労働、国家、資本。
それぞれの役割と関係を改めて知るのに最適な一冊!
大学生は必読です!
ランチを一回我慢すれば、お腹はすいても、頭は満ちます!
高校生、大学進学組はもちろん、これから社会に出る高校生はこの本を読んでおくと良いでしょう。
自分が従事する「労働」とはいったい何なのか?そこから「税金」を奪う国家とは?働いた分だけ給料をくれない会社(資本)とは?
タイトル通り「暴力」についても考えさせられます。民法での「自力救済の禁止」などというのも、基本的に「暴力」の国家による独占という枠組みの副産物です。
先ほど挙げた「税金」も納めなければ「暴力」を用いられて国家に強制的に徴収されます。
死刑についても「暴力」の観点から考えさせられます。死刑もまた殺人をする暴力だからです。
(これは私見ですが、本書で唯一足りない点は、この「暴力」を民主制下で行うことの責任の所在についてです。それを議論するのも良いと思います。)
知は力です!
このレビューを読んでくださった方の中に、中高生のお子さんをお持ちの親御さんがいらっしゃいましたら是非とも親子で読んでいただきたいです!
タイトルはキャッチィにするために荒っぽいですが、中身はきちんとした哲学書です!
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カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜) 単行本(ソフトカバー) – 2006/11/16
萱野 稔人
(著)
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2006/11/16
- ISBN-104309243959
- ISBN-13978-4309243955
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2006/11/16)
- 発売日 : 2006/11/16
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 224ページ
- ISBN-10 : 4309243959
- ISBN-13 : 978-4309243955
- Amazon 売れ筋ランキング: - 703,357位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
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2014年10月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
働くか、働かせるか、奪うか、貰うか。
保護と服従こそが政治の根源。
ウェーバーの暴力装置の話
フーコーの公開処刑の話
ガタリの国家の土木工事起源の話
戦争の民営化、
しかし、暴力への権利をカネで買うことはできない。
富への権利、所有はどのように成立するのか
作者は、国家が保障することで成立するとする。
つまり、私有制は公有制を前提とする!
所有するためにはまずは公有されなければならない。
ああ、それで公地公民の後に班田収授なのか!!!
それで、税が貨幣を生み出す!
そこから資本主義が生まれる。そしてすべてが商品化されていく!
これまで商品として扱われなかったものを商品にする!
そして労働が組織化される。
いやーすっきりですね!哲学を見直しました。
保護と服従こそが政治の根源。
ウェーバーの暴力装置の話
フーコーの公開処刑の話
ガタリの国家の土木工事起源の話
戦争の民営化、
しかし、暴力への権利をカネで買うことはできない。
富への権利、所有はどのように成立するのか
作者は、国家が保障することで成立するとする。
つまり、私有制は公有制を前提とする!
所有するためにはまずは公有されなければならない。
ああ、それで公地公民の後に班田収授なのか!!!
それで、税が貨幣を生み出す!
そこから資本主義が生まれる。そしてすべてが商品化されていく!
これまで商品として扱われなかったものを商品にする!
そして労働が組織化される。
いやーすっきりですね!哲学を見直しました。
2009年3月28日に日本でレビュー済み
国家とは暴力への権利の源泉である。
暴力への権利は暴力の実践を通じてもたらされた。
富への権利は暴力によって国家のもとにうちたてられた。
暴力への権利と富への権利が労働の成果を吸い上げているのが
資本主義社会だ。
いやはや、これだけ乱暴に単純化された話をはじめて
目にしました。
ここから、暴力の実践によって、暴力への権利と富への権利を
奪い取れというアジテーションまでは、後一歩ですね。
暴力への権利は暴力の実践を通じてもたらされた。
富への権利は暴力によって国家のもとにうちたてられた。
