自分の大学時代を想い出して切なくて切なくて...。読後、しばらく放心状態に陥りました
後書きに「ナチュラルウーマンの方が思い切って書いた」みたいな松浦理英子さんのお話がありましたが、私はこのセバスチャンの方がプラトニックなだけ、より胸に迫るものがありました。
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セバスチャン (河出文庫 ま 1-2) 文庫 – 2007/12/4
松浦 理英子
(著)
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2007/12/4
- ISBN-104309408826
- ISBN-13978-4309408828
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2007/12/4)
- 発売日 : 2007/12/4
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 222ページ
- ISBN-10 : 4309408826
- ISBN-13 : 978-4309408828
- Amazon 売れ筋ランキング: - 810,367位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2013年4月7日に日本でレビュー済み
主人公は麻希子21歳、大学を2年で中退してイラストで生活。同級生の背理という
名前の女性と「主従関係」にあり、それを望み、背理を愛している。背理は麻希子に
理不尽な関わりをする。工也は小児麻痺で左足が不自由な年下の青年、なりたくて小
児麻痺になったと言う。麻希子は工也を好きになる。登場人物が語る内容が、実感で
きないし、感覚でも理解できない。読みにくく、読後感は良くない。自分が考えたこ
とのない発想の会話ばかりであるためか。
しかし、小児麻痺の青年が登場する小説として読むと、いろいろ面白い点が多数あ
る。
作者松浦理英子は1958年生まれ、「セバスチャン」1981年の作、作者23歳の時。
女であること、大人の女になること、社会的に女になること等々、女性であることに
関わる疑問を持った作者の、女性であることを問う小説である。その小説に、なぜ小
児麻痺の青年を登場させる必要があったのか。男女の差の一つは「力」。物理的に発
する力。片足が不自由という機能障害を持つ男性は、性に疑問や懐疑を持つ女性に
とっては、「力」の差を感じさせない、通常の男性とは違う人間性を感じとった、と
読める。
この小説の工也と同じ障害を持った人が読んだとき、どう感じるかを想像する必要がある。文
学作品を鑑賞するという極めて感覚的・心理的な活動の結果、障害を持つことの理解
を深め、障害者差別の解消に向かうことになったどうか。表面的にきれいな障害者の
描き方がされている小説は、そういったことを論じるのが難しい(こういった作品こ
そ評論が必要なのだが)。しかし、この「セバスチャン」は、美しい話ではないため、種々問題を論じやす
いテキストとなり得る。
人が成長すること、社会の影響を受けることと個人の関係、性差、女性性、セク
シャリティーとセックスを、このような観点で考えている人がいることに驚くのだが、
自分が世間知らず、幼稚な故か。まして、同年代の者が、同時代に考えていたとは。
名前の女性と「主従関係」にあり、それを望み、背理を愛している。背理は麻希子に
理不尽な関わりをする。工也は小児麻痺で左足が不自由な年下の青年、なりたくて小
児麻痺になったと言う。麻希子は工也を好きになる。登場人物が語る内容が、実感で
きないし、感覚でも理解できない。読みにくく、読後感は良くない。自分が考えたこ
とのない発想の会話ばかりであるためか。
しかし、小児麻痺の青年が登場する小説として読むと、いろいろ面白い点が多数あ
る。
作者松浦理英子は1958年生まれ、「セバスチャン」1981年の作、作者23歳の時。
女であること、大人の女になること、社会的に女になること等々、女性であることに
関わる疑問を持った作者の、女性であることを問う小説である。その小説に、なぜ小
児麻痺の青年を登場させる必要があったのか。男女の差の一つは「力」。物理的に発
する力。片足が不自由という機能障害を持つ男性は、性に疑問や懐疑を持つ女性に
とっては、「力」の差を感じさせない、通常の男性とは違う人間性を感じとった、と
読める。
この小説の工也と同じ障害を持った人が読んだとき、どう感じるかを想像する必要がある。文
学作品を鑑賞するという極めて感覚的・心理的な活動の結果、障害を持つことの理解
を深め、障害者差別の解消に向かうことになったどうか。表面的にきれいな障害者の
描き方がされている小説は、そういったことを論じるのが難しい(こういった作品こ
そ評論が必要なのだが)。しかし、この「セバスチャン」は、美しい話ではないため、種々問題を論じやす
いテキストとなり得る。
人が成長すること、社会の影響を受けることと個人の関係、性差、女性性、セク
シャリティーとセックスを、このような観点で考えている人がいることに驚くのだが、
自分が世間知らず、幼稚な故か。まして、同年代の者が、同時代に考えていたとは。
2007年8月14日に日本でレビュー済み
マゾヒズムという経路を経てしか他者・世界と関われない人々、
また一見その同類のようでありながら気がつけば「普通の世界」に「堕ちる」人の姿を
一人称で綴る物語。
主人公にある冷えきった透明感と、それを裏打ちするマゾヒズムの感覚に
共感が持てるかどうかで、この作品の読む人にとっての価値は大きく変わってくるだろう。
正直に言って私は共感できなかった。
学生時代につき合っていた相手から貰い、初めて読んだ時も
またそれから10年以上を経て読み直した時も。
この世界の中にこのような感覚の持ち主が本当にいるのか?
