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マイ・バック・ページ: ある60年代の物語 (河出文庫 か 5-2 BUNGEI Collection) 文庫 – 1993/11/1
川本 三郎
(著)
- 本の長さ223ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日1993/11/1
- ISBN-104309403913
- ISBN-13978-4309403915
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (1993/11/1)
- 発売日 : 1993/11/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 223ページ
- ISBN-10 : 4309403913
- ISBN-13 : 978-4309403915
- Amazon 売れ筋ランキング: - 879,853位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,892位河出文庫
- - 129,571位ノンフィクション (本)
- - 228,492位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2014年9月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
45年前の学生時代を思い出しました。浅間山荘事件。東大安田講堂事件。いろいろありました。
2021年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ベトナム戦争当時の若者および世相が伝わってくる。反戦・反政府思想の広がっていた中で不安を感じて模索する若者の姿が見えた。また、過激思想の男の取材のために有罪となった筆者の苦悩が伝わってきた。
2011年6月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
学生運動の時代について、文学的観点からすごく興味があり、よく手にします。
映画であれば、「実録・あさま山荘へのみち」がすごかった!
それに関連した永田洋子たちのルポを読んだことがあるが、それも凄かった。
胸をえぐられるような、なんでこんなことになってしまったのかと悔悟しか残らないような
若者たちの空洞化した挫折と失敗の物語。
だけど、あの時代、彼らは確実に生きていて、でもその「生」をつかむことを許さないなにかがあって…。
私(70年代生まれ)にはわからないなにかの中を、ただ生きていたのだろう。
さて、この本ですが。
映画をさきにみました。
正直、思っていたほどディープでなく。
だけど、浅間山荘のように、なにかたった少しずれたものが大きく破滅へと向かった物語という印象。
本は章だての短編回顧録のようになっていて、60年代の学生運動の熱気を伝えようとしてくれているのは分かります。
時代がわかる本、とい感じ。
犯罪がどうとか、記者の倫理がどうとか言うなら、もっと突っ込んで語ってほしかった。
だから、そんな深いものを求めないで、単純に「時代を感じる本」としてはいいのかも。
作者にとってもまだ、消化できていない時代なのかも。
そしてきっと、あの時代を生きていた若者たち全員にとってもつかみどころのない、
捕獲できない空気・時代だったのではないだろうか。
だから、しょうがないのかも…。
と、思わせる本でした。
映画であれば、「実録・あさま山荘へのみち」がすごかった!
それに関連した永田洋子たちのルポを読んだことがあるが、それも凄かった。
胸をえぐられるような、なんでこんなことになってしまったのかと悔悟しか残らないような
若者たちの空洞化した挫折と失敗の物語。
だけど、あの時代、彼らは確実に生きていて、でもその「生」をつかむことを許さないなにかがあって…。
私(70年代生まれ)にはわからないなにかの中を、ただ生きていたのだろう。
さて、この本ですが。
映画をさきにみました。
正直、思っていたほどディープでなく。
だけど、浅間山荘のように、なにかたった少しずれたものが大きく破滅へと向かった物語という印象。
本は章だての短編回顧録のようになっていて、60年代の学生運動の熱気を伝えようとしてくれているのは分かります。
時代がわかる本、とい感じ。
犯罪がどうとか、記者の倫理がどうとか言うなら、もっと突っ込んで語ってほしかった。
だから、そんな深いものを求めないで、単純に「時代を感じる本」としてはいいのかも。
作者にとってもまだ、消化できていない時代なのかも。
