ダヴィンチコードや、マグダラのマリアなどのDVDを見た後、気になって読みました。
これが真実だと、今の世の中は何の教えが流行っているの?と思ってしまいました。
そのくらい、自分の知っている教えと違います。クリスチャンの人が見たら、信じられないかも。
2世紀の初めに書かれてから、1500年消息を絶っていた古文書。
世界のほとんどの人が知らない、イエス様がマリアに教えた教え、弟子たちに教えた教えがのってます。
フィリポの福音書をはじめ、興味深い古代の文献の引用も多く、当時の人の価値観や、著者の考察も面白く、拾い読みするつもりが、すっかり全部読んでしまいました。
神は文法上中性の「善きもの」と書かれ、マリアはイエスも大絶賛の雄弁で聡明な女性。
そして他のお弟子さん達公認の、愛される存在で、文献によっては伴侶と書かれている。
この本を読む限り、ちょっと天然な悔い改めた元娼婦の女性とは全然結びつきません。
この本では迫害に怯えて宣教活動をしぶり、イエスの教えを理解せず、マリアを傷つけて泣かせる ある人が やな感じと思いました。
(古代の出来事なので、何が真実かわかりませんが)
イエスの教えの一つ、
「心の中には宝がある、まことの人の子はあなたがたの内側に存在するのだから、それに従いなさい。求める者は見出すであろう」
を読んだ時、
自分の心には、何か神様に通じるような力がある、迷ったら自分の心にきいて行動しなさい、という風に受け取りました。
色んな宗教が、心の中にはすごい力があるとうたってますね。
他に人は死んだら魂は安息へ向かう、などが書かれてます。
キリスト教のジャンルに少なからず興味のある方で、マグダラのマリアに関心のある方には、興味深い本だと思います。
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マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒 単行本 – 2006/12/16
- 本の長さ344ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2006/12/16
- ISBN-104309230768
- ISBN-13978-4309230764
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2006/12/16)
- 発売日 : 2006/12/16
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 344ページ
- ISBN-10 : 4309230768
- ISBN-13 : 978-4309230764
- Amazon 売れ筋ランキング: - 391,475位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 367位聖書 (本)
- - 554位キリスト教入門
- - 784位キリスト教一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2008年4月28日に日本でレビュー済み
ありのままの歴史、生のままの歴史を描写することの困難を知ることにおいて、四大福音書
ほどにその役割に相応しい書物も他になかろう。
ナザレのイエスの歩んだ道を記さんとしたのは何もマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つに
限られない。『マグダラのマリアの福音書』もまた、そうしたテクストのひとつ。
ところで、キリスト教の正典たることを認められなかった文書の不運、歴史に埋もれ失われ
この福音書はあまりに不完全な断片としてしか残されていない。しかもその大半は本来と
推定されるギリシア語ではなく、コプト語によるもの。
とはいえ、そのことは必ずしも「キリスト教の形成過程における驚くべき多様性と流動性に
関するわれわれの知識を増大」させることを妨げるものではない。
この本の著者キングは『マリア福音書』を外典として、異端の書として読むことを頑なに
拒絶する。異端とのレッテルはあくまで後世が決めたものであって、その認識はしばしば
キリスト教黎明期における信仰や価値観の実像を歪めるものとなるからである。
本書は『マリア福音書』を契機に、キリスト教史の新たな視点を提示することを志向する。
なお、本書はキリスト教神学、聖書学のビギナー向けの一冊とは到底思えない。一定程度の
聖書の精読経験は当然に要求されるだろうし、若干の研究史も把握していないようではあまり
多くの実りは期待できないだろう。
そのための足がかりとして一冊を推薦するなら、田川建三『書物としての新約聖書』。
個人的に異存は数点あるが、ここでは字数の都合上割愛する。一点言えば、マリアは娼婦で
なかった、との議論、これは典型的な悪魔の証明。男性中心主義の権力や思想が汚名を彼女に
被せることを承認したとの論証は、必ずしも娼婦であった可能性を排除するものではない。
こうした指摘によってしばしば生じるであろう誤解のないように最後に申し添えるならば、
本書は紛れもない良書なので、念のため。