作者自身は登場人物のどこに魅力を感じているのか?
そして彼らを描くことで何を伝えたかったのか?
私には分からない。
しかし、この独特の世界を通して
何か自分の中に響くものがある人もいることだろう、
この本をくれた相手のように。
また一見その同類のようでありながら気がつけば「普通の世界」に「堕ちる」人の姿を
一人称で綴る物語。
主人公にある冷えきった透明感と、それを裏打ちするマゾヒズムの感覚に
共感が持てるかどうかで、この作品の読む人にとっての価値は大きく変わってくるだろう。
正直に言って私は共感できなかった。
学生時代につき合っていた相手から貰い、初めて読んだ時も
またそれから10年以上を経て読み直した時も。
この世界の中にこのような感覚の持ち主が本当にいるのか?
作者自身は登場人物のどこに魅力を感じているのか?
そして彼らを描くことで何を伝えたかったのか?
私には分からない。
しかし、この独特の世界を通して
何か自分の中に響くものがある人もいることだろう、
この本をくれた相手のように。
2008年2月5日に日本でレビュー済み
不器用な主人公たちの危ういセクシュアリティの異変。
何気ない会話の戯れに惹きつけられました。
何気ない会話の戯れに惹きつけられました。
2006年7月26日に日本でレビュー済み
のちの作品『ナチュラル・ウーマン』のような思い切った生々しさはない。それだけに若書きという感は否めないかも知れないが、若さゆえの気負いや清潔さがかえって新鮮である。彼女の作品を読むたびに愛の孤独ということを考えずにいられない。この主人公はこれからどこへ行くのだろう。そんなことをふと思ってしまう。
2001年5月20日に日本でレビュー済み
この人の文章は読みやすいすっきりとした感じがします。しかしこの本の内容は、人によってはかなりじれったいものかもしれません。というのもあまり主人公が動きまわっている話ではないので。良い意味でも悪い意味でも「空気が止まっている」感がする本ですから、それを好むか嫌うかでこの本に対する印象は違うでしょう。多少閉塞感がある作品を好む方に。
2003年4月18日に日本でレビュー済み
主人公・麻希子は同性の背理を愛している。行き過ぎた友情の投影としてのレズビアニズムではなく、彼女たちのそれは、主人と奴隷という主従関係である。
この作者の作品にはレズとSMが多く登場する。だがレズビアンの物語というよりは、一方が優越的ポジションを保ち、もう一方が従僕の姿勢を維持することでなんとか成り立っている人間関係の物語であり、男性性を不要とする物語なのである。
男性はこの物語をどう読まれるのだろう。男性性が排除された世界、(あるいは登場女性に必要とされていないというべきか)読後、不安を抱きおそれおののくのか、鼻で笑い飛ばすのか。男性の感想から女性観も(きっと)うかがえる一冊、間違いなし。
私は(女性ですが)単純に面白かったです、おすすめ。
この作者の作品にはレズとSMが多く登場する。だがレズビアンの物語というよりは、一方が優越的ポジションを保ち、もう一方が従僕の姿勢を維持することでなんとか成り立っている人間関係の物語であり、男性性を不要とする物語なのである。
男性はこの物語をどう読まれるのだろう。男性性が排除された世界、(あるいは登場女性に必要とされていないというべきか)読後、不安を抱きおそれおののくのか、鼻で笑い飛ばすのか。男性の感想から女性観も(きっと)うかがえる一冊、間違いなし。
私は(女性ですが)単純に面白かったです、おすすめ。