そしてきっと、あの時代を生きていた若者たち全員にとってもつかみどころのない、
捕獲できない空気・時代だったのではないだろうか。
だから、しょうがないのかも…。
と、思わせる本でした。
2012年2月25日に日本でレビュー済み
ベトナム戦争反対運動・学生(全共闘)運動・安保条約反対運動・連合赤軍事件・・・・・デモ/バリケード/シュプレヒコール/ローリング・ストーンズ/CCRなどなど。
ここに描かれる1969年から1972年にかけた日本社会の出来事は、あまり一般的なことではなく、一部の人たちしかかかわっていない特殊なことだという意見がもしあるとしたら愚かなことです。
たとえ実際に行動を起こした人が数万人だったとしても、確実に時代の突きつけてきた問題に真正面から誠実に応えようと、中には命を賭して命を落とした人もいるわけですが、もし地域制・まわりの制約などさまざまな理由で実際の行動ができなかったとしても、心情的には同意して後ろの方から応援していたということこそが、同時代に生きていた人として、あるいは後年見知った遅れてきた者としてのそれぞれの真摯に生きる人間としての証であると思います。
あるいは、もし何か怠っていたことがあるとしたら、その部分が今になってツケとして大きく自分の身の回りに重くのしかかって来ているような気になるのは私だけでしょうか。
本書は元々1988年に河出書房新社から上梓されたものが今回の映画化を期に復刊されたというわけですが、当時、彼は映画と文学の評論を書いてちょうど25冊ほどになった時点で、不惑も過ぎたことでもあるし、ここらでひとつ、そもそも自分が物書きになった契機というか出発点になった、例のあのことを書き残しておかねばなるまい、などという感慨を込めて着手したに違いありません。
彼の書いたものは、映画論・文学論・作家論・旅行記などから、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』や『夜の樹』などの翻訳まですべて読んでいますが、いつも自分を語るということがあまりありません。
そういう意味で、この本の中の出来事は、本人にとってのみならず私たち読者にとっても無視できない、文学と映画の新しい視点を持つ表現者として彼が登場するための、通過儀礼のような神聖な儀式だった気もします。
もし川本三郎が、ここに描かれているいわゆる朝霞自衛官殺害事件(1971年の秋、東京から埼玉にまたがる陸上自衛隊内で、自衛官が新左翼過激派=赤衛隊を名乗るグループによって殺害されるという事件が起こり、彼は指名手配中の犯人と接触して取材を行い記事にしたが、その際あずかった証拠品を焼却してしまって、犯人逮捕後に彼も犯人蔵匿と証拠隠滅の罪で逮捕され朝日を懲戒免職される)に関与していなかったら、朝日新聞社を首になってもいなければ、ましてやそののち映画評論や文芸評論に手を染めることもなく、ただ優秀な新聞記者としてまっとうしていくだけだったはずですが、人の人生とはどこにまったく異質な世界への扉が突然現れるかわからないもので、彼はその禁断の扉を開けてしまったのです。
当時の70年代は、新左翼過激派にとって武力革命が最優先の課題として浮上した時期であり、そのための武器の調達は必須のことで、この事件もそもそもの目的はそのことだったはずです。
でも、悲しいかな真の武闘派を目ざして切磋琢磨したわけでもないので、たとえ最終的には武器を使用するとしても、普段はむやみと人を殺さず、一撃のもとに気絶させて戦力喪失させるという、穏健な(?)方法を会得もしない素人ゆえに、殺害してしまったのです。
そののち、武器なら選り取り見取りの銃火器が沖縄の米軍基地に五万とあるぞと喝破したのは、平岡正明だったか誰だったか忘れてしまいましたが、何にしても無計画な半ば衝動的な中途半端なアマチュアリズムに満ち満ちていて、この3年後の三菱重工爆破事件などむやみやたらと人を殺害するだけのテロが横行していき、せっかくの革命が理想と希望への途ではなくなり、ただの野蛮な行為と化していくことになるのです。
全体を通して、読後もし何かロマンティックなものを感じるとしたら、あなたはきっと本質的には現実主義者でもリアリストでもなく、過去もしくは青春時代に悔恨の情を抱いているまったく誠実な人だというあかしなのだと思います。
というのも、どんなに一見ノスタルジックにみえようとも、彼はこれをそういうふうには書いていなくて、ただ過去の自分と死者への鎮魂として書いたのだと断言できます。
それから、高校生の時に初めて、卓越した都市論・文学論の『都市の感受性』と、楽しい映画エッセイ『ダスティン・ホフマンは「タンタン」を読んでいた』を手にしたときから密かに思っていたことですが、川本三郎の容貌って村上春樹にそっくり、似ていると思いませんか?