ほどにその役割に相応しい書物も他になかろう。
ナザレのイエスの歩んだ道を記さんとしたのは何もマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つに
限られない。『マグダラのマリアの福音書』もまた、そうしたテクストのひとつ。
ところで、キリスト教の正典たることを認められなかった文書の不運、歴史に埋もれ失われ
この福音書はあまりに不完全な断片としてしか残されていない。しかもその大半は本来と
推定されるギリシア語ではなく、コプト語によるもの。
とはいえ、そのことは必ずしも「キリスト教の形成過程における驚くべき多様性と流動性に
関するわれわれの知識を増大」させることを妨げるものではない。
この本の著者キングは『マリア福音書』を外典として、異端の書として読むことを頑なに
拒絶する。異端とのレッテルはあくまで後世が決めたものであって、その認識はしばしば
キリスト教黎明期における信仰や価値観の実像を歪めるものとなるからである。
本書は『マリア福音書』を契機に、キリスト教史の新たな視点を提示することを志向する。
なお、本書はキリスト教神学、聖書学のビギナー向けの一冊とは到底思えない。一定程度の
聖書の精読経験は当然に要求されるだろうし、若干の研究史も把握していないようではあまり
多くの実りは期待できないだろう。
そのための足がかりとして一冊を推薦するなら、田川建三『書物としての新約聖書』。
個人的に異存は数点あるが、ここでは字数の都合上割愛する。一点言えば、マリアは娼婦で
なかった、との議論、これは典型的な悪魔の証明。男性中心主義の権力や思想が汚名を彼女に
被せることを承認したとの論証は、必ずしも娼婦であった可能性を排除するものではない。
こうした指摘によってしばしば生じるであろう誤解のないように最後に申し添えるならば、
本書は紛れもない良書なので、念のため。
2013年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
パウロの書簡や四福音書とは全く異なった「キリスト教」観から書かれているマリア福音書の原文の翻訳と解説、考察から成り立つ本です。マリア福音書は全体の写本は現時点では見つかっておらず、この本の翻訳は見つかったコプト語やギリシャ語の断片の翻訳です。
「まことの人の子はあなたがたの内側に存在する」こういったイエスの言葉がこのマリア福音書の中にはあります。
見つかっているマリア福音書の断片の翻訳は、あまり分量はないですが、どの言葉もとても含蓄がある言葉です。
「まことの人の子はあなたがたの内側に存在する」こういったイエスの言葉がこのマリア福音書の中にはあります。
見つかっているマリア福音書の断片の翻訳は、あまり分量はないですが、どの言葉もとても含蓄がある言葉です。
2015年9月24日に日本でレビュー済み
ディスカバリーチャンネルで聖書の動画を拝見し
そのつながりでこのような本のあることを知り、読みました。
複数のマリアの福音書を総合して得られた解釈と、他の福音書との比較、
どのような時代背景がその裏にはあったのかといったことが書かれています。
コンスタンティヌス帝が現在の正統派キリスト教を作った原点とするなら
このマリアの福音書はそれ以前、即ち何が正しいかわからない時代にあったものとされています。
国家統一のためにはキリスト崇拝のような一神教を道具として使う方法もあるのだと思います。
が、どうも現代のキリスト教におけるこうした一神教主義に疑問を持っていたため
それを覆す資料として興味を持つことが出来ました。
ペトロ・アンデレとマリア・レビの対立(嫉妬と擁護)
内なるまことの人間を見出し、ひるまない気迫、人格の安定、安息へ導かれること
魂と肉体とは分かれて、魂は洗練され肉体は朽ち果てること
性差の無いこと
とても人間の生き方に近いというかリアルに感じます。
それゆえ、これが広がることもありえそうだと感じました。
また真実を見るためには複数の資料を読み取る大切さが感じられました。
そういった意味で評価は高いです。ゆえに☆5つとします。
本文にも記されていますが福音書の出来た当初は
文章よりも口頭伝達のほうが信用されている時代でしたから
このような福音書だけをいくら集めたとしても何が正しいか、などは
今の時代から言うことは難しいのかもしれませんね。
そのつながりでこのような本のあることを知り、読みました。
複数のマリアの福音書を総合して得られた解釈と、他の福音書との比較、
どのような時代背景がその裏にはあったのかといったことが書かれています。
コンスタンティヌス帝が現在の正統派キリスト教を作った原点とするなら
このマリアの福音書はそれ以前、即ち何が正しいかわからない時代にあったものとされています。
国家統一のためにはキリスト崇拝のような一神教を道具として使う方法もあるのだと思います。
が、どうも現代のキリスト教におけるこうした一神教主義に疑問を持っていたため
それを覆す資料として興味を持つことが出来ました。
ペトロ・アンデレとマリア・レビの対立(嫉妬と擁護)
内なるまことの人間を見出し、ひるまない気迫、人格の安定、安息へ導かれること
魂と肉体とは分かれて、魂は洗練され肉体は朽ち果てること
