面白かった。特に、「自分で考える」ことすら陳腐になる、というところ。
というのも、「ホモ・デウス」によると「自分で考えて答えを出す」という行為もある種のトレンドなのだという。今の時代は人間至上主義が席巻しているがゆえに、人は自分がどう考えるのかを優先する。
我々は人から何か相談されると、「君の本音に従いなさい」というようなことを言わないだろうか。「心の声を聞きなさい」とか「自分で本当にやりたいことを考えなさい」とか。「進路をどうしたら良いかわからない」という相談にも「やりたいことをやりなさい」。「交際相手と結婚まで踏み切るべきかどうか」という悩みにも「自分の気持ちを信じなさい」。「家族とどう接したらいいのか」という疑問にも「答えは心のうちにあるだろう」。我々は無条件に、自分にとって何が言いかは自分が一番良くわかっている、と考える。「自分がどう感じて、どういう答えを自分でだすのか、それが大切なんだ」と考えている。
けれど、この「自分で考える」ことこそが、人間至上主義なのだ。中世の時代には、答えは神のみが知っているものだった。浅薄な考えしか持てない人間は、何か悩み事があったとき、神の声に耳を傾けるのが常識だった。聖書を読み、聖職者に尋ねる。それこそが唯一の答えだった。自分で答えを出すなんて、近代以前は常識外れも良いところ…というか、当時n人たちは「自分で答えを出す」ことさえ考えつかなかった。
我々が無意識に当たり前だと考えている「自分で考える」という行為も、永遠の昔からあるものではない、いつの時点からか始まったものなのだ。
だから、この「自分で考える」という当たり前の行為も、遠い未来から見れば、陳腐なアドバイスになるのかもしれない。遠い未来、学校の先生は歴史の授業で「過去には自分で答えを出す、という時代がありました」なんて生徒に授業をしているのかもしれない。アドバイスを求められたインフルエンサーは「確かに昔は自分の気持ちを優先していたらしいけれど、そんなトレンドがあったようだけど…」なんて、今とは違う考え方をするのかもしれない。
構造主義という考えがある。我々は、常にある時代、ある地域、ある社会に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。我々は、自分たちが思っているほど自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。自分の属する社会が無意識に排除してしまったものは、我々の視界に入ることすら無い。つまり、今我々が当然と考えている「自分で考える」ことすら、構造の中の出来事というわけだ。
そう考えると、この「自分で考える」という行為が陳腐なものに思えてこないだろうか。世間に溢れていて、誰もがそう考える。いかにもお約束のアドバイス。
というわけで本書によると、「自分で考える」ことも人間至上主義ゆえの考えなのだそうだ。つまり構造によるものであり、何のありがたみがあるわけでもない。だから「自分で考える」ことすら陳腐になるのだ。
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ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来 単行本 – 2018/9/6
ユヴァル・ノア・ハラリ
(著),
柴田裕之
(翻訳)
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私たちはどこへ向かおうとしているのか。人工知能や遺伝子工学といったテクノロジーとホモ・サピエンスの能力が合体したとき、人類は何を求め、何のために生きるのか、そして世界に何が起きるのかを問う!
