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かぜのてのひら (河出文庫 た 1-4 BUNGEI Collection) 文庫 – 1994/5/1
俵 万智
(著)
- 本の長さ188ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日1994/5/1
- ISBN-104309404146
- ISBN-13978-4309404141
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (1994/5/1)
- 発売日 : 1994/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 188ページ
- ISBN-10 : 4309404146
- ISBN-13 : 978-4309404141
- Amazon 売れ筋ランキング: - 568,314位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「サラダ記念日」に感銘を受けたため、第二歌集を手に取ったが、やはり上手い。何気ない
日常にある発見を三十一音に掬い取ることでドラマが生まれる。以下、印象的な歌を挙げて
みる。
階段を昇るあなたの足音の前奏曲として雨の音
劇場を出れば木枯らし駅までは同じ何かを持ちて歩めり
炭をつぐ点前見守る中に知る時間に濃きと薄きのあるを
あの夏に君と笑ったお芝居のチケット栞にして読む詩集
恋という遊びをせんとや生まれけん かくれんぼして鬼ごっこして
今日あたり届いてしまうあなたへの手紙の言葉を何度もたどる
一時間五百円にて青春は売られておりぬマクドナルドで
四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら
背に揺れる水筒の中の水音を体内音のように聞きおり
「不自然な変化ではなく、自然な変化を、私は自分自身に、そして短歌に、求めていきたい」
と巻末に書いているが、短歌が等身大で生きる歌人のその時々の心持ちを映し出している。
「歌を作ることは、生きている証し」とあるように短歌で自伝を綴る人生を送っている途上
だと言えるだろうが、日々を丁寧に生きることが心に響く歌を生むことを実践を通して教えて
くれる。
日常にある発見を三十一音に掬い取ることでドラマが生まれる。以下、印象的な歌を挙げて
みる。
階段を昇るあなたの足音の前奏曲として雨の音
劇場を出れば木枯らし駅までは同じ何かを持ちて歩めり
炭をつぐ点前見守る中に知る時間に濃きと薄きのあるを
あの夏に君と笑ったお芝居のチケット栞にして読む詩集
恋という遊びをせんとや生まれけん かくれんぼして鬼ごっこして
今日あたり届いてしまうあなたへの手紙の言葉を何度もたどる
一時間五百円にて青春は売られておりぬマクドナルドで
四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら
背に揺れる水筒の中の水音を体内音のように聞きおり
「不自然な変化ではなく、自然な変化を、私は自分自身に、そして短歌に、求めていきたい」
と巻末に書いているが、短歌が等身大で生きる歌人のその時々の心持ちを映し出している。
「歌を作ることは、生きている証し」とあるように短歌で自伝を綴る人生を送っている途上
だと言えるだろうが、日々を丁寧に生きることが心に響く歌を生むことを実践を通して教えて
くれる。
2016年8月14日に日本でレビュー済み
ここからは海となりゆく石狩の河口に立てば、立てば天啓 香水のびん落ちるとき黄金の獣のように液ゆらめきぬ ひかれあうことと結ばれあうことは違う二人に降る天気あめ 清流を飲みほしている我なりき未明四万十川の夢見る 海底に鯨の親子が鳴きかわすように心を結べればいい 雨のふる確率三〇パーセントだからでもなく傘を手渡す
2022年2月12日に日本でレビュー済み
デビュー作がベストセラーになり、大きな話題にもなった『サラダ記念日』。これは第二歌集。
自分としてはこちらの方が落ち着いて読めた。
『サラダ記念日』はタイトルがタイトルだし、超話題作で、キラキラしている。『かぜのてのひら』
になると、内容が作者にとってより身近になり、実生活をする中での深い陰影が現れる。
内容としては、「日常感情を歌ったもの、恋愛感情を歌ったもの、家族についての歌(父と母)、
勤務先の高校での教師としての日常、旅先での歌」などがある。各章の最後の歌を読むと、その章
自体が一つの歌のようにふわりと立ちあがる。
日常生活の感情を詠んだものの間に、花を歌ったもの(ユリ、桔梗、りんどう、すずらん、ドライ
フラワー、タンポポ)が挟まれる構成。