性差の無いこと
とても人間の生き方に近いというかリアルに感じます。
それゆえ、これが広がることもありえそうだと感じました。
また真実を見るためには複数の資料を読み取る大切さが感じられました。
そういった意味で評価は高いです。ゆえに☆5つとします。
本文にも記されていますが福音書の出来た当初は
文章よりも口頭伝達のほうが信用されている時代でしたから
このような福音書だけをいくら集めたとしても何が正しいか、などは
今の時代から言うことは難しいのかもしれませんね。
2009年8月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
福音書自体は長くない。だが、その短さに似つかわしくない大変濃く深い内容に驚いた。解説もわかりやすく、素晴らしい。残念ながら最初の6ページは失われ、イエスの死からの復活後の弟子たちとの議論の場面の途中から始まる。人間の真の霊性に性差はないことを語っていることなどからして、もっと、本当にイエスが語ったことが知りたくなった。救済者とマリアの昨今言われているような世俗的なものではない、崇高な、ほかの者には理解できなかったのであろう高次の愛がそこには描かれていて感動する。
2009年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いかに現在のキリスト教が歴史の中でつくられたものかが判る。初期キリスト教の姿からイエスの本当の姿を知る その為の一助となる素晴らしい本。十字架の死 復活 救いという旧来の教えとは異なるイエスの救いの教え。 我々一人一人に何を信ずるのかを問いかける。本心で読み 本心で判断することで真偽は個々の判断にゆだねられる。。。
2010年6月29日に日本でレビュー済み
ハーバード大神学部の女性教授による『マグダラのマリアの福音書』についての概説的な書。見つかっている各版での記述の比較や、書かれた時代背景などについて広範囲に解説している。
しかし、編集形態は明らかに初心者向けであり、字も大きく、読み物的な感覚で提供されている。ある程度知識のある人にとってはこの本の内容に新味はほとんどないだろう。
その意味ではハードカバーの価格に価値を感じるかは人に寄るところだと思うのだが、翻訳の読みやすさや編集的な見やすさはなかなかのものであり、自分としては満足できた。ライトな好事家向けにはお薦めできると思う。
しかし、編集形態は明らかに初心者向けであり、字も大きく、読み物的な感覚で提供されている。ある程度知識のある人にとってはこの本の内容に新味はほとんどないだろう。
その意味ではハードカバーの価格に価値を感じるかは人に寄るところだと思うのだが、翻訳の読みやすさや編集的な見やすさはなかなかのものであり、自分としては満足できた。ライトな好事家向けにはお薦めできると思う。
2007年3月15日に日本でレビュー済み
聖書学者によれば、すでに最初の200年にキリスト教文書の85%は失われてしまったが、そこに含まれるのは、他の資料を通して題名と内容など、これまでわれわれが知識として知っている文書に限られる。従って、そこに未知のものを加えれば、失われてしまった文書の数はさらに増大する。本書で取り上げられる『(マグダラの)マリアによる福音書』は、2世紀初めに書かれて以後、1500年以上にわたって消息を絶ち、ようやく19世紀後半になり5世紀のコプト語訳の断片写本が発見された。さらに20世になり、3世紀初頭の二つのギリシア語断片が発見されたが、これら全てを合わせても僅かに8頁足らずであり、同福音書の完全な写本は永遠に失われた可能性が高い。
残された僅かな写本から読み取れることは、イエスの教えに対する弟子たちの無理解と、その真の理解者としてのマグダラのマリアとの対照であり、この書を残したグループの、既存の教会のあり方へのアンチテーゼが強く感じられる。やはり女性のグノーシス研究者として著名な、エレーヌ・ペイゲルスは、同福音書でマリアを非難するペテロの言葉に、パウロの言葉、「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(『コリントの信徒への手紙1』)に通じるものを見ている。今日、依然として正式には女性聖職者が一般化していないキリスト教のあり方を省みるとき、『マリア福音書』の発見が、現代人がキリスト教の歴史を再考するための「啓示」と思えるのは、私だけであろうか。
残された僅かな写本から読み取れることは、イエスの教えに対する弟子たちの無理解と、その真の理解者としてのマグダラのマリアとの対照であり、この書を残したグループの、既存の教会のあり方へのアンチテーゼが強く感じられる。やはり女性のグノーシス研究者として著名な、エレーヌ・ペイゲルスは、同福音書でマリアを非難するペテロの言葉に、パウロの言葉、「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(『コリントの信徒への手紙1』)に通じるものを見ている。今日、依然として正式には女性聖職者が一般化していないキリスト教のあり方を省みるとき、『マリア福音書』の発見が、現代人がキリスト教の歴史を再考するための「啓示」と思えるのは、私だけであろうか。