下のレビューではテクストによる無血革命が
「本当に可能なのか、どのような時に可能なのかという論証が必要になる。」
とあり、その論証がなされないこの本は
「香具師の話芸の類い」
と書いてあります。
まさにこの本の冒頭、カフカの引用で話される「焦慮は罪である」、ということに尽きる。
この「切りとれ、あの祈る手を」は、佐々木中の二冊目の著書である、どころか、この本はインタビューを文字起こししたものであり、この時点で佐々木中の著書は「夜戦と永遠」だけということになり、下記レビュー者の求めるテクストによる革命の論証は、その「夜戦と永遠」でなされている。
なのでこの本が佐々木中の全てかのような解釈には異論を挟まざるを得ないし、もっと強弁すればこの本の中世解釈者革命に触れた部分でも論証とするに足るとも言えると自分は思います。
この本はあくまで佐々木中の入門書(こういう言い方を佐々木中は好まないと思いますが)であり、多少難解な「夜戦と永遠」を読むための手引である、と言えます。
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切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 単行本 – 2010/10/21
佐々木 中
(著)
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取りて読め。筆を執れ。そして革命は起こった。思想界を震撼させた大著『夜戦と永遠』から二年。
閉塞する思想状況の天窓を開け放つ、俊傑・佐々木中が、
情報と暴力に溺れる世界を遙か踏破し、あまたの終焉と屈従とを粉砕する、限りなき「告知」の書、登場。
白熱の五夜一〇時間。
〈目次〉
「文学の勝利」
「ルター、文学者ゆえに革命家」
「読め、母なる文盲の孤児よ ― ムハンマドとハディージャの革命」
「われわれには見える ― 中世解釈者革命を超えて」
「そして三八〇万年の永遠」
閉塞する思想状況の天窓を開け放つ、俊傑・佐々木中が、
情報と暴力に溺れる世界を遙か踏破し、あまたの終焉と屈従とを粉砕する、限りなき「告知」の書、登場。
白熱の五夜一〇時間。
〈目次〉
「文学の勝利」
「ルター、文学者ゆえに革命家」
「読め、母なる文盲の孤児よ ― ムハンマドとハディージャの革命」
「われわれには見える ― 中世解釈者革命を超えて」
「そして三八〇万年の永遠」
- 本の長さ214ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2010/10/21
- 寸法13.9 x 2 x 19.6 cm
- ISBN-104309245293
- ISBN-13978-4309245294
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商品の説明
著者について
佐々木 中 1973年生。東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。現在、立教大学、東京医科歯科大学教養部非常勤講師。著書に『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』がある
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2010/10/21)
- 発売日 : 2010/10/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 214ページ
- ISBN-10 : 4309245293
- ISBN-13 : 978-4309245294
- 寸法 : 13.9 x 2 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 274,967位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 576位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 45,849位ノンフィクション (本)
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2020年2月6日に日本でレビュー済み
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世界の真理、この世の真理とはなにか。一つだけ言えることは、それは隠されているように見えるということ。そして日常の通説とは異なるなにかだということ。もし、あなたが99%の人に狂っていると思われるかもしれない真理を見つけてしまった場合、今の世界を見る目が変わる。新たなテクストである’文学、つまり文字を書くことで、それは伝播し、ついには世界を変革せしめる。読むこと、つまり今の自分の知らない真理を探求すること、これが終わらない限り、また革命は起こるだろう。
2017年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読むことと書くことの思想史として、
読みました。
かっこいい口調です。
私はなかなかものごとをきっぱりと言い切ることができないので、
とてもこのような潔い力強い文体に惹かれます。
文中より引用します。
「われわれの読み書き歌い踊り描き語る、この無限の営みは終わることができない。
それ自体が、われわれの意味であり、人類が生き延びることそのものなのだから」
読みました。
かっこいい口調です。
私はなかなかものごとをきっぱりと言い切ることができないので、
とてもこのような潔い力強い文体に惹かれます。
文中より引用します。
「われわれの読み書き歌い踊り描き語る、この無限の営みは終わることができない。
それ自体が、われわれの意味であり、人類が生き延びることそのものなのだから」
2019年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ありがとう。こんなに勇気づけられた本はなかった。
2017年11月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生きるための文学、生きるための哲学をかみくだき、美しくリズムのある語りで書いてある。世の中を変える革命の本体は暴力ではなくテキストの書き換えであり、その運動は本を読むことから始まる。本を読みその内容が”わかってしまう”というのはそのくらいパワーがあり、物騒なことでもある。本書の内容は刺激的で元気が沸いてくる。私の大切な一冊です。
2013年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