人類はどこへ向かうのか br>
生物はただのアルゴリズムであり、
コンピューターがあなたのすべてを把握する。
生物工学と情報工学の発達によって、
資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく。
「科学技術の終焉か? パンドラの箱が今開く。」
──山極壽一(京都大学総長)
「人類史と先端テクノロジーを見事に融合した傑作。」
──佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)
【下巻目次】
第6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争
第7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味
第9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする
第10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘
第11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう!/汝自身を知れ/データフローの中の小波
謝 辞
訳者あとがき
原 註
図版出典
索 引
人類はどこへ向かうのか br>
生物はただのアルゴリズムであり、
コンピューターがあなたのすべてを把握する。
生物工学と情報工学の発達によって、
資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく。
「科学技術の終焉か? パンドラの箱が今開く。」
──山極壽一(京都大学総長)
「人類史と先端テクノロジーを見事に融合した傑作。」
──佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)
【下巻目次】
第6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争
第7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
第8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味
第9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする
第10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘
第11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう!/汝自身を知れ/データフローの中の小波
謝 辞
訳者あとがき
原 註
図版出典
索 引
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2018/9/6
- 寸法13.7 x 2.5 x 19.6 cm
- ISBN-104309227376
- ISBN-13978-4309227375
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商品の説明
著者について
ユヴァル・ノア・ハラリYuval Noah Harari
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。
1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての著書がある。オンライン上での無料講義も行ない、多くの受講者を獲得している。著書『サピエンス全史』は世界的なベストセラーとなった。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2018/9/6)
- 発売日 : 2018/9/6
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 288ページ
- ISBN-10 : 4309227376
- ISBN-13 : 978-4309227375
- 寸法 : 13.7 x 2.5 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 66,156位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 287位歴史学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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2024年3月10日に日本でレビュー済み
本書では様々な最新事情をもとに、人類の宗教・イデオロギーがどのように変化していったかを解説してくれています。昔の人の考え方に疑問を感じることがありますが、それらの人々がなぜそこまで深い心情(現代の我々にとっては狂信的とも思える)を持っていたかが理解でき、歴史小説などで感じていた違和感が腑に落ちました。
本書終盤では、イデオロギーが変化し、データを神聖視した『データ至上主義』の到来を予感しています。これは個人的に非常に共感できるイデオロギーでした。私自身が機械学習の研究をするなどのバックグラウンドがあったためか、データ至上主義に個人的にはそこまで絶望を感じませんでした。
前作の『サピエス全史』では、人類の過去に強い焦点が当てられており、著者自身の考えはそこまで多く含まれていません。しかし、本書では著者の視点や考えが色濃く反映されています。当然、批判が出る部分もあるかと思いますが、多くの人にとって、世界の見方に新しい視点を与えてくれる素晴らしい書籍です!
本書終盤では、イデオロギーが変化し、データを神聖視した『データ至上主義』の到来を予感しています。これは個人的に非常に共感できるイデオロギーでした。私自身が機械学習の研究をするなどのバックグラウンドがあったためか、データ至上主義に個人的にはそこまで絶望を感じませんでした。
前作の『サピエス全史』では、人類の過去に強い焦点が当てられており、著者自身の考えはそこまで多く含まれていません。しかし、本書では著者の視点や考えが色濃く反映されています。当然、批判が出る部分もあるかと思いますが、多くの人にとって、世界の見方に新しい視点を与えてくれる素晴らしい書籍です!
2021年9月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
発想の転換、ものの見方や普段何気なく過ごす日々に疑問を投げ掛けてくれる。
2018年9月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私の好きな思想家のシオランはこう述べる。
「狼の生態をめぐるラジオ放送を聞く。咆哮の実況入りだ。なんという素敵な言語だろう!
