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ヒッチコック×ジジェク 単行本 – 2005/1/1
ますます異様な輝きを放つヒッチコックの作品群は、ラカン/ジジェクへの手引きでもある。ジジェク、そしてジジェク派の思想家、さらにジェイムソンらがヒッチコックの作品世界を解読する思想書読者にも映画ファンにも待望の一冊。
- 本の長さ396ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2005/1/1
- ISBN-104309243274
- ISBN-13978-4309243276
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2005/1/1)
- 発売日 : 2005/1/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 396ページ
- ISBN-10 : 4309243274
- ISBN-13 : 978-4309243276
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,283,855位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2005年6月21日に日本でレビュー済み
ジジェクは映画のことは何もわかっていないのに、おとくいの精神分析学を型に嵌めて映画のカマボコ型結論を量産している。本当にごくろうさん。そこまでやらないと精神分析学の世界布教は終わらないのか。蓮実重彦が言うようにジジェクに騙される奴は「莫迦だとして放っておいてもよい」のだが、騙されてはおりませんと信仰告白のふりをしている奴らは「おめでたい」としか言いようがない。人生の無駄遣い。人生にはもっとすごいものがあるということを知らない悲しい可哀想な連中。もう少し学問してほしいよなあ。
2005年1月31日に日本でレビュー済み
まず、このタイトルに含まれる固有名詞、ヒッチコックとジジェク(とさらにラカン)に即座に反応できる人のみが、この書物の読者となりうるであろう。とくにラカンの理論に多少なりとも馴染みがないと、作品分析に用いられている概念も用語もチンプンカンプンに違いない。
本書は全体として三部構成となっており、テーマ論、作品論、作家論から成り立っている。このうち作品論に関してはまだ具体的な「もの」が相手なので読みやすいが、第一部のテーマ論、とくにフレドリック・ジェイムスンの論文などは抽象的かつ難解さらに悪文と、三重苦である。
それでもこの手の論文集としては、かなりよくできていることは間違いない。このような複数の書き手によるアンソロジーの場合は寄せ集め的で焦点が曖昧になりやすいものだが、本書に関してはジジェクのラカン派マルクス主義とでもいうべき理論を核に構成されているからか、それぞれの書き手の軸にブレがない。その点では全体がよく統一されている。ただ、作品論で『裏窓』に関するものが少なくとも3篇はあり、どれも同工異曲であるという印象は否めない。まあみんな言っていることがバラバラなのよりはましだが。
あと一つ、本書を読んでの疑問であるが、ジジェクにしても他の書き手にしても、ヒッチコックの「視線」「まなざし」を問題化しているにも拘らず、映画的「視線」にまつわるジェンダーの非対称性についての言及がほとんどないのはなぜか。これこそがローラ・マルヴィの歴史的論文「視覚的快楽と物語映画」でヒッチコックについて指摘された問題であり、その後テレサ・ド・ローラティスがこのマルヴィの論を批判的に継承して提唱した、「視線に内在する快楽/欲望の二重性」として提出したテーゼである。この点に、少なくとも本書では十分な回答がされていないということは、ジジェク/ラカンの言説がまだ家父長的制度から完全に自由ではないことを示しているのだろうか。
本書は全体として三部構成となっており、テーマ論、作品論、作家論から成り立っている。このうち作品論に関してはまだ具体的な「もの」が相手なので読みやすいが、第一部のテーマ論、とくにフレドリック・ジェイムスンの論文などは抽象的かつ難解さらに悪文と、三重苦である。
それでもこの手の論文集としては、かなりよくできていることは間違いない。このような複数の書き手によるアンソロジーの場合は寄せ集め的で焦点が曖昧になりやすいものだが、本書に関してはジジェクのラカン派マルクス主義とでもいうべき理論を核に構成されているからか、それぞれの書き手の軸にブレがない。その点では全体がよく統一されている。ただ、作品論で『裏窓』に関するものが少なくとも3篇はあり、どれも同工異曲であるという印象は否めない。まあみんな言っていることがバラバラなのよりはましだが。
あと一つ、本書を読んでの疑問であるが、ジジェクにしても他の書き手にしても、ヒッチコックの「視線」「まなざし」を問題化しているにも拘らず、映画的「視線」にまつわるジェンダーの非対称性についての言及がほとんどないのはなぜか。これこそがローラ・マルヴィの歴史的論文「視覚的快楽と物語映画」でヒッチコックについて指摘された問題であり、その後テレサ・ド・ローラティスがこのマルヴィの論を批判的に継承して提唱した、「視線に内在する快楽/欲望の二重性」として提出したテーゼである。この点に、少なくとも本書では十分な回答がされていないということは、ジジェク/ラカンの言説がまだ家父長的制度から完全に自由ではないことを示しているのだろうか。
2005年6月27日に日本でレビュー済み
精神分析的概念で武装した仲良し組が、ヒッチコック映画を論じようとするのだけど、執筆者の9割が映画理論も映画史も素人だから、ヒッチコック映画の多様性とダイナミズムと細部を型にはまった精神分析的概念に還元するだけの、パンセ・ソヴァージュの多様性を精神分析一色に塗りつぶしてしまう灰色の書物となっている。