もうひとつオマケ。朝日新聞論説委員の外岡秀俊との対比。
9歳違いで1976年に同じ東大法学部在学中に書いた小説『北帰行』で文藝賞を得たあと筆を断ち、朝日新聞の記者になり紐育・倫敦の特派員を経て欧州総局長だった人と絡めて、報道と文学をめぐる断章(仮題)みたいなものを夢想しているのは私だけだと思いますが。
記述日 : 2011年4月9日 07:15:40
ここに描かれる1969年から1972年にかけた日本社会の出来事は、あまり一般的なことではなく、一部の人たちしかかかわっていない特殊なことだという意見がもしあるとしたら愚かなことです。
たとえ実際に行動を起こした人が数万人だったとしても、確実に時代の突きつけてきた問題に真正面から誠実に応えようと、中には命を賭して命を落とした人もいるわけですが、もし地域制・まわりの制約などさまざまな理由で実際の行動ができなかったとしても、心情的には同意して後ろの方から応援していたということこそが、同時代に生きていた人として、あるいは後年見知った遅れてきた者としてのそれぞれの真摯に生きる人間としての証であると思います。
あるいは、もし何か怠っていたことがあるとしたら、その部分が今になってツケとして大きく自分の身の回りに重くのしかかって来ているような気になるのは私だけでしょうか。
本書は元々1988年に河出書房新社から上梓されたものが今回の映画化を期に復刊されたというわけですが、当時、彼は映画と文学の評論を書いてちょうど25冊ほどになった時点で、不惑も過ぎたことでもあるし、ここらでひとつ、そもそも自分が物書きになった契機というか出発点になった、例のあのことを書き残しておかねばなるまい、などという感慨を込めて着手したに違いありません。
彼の書いたものは、映画論・文学論・作家論・旅行記などから、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』や『夜の樹』などの翻訳まですべて読んでいますが、いつも自分を語るということがあまりありません。
そういう意味で、この本の中の出来事は、本人にとってのみならず私たち読者にとっても無視できない、文学と映画の新しい視点を持つ表現者として彼が登場するための、通過儀礼のような神聖な儀式だった気もします。
もし川本三郎が、ここに描かれているいわゆる朝霞自衛官殺害事件(1971年の秋、東京から埼玉にまたがる陸上自衛隊内で、自衛官が新左翼過激派=赤衛隊を名乗るグループによって殺害されるという事件が起こり、彼は指名手配中の犯人と接触して取材を行い記事にしたが、その際あずかった証拠品を焼却してしまって、犯人逮捕後に彼も犯人蔵匿と証拠隠滅の罪で逮捕され朝日を懲戒免職される)に関与していなかったら、朝日新聞社を首になってもいなければ、ましてやそののち映画評論や文芸評論に手を染めることもなく、ただ優秀な新聞記者としてまっとうしていくだけだったはずですが、人の人生とはどこにまったく異質な世界への扉が突然現れるかわからないもので、彼はその禁断の扉を開けてしまったのです。
当時の70年代は、新左翼過激派にとって武力革命が最優先の課題として浮上した時期であり、そのための武器の調達は必須のことで、この事件もそもそもの目的はそのことだったはずです。
でも、悲しいかな真の武闘派を目ざして切磋琢磨したわけでもないので、たとえ最終的には武器を使用するとしても、普段はむやみと人を殺さず、一撃のもとに気絶させて戦力喪失させるという、穏健な(?)方法を会得もしない素人ゆえに、殺害してしまったのです。
そののち、武器なら選り取り見取りの銃火器が沖縄の米軍基地に五万とあるぞと喝破したのは、平岡正明だったか誰だったか忘れてしまいましたが、何にしても無計画な半ば衝動的な中途半端なアマチュアリズムに満ち満ちていて、この3年後の三菱重工爆破事件などむやみやたらと人を殺害するだけのテロが横行していき、せっかくの革命が理想と希望への途ではなくなり、ただの野蛮な行為と化していくことになるのです。
全体を通して、読後もし何かロマンティックなものを感じるとしたら、あなたはきっと本質的には現実主義者でもリアリストでもなく、過去もしくは青春時代に悔恨の情を抱いているまったく誠実な人だというあかしなのだと思います。
というのも、どんなに一見ノスタルジックにみえようとも、彼はこれをそういうふうには書いていなくて、ただ過去の自分と死者への鎮魂として書いたのだと断言できます。
それから、高校生の時に初めて、卓越した都市論・文学論の『都市の感受性』と、楽しい映画エッセイ『ダスティン・ホフマンは「タンタン」を読んでいた』を手にしたときから密かに思っていたことですが、川本三郎の容貌って村上春樹にそっくり、似ていると思いませんか?