こんなにも胸を引き裂くものが他にあろうか。私はこの声を忘れることができない。いつの日か、あまりにも深い孤独に陥るようなことがあったら、私はこの声をまざまざと思い起しさえすればよい。一個の共同体に自分が属していることを、すぐにも私は自覚できるであろう」(E・M・シオラン「 生誕の災厄 」)
この本で、狼の遠吠えに価値を認めなかったハラリ氏に対して(恐らくこんな反論など思いもよらなかっただろうが)、この点に関し、個人的に非常に我慢ならず、怒りを禁じえなかった。狼の咆哮、遠吠えを一度Youtubeあたりで聞くがいい!これは音楽とかの芸術を超えている。これほど魂を納得させるものを知らないとは!!一度大自然を満喫すべくシベリアやカナダを旅行したらどうか、と思いたい。録音でもそれが分からないなら、ネットの画像や映像を見るだけでは断じて駄目だ。本来の「生命の息吹」を感じて欲しいものだ。人間だけで生きているのではないことがすぐわかるはずだ。もしかしたら、ヴィーガンであるハラリ氏は「この問題」から韜晦している節があるのではないか?つまり人間至上主義の「負」の側面のことだ。
「鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり」(斎藤緑雨)という意味をじっと、考えてみる必要がある。魚や、両生類、植物の様な人間に似てもいない生物にはまだ平然としていられるが、鳥類や、哺乳類が虐待されると、人間は心をなぜ痛めるのか?それは<共感性>が答えだ。共感性が湧かなければ人間は残酷になれる凶暴さがあるのだ。それは生物学や生態学が発達したことで哺乳類から猿、ホモ・サピエンスに至る科学的な考え以上に、人間に近い部位を持つ存在ほど慈しみを持てるということだけに過ぎない。だからこの<共感性>といっても実は、身勝手なものを根拠にしているわけで、魚よりクジラやイルカの狩猟になぜ批判が絶えないかは、「哺乳類」というカテゴリーだからだ。過去、クジラやイルカ等を<魚>というカテゴリーにとして捉えていた、欧米諸国の方がを乱獲していたわけだし、それが「哺乳類」と分かった途端、生態学的に授乳するとか、「共感」を生んだ観点から動物愛護団体が動いたという結果だろう。この実に身勝手な論理は、今では犬や猫で家畜化をするとか、虐待するだけで批判が絶えない。最近まで大々的に朝鮮や中国では犬は「食料」、「家畜」にもされていたのだ。今は世界中の「物語」からの批判があるから控えているだけだ。食料に対するタブーのこんな事例は、文化人類学の著書にいくらでも見いだせるので、読んでみるといい。
これも「物語」、虚構の力だとなぜハラリが語らないのか?「ヴィーガン」だって人間の虚構を背景にしている、と私は疑っている。確かに植物性に限定した方が、栄養学的には悪くない。事実だ。だったら国連も推進しているが、動物性たんぱく質も共感性が生まれにくい「昆虫」採集から得たらどうかと提案したい。例えば今でもアフリカに行けば、数えるのが嫌になるほどバッタが取れるのだ。ホモ・サピエンスになる前のホモ・ハビリスなどは昆虫を食料にしていたのだから、環境サイクル的にも理に適う。(「 絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか 」、「 バッタを倒しにアフリカへ 」、「 昆虫食入門 」などを読めば、昆虫を食料にすることへの、文化が根差す潜在的な「生理的嫌悪」に気づくはずだ。実はクマゼミの内臓も美味しいのだ!)
私的には、ヘブライ大学という非常に不自由な環境で、かなり婉曲的にイスラエルの「政治的」発言を一切回避しつつ、人間至上主義革命やデータ教についての論旨を述べたあたりは、かなり「曲芸的な芸当」だと逆に褒めてやりたい。だがこの辺を日本人の読者のどれほどが「気づく」かと言えばほとんどは気づかないだろう(多分元外務省の作家あたりは気づくか?)。議論を間違えれば「危険」であることには変わりないし、無神論者(はっきりと述べていないがまず間違いない)でゲイのハラリ氏も抱える程、ユダヤのコミュニティは色々と切迫している証拠なのだろう。
例えば、ナチスの収容所のアイヒマンを模した実験をした、スタンレー・ミルグラムの「 服従の心理 」を読めば大衆がなぜ権威に服従するかが明白なのだが、どうもイスラエルではこの著書はタブーなのか?そう勘ぐってしまう。この実験では人種とか血統とか関係なく、どんな人間でも残酷な行為を平然と行ってしまう構造は作り得ることを証明している。けれど、ユダヤ系の人々がこの内容を、積極的に引用した形跡はなく、ダニエル・カーネマンの「 ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 」に僅かにその形跡は見受けられたが、なぜか参考文献リストも載っていない!どうもユダヤのコミュニティの多くの人々は、ナチスをいつまでも「悪者」にしたいらしい。これが私のいう「政治」である。同じユダヤ人でも「 エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告 」を書いた、ハンナ・アーレントがこの実験の結果を知っていたとしたら、どう思っただろうか?
