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小高へ 父 島尾敏雄への旅 単行本 – 2008/8/7
島尾 伸三
(著)
私小説を書く父、精神に変調をきたした母、「ちがう、ちがう」と言いながら死んでいった妹……。生地・小高、一緒に暮らした小岩、想い出の琉球旅行。名作『死の棘』の作者である父と、そこに描かれた今は亡き家族に捧げる鎮魂歌。
- 本の長さ186ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2008/8/7
- ISBN-104309018769
- ISBN-13978-4309018768
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商品の説明
著者について
1948年生まれ。写真家・エッセイスト。父・島尾敏雄、母・ミホの長男として生まれる。東京造形大学造形学部写真専攻科卒業。妻・潮田登久子との間に長女・真帆が誕生。著書『ひかりの引き出し』『月の家族』他多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2008/8/7)
- 発売日 : 2008/8/7
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 186ページ
- ISBN-10 : 4309018769
- ISBN-13 : 978-4309018768
- Amazon 売れ筋ランキング: - 695,525位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 185,205位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年9月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
が、そのお父さんの足跡を尋ねる旅。有名な父をもった子供の感情が淡々と描かれています。伸三さんの独特の筆致も、また楽しませてくれます。
2010年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
・多くは島尾敏雄または「死の棘」のファンがこの作品を手に取るのだろう。私もその1人だったが、
著者はそこを割り切って書いているようでもあり、妹に纏わる痛みの記憶については割り切れない
ものが強くあるようにも感じた。文体は素人の文章的に書き流しているようでありながら、読み
進むにつれ、著者の視点とともに記憶を辿り直す旅に誘われるような気分になる。
・その運命の翻弄と言える様な、戦後の動乱を背景に、各地を転々としながら両親それぞれの持つ
狂気を敏感に感じながら暮らしていた兄妹の必死さが痛々しく思えると同時に、この夫婦ならでは
の愛情表現も垣間見られて、モノクロ映画を見ているような楽しさもある。
・私は「死の棘」の狂気は読み通す事ができなくて、むしろ島尾敏雄の「魚雷艇学生」の近辺の作品
に親しんできた。そのため、ミホとのつかの間の恋の記述も思い出し、父島尾敏雄が特攻逃れとなって
戦後を生きた、書かれなかった内実を想像する。著者も一概に両親を責めるのではなく、家族が担って
生きた遥か彼方の記憶を断片的に反すうしている。切ない物語である。
著者はそこを割り切って書いているようでもあり、妹に纏わる痛みの記憶については割り切れない
ものが強くあるようにも感じた。文体は素人の文章的に書き流しているようでありながら、読み
進むにつれ、著者の視点とともに記憶を辿り直す旅に誘われるような気分になる。
・その運命の翻弄と言える様な、戦後の動乱を背景に、各地を転々としながら両親それぞれの持つ
狂気を敏感に感じながら暮らしていた兄妹の必死さが痛々しく思えると同時に、この夫婦ならでは
の愛情表現も垣間見られて、モノクロ映画を見ているような楽しさもある。
・私は「死の棘」の狂気は読み通す事ができなくて、むしろ島尾敏雄の「魚雷艇学生」の近辺の作品
に親しんできた。そのため、ミホとのつかの間の恋の記述も思い出し、父島尾敏雄が特攻逃れとなって
戦後を生きた、書かれなかった内実を想像する。著者も一概に両親を責めるのではなく、家族が担って
生きた遥か彼方の記憶を断片的に反すうしている。切ない物語である。
2008年10月25日に日本でレビュー済み
「小高へ」という本を読み始めました。「死の棘」を書いた島尾敏雄氏の
長男の島尾伸三さんがかかれたものです。1948年生まれ。
でも文体は子どもが書いているかのようです。それでこの方は写真家なので、思い出すことごとがまるでモザイクのごとく(読売の書評にもありましたでしょうか)ガラスのかけらのごとく、きらっきらっと入っています。
以前に読んだ、とても好きな本「死の棘」の中で印象的だった、小岩の駅のあたり。戦争が終わったばかりの、小岩から上野、そして常磐線の小高(おだか)へ、親子四人で行くところの汽車の描写。
今は亡き妹のマヤが両親を嫌っていたこと。マヤのおしっこやうんちの世話を兄の伸三さんがしなければならなかったこと。
楽しいことが大好きだった母親の生活を、めちゃめちゃにしてしまった父親。