もうひとつオマケ。朝日新聞論説委員の外岡秀俊との対比。
9歳違いで1976年に同じ東大法学部在学中に書いた小説『北帰行』で文藝賞を得たあと筆を断ち、朝日新聞の記者になり紐育・倫敦の特派員を経て欧州総局長だった人と絡めて、報道と文学をめぐる断章(仮題)みたいなものを夢想しているのは私だけだと思いますが。
記述日 : 2011年4月9日 07:15:40
2023年1月20日に日本でレビュー済み
川本三郎の本は『いまも、君を想う』という亡き妻についての本を買って読んで、少し辟易した。理由は忘れたけれども、文章が拙かったのかもしれない。同様の本に城山三郎の『君はもういないのか』があって近い時期に読んだように思う。こちらは妻への愛情が優しく伝わってくるとてもいい本だった。
そんなこともあって川本三郎の文章はもう読まなくていいと思っていたが、映画「三島由紀夫vs東大全共闘」を観て以来、1960年代に関する本をいくつか読んで、これに当たった。
この本は1988年の刊行当初から知っていた。ディランの曲のタイトルを借用した書名、内容も少し知っていた。
目次を見ると、12の章タイトルの文字級数が異常に大きい。章扉のタイトル文字も大きい。それは単純にいやな印象を与える。
内容は、東大法学部を卒業して朝日新聞社に入社した著者が3年間の新聞社時代に体験した70年前後の世相、そしてある活動家との関係。
川本は入社後、「週刊朝日」に配属され、3年目に「朝日ジャーナル」に移る。新聞社勤務はおよそ3年。逮捕され、会社を懲戒解雇になる。逮捕と解雇のことはぼんやりと知っていた。その経緯について詳しく書かれた本だ。
たとえば、どんな文章がいやかというと。
1975年の保倉幸恵(TV「黄色い涙」に出演)の自殺に関して、〈玉川学園高校を卒業するときに提出した彼女のレポートのテーマはジョン・レノンだったという。あのジョン・レノンの無残な死を知らずにすんだことだけは彼女にとって唯一の幸福かもしれない。〉と書いている。
ジョン・レノンの死を無残とだけ言い、彼女の唯一の幸福を語っている。この感覚が信じられない。こんな表現しかできない者が文章を発表すべきではないと、読みながら思う。だから『いまも、君を想う』にも辟易したのだろう。
〈テンプテーションズの「マイ・ガール」、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」、プロコル・ハルムの「青い影」……、どれもビートルズやストーンズの数々のヒット曲に比べれば名曲とはいえないかもしれないが……〉とある。どういう感覚なのかと疑う。川本にとって名曲とは何か。
本の後半は、活動家との関係から逮捕され、解雇に至る様子が書かれている。
このあたりを読んでいて、この本を読むのも無駄ではなかったと思った。事実を丹念に追っているので、読ませる。著者(新米記者)のあせり、あがきがよく読み取れる。
あとがきにこんな文章がある。〈新左翼運動の取材における記者のモラルというスタートの問題が忘れられ、私の性格の弱さとか記者としての未熟さといった個人の問題にすべてが還元されていった。このことを考えると私はいまでも無念の気持を抑えることができない。〉
これを読むと、やはりこの人はいまでも(刊行された1988年当時でも)わかっていないのだと思う。
本書の文章は「SWITCH」に連載されたもので、1988年に河出書房から出て、2010年に、映画化をきっかけに平凡社で復刊された。
読んでおいてよかったと思う。著者は正直に書いている。だからこそわかるが、やはり東大出のただお勉強ができる男の体験だ。
