遠戚のお婆さんとの同居を通じて、主人公の女性が成長というか自立していく姿が伝わってきます。
直接的な表現でないく、何気ないやりとりや仕草で、雰囲気で伝わってくるので不思議な感じがします。このため、人により合う合わないがありそうです。
とても印象に残りましたのて、この方の他の作品も読んでみたいと思います。
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ひとり日和 単行本 – 2007/2/16
青山 七恵
(著)
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購入オプションとあわせ買い
人っていやね......人は去っていくからね。
20歳の知寿が居候することになったのは、 母の知り合いである71歳・吟子さん
の家。
駅のホームが見える小さな平屋で暮らし始めた私は、キオスクで働き、
恋をし、吟子さんとホースケさんの恋にあてられ、少しずつ成長していく。
選考委員が絶賛した第136回芥川賞受賞作。
20歳の知寿が居候することになったのは、 母の知り合いである71歳・吟子さん
の家。
駅のホームが見える小さな平屋で暮らし始めた私は、キオスクで働き、
恋をし、吟子さんとホースケさんの恋にあてられ、少しずつ成長していく。
選考委員が絶賛した第136回芥川賞受賞作。
- 本の長さ169ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2007/2/16
- ISBN-104309018084
- ISBN-13978-4309018089
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商品の説明
著者について
1983年、埼玉県出身。2005年「窓の灯」で第42回文藝賞を受賞し、デビュー。
2007年、『ひとり日和』で第131回芥川賞を受賞する。
2007年、『ひとり日和』で第131回芥川賞を受賞する。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2007/2/16)
- 発売日 : 2007/2/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 169ページ
- ISBN-10 : 4309018084
- ISBN-13 : 978-4309018089
- Amazon 売れ筋ランキング: - 117,062位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,959位日本文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表紙からしてもう少し心が晴れるような物語かと思って購入してしまった。
平成になりたてくらいの時代のお話か、今読むとだいぶノスタルジックな感じ。
自分がもうどちらかと言えばおばあさんに近いせいかも知れないけど、主人公に感情移入出来なかった。
なんだか口の中に嫌な味が残る食べ物を食べた感じ。早く次の美味しいもので口の中をリセットしたい。
平成になりたてくらいの時代のお話か、今読むとだいぶノスタルジックな感じ。
自分がもうどちらかと言えばおばあさんに近いせいかも知れないけど、主人公に感情移入出来なかった。
なんだか口の中に嫌な味が残る食べ物を食べた感じ。早く次の美味しいもので口の中をリセットしたい。
2014年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
半世紀の年齢差がある二十歳の女の子、知寿と七十一歳のおばあさん、吟子さんの同居生活が描かれる。
吟子さんの家には猫がいる。猫の写真もずらりと並んでいる。
その猫たちはすべてチェロキーという名前だ。どうやら過去に飼っていた猫たちの「遺影」らしい。
吟子さんは独り身だが、ホースケさんというおじいちゃんのボーイフレンドがいる。
笹塚駅の売店の売り子を始めた知寿は、藤田君という男の子と付き合うようになる。
知寿には「盗癖」がある。
といってもお金や高価な品物を盗むわけではなく、彼氏とか吟子さんとか、身近な人間からどうでもいいような小物(たとえばホースケさんの仁丹とか、中にはモト彼からこっそり切り取った髪の毛もある)を盗んでは、カラの靴箱につめこんでいるのだ。
「靴箱の小物たちは・・・苦かったり、甘かったりする記憶を、自分ひとりで楽しむ手伝いをするだけだった。それでもわたしは箱を捨てることができない。」
最後に吟子さんの家を出るとき、知寿はコレクションした盗品の全てをチェロキーたちの額縁の裏に置いていく。
こうして見えてくるのだ。
知寿と吟子さんとのパラレルな関係が。
吟子さんは知寿の未来の姿なのだ。
いや、語り手の知寿は、実は吟子さんの記憶の中の吟子さん自身なのではないか。
