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東京ゲスト・ハウス 文庫 – 2005/10/5
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・総ページ数:176
・ISBNコード:9784309407609
- 本の長さ176ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2005/10/5
- ISBN-104309407609
- ISBN-13978-4309407609
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2005/10/5)
- 発売日 : 2005/10/5
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 176ページ
- ISBN-10 : 4309407609
- ISBN-13 : 978-4309407609
- Amazon 売れ筋ランキング: - 735,165位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,577位河出文庫
- - 16,942位日本文学
- - 32,404位楽譜・スコア・音楽書 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年路傍の石文学賞、03年『空間庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞。著者に『三月の招待状』『森に眠る魚』『くまちゃん』など多数。2010年7月には、毎日新聞の連載『ひそやかな花園』も単行本化された。
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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作中の若者たちのような若者なんて腐るほどいるんだろうなあ。でも抜け出して我が道を行けるやつもいるんだ、全ては自分次第だ。頑張れ若者。
成田空港を出た電車やリムジンバスの車窓から見える風景に、
自分の居場所の無さを感じた主人公は、アジアのルーズな気だるさを
漂い続けるように「東京ゲスト・ハウス」に引き寄せられる。
日本の中の「アジア」、そこで繰り広げられる「旅の縮図」のような出来事。
それらは、周囲の「日本人」からは相手にされない。
そんな箱庭のような「旅」に入り込んだ「王様」という名の「日常」、或いは「大人」。
そこから再び逃げ出す友人もあるが、主人公は「日常」に向かい合い、
自分が旅の中で何を見て、何を感じたのか、旅を経て自分はどう
変わったのかを自問し始める・・・。
湿気を含んだ南風を感じながら、ゆったりと読み進めるうちに、
次第に「自分とは何か」と考えさせらる、角田光代の中でもお薦めの逸品。
自分も海外旅行が好きで、若い頃はひとりふらふら何ヶ月も出かけて行ったものでした。何か新しいものがみつけたいから出て行く、出ている間は充実している、けれどいつかお金も尽きる、帰らなくはならないんだろうけど・・帰りたくない、でも帰ってきてしまった、と。それがたとえば砂漠の中で遊牧民がうろうろしているような日本とかけ離れた土地からだと、浮遊感というか違和感がものすごいのです。自分はいったいどこにいるのか?本当はどこにいたいのか?何がしたいのか?どこにも属していない、属すことができない奇妙に空虚な感じ。この小説を読んで、その頃のことをまざまざと思い出しました。
日本に帰ってきたくなかったとか、または逆に帰ってきたかったとかいうことではなく、最終的には自分は何をしたいのか?という問題に行き着くのだと思います。けれどそれはそんな簡単に答えの出ることではないし、またたとえみつかったとしても、かなうとは限らない、そのあたりのやるせなさがよく描かれています。この小説でも結論めいたものはでていませんが、その曖昧さが、まさに人生かなという気がします。
また、この小説は、旅立った人と、相手に旅立たれてしまった人との物語でもあります。アキオとマリコ、そしてアキオと下宿屋の主の暮林さん。もし続編があるとしたら、たとえば数年後、登場人物たちはどうしているんだろう?社会適応して就職したり結婚したりしているのか?また海外に出て行ったのか?それともいつまでもこの下宿で沈没しているのか・・・?そんなことも思わず考えてしまいました。
ある場所からある場所へ移るまでの間、ある程度まとまった期間滞在する宿、ゲストハウス。あくまでも中継地点であるその場所で人々はそれぞれの暮らしを送り、顔を合わせてはちょっとした話をして笑い転げたり立腹したりしながらペースを組み立てていく。やがてその緩慢な日々は倦んだ空気を生み出し、ずっとこうしていたいとおもう一方その100倍くらいの強さで嫌気がさし、また何かを求めて当てもなく旅に出る。
まるで自分の生活の縮図である。今自分のいるこの場所は自分のいるべき場所への中継地点に過ぎないのだという意識、あるいは希望的観測に否応なく気づかされた。もちろん今の生活がいつまでも続くということはないだろうが、中にいる内はいつも漠然と不安で、それでいてやり過ごせる事柄の範疇を出ないので、ふつうの暮らしを装っていられるというだけなのだ。
旅とは自己の発見であるとの教科書の一節に、はいはい、あなたは机の上で難しいこと考えててください(筋違い)と、以前はとりあいもしなかった。そして今、ここではない場所にいる自分を想像してみると、あのせりふをなんだかうまく鼻で笑えそうにない
そのことに対して、不安はないといえば嘘になる。
そんな、青春の1ページを垣間見た感じの内容でした。
若かりし頃を思いだします。
「何か」を目的にするわけではなく、「何か」を見たいわけでもなく、「何か」に憧れているわけでもなく、熱病のようにバックパックに衣服をつめそうになる……実際にそうやって海外に出た経験はない私でも、そんなことを考えて部屋の隅に座り込んだことがあった。
アジアを放浪してきて、彼女には知らない男ができていて、旅先で知り合った女性の家に住み込んで、同じ様な放浪者がどんどんと住み着いて……
なんかここ、アジアくさいと思わない?
私の周りに流れている時間や匂いとは違うものが、このストーリーの中には詰まっています。憧れる……のとはちょっと違いますが、なぜか触れてみたくなる、そんな魅力の詰まった小説です。
旅に出たことのある人が、おそらく一度は必ず自問するであろう、この「問い」にすらりと答えることは難しい。旅なんてそんなに大げさなものではないし、他人に自慢するものでもない。ましてやその答えを誰かに押し付けるものでは、決してない。
一度行ってしまったどこかここではない≪場所≫を、日常の生活のなかで見出すことができたら、と願う、あるいは、見出せることを確信して待つ人たち。それが、旅に出てしまった人間の抱えることになる運命なのかもしれない。