暴力への権利と富への権利が労働の成果を吸い上げているのが
資本主義社会だ。
いやはや、これだけ乱暴に単純化された話をはじめて
目にしました。
ここから、暴力の実践によって、暴力への権利と富への権利を
奪い取れというアジテーションまでは、後一歩ですね。
2007年10月15日に日本でレビュー済み
この本は、国家に対する非常にどぎつい(刺激的な、といってもいい)「一つの見方」を提供してくれる本として読むべきである。
その「見方」とは、「国家は暴力を独占してそれを好き勝手に使用できる。そして国民が稼いだカネを上前としてはねる。要するにヤクザと同じ。違いは、国家が最強の暴力のため、自分に都合のいいように「法」が作れることだけ」というものである。
「国家はヤクザと同じ」「働いた金を奪う」「法によって暴力を正当化し独占する」「アウトローも国家の枠に組み込まれる」など、強烈な視点が並ぶ。
こういう「とても極端な見方」は読んでいる分には楽しいし、国家の「一面」は捉えているともいえるだろう。
しかし、こういう「見方」はあくまでも「見方」であって、それが証明されたりしたわけではなく、あくまでも仮説である。
しかも、おそらくどんな事態に対しても筆者の論は当てはめようがあるので、ポパーに言わせれば「反証可能性がない」、つまり、「理論としては間違っている」ということだ。
実証的に見るならば、筆者の論は穴だらけである。
例えば、筆者は国家とヤクザをその合法性のみを質的差異とし、その他の差異(例えば国民による信任)を「量的差異に過ぎない」として却下する。
しかし、量的差異といってしまえば、例えば赤と青の違いは光の波長の長さ(量的差異)である。量的差異だからといって軽視してよいわけではない。
また、国家の活動や性質には必ず「プラスの面」と「マイナスの面」があるものだが、筆者はこのうち「プラスの面」は「副産物」として軽視し、「マイナスの面」を「真の目的」として重要視する。
しかし、こうした論は結局、陰謀論の域を出ない。
筆者は、国家に関する道徳的判断、つまりいい・悪いを極力排除し、そうした道徳的主張はすべて無根拠だとして批判するようだが、そもそも筆者が国家についての事実(である)を論じているのだから、それと国家についての道徳的判断(べき)が出てくるはずがない。だから筆者が自分の論をもとに、国家についての道徳的判断を批判するのは的外れだと思われる。
要するに、この本は、フロイトの「自我・超自我・エス」やマルクス=ヘーゲルの「進歩史観」と同じで、実証的でない壮大な物語の類なのである。
そして、そのように読めば非常に面白い。しかし、学術的な本として読むと非常にダメな本である。
だから、この本から、「だから国家は〜だ/すべきだ」などとは導けない。
ということで、物語として星5つ、学術書として星1つ、平均星3つ。
国家については、坂本多加雄「国家学のすすめ」を読んでみることを薦める。
その「見方」とは、「国家は暴力を独占してそれを好き勝手に使用できる。そして国民が稼いだカネを上前としてはねる。要するにヤクザと同じ。違いは、国家が最強の暴力のため、自分に都合のいいように「法」が作れることだけ」というものである。
「国家はヤクザと同じ」「働いた金を奪う」「法によって暴力を正当化し独占する」「アウトローも国家の枠に組み込まれる」など、強烈な視点が並ぶ。
こういう「とても極端な見方」は読んでいる分には楽しいし、国家の「一面」は捉えているともいえるだろう。
しかし、こういう「見方」はあくまでも「見方」であって、それが証明されたりしたわけではなく、あくまでも仮説である。
しかも、おそらくどんな事態に対しても筆者の論は当てはめようがあるので、ポパーに言わせれば「反証可能性がない」、つまり、「理論としては間違っている」ということだ。
実証的に見るならば、筆者の論は穴だらけである。
例えば、筆者は国家とヤクザをその合法性のみを質的差異とし、その他の差異(例えば国民による信任)を「量的差異に過ぎない」として却下する。
しかし、量的差異といってしまえば、例えば赤と青の違いは光の波長の長さ(量的差異)である。量的差異だからといって軽視してよいわけではない。
また、国家の活動や性質には必ず「プラスの面」と「マイナスの面」があるものだが、筆者はこのうち「プラスの面」は「副産物」として軽視し、「マイナスの面」を「真の目的」として重要視する。
しかし、こうした論は結局、陰謀論の域を出ない。
筆者は、国家に関する道徳的判断、つまりいい・悪いを極力排除し、そうした道徳的主張はすべて無根拠だとして批判するようだが、そもそも筆者が国家についての事実(である)を論じているのだから、それと国家についての道徳的判断(べき)が出てくるはずがない。だから筆者が自分の論をもとに、国家についての道徳的判断を批判するのは的外れだと思われる。