知寿は未来から照射されて浮かび上がる吟子さんのイメージではないか。
チェロキーと同様、知寿は吟子さんの記憶の中に並べられる一枚の写真なのだ。
すべてが淡々としている。
知寿は職場ではそつなく人間関係を築けるのに、一歩進んだ関係となると結べない。
母親さえ、いや母親だからこそか、自分からは遠い。単に母親が中国に住んでいるからだけが理由ではないだろう。
藤田君との関係もあっさりと終わってしまう。
すべては半世紀前の記憶のように薄い。
細い道をひとつ挟んで駅のホームが見える吟子さんの家。
そこに暮らして、ホーム上で手を振る人を見送りながら、知寿の人生も過ぎていった。
描写も淡々としているのに、何かしら不思議に深い小説だなあ。
こうしてレビューを書いていたら(読後感を反芻していたら)、「感性豊かな若い女性作家が細やかに描く若い女性の日常」というクリシェがぴったりの、つまり、いかにも底の浅い芥川賞作品の典型だと思って☆☆評価だったのが、☆☆☆☆にまで増えてしまった。
吟子さんの家には猫がいる。猫の写真もずらりと並んでいる。
その猫たちはすべてチェロキーという名前だ。どうやら過去に飼っていた猫たちの「遺影」らしい。
吟子さんは独り身だが、ホースケさんというおじいちゃんのボーイフレンドがいる。
笹塚駅の売店の売り子を始めた知寿は、藤田君という男の子と付き合うようになる。
知寿には「盗癖」がある。
といってもお金や高価な品物を盗むわけではなく、彼氏とか吟子さんとか、身近な人間からどうでもいいような小物(たとえばホースケさんの仁丹とか、中にはモト彼からこっそり切り取った髪の毛もある)を盗んでは、カラの靴箱につめこんでいるのだ。
「靴箱の小物たちは・・・苦かったり、甘かったりする記憶を、自分ひとりで楽しむ手伝いをするだけだった。それでもわたしは箱を捨てることができない。」
最後に吟子さんの家を出るとき、知寿はコレクションした盗品の全てをチェロキーたちの額縁の裏に置いていく。
こうして見えてくるのだ。
知寿と吟子さんとのパラレルな関係が。
吟子さんは知寿の未来の姿なのだ。
いや、語り手の知寿は、実は吟子さんの記憶の中の吟子さん自身なのではないか。
知寿は未来から照射されて浮かび上がる吟子さんのイメージではないか。
チェロキーと同様、知寿は吟子さんの記憶の中に並べられる一枚の写真なのだ。
すべてが淡々としている。
知寿は職場ではそつなく人間関係を築けるのに、一歩進んだ関係となると結べない。
母親さえ、いや母親だからこそか、自分からは遠い。単に母親が中国に住んでいるからだけが理由ではないだろう。
藤田君との関係もあっさりと終わってしまう。
すべては半世紀前の記憶のように薄い。
細い道をひとつ挟んで駅のホームが見える吟子さんの家。
そこに暮らして、ホーム上で手を振る人を見送りながら、知寿の人生も過ぎていった。
描写も淡々としているのに、何かしら不思議に深い小説だなあ。
こうしてレビューを書いていたら(読後感を反芻していたら)、「感性豊かな若い女性作家が細やかに描く若い女性の日常」というクリシェがぴったりの、つまり、いかにも底の浅い芥川賞作品の典型だと思って☆☆評価だったのが、☆☆☆☆にまで増えてしまった。
2018年7月22日に日本でレビュー済み
小説は自由に読めばいいものです。
だから、この小説を「なにも起きない平凡な日常を淡々と描いた身辺雑記のたぐい」と読んで、
そこから、小春日和みたく心地よいと評価しても、退屈でつまらないと貶すのも、読者のまったく自由です。
けれど、「うるさがたの芥川賞選考委員が、そんな雑記のたぐいをあこまでほめるんだろうか?」、
あるいは、「プロの読み手でもある選考委員たちはどう読んだのか」と気になる人には、
選考委員の選評がヒントになるかなと思います。
「観念から出てきた作品ではなく、作者は日常の中に良質な受感装置を広げ、採るべきものを採って自然体で物語をつむいだ、かに見えるのは、実はかなりの実力を証明している。」「要点が押さえられているのに作意は隠されている。」(高樹のぶ子)
「落ちついて書いてある。この作者は見るべきところをしっかりと見ている。無駄がない。小説は表現するものであって、理屈で説明するものではないことも知っている。」(河野多恵子)
つまり、これらの委員は、
1. 身辺雑記のふりをしているけど、裏に「書きたいこと」を隠してる。自然体にみえるけど、それは技巧だ。
2. 無意味にだらだら書いてない。無駄がない。つまり、どの箇所も狙い、目的がある。
3. 理屈での説明がない。つまり、登場人物の行動は描くが、それを「~だから」と単純な観念に収めてない。
と読んでいるんです。
たとえば、あの「庭でのブリッジ」の箇所です。
私、今まで、ブリッジする若い女の子がでてくる小説って読んだことない。だから、すごく印象的です、ホントは(追記 これを書いたとき武者小路実篤の『愛と死』を未読だった。宙返り!)。
ですが、わたし、この箇所が担っている意味を、一回目に読み落として、二回目で気づいたんです。