やっぱり、文を書き続けよう。と、ぼくはこの本に励まされた。数冊の翻訳とわずかの雑誌記事以外に、ぼくの書いたものが本になったことはない。文に力がないのか(きっとそうだ・・・)、あるいは、おごった言い方だが、読者があまり育っていないのか。
本にしてもらえないから、ネットで書く。出版物にされないそれらの文はどこに行くのだろうか。インターネットの密林で忘れ去られるのか。何百年かのちに、誰かの検索にヒットして、読んでもらえるのか。
じつは、ドストエフスキーの時代には、ロシアには字が読める人はほとんどいなかったらしい。読者なんて、今と比べれば、存在しないに等しかった。けれども、彼は書き続けた。いまや、世界中の何千万人もの青年が「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」を手に取り、読みふける。
何千万人などでなくてよい。たった一人の人が、千年後に、たまたま、ぼくの書いた文を読み、ああ、これだ、ああ、こうなんだ、と思ってくれて、少し何かが変わるきっかけになればよい。いや、そういう結果にならなくても、文を書くこと自体に、革命が孕まれている。結果以前の希望に、すでに意味がある。文を書くとは、そういうことだと教えられた。
表現は文だけでない。「詩も、歌も、ダンスも、楽器も、リズムも・・・あるいはさりげない日常の挨拶とか、挙措とか、表情」(p.156)にも革命が宿っている。楽しいことを思い、和やかな顔をする、固まった冷たい面々の前で笑顔でいつづける、それを見て、はっと気づいたり、変わったりする者が百万人にひとりくらいでもいるかも知れない。
ならば、憎むのではなく怒り、嘲笑するのではなく微笑もう。暴力ではなく生産を、殺すのではなく、育てよう。盗むのではなく、わかちあおう。これらを内包するあらゆる表現には、結果が出る前から、意味がある。だから、表現し続けよう。
他の時代と同様に、「もう終わり」とか「無意味」とかいう言葉が支配するこの時代に、「いや、終わりではない、始まったばかりだ」「結果ではなく、それ以前の書くこと、表現すること、いや、それに先立つ、〈読む〉ことに意味がある、読んで読み換え、書いて書き換える、そうして、希望は何百万年先まで進みゆく、そういうメッセージをこの本から受け取った。「誤読」「改ざん」かもしれないけれども。
ちなみに、こういう題、副題ですが、じつは、宗教を否定し、革命を賞賛する本ではありません。生きる意味と勇気を見いだせる一冊です。
本にしてもらえないから、ネットで書く。出版物にされないそれらの文はどこに行くのだろうか。インターネットの密林で忘れ去られるのか。何百年かのちに、誰かの検索にヒットして、読んでもらえるのか。
じつは、ドストエフスキーの時代には、ロシアには字が読める人はほとんどいなかったらしい。読者なんて、今と比べれば、存在しないに等しかった。けれども、彼は書き続けた。いまや、世界中の何千万人もの青年が「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」を手に取り、読みふける。
何千万人などでなくてよい。たった一人の人が、千年後に、たまたま、ぼくの書いた文を読み、ああ、これだ、ああ、こうなんだ、と思ってくれて、少し何かが変わるきっかけになればよい。いや、そういう結果にならなくても、文を書くこと自体に、革命が孕まれている。結果以前の希望に、すでに意味がある。文を書くとは、そういうことだと教えられた。
表現は文だけでない。「詩も、歌も、ダンスも、楽器も、リズムも・・・あるいはさりげない日常の挨拶とか、挙措とか、表情」(p.156)にも革命が宿っている。楽しいことを思い、和やかな顔をする、固まった冷たい面々の前で笑顔でいつづける、それを見て、はっと気づいたり、変わったりする者が百万人にひとりくらいでもいるかも知れない。
ならば、憎むのではなく怒り、嘲笑するのではなく微笑もう。暴力ではなく生産を、殺すのではなく、育てよう。盗むのではなく、わかちあおう。これらを内包するあらゆる表現には、結果が出る前から、意味がある。だから、表現し続けよう。
他の時代と同様に、「もう終わり」とか「無意味」とかいう言葉が支配するこの時代に、「いや、終わりではない、始まったばかりだ」「結果ではなく、それ以前の書くこと、表現すること、いや、それに先立つ、〈読む〉ことに意味がある、読んで読み換え、書いて書き換える、そうして、希望は何百万年先まで進みゆく、そういうメッセージをこの本から受け取った。「誤読」「改ざん」かもしれないけれども。
ちなみに、こういう題、副題ですが、じつは、宗教を否定し、革命を賞賛する本ではありません。生きる意味と勇気を見いだせる一冊です。
2011年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
佐々木中(ささきあたる)という「文学者」・評論家の語り下ろしのインタビューです。
とはいっても、対談形式ではなく、ナレーターも含めてすべて著者がやっています。
彼の定義する「文学」や「革命」に対する5部からなるセミナーみたいなものなのですが、「野戦と永遠」でもそうですが、一種、話し言葉のような語り口。広松渉みたいな漢語をそこに混ぜるとは。そもそも、ルジャンドル専門家なのでしょうが、そこから借りてきた概念を振り回し、それ以外の概念を用いての論議を「恥ずかしい」などといってしまう傲慢さ。
精緻な理論に基づくものではありません。繰り返したいときは「ウザい」ほど繰り返し、議論が面倒になるけど「繰り返しません」って、するっと逃げてしまう。
うーん、コアなファンじゃあないとね。
著者の言葉じゃないけど、一次資料(この場合はルジャンドルの著作)に当たった(読めないものを読む。読んでしまう。)方がためになりますね。
肩すかしをくらった感じの読後感でした。
とはいっても、対談形式ではなく、ナレーターも含めてすべて著者がやっています。
彼の定義する「文学」や「革命」に対する5部からなるセミナーみたいなものなのですが、「野戦と永遠」でもそうですが、一種、話し言葉のような語り口。広松渉みたいな漢語をそこに混ぜるとは。そもそも、ルジャンドル専門家なのでしょうが、そこから借りてきた概念を振り回し、それ以外の概念を用いての論議を「恥ずかしい」などといってしまう傲慢さ。
精緻な理論に基づくものではありません。繰り返したいときは「ウザい」ほど繰り返し、議論が面倒になるけど「繰り返しません」って、するっと逃げてしまう。
うーん、コアなファンじゃあないとね。
著者の言葉じゃないけど、一次資料(この場合はルジャンドルの著作)に当たった(読めないものを読む。読んでしまう。)方がためになりますね。
肩すかしをくらった感じの読後感でした。