーイズラブはやたらと性行為の描写が激しい。
逆のレズ系統=百合でも激しい描写が有るのもしばしば。

吉屋信子氏の作品は全くその描写が無く、今時の人が読めば物足りなさを感じるかもしれない、彼女の作品は読後じわじわ来る物が有る…。一緒の空気が有る。
同性愛者は今と比べて昔は理解が薄かった故か、気持ちを伝えず心に秘めておきながら生き抜く女達が垣間見える。
この作品も女教師が女生徒に淡く抱く恋心の空気を感じ取って欲しい。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年7月18日に日本でレビュー済み
いつも本を買うとき散々迷う私がほとんど迷わずすぐさま買ったのは、「ご挨拶」を立ち読みしたせいです。そこには当時の出版界に反旗翻す信子の決意が高らかに書かれています。

不思議なタイトルのこの本は、もともと信子30歳そこそこのころ、時は大正末期。「花物語」ですでに押しも押されぬ売れっ子だった信子が、商業主義激しく思ったように物も書けない出版社での仕事の現状に行き詰まりを感じ、悩みぬいて今でいう個人出版に活路を見出す。その集大成が「黒薔薇(くろしょうび)」という月一回発行された個人誌であり、そこには信子が決して広告の力に惑わされる自分の書きたいことのみを書こうという強い思いが反映されていたようです。

花物語の後日談と取れないでもないような微妙な年齢(数え年で主人公は22歳、相手は19歳)の女性同士の濃密な関係性の揺れを描いていて、そこにはジェンダー意識、フェミニズムへの傾倒(まあ青踏にいた信子ではあるけれど)、さらに今私の周囲では当たり前のように言われるセクシュアルマイノリティの権利についての明確な信子なりの答えが、社会との軋轢の中での心の揺れとともに描かれています。正直なところ、信子の自由さが最優先されたためか、筆の運びは気まぐれな印象を受け、話も組み立ても精緻とはいいかねるのだけれど、それでもこの時代に女性作家が出版界の圧力を断固拒否して作り上げたという姿勢に感動するのです。

読んでから呆然としてしまったのは、これが書かれた80年前と今でどれほどセクシュアリティを取り巻く状況は変わったのかなあと。。現在セクシュアリティを隠さない状態で作家活動をしている作家の数を考えると、「いやー一世紀近くたっても全然かわってませんよ、吉屋さん」と言いたくなります。たかがセクシュアリティ。流行り物でも特殊な純愛でもない扱いの同性愛を描いた作品がもっと読みたいものです。
27人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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