ハラリ氏の論旨の欠点は、地球環境の問題、「意識は傍観者に過ぎない」(「 あなたの知らない脳──意識は傍観者である 」を参照)という点、特に微生物の観点から来る環境問題等は全く述べられていない。勿論ジャレド・ダイアモンドの「 文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの 」、「 文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの 」や「 銃・病原菌・鉄 」で述べてことを踏まえてはいるのだが、さらに「 土と内臓 (微生物がつくる世界) 」、「 土の文明史 」、「 腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか 」等を読めば、主体性自己など幻想にすぎないことは明白である。だがハラリ氏は「違う観点」からその主体性を否定している。この論じ方に非常にひっかかりを覚える。このままホモ・デウスなるものを構築するならば、低いカースト層から搾取され、土壌や植物、動物はことごとく搾取され、不毛な大地と火星の様な砂漠化が数百年もすれば到達するに違いないという確信が、ハラリ氏は、私の様には無いかもしれない。数百年など私もハラリ氏もさすがに生きてはいないが、このことは考えれば人類滅亡の道を歩んでいることは必至で、ならばホモ・デウスになってまで生き延びることも御免被りたい。
大体、病原菌の問題、ウィルスは進化を促しているという説もあるのだから、ある時一気に滅亡しないとなぜ言い切れるのか?そこも不満だ。細菌やウィルス等の微生物を甘くみすぎている。ポール・G・フォーコウスキー の「 微生物が地球をつくった -生命40億年史の主人公- 」、別府輝彦の「 見えない巨人―微生物 」から読み直すべきだ。ハラリは大きな潮流には敏感だが、「小さな存在の巨大な影響」を馬鹿にしている節がある。大いに質してほしい。
私は、前作のレビューで絶望すべきだと述べたのだが、ハラリ氏が「本気」ならばまず亡命するか、最終的には失踪する必要がある。だがそれにはあまりに環境が許さないのか、そこまで本気になっていないかのいずれかだろう。まあ、ハラリ氏もぎりぎりなのかもしれない。同情はするが、覚悟はいかがなものか、本音が知りたいところだ。
追記 コロナウィルス感染でハラリの投稿記事を読んだ。イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル公安庁に新型コロナウイルス感染者の追跡という名目で、テロリスト相手の戦闘用途以外は非承認だった監視技術の適用を認めた。ということは、それよりずっと以前から市民のスマートフォンを念入りにモニタリングできていて、その技術を持っていることを認めたということだ。ハラリもこのことは知っていたはずだ。だからハラリの発言は過激な様でいて、冷静であり猛烈な反発ではない。それは冷静なリアリストとしてテロリストの様な狂信的な信条を持ってはいないことを装うしかないからだ。(2020.3.28)
「狼の生態をめぐるラジオ放送を聞く。咆哮の実況入りだ。なんという素敵な言語だろう!
こんなにも胸を引き裂くものが他にあろうか。私はこの声を忘れることができない。いつの日か、あまりにも深い孤独に陥るようなことがあったら、私はこの声をまざまざと思い起しさえすればよい。一個の共同体に自分が属していることを、すぐにも私は自覚できるであろう」(E・M・シオラン「 生誕の災厄 」)
この本で、狼の遠吠えに価値を認めなかったハラリ氏に対して(恐らくこんな反論など思いもよらなかっただろうが)、この点に関し、個人的に非常に我慢ならず、怒りを禁じえなかった。狼の咆哮、遠吠えを一度Youtubeあたりで聞くがいい!これは音楽とかの芸術を超えている。これほど魂を納得させるものを知らないとは!!一度大自然を満喫すべくシベリアやカナダを旅行したらどうか、と思いたい。録音でもそれが分からないなら、ネットの画像や映像を見るだけでは断じて駄目だ。本来の「生命の息吹」を感じて欲しいものだ。人間だけで生きているのではないことがすぐわかるはずだ。もしかしたら、ヴィーガンであるハラリ氏は「この問題」から韜晦している節があるのではないか?つまり人間至上主義の「負」の側面のことだ。
「鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり」(斎藤緑雨)という意味をじっと、考えてみる必要がある。魚や、両生類、植物の様な人間に似てもいない生物にはまだ平然としていられるが、鳥類や、哺乳類が虐待されると、人間は心をなぜ痛めるのか?それは<共感性>が答えだ。共感性が湧かなければ人間は残酷になれる凶暴さがあるのだ。それは生物学や生態学が発達したことで哺乳類から猿、ホモ・サピエンスに至る科学的な考え以上に、人間に近い部位を持つ存在ほど慈しみを持てるということだけに過ぎない。だからこの<共感性>といっても実は、身勝手なものを根拠にしているわけで、魚よりクジラやイルカの狩猟になぜ批判が絶えないかは、「哺乳類」というカテゴリーだからだ。過去、クジラやイルカ等を<魚>というカテゴリーにとして捉えていた、欧米諸国の方がを乱獲していたわけだし、それが「哺乳類」と分かった途端、生態学的に授乳するとか、「共感」を生んだ観点から動物愛護団体が動いたという結果だろう。この実に身勝手な論理は、今では犬や猫で家畜化をするとか、虐待するだけで批判が絶えない。最近まで大々的に朝鮮や中国では犬は「食料」、「家畜」にもされていたのだ。今は世界中の「物語」からの批判があるから控えているだけだ。食料に対するタブーのこんな事例は、文化人類学の著書にいくらでも見いだせるので、読んでみるといい。
これも「物語」、虚構の力だとなぜハラリが語らないのか?「ヴィーガン」だって人間の虚構を背景にしている、と私は疑っている。確かに植物性に限定した方が、栄養学的には悪くない。事実だ。だったら国連も推進しているが、動物性たんぱく質も共感性が生まれにくい「昆虫」採集から得たらどうかと提案したい。例えば今でもアフリカに行けば、数えるのが嫌になるほどバッタが取れるのだ。ホモ・サピエンスになる前のホモ・ハビリスなどは昆虫を食料にしていたのだから、環境サイクル的にも理に適う。(「 絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか 」、「 バッタを倒しにアフリカへ 」、「 昆虫食入門 」などを読めば、昆虫を食料にすることへの、文化が根差す潜在的な「生理的嫌悪」に気づくはずだ。実はクマゼミの内臓も美味しいのだ!)
私的には、ヘブライ大学という非常に不自由な環境で、かなり婉曲的にイスラエルの「政治的」発言を一切回避しつつ、人間至上主義革命やデータ教についての論旨を述べたあたりは、かなり「曲芸的な芸当」だと逆に褒めてやりたい。だがこの辺を日本人の読者のどれほどが「気づく」かと言えばほとんどは気づかないだろう(多分元外務省の作家あたりは気づくか?)。議論を間違えれば「危険」であることには変わりないし、無神論者(はっきりと述べていないがまず間違いない)でゲイのハラリ氏も抱える程、ユダヤのコミュニティは色々と切迫している証拠なのだろう。
例えば、ナチスの収容所のアイヒマンを模した実験をした、スタンレー・ミルグラムの「 服従の心理 」を読めば大衆がなぜ権威に服従するかが明白なのだが、どうもイスラエルではこの著書はタブーなのか?そう勘ぐってしまう。この実験では人種とか血統とか関係なく、どんな人間でも残酷な行為を平然と行ってしまう構造は作り得ることを証明している。けれど、ユダヤ系の人々がこの内容を、積極的に引用した形跡はなく、ダニエル・カーネマンの「 ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 」に僅かにその形跡は見受けられたが、なぜか参考文献リストも載っていない!どうもユダヤのコミュニティの多くの人々は、ナチスをいつまでも「悪者」にしたいらしい。これが私のいう「政治」である。同じユダヤ人でも「 エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告 」を書いた、ハンナ・アーレントがこの実験の結果を知っていたとしたら、どう思っただろうか?