要するに、この本は、フロイトの「自我・超自我・エス」やマルクス=ヘーゲルの「進歩史観」と同じで、実証的でない壮大な物語の類なのである。
そして、そのように読めば非常に面白い。しかし、学術的な本として読むと非常にダメな本である。
だから、この本から、「だから国家は〜だ/すべきだ」などとは導けない。
ということで、物語として星5つ、学術書として星1つ、平均星3つ。
国家については、坂本多加雄「国家学のすすめ」を読んでみることを薦める。
2011年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「貨幣は税からうまれてきた。」(P.179)
わたしは、小さな会社を経営している。決算後、血と汗と涙の結晶(?)である利益を有無を言わせず半分近く持ってく「税金」。それは、巨大な黒い壁を前に立ち尽くしているような無力感、あるいはもっとあからさまに、数人の屈強な男性に地べたにねじ伏せられているようなイメージを抱かせる。自分の個人の給与から税金がしょっぴかれるときよりも、会社の利益を持っていかれるときの方が、とてつもない徒労感を覚えてしまっていた。あらがいようのないもの、それが税金だった。
<納税も立派な社会貢献である/できるだけ多くの税金を納められるよう、事業に励みたい>
そんな人格者みたいなことも、よく口にする。結局、絶対的強者に対してせめて順応しようとする自己欺瞞だろうか。
ヴェーバーもホッブスもフーコーもドゥルーズも、よー知らん。せいぜいコンビニで売ってる「哲学がおもしろいほどよくわかる」レベル。そんな私が「おもしろい」と言うとこの本の価値を落とすようで申し訳ないが、すんごくおもしろかった。めずらしく最後まで読めた。
本書が扱っているテーマは「古い」らしい。が、哲学に免疫のない人たちにとっては新鮮で刺激的なのでは? マイケル・サンデルがウケるご時世なら、もう一歩踏み出して本書が受容されても不思議ではないと思うのだが。
「貨幣は税からうまれてきた。」(P.179)なんて、考えたこともない発想だった。その理屈をもう少し詳しく教えてほしかった。
労働の成果の上前=税金を効率よく徴収するために国家が発行したのが貨幣ということなのだろうか。
ちったあ自分で考えるか。
わたしは、小さな会社を経営している。決算後、血と汗と涙の結晶(?)である利益を有無を言わせず半分近く持ってく「税金」。それは、巨大な黒い壁を前に立ち尽くしているような無力感、あるいはもっとあからさまに、数人の屈強な男性に地べたにねじ伏せられているようなイメージを抱かせる。自分の個人の給与から税金がしょっぴかれるときよりも、会社の利益を持っていかれるときの方が、とてつもない徒労感を覚えてしまっていた。あらがいようのないもの、それが税金だった。
<納税も立派な社会貢献である/できるだけ多くの税金を納められるよう、事業に励みたい>
そんな人格者みたいなことも、よく口にする。結局、絶対的強者に対してせめて順応しようとする自己欺瞞だろうか。
ヴェーバーもホッブスもフーコーもドゥルーズも、よー知らん。せいぜいコンビニで売ってる「哲学がおもしろいほどよくわかる」レベル。そんな私が「おもしろい」と言うとこの本の価値を落とすようで申し訳ないが、すんごくおもしろかった。めずらしく最後まで読めた。
本書が扱っているテーマは「古い」らしい。が、哲学に免疫のない人たちにとっては新鮮で刺激的なのでは? マイケル・サンデルがウケるご時世なら、もう一歩踏み出して本書が受容されても不思議ではないと思うのだが。
「貨幣は税からうまれてきた。」(P.179)なんて、考えたこともない発想だった。その理屈をもう少し詳しく教えてほしかった。
労働の成果の上前=税金を効率よく徴収するために国家が発行したのが貨幣ということなのだろうか。
ちったあ自分で考えるか。
2022年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「国家とは何か」を図書館で借りて資本主義のあたりを斜め読みしたのでこの部分だけ書いてありそうな本書を購入した。政治家の考える国家はトドの詰まりはここにあるのかと整理すれば大企業との癒着自体は犯罪ではない。
ガッテンなことに聖書にはダビデが平和に暮らしている他民族を襲撃して「ぶんどる」ことが批判なしで記録されていて、ひと、家畜、農作物など他人が育てたものを横取りする隠し事のない聖書の世界と、本書に言う「収奪する「権利」を自らに制定することのできる暴力だけが国家を成り立たせる」というのが清濁合致したことは快挙だ。
ガッテンなことに聖書にはダビデが平和に暮らしている他民族を襲撃して「ぶんどる」ことが批判なしで記録されていて、ひと、家畜、農作物など他人が育てたものを横取りする隠し事のない聖書の世界と、本書に言う「収奪する「権利」を自らに制定することのできる暴力だけが国家を成り立たせる」というのが清濁合致したことは快挙だ。