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奇跡の村: 隠れキリシタンの里・今村 単行本 – 2002/2/1
佐藤 早苗
(著)
- 本の長さ229ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2002/2/1
- ISBN-10430922377X
- ISBN-13978-4309223773
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
300年封印され歴史の闇の底に眠ってきた、隠れキリシタンの里・今村。明治維新を機に名乗りをあげたこの北九州の隠れ里に、尖塔をそなえた教会を建てた人々の力と、心の十字架を背負ってブラジルに移民した村人たちの物語。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2002/2/1)
- 発売日 : 2002/2/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 229ページ
- ISBN-10 : 430922377X
- ISBN-13 : 978-4309223773
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,112,444位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 828位歴史人物評伝
- - 1,080位キリスト教史 (本)
- - 4,438位その他の歴史関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
福岡県の筑紫平野に所在する「今」。約400年前に柳川藩の所領として田中氏が支配していた地。当時は「田中」村。支配者と同名のために地名を現「今」村とした。国土地理院では「今」の地名で記載。レンガ造りの瀟洒なつくりは筑紫平野の田園地帯に威容を誇る。現在、教会に行くには道標が立ち自由に教会内を見学できます。敬虔なキリスト教の伝統を村全体に感じられます。この書を読んで「信仰」が支える力強さが読み取れます。北杜夫「輝ける青き空の下で」、石川達三「蒼氓」のような移民史をもとに「生とはなにか」を問う移民史で特殊といえます。日本の伝統、宗教、歴史性ついて考える時、宗教信仰によってブラジル開拓に従事した農民たちの姿に感動させられます。キリスト教をたのみとする個々の姿が「今村」という伝統の地に歴史性を核として強く「心の回帰の地」として描かれている内容に圧倒されます。一方では静かな田園風景の中にゆったりと時間のゆりかごの中で醸す人々の暮らしも描いています。「日本キリスト教、伝統の地」としての存在を移民と信仰を通し描いています。今村の地の歴史と人々の暮らしの様子分かります。是非一読ください。
2015年8月22日に日本でレビュー済み
もう数十年前のことです。筑後平野をドライブしていると、田んぼの中に突如赤煉瓦の立派な教会堂が出現しました。どう考えても場違い、という言葉が浮かびます。気になり、歴史を調べていると、隠れキリシタンは福岡県内にも多数いて、その集落の一つが今村であることを知りました。
この本は、その隠れキリシタンの村であった今村が、どのようにして村全体の信仰を徹底的に守り切ったのか、そして明治に全村がカトリックに円滑に復帰することができたのか、その反面周囲の蔑視の目の存在、それもあってかブラジルへの移民とその後、などの、翻弄されながらも生き続けた歴史を綴っています。住民の生の声が聞こえてくるような気がします。
一度、この教会堂に訪れました。ちょうどミサが終わったときらしく、信徒が教会堂から出てきたので、この地の歴史を知ることができるような資料館はないかとお尋ねしたところ、丁寧な口調でご説明をいただきました。
隠れキリシタンの歴史、明治以降、そして今を叙述する貴重な本です。
この本は、その隠れキリシタンの村であった今村が、どのようにして村全体の信仰を徹底的に守り切ったのか、そして明治に全村がカトリックに円滑に復帰することができたのか、その反面周囲の蔑視の目の存在、それもあってかブラジルへの移民とその後、などの、翻弄されながらも生き続けた歴史を綴っています。住民の生の声が聞こえてくるような気がします。
一度、この教会堂に訪れました。ちょうどミサが終わったときらしく、信徒が教会堂から出てきたので、この地の歴史を知ることができるような資料館はないかとお尋ねしたところ、丁寧な口調でご説明をいただきました。
隠れキリシタンの歴史、明治以降、そして今を叙述する貴重な本です。
2009年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
舞台となる今村の人々は、
運命的に現実の社会にフィットすることが許されない立場におかれている。
もちろん、それは、隠れ切支丹だったという、信仰のためだけではなく、。
村人の多くが移民としてブラジルに渡り、2つの祖国を持つ者たちであった、ということからである。
本書では、そんな一筋縄ではいかない"今村人"を二人の人物を中心に、心の襞にわけいるように丁寧に描かれている。
一人は、混血児である故に様々な差別を受け苦しんできたが、
最後には、この今村を後世に伝えようと、東奔西走して、地元に資料館を作った人物。
もう一人は、ブラジル移民の誇りといってもいい、ブラジルの連邦議員に地位まで上り詰めたが、最後に非業の死を遂げる人物。
この二人を通して、日本に馴染めない複雑な今村人の心理を表現している。
本書のおかげで、そのままでは失われてしまったであろう、
今村人のディテールが後世に残った、と感じた。
とても意味のある書である。
運命的に現実の社会にフィットすることが許されない立場におかれている。
もちろん、それは、隠れ切支丹だったという、信仰のためだけではなく、。
村人の多くが移民としてブラジルに渡り、2つの祖国を持つ者たちであった、ということからである。
本書では、そんな一筋縄ではいかない"今村人"を二人の人物を中心に、心の襞にわけいるように丁寧に描かれている。
一人は、混血児である故に様々な差別を受け苦しんできたが、
最後には、この今村を後世に伝えようと、東奔西走して、地元に資料館を作った人物。
もう一人は、ブラジル移民の誇りといってもいい、ブラジルの連邦議員に地位まで上り詰めたが、最後に非業の死を遂げる人物。
この二人を通して、日本に馴染めない複雑な今村人の心理を表現している。
本書のおかげで、そのままでは失われてしまったであろう、
今村人のディテールが後世に残った、と感じた。
とても意味のある書である。
2007年7月8日に日本でレビュー済み
この本は、昔、カクレキリシタンの村というだけで、現在もそういう風潮が残っているわけではなくて、私の興味からはそれてはいたのだが、一気に読みおわせる勢いのある内容だった。
カトリックに改宗している村がどういう道をたどってきて、今にいたるのかということがとても解りやすく読み安い文体で書かれていた。
正直、面白かった。二人の青年の全く違った生き方から、今村という村を浮き彫りにしていくあたりに力量が感じられて、とても面白く拝読させていただきました。
ただ、本筋のカクレキリシタンという題材からは遠いものなので、☆3つにさせていただいた。
カトリックに改宗している村がどういう道をたどってきて、今にいたるのかということがとても解りやすく読み安い文体で書かれていた。
正直、面白かった。二人の青年の全く違った生き方から、今村という村を浮き彫りにしていくあたりに力量が感じられて、とても面白く拝読させていただきました。
ただ、本筋のカクレキリシタンという題材からは遠いものなので、☆3つにさせていただいた。