元版を手に入れようと長年苦労していましたが、文庫になっていたとは。
しかも文庫でももう品切れだったとは。
わが目の行き届かなさに失望すると同時に、
Amazonのユースドのありがたさを実感する身。
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創作落語論 (河出文庫 や 23-1) 文庫 – 2009/6/4
五代目 柳家つばめ
(著)
「古典落語は邪道だ」のキャッチコピーで一世を風靡、古典至上主義の落語界に一石を投じた幻の名著が復活。大衆・社会論へと展開する刺激的な落語論。文庫化に際して、詳細な解題、対談を収録。
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2009/6/4
- ISBN-104309409679
- ISBN-13978-4309409672
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商品の説明
著者について
1929-74年。國學院大学卒業後、5代目柳家小さんに入門。政治や社会を諷刺した新作落語で人気を博す。著書に『落語の世界』『私は栄ちゃんと呼ばれたい』などがある。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2009/6/4)
- 発売日 : 2009/6/4
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 246ページ
- ISBN-10 : 4309409679
- ISBN-13 : 978-4309409672
- Amazon 売れ筋ランキング: - 507,888位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,952位河出文庫
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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2020年5月19日に日本でレビュー済み
新作落語の創成期に活躍した柳家つばめの落語論。柳家つばめは、師匠の5代目小さんから、「考えすぎちゃう」と言われつつ、頼りにされて懐刀と言われたそうです。考えすぎてしまう落語家による、でも本質は外さない落語論であり、今読んでも新鮮です。古典落語が圧倒的だった時代に新作落語に挑戦した実践者の息遣いが感じられます。私自身が好きな本で幅広い落語ファンにお勧めします。
以下、私なりに本書の魅力を纏めてみましたので、皆さまのご参考になれば幸いです。
+++
1.古典落語は邪道である!!
著者・柳家つばめの弟子である夢月亭清麿によると、つばめの師匠である五代目柳家小さんは、「つばめはな、考えすぎちゃうんだよな。考えすぎちゃうやつは落語家に向かねえんだけどな。」と言っていたそうだ。本書は、考えすぎてしまう落語家による落語論である。
つばめは、「古典落語は邪道である」という。曰く、落語は、大衆芸能なのだから、落語家は現代人が面白いと思える話を創作し、客の反応をみて話を磨くことによって、常に変化を続けていくのが本道であり、伝承芸能と堕した古典落語は邪道である。
2.佐藤栄作の正体とは?
本書の出版は1972年。昭和50年代に三遊亭円丈が登場するよりも前である。著者は、現在に続く新作落語の流れを準備したといえる。しかし、著者の落語は、現在の新作落語の主流とも異なり、たとえば政治家を題材にする落語なども創作していた。
大衆が関心を持っている旬な題材を扱うことを試みた結果である。本書では、政治やプライベートなど難しい題材を扱う際の作法や、「佐藤栄作の正体」という噺をテレビで演じたことで著者に降りかかった事件にも触れられている。
本書の内容には、現代では当てはまらない部分も少なくない。古典落語を強く否定してみせたこと自体、古典落語が圧倒的であったという時代背景があってのことである。他方、本書の根幹をなす落語観自体は現代に通じるものであるように思う。
つばめは、何を考え、何と戦い、何に悩んでいたのか。本書は、新作落語創成期の実践者であるつばめの生身の言葉に触れられるだけでも面白いし、現在の落語や読者の考えと比較しながら読むことで、落語の見方を広げてくれる楽しさがある。
3.立川談志コンプレックス?!
ところで、つばめは、大衆型の人間と非大衆型の人間という分類を披露している。その上で、落語を支えるのは大衆型の人間であるが、大衆型の人間は先天的に一定数がいるから、教育・社会が進歩しても落語が命運を共にする大衆はいなくならない、と主張する。この主張は、つばめにしては珍しく、取って付けたような感がある。
つばめが述べる両タイプの特徴につばめ自身を当てはめると、典型的な非大衆型の人間のように思われる。他方、大衆型の人間の典型としては、つばめの同門同期である立川談志を思い浮かべずにはいられない。この分類の背後に、大衆を魅了する天性の才能との距離を自覚して、考えながら大衆に歩み寄るしかないという自虐と覚悟を感じた。
4.二度と聞けない
つばめは、本書出版の2年後の1974年に亡くなった。つばめを頼りにしていた小さんは、「自分の右腕をとられたような気がする」と絶句したそうだ。つばめの落語を聞いてみたかった。
以下、私なりに本書の魅力を纏めてみましたので、皆さまのご参考になれば幸いです。
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1.古典落語は邪道である!!
著者・柳家つばめの弟子である夢月亭清麿によると、つばめの師匠である五代目柳家小さんは、「つばめはな、考えすぎちゃうんだよな。考えすぎちゃうやつは落語家に向かねえんだけどな。」と言っていたそうだ。本書は、考えすぎてしまう落語家による落語論である。
つばめは、「古典落語は邪道である」という。曰く、落語は、大衆芸能なのだから、落語家は現代人が面白いと思える話を創作し、客の反応をみて話を磨くことによって、常に変化を続けていくのが本道であり、伝承芸能と堕した古典落語は邪道である。
2.佐藤栄作の正体とは?
本書の出版は1972年。昭和50年代に三遊亭円丈が登場するよりも前である。著者は、現在に続く新作落語の流れを準備したといえる。しかし、著者の落語は、現在の新作落語の主流とも異なり、たとえば政治家を題材にする落語なども創作していた。
大衆が関心を持っている旬な題材を扱うことを試みた結果である。本書では、政治やプライベートなど難しい題材を扱う際の作法や、「佐藤栄作の正体」という噺をテレビで演じたことで著者に降りかかった事件にも触れられている。
本書の内容には、現代では当てはまらない部分も少なくない。古典落語を強く否定してみせたこと自体、古典落語が圧倒的であったという時代背景があってのことである。他方、本書の根幹をなす落語観自体は現代に通じるものであるように思う。
つばめは、何を考え、何と戦い、何に悩んでいたのか。本書は、新作落語創成期の実践者であるつばめの生身の言葉に触れられるだけでも面白いし、現在の落語や読者の考えと比較しながら読むことで、落語の見方を広げてくれる楽しさがある。
3.立川談志コンプレックス?!
ところで、つばめは、大衆型の人間と非大衆型の人間という分類を披露している。その上で、落語を支えるのは大衆型の人間であるが、大衆型の人間は先天的に一定数がいるから、教育・社会が進歩しても落語が命運を共にする大衆はいなくならない、と主張する。この主張は、つばめにしては珍しく、取って付けたような感がある。
つばめが述べる両タイプの特徴につばめ自身を当てはめると、典型的な非大衆型の人間のように思われる。他方、大衆型の人間の典型としては、つばめの同門同期である立川談志を思い浮かべずにはいられない。この分類の背後に、大衆を魅了する天性の才能との距離を自覚して、考えながら大衆に歩み寄るしかないという自虐と覚悟を感じた。
4.二度と聞けない
つばめは、本書出版の2年後の1974年に亡くなった。つばめを頼りにしていた小さんは、「自分の右腕をとられたような気がする」と絶句したそうだ。つばめの落語を聞いてみたかった。