ここ、スーパー開店って既知の話題から始まって、ひとつひとつは明解だけど、
関連が見えにくいばらばらの情報がヅラヅラ続く上に、
風船が出てきて、浮ついている、はしゃいでるとは分かる。で分かった気になって読む飛ばしてしまった。
多分、「女の子のブリッジ」に「すごく喜んでいる」という「感情表現という観念」、「説明」の誘導がついてないから。
日常でこんな行為をを目にすれば生じる当然の疑問をスルーした訳です。
「なにをそんなにはしゃいでいるの?」って。
で、読む直せば端的に書いてある。段落の最初のところに。その理由が。
「次の日、藤田君の家から帰ってきたら」って。
ご丁寧に、一行分の空白まで取って。
その前は、藤田君と初めて結ばれて、彼がホームで手を振ってくれる場面だから、
この「藤田君の家からの帰宅」って、二回目の交渉が早速あったってことですよね。
しかも、かなり上機嫌になるような素晴らしい時間であったと。
で、この一か所でがらっと、主人公の見方が変わってくるんです。
あれ、この子、随分、感情の起伏が激しい子なんじゃないの、っと。
そう思って読んでみると、結構「重たい女」だし、「肉食系」だし、
「男の切れ目がない」し、「節操がない」ともいえるんじゃないの、と。
これらは「分かり難さ」の一例にすぎません。
無駄がないという選考委員の言葉を信じて丁寧に読めば、
無茶苦茶たくさんの作意が見つかります(「化粧」なんかキャラ理解にすごく大事です)。
また、石原慎太郎、村上龍があそこまで誉めた「駅、鉄道とそこに近傍する家」が象徴する「都市性」
(三田誠広によれば京王線芦花公園駅。ああいう類の駅がイメージできない地方の人には結構きつい)や、
おばあさんを通した「関係性」、丹念に書かれた季節の推移を介する「時間」など
現代ニッポン文学の主要テーマも見えてきます。
結構やりすぎってくらいやってます。いったん、気がつけば。
そうやって読めば、「ひとり」、「日和」といった題名でこの小説がやろうとしているのが、
いまの時代の若い女性の孤独、ひとりという感覚を、「うつろいやすいもの」「一度しかないもの、その場だけのもの」「再現できないもの」として、「いろいろな二人の関係」の陰画として描く、つまり、女の友情、主人公の未来の姿、親子といった定型的な関係に収め取らないで描写することではないかと。
さらに、主人公は、一年を通して、非常に緩やかな速度で冒頭とは異なった心性の人間に変化するが、
その経過を「成長」という過去から未来への単一の時間の流れとして読ませることを拒絶すること、
つまり、小説のみならず、現実の私たちの時間の理解の様式に他ならない「見せかけのゴール」を捏造して、
それを基準に出来事に序列・意味づけ・取捨選択をして、時間を過去から未来に切れ目になくスムーズなものに仕立て上げること、つまり「物語的時間」による時間理解を無効化して小説を成り立たせることだとおもえるのです。
日和とは、流れというにはあまりにも抑揚にかけた時間の感じ方、切り取られかたなのだから。
ここで豊かな細部すべて(クレプトマニアは小説の要請から構成されたもの、現実とは差、ここを軸に破綻的社会性向を読みたくない、など)について語るのは無理なことです
だから、この小説を「なにも起きない平凡な日常を淡々と描いた身辺雑記のたぐい」と読んで、
そこから、小春日和みたく心地よいと評価しても、退屈でつまらないと貶すのも、読者のまったく自由です。
けれど、「うるさがたの芥川賞選考委員が、そんな雑記のたぐいをあこまでほめるんだろうか?」、
あるいは、「プロの読み手でもある選考委員たちはどう読んだのか」と気になる人には、
選考委員の選評がヒントになるかなと思います。
「観念から出てきた作品ではなく、作者は日常の中に良質な受感装置を広げ、採るべきものを採って自然体で物語をつむいだ、かに見えるのは、実はかなりの実力を証明している。」「要点が押さえられているのに作意は隠されている。」(高樹のぶ子)
「落ちついて書いてある。この作者は見るべきところをしっかりと見ている。無駄がない。小説は表現するものであって、理屈で説明するものではないことも知っている。」(河野多恵子)
つまり、これらの委員は、
1. 身辺雑記のふりをしているけど、裏に「書きたいこと」を隠してる。自然体にみえるけど、それは技巧だ。
2. 無意味にだらだら書いてない。無駄がない。つまり、どの箇所も狙い、目的がある。
3. 理屈での説明がない。つまり、登場人物の行動は描くが、それを「~だから」と単純な観念に収めてない。
と読んでいるんです。
たとえば、あの「庭でのブリッジ」の箇所です。
私、今まで、ブリッジする若い女の子がでてくる小説って読んだことない。だから、すごく印象的です、ホントは(追記 これを書いたとき武者小路実篤の『愛と死』を未読だった。宙返り!)。
ですが、わたし、この箇所が担っている意味を、一回目に読み落として、二回目で気づいたんです。
ここ、スーパー開店って既知の話題から始まって、ひとつひとつは明解だけど、