ハラリ氏の論旨の欠点は、地球環境の問題、「意識は傍観者に過ぎない」(「 あなたの知らない脳──意識は傍観者である 」を参照)という点、特に微生物の観点から来る環境問題等は全く述べられていない。勿論ジャレド・ダイアモンドの「 文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの 」、「 文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの 」や「 銃・病原菌・鉄 」で述べてことを踏まえてはいるのだが、さらに「 土と内臓 (微生物がつくる世界) 」、「 土の文明史 」、「 腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか 」等を読めば、主体性自己など幻想にすぎないことは明白である。だがハラリ氏は「違う観点」からその主体性を否定している。この論じ方に非常にひっかかりを覚える。このままホモ・デウスなるものを構築するならば、低いカースト層から搾取され、土壌や植物、動物はことごとく搾取され、不毛な大地と火星の様な砂漠化が数百年もすれば到達するに違いないという確信が、ハラリ氏は、私の様には無いかもしれない。数百年など私もハラリ氏もさすがに生きてはいないが、このことは考えれば人類滅亡の道を歩んでいることは必至で、ならばホモ・デウスになってまで生き延びることも御免被りたい。
大体、病原菌の問題、ウィルスは進化を促しているという説もあるのだから、ある時一気に滅亡しないとなぜ言い切れるのか?そこも不満だ。細菌やウィルス等の微生物を甘くみすぎている。ポール・G・フォーコウスキー の「 微生物が地球をつくった -生命40億年史の主人公- 」、別府輝彦の「 見えない巨人―微生物 」から読み直すべきだ。ハラリは大きな潮流には敏感だが、「小さな存在の巨大な影響」を馬鹿にしている節がある。大いに質してほしい。
私は、前作のレビューで絶望すべきだと述べたのだが、ハラリ氏が「本気」ならばまず亡命するか、最終的には失踪する必要がある。だがそれにはあまりに環境が許さないのか、そこまで本気になっていないかのいずれかだろう。まあ、ハラリ氏もぎりぎりなのかもしれない。同情はするが、覚悟はいかがなものか、本音が知りたいところだ。
追記 コロナウィルス感染でハラリの投稿記事を読んだ。イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、イスラエル公安庁に新型コロナウイルス感染者の追跡という名目で、テロリスト相手の戦闘用途以外は非承認だった監視技術の適用を認めた。ということは、それよりずっと以前から市民のスマートフォンを念入りにモニタリングできていて、その技術を持っていることを認めたということだ。ハラリもこのことは知っていたはずだ。だからハラリの発言は過激な様でいて、冷静であり猛烈な反発ではない。それは冷静なリアリストとしてテロリストの様な狂信的な信条を持ってはいないことを装うしかないからだ。(2020.3.28)
2018年10月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前作『サピエンス全史』で示唆した人類の未来をより深く考察した本書。
シニカルでほんのりあたたかい内容は読みやすく、独創的な指摘は我々を固定観念から解放してくれます。
本書の目的は幅広い選択肢に気づいてもらうことであると著者が述べているだけあって、巻末の
「生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか?」
「知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?」
「高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」
という3つの問いは、予測から未来を選択できるという視点に気づかせてくれました。
著者はハイテク国家イスラエルのヘブライ大学教授。
女性も兵役義務のあるイスラエルでは、軍がサイバーセキュリティの技術開発を先導しており、ファイアウォールや顔認証システムもイスラエル発の技術です。
イスラエル人には「すべてを疑え」という信念が浸透していると言われますが、本書からも感じとれました。
シニカルでほんのりあたたかい内容は読みやすく、独創的な指摘は我々を固定観念から解放してくれます。
本書の目的は幅広い選択肢に気づいてもらうことであると著者が述べているだけあって、巻末の
「生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか?」
「知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?」
「高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?」
という3つの問いは、予測から未来を選択できるという視点に気づかせてくれました。
著者はハイテク国家イスラエルのヘブライ大学教授。
女性も兵役義務のあるイスラエルでは、軍がサイバーセキュリティの技術開発を先導しており、ファイアウォールや顔認証システムもイスラエル発の技術です。
イスラエル人には「すべてを疑え」という信念が浸透していると言われますが、本書からも感じとれました。