次の『チョコレート革命』は不倫を扱った歌集として知られている。『かぜのてのひら』も、陽光を
浴びて恋愛を謳歌する句はなく、作者の微妙な立ち位置と、そうさせている相手の存在を感じさせる。
「ひかれあうことと結ばれあうことは違う」「君とは結婚できない」「かつて我が夫に立候補せし人」
・・こういう言葉を短歌として詠み、成立させているところに、作者が腕前を実感する。
恋愛感情を詠んだ「まもなくの冬」の後に、「ユリ」がくる。谷川俊太郎の『定義』のような冷静さに
貫かれていて、効果的。ユリの姿形の中に、作者は自分に似たものを見出している。
普通に並べただけの言葉に、これしかないというような感じが出る。例えば「月島の路地のはずれの
販売機」という575。ここまで短歌という形式と、自分の生活と表現が密着しているというのも、
どうなのかと思うほど、作者は和歌という形式と重なり合っている。
冒頭から一貫して、通奏低音のように響いている恋愛感情は、後半の「そこまでの空」で終わりを
迎える。「別れた人」「返事せぬ」手紙、「おしまいにするはずだった恋」といった言葉が並ぶ。
だが「ドライフラワー」では、もう違う人物が登場し、わたしは「激しき胸に抱かれている」。
この章の終わりの3歌では、揺れる心のひだが描かれる。
装幀は、デビュー作『サラダ記念日』から続く菊地信義。カバーに大きく歌を配したレイアウトと、
本体の和風なテイストが気に入っているので、単行本を買った。
自分としてはこちらの方が落ち着いて読めた。
『サラダ記念日』はタイトルがタイトルだし、超話題作で、キラキラしている。『かぜのてのひら』
になると、内容が作者にとってより身近になり、実生活をする中での深い陰影が現れる。
内容としては、「日常感情を歌ったもの、恋愛感情を歌ったもの、家族についての歌(父と母)、
勤務先の高校での教師としての日常、旅先での歌」などがある。各章の最後の歌を読むと、その章
自体が一つの歌のようにふわりと立ちあがる。
日常生活の感情を詠んだものの間に、花を歌ったもの(ユリ、桔梗、りんどう、すずらん、ドライ
フラワー、タンポポ)が挟まれる構成。
次の『チョコレート革命』は不倫を扱った歌集として知られている。『かぜのてのひら』も、陽光を
浴びて恋愛を謳歌する句はなく、作者の微妙な立ち位置と、そうさせている相手の存在を感じさせる。
「ひかれあうことと結ばれあうことは違う」「君とは結婚できない」「かつて我が夫に立候補せし人」
・・こういう言葉を短歌として詠み、成立させているところに、作者が腕前を実感する。
恋愛感情を詠んだ「まもなくの冬」の後に、「ユリ」がくる。谷川俊太郎の『定義』のような冷静さに
貫かれていて、効果的。ユリの姿形の中に、作者は自分に似たものを見出している。
普通に並べただけの言葉に、これしかないというような感じが出る。例えば「月島の路地のはずれの
販売機」という575。ここまで短歌という形式と、自分の生活と表現が密着しているというのも、
どうなのかと思うほど、作者は和歌という形式と重なり合っている。
冒頭から一貫して、通奏低音のように響いている恋愛感情は、後半の「そこまでの空」で終わりを
迎える。「別れた人」「返事せぬ」手紙、「おしまいにするはずだった恋」といった言葉が並ぶ。
だが「ドライフラワー」では、もう違う人物が登場し、わたしは「激しき胸に抱かれている」。
この章の終わりの3歌では、揺れる心のひだが描かれる。
装幀は、デビュー作『サラダ記念日』から続く菊地信義。カバーに大きく歌を配したレイアウトと、
本体の和風なテイストが気に入っているので、単行本を買った。
2003年6月11日に日本でレビュー済み
俵万智さんの作品はひらがなのタイトルが似合っている。
短歌の中の文字をそのままタイトルにしているが、耳に入ってくる響きも良い。
橋本高校を去っていく心境や、父親へ向ける娘の視線が自然で好きです。
短歌の中の文字をそのままタイトルにしているが、耳に入ってくる響きも良い。
橋本高校を去っていく心境や、父親へ向ける娘の視線が自然で好きです。
2012年2月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
淡い恋心を歌った「サラダ記念日」、大人の恋を描いた「チョコレート革命」、母親としての親心が伝わってくる「プーさんの鼻」と時代ごとに作品を並べるなら、本作品は「サラダ記念日」と「チョコレート革命」の中間にあたる。「サラダ記念日」のようなほのぼのさ、応援したくなるような乙女の恋心が本作品には減っていると思う。また「チョコレート革命」のような危なく、頼りない恋だけれども、それでも突き進みたいという決意も少ない。両方のよさをもってはいるが、中途半端さは否めないというのが、率直な感想である。彼女の作品を時代ごとに追っていきたい人はぜひ読んでおくべき作品でもあると思う。