関連が見えにくいばらばらの情報がヅラヅラ続く上に、
風船が出てきて、浮ついている、はしゃいでるとは分かる。で分かった気になって読む飛ばしてしまった。
多分、「女の子のブリッジ」に「すごく喜んでいる」という「感情表現という観念」、「説明」の誘導がついてないから。
日常でこんな行為をを目にすれば生じる当然の疑問をスルーした訳です。
「なにをそんなにはしゃいでいるの?」って。
で、読む直せば端的に書いてある。段落の最初のところに。その理由が。
「次の日、藤田君の家から帰ってきたら」って。
ご丁寧に、一行分の空白まで取って。
その前は、藤田君と初めて結ばれて、彼がホームで手を振ってくれる場面だから、
この「藤田君の家からの帰宅」って、二回目の交渉が早速あったってことですよね。
しかも、かなり上機嫌になるような素晴らしい時間であったと。
で、この一か所でがらっと、主人公の見方が変わってくるんです。
あれ、この子、随分、感情の起伏が激しい子なんじゃないの、っと。
そう思って読んでみると、結構「重たい女」だし、「肉食系」だし、
「男の切れ目がない」し、「節操がない」ともいえるんじゃないの、と。
これらは「分かり難さ」の一例にすぎません。
無駄がないという選考委員の言葉を信じて丁寧に読めば、
無茶苦茶たくさんの作意が見つかります(「化粧」なんかキャラ理解にすごく大事です)。
また、石原慎太郎、村上龍があそこまで誉めた「駅、鉄道とそこに近傍する家」が象徴する「都市性」
(三田誠広によれば京王線芦花公園駅。ああいう類の駅がイメージできない地方の人には結構きつい)や、
おばあさんを通した「関係性」、丹念に書かれた季節の推移を介する「時間」など
現代ニッポン文学の主要テーマも見えてきます。
結構やりすぎってくらいやってます。いったん、気がつけば。
そうやって読めば、「ひとり」、「日和」といった題名でこの小説がやろうとしているのが、
いまの時代の若い女性の孤独、ひとりという感覚を、「うつろいやすいもの」「一度しかないもの、その場だけのもの」「再現できないもの」として、「いろいろな二人の関係」の陰画として描く、つまり、女の友情、主人公の未来の姿、親子といった定型的な関係に収め取らないで描写することではないかと。
さらに、主人公は、一年を通して、非常に緩やかな速度で冒頭とは異なった心性の人間に変化するが、
その経過を「成長」という過去から未来への単一の時間の流れとして読ませることを拒絶すること、
つまり、小説のみならず、現実の私たちの時間の理解の様式に他ならない「見せかけのゴール」を捏造して、
それを基準に出来事に序列・意味づけ・取捨選択をして、時間を過去から未来に切れ目になくスムーズなものに仕立て上げること、つまり「物語的時間」による時間理解を無効化して小説を成り立たせることだとおもえるのです。
日和とは、流れというにはあまりにも抑揚にかけた時間の感じ方、切り取られかたなのだから。
ここで豊かな細部すべて(クレプトマニアは小説の要請から構成されたもの、現実とは差、ここを軸に破綻的社会性向を読みたくない、など)について語るのは無理なことです
2019年6月24日に日本でレビュー済み
だいぶ前の芥川賞受賞作ということで、読んでみたが、好きになれる話ではなかった。20歳の主人公が、歳の割に幼すぎないか。彼女には、人を不快にさせる力がある。彼に逃げられるのも当然。71歳の同居人のおばあさんは、老けすぎている。今時、71歳なんてもっと若いだろう。85歳くらいな感じだし、おばあさんの一人暮らしで清潔感のない家というのもまた不快だった。と、文句をつけ出したらきりがない.。文章力はあるのに、もったいない。不倫デートに向かう最後のシーンも、不快な終わり方であった。再読はありません。
2019年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
両編ともに20代後半特有の人生や仕事に対する悩みをいろんなかたちで描き、最後の数分のパートで悩みからの脱却・前進をそれとなく描写して終わる。良くも悪くも読んだあとに形容しがたいものが残る
2019年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日経に載った短文を読み、描写力に傑出した力量を感じ、この本を手にとった。
しかし主人公は共感を許さない上、描かれているに日常にリアリティーが無い。
そして全体のトーンのイヤーな感じ。
これは今の時代のせい?才能を惜しむ。
しかし主人公は共感を許さない上、描かれているに日常にリアリティーが無い。
そして全体のトーンのイヤーな感じ。
これは今の時代のせい?才能を惜しむ。
2016年4月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んだら、すごく落ち着く気分になりました。日常のことがうまく描いて、素晴らしい表現力です。その作者の他の本も読みましょうかな。