新聞記者になりたかったのだろうが、配属は週刊誌。それはじつにまっとうな人事だったと思う。しかし、それを不満に思った社員の独り善がり的な行動が殺人事件を生んだといったら酷かもしれないが、そうだと思う。すべてが人間観察、社会観察から得た実感がどこかズレた拙い思考によって発生している。
川本三郎はその後、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞を受賞している。評価を受け、名前も売れた。世間では立派な仕事をした人とされる。新聞記者のままではなし得なかった業績だろう。しかし、今後も川本の本を読もうとは思わない。
Amazonのレビューを見ると、星2つをつけた人物が、短く
「自分の不作為によって人が死んだというのを実感してないことだけは分かった。
ジャーナリズム(笑)」
まるで切り捨てるような2行だが、そのとおりだと思う。ほかに星を2つつけたレビューが2つあったが、それらにも同感できる。
川本は朝日新聞社が自分を守ってくれなかったと嘆く。それが勘違いだ。
川本のせいで、人(自衛官)が一人死んでいるのだ。本にはそのときの様子も詳しく書かれているが、人が死んだこと(人が死ぬかもしれないこと)に対する思いが書かれていない。自分のことしか考えなかったのだろう。それを隠さずに書くほど、バカ正直なのだろうが、やはり人間的な側面、あるいは文章を書く人間としてのデリカシーがない。
そんなこともあって川本三郎の文章はもう読まなくていいと思っていたが、映画「三島由紀夫vs東大全共闘」を観て以来、1960年代に関する本をいくつか読んで、これに当たった。
この本は1988年の刊行当初から知っていた。ディランの曲のタイトルを借用した書名、内容も少し知っていた。
目次を見ると、12の章タイトルの文字級数が異常に大きい。章扉のタイトル文字も大きい。それは単純にいやな印象を与える。
内容は、東大法学部を卒業して朝日新聞社に入社した著者が3年間の新聞社時代に体験した70年前後の世相、そしてある活動家との関係。
川本は入社後、「週刊朝日」に配属され、3年目に「朝日ジャーナル」に移る。新聞社勤務はおよそ3年。逮捕され、会社を懲戒解雇になる。逮捕と解雇のことはぼんやりと知っていた。その経緯について詳しく書かれた本だ。
たとえば、どんな文章がいやかというと。
1975年の保倉幸恵(TV「黄色い涙」に出演)の自殺に関して、〈玉川学園高校を卒業するときに提出した彼女のレポートのテーマはジョン・レノンだったという。あのジョン・レノンの無残な死を知らずにすんだことだけは彼女にとって唯一の幸福かもしれない。〉と書いている。
ジョン・レノンの死を無残とだけ言い、彼女の唯一の幸福を語っている。この感覚が信じられない。こんな表現しかできない者が文章を発表すべきではないと、読みながら思う。だから『いまも、君を想う』にも辟易したのだろう。
〈テンプテーションズの「マイ・ガール」、アレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」、プロコル・ハルムの「青い影」……、どれもビートルズやストーンズの数々のヒット曲に比べれば名曲とはいえないかもしれないが……〉とある。どういう感覚なのかと疑う。川本にとって名曲とは何か。
本の後半は、活動家との関係から逮捕され、解雇に至る様子が書かれている。
このあたりを読んでいて、この本を読むのも無駄ではなかったと思った。事実を丹念に追っているので、読ませる。著者(新米記者)のあせり、あがきがよく読み取れる。