小岩の駅のそばの映画館で、母親のミホさんは特攻隊の映画を見るのが好きで、何度も伸三さんを連れて行ったこと。「あぁ」と思いました。戦争末期、敏雄氏は特攻隊の隊長で、出陣を待っていた。そんな日々に島で出会ったミホさんと恋人同士になり、 部隊が駐屯している場所から、岩場を渡り、村にミホさんに逢いに行ったのです。そしていざ出陣、という確か前日にも、この隊長は見張りの部下に話をして、逢いにいくのです。このせつなさ。
結婚して夫に裏切られ、ミホさんは子どもをつれて、あの特攻の日々を描いた映画を幾度も見に行くのです。
「死の棘」で好きな町は、佐倉です。佐倉の町に住んでいる間、夕刻なだらかな丘の向こうから豆腐屋のらっぱの音がしてくる、という描写があります。
佐倉の町は閑散として、川が流れ、あちらこちらにこんもりした森があります。坂も多いです。わたしはこの町に時々行きます。だから知っています。島尾敏雄一家は、この町の森のどこかに住み、夫の「女」が尋ねてきたりして、ミホさんは精神状態がおかしくなります。
だから佐倉はかなしい土地です。なんか暗くかなしく。今でもなんか豆腐やのらっぱの音が森の向こうから聞こえてくるような気がします。
「小高へ」の中に収められた伸三さんの撮った写真は素敵です。なにか語りかけてきます。中表紙はなんと猫です。
一見幼い文体なので(それが実はすばらしい)、このもう六十歳ぐらいの方ではありますが、その方の心に解決しないものとして累々と残っているものが、じかに感じ取れます。いくら大人になっても、こころに新鮮に蘇ってくるもの、それがあるのだなあと思います。
長男の島尾伸三さんがかかれたものです。1948年生まれ。
でも文体は子どもが書いているかのようです。それでこの方は写真家なので、思い出すことごとがまるでモザイクのごとく(読売の書評にもありましたでしょうか)ガラスのかけらのごとく、きらっきらっと入っています。
以前に読んだ、とても好きな本「死の棘」の中で印象的だった、小岩の駅のあたり。戦争が終わったばかりの、小岩から上野、そして常磐線の小高(おだか)へ、親子四人で行くところの汽車の描写。
今は亡き妹のマヤが両親を嫌っていたこと。マヤのおしっこやうんちの世話を兄の伸三さんがしなければならなかったこと。
楽しいことが大好きだった母親の生活を、めちゃめちゃにしてしまった父親。
小岩の駅のそばの映画館で、母親のミホさんは特攻隊の映画を見るのが好きで、何度も伸三さんを連れて行ったこと。「あぁ」と思いました。戦争末期、敏雄氏は特攻隊の隊長で、出陣を待っていた。そんな日々に島で出会ったミホさんと恋人同士になり、 部隊が駐屯している場所から、岩場を渡り、村にミホさんに逢いに行ったのです。そしていざ出陣、という確か前日にも、この隊長は見張りの部下に話をして、逢いにいくのです。このせつなさ。
結婚して夫に裏切られ、ミホさんは子どもをつれて、あの特攻の日々を描いた映画を幾度も見に行くのです。
「死の棘」で好きな町は、佐倉です。佐倉の町に住んでいる間、夕刻なだらかな丘の向こうから豆腐屋のらっぱの音がしてくる、という描写があります。
佐倉の町は閑散として、川が流れ、あちらこちらにこんもりした森があります。坂も多いです。わたしはこの町に時々行きます。だから知っています。島尾敏雄一家は、この町の森のどこかに住み、夫の「女」が尋ねてきたりして、ミホさんは精神状態がおかしくなります。
だから佐倉はかなしい土地です。なんか暗くかなしく。今でもなんか豆腐やのらっぱの音が森の向こうから聞こえてくるような気がします。
「小高へ」の中に収められた伸三さんの撮った写真は素敵です。なにか語りかけてきます。中表紙はなんと猫です。
一見幼い文体なので(それが実はすばらしい)、このもう六十歳ぐらいの方ではありますが、その方の心に解決しないものとして累々と残っているものが、じかに感じ取れます。いくら大人になっても、こころに新鮮に蘇ってくるもの、それがあるのだなあと思います。
2009年9月16日に日本でレビュー済み
「死の棘」の実際が描かれていて興味深い、のかもしれませんが
読んでいくうちどんどん落ち込んできますね・・・
「死の棘」は確かに特異ですばらしい文学作品だと思いますが
この夫婦(島尾敏雄&ミホ)はやっぱり子供を持ったりしてはいけなかった人たち。
著者と妹さんの あまりにムゴい痛めつけられ方に途中から吐き気がしてきました。
「死の棘」を読んだ時にも
この子供たちはこの後どうなったんだろう?・・と
思ってましたがここまでホントに救いがないとは・・・
子供のような語り口も「ほのぼのしている」と言う感じではなく
虐待の果てに萎縮してしまった人の虚無、を感じさせられます。
しかも著者自身が
「こんなもの別に書きたくなかったが、お金がもらえるのでしかたなく」
と書いているのまで読むと・・・もうダメです。
元気なとき読んでもきっと落ち込みます。
元気ないとき読んだら死にたくなりました。
読んでいくうちどんどん落ち込んできますね・・・
「死の棘」は確かに特異ですばらしい文学作品だと思いますが
この夫婦(島尾敏雄&ミホ)はやっぱり子供を持ったりしてはいけなかった人たち。
著者と妹さんの あまりにムゴい痛めつけられ方に途中から吐き気がしてきました。
「死の棘」を読んだ時にも
この子供たちはこの後どうなったんだろう?・・と
思ってましたがここまでホントに救いがないとは・・・
子供のような語り口も「ほのぼのしている」と言う感じではなく
虐待の果てに萎縮してしまった人の虚無、を感じさせられます。
しかも著者自身が
「こんなもの別に書きたくなかったが、お金がもらえるのでしかたなく」
と書いているのまで読むと・・・もうダメです。
元気なとき読んでもきっと落ち込みます。
元気ないとき読んだら死にたくなりました。