あとがきにこんな文章がある。〈新左翼運動の取材における記者のモラルというスタートの問題が忘れられ、私の性格の弱さとか記者としての未熟さといった個人の問題にすべてが還元されていった。このことを考えると私はいまでも無念の気持を抑えることができない。〉
これを読むと、やはりこの人はいまでも(刊行された1988年当時でも)わかっていないのだと思う。
本書の文章は「SWITCH」に連載されたもので、1988年に河出書房から出て、2010年に、映画化をきっかけに平凡社で復刊された。
読んでおいてよかったと思う。著者は正直に書いている。だからこそわかるが、やはり東大出のただお勉強ができる男の体験だ。
新聞記者になりたかったのだろうが、配属は週刊誌。それはじつにまっとうな人事だったと思う。しかし、それを不満に思った社員の独り善がり的な行動が殺人事件を生んだといったら酷かもしれないが、そうだと思う。すべてが人間観察、社会観察から得た実感がどこかズレた拙い思考によって発生している。
川本三郎はその後、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞を受賞している。評価を受け、名前も売れた。世間では立派な仕事をした人とされる。新聞記者のままではなし得なかった業績だろう。しかし、今後も川本の本を読もうとは思わない。
Amazonのレビューを見ると、星2つをつけた人物が、短く
「自分の不作為によって人が死んだというのを実感してないことだけは分かった。
ジャーナリズム(笑)」
まるで切り捨てるような2行だが、そのとおりだと思う。ほかに星を2つつけたレビューが2つあったが、それらにも同感できる。
川本は朝日新聞社が自分を守ってくれなかったと嘆く。それが勘違いだ。
川本のせいで、人(自衛官)が一人死んでいるのだ。本にはそのときの様子も詳しく書かれているが、人が死んだこと(人が死ぬかもしれないこと)に対する思いが書かれていない。自分のことしか考えなかったのだろう。それを隠さずに書くほど、バカ正直なのだろうが、やはり人間的な側面、あるいは文章を書く人間としてのデリカシーがない。
2011年7月15日に日本でレビュー済み
映画を観てから原作を買いました。
こちらは、エッセイ集。
時間軸も、登場人物もバラバラ。
読み物としては、
ストーリー性はないが、
極、個人的な回顧録ともいえるが、
そこに描かれている歴史的事実は、
重さがある。
リアルな登場人物たちと、
巻き込まれた、当時の若者の告白は、
乾いた文体とは裏腹に、
妙に、切ない気にさせる。
事実は小説よりも奇なり、
と言うが、
ほんの少しの迷いや、
選択の違いが、
大きく人の未来を変えてしまう。
だからと言って、
過去を変えることも、
後悔することもない。
ただひたすらに、
その時を生きただけなのだ。
ちなみに、
このエッセイを読むと、
映画の脚本が秀逸だったことがさらにわかった。
こちらは、エッセイ集。
時間軸も、登場人物もバラバラ。
読み物としては、
ストーリー性はないが、
極、個人的な回顧録ともいえるが、
そこに描かれている歴史的事実は、
重さがある。
リアルな登場人物たちと、
巻き込まれた、当時の若者の告白は、
乾いた文体とは裏腹に、
妙に、切ない気にさせる。
事実は小説よりも奇なり、
と言うが、
ほんの少しの迷いや、
選択の違いが、
大きく人の未来を変えてしまう。
だからと言って、
過去を変えることも、
後悔することもない。
ただひたすらに、
その時を生きただけなのだ。
ちなみに、
このエッセイを読むと、
映画の脚本が秀逸だったことがさらにわかった。