本格的な参考文献とトリビアな情報から構成されている圧倒的な書籍。
普段は無意識化で存在自体を考慮する機会が少ない音声メディアの歴史がメインです。
発信者/受信者の圧倒的な非対称性や支配/服従な関係性を鑑みざる負えなかった。
IT社会になっても基本的な構造は昔から植民地時代から変化は無いと思った。
それでもいつか消えるか分からないささやかな抵抗かもしれないが、一抹の仮初めで
フラジャイルなネットワークに思いを馳せたくなってしまいました。
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「声」の資本主義 ---電話・ラジオ・蓄音機の社会史 (河出文庫) 文庫 – 2012/5/8
吉見 俊哉
(著)
電話もラジオもレコードも、最初から今あるようにあったわけではない。混沌たる草創期の多様なるメディア状況を活写する先駆的名著。
- 本の長さ345ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2012/5/8
- 寸法10.7 x 1.5 x 15 cm
- ISBN-104309411525
- ISBN-13978-4309411521
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商品の説明
著者について
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専攻は社会学・文化研究。著書に『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『万博と戦後日本』『親米と反米』『大学とは何か』など多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2012/5/8)
- 発売日 : 2012/5/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 345ページ
- ISBN-10 : 4309411525
- ISBN-13 : 978-4309411521
- 寸法 : 10.7 x 1.5 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 371,326位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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2024年3月2日に日本でレビュー済み
声の資本主義
驚異の電気術
声を複製する文化
テレフォンのたのしみ
村のネットワーキング
無線の声のネットワーク
大正のラジオマニアたち
モダニズムと無線の声
再び、声の資本主義。
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2017年3月25日に日本でレビュー済み
もともと博報堂の雑誌『広告』に連載されたもの。
「声」にまつわる近代の社会的システムについて通観した本である。なぜかメスメリズムの動物磁気から始まるのだが、ともかく蓄音機/レコード、電話、無線、ラジオと歴史的時系列に沿って取り上げられていく。
しかし、それらが独立していたわけではなく、相互に密接に繋がり合い、方法論を共有した文化だったということが強調され、豊富な実例が示される。この連関性の指摘に価値とおもしろさがある。
ただ、イマイチ着地点がハッキリしないような……。ナショナリズムの道具としての側面に落としこまれてしまうと、斬新さが薄れてしまうのでは?
「声」にまつわる近代の社会的システムについて通観した本である。なぜかメスメリズムの動物磁気から始まるのだが、ともかく蓄音機/レコード、電話、無線、ラジオと歴史的時系列に沿って取り上げられていく。
しかし、それらが独立していたわけではなく、相互に密接に繋がり合い、方法論を共有した文化だったということが強調され、豊富な実例が示される。この連関性の指摘に価値とおもしろさがある。
ただ、イマイチ着地点がハッキリしないような……。ナショナリズムの道具としての側面に落としこまれてしまうと、斬新さが薄れてしまうのでは?
2012年7月30日に日本でレビュー済み
すでに生まれたときから、声と音の複製技術に取り囲まれ、本来、声や地域の雑踏の音が果たしていた役割を体感することはほとんどありません。また、永井荷風がどれほど往来に声に憧れ、「武満は、音は消え去るものである」と言っても、誰でも身近に安価な代償で手に入れられる「現代の音響技術の発達と環境化は、われわれの感覚世界を、音のこうした本質を忘れさせていく方向に押しやっている」のが事実だとしても、それを便利とこそ感じても、不便で不快と感じる人はもはや多くはありません。
永井荷風からヒトラーへとつらなるラジオによる聴衆の創出の歴史をたどりながら、ラジオや蓄音機、電話と言った、声や音の複製技術の発明と普及が、本来、声や音が創りだしていた地域社会の人のつながりを如何に解体し、消費社会という新しい集権的な結びつきを生みだし、時代の政治情勢に取り込まれていったかが、やや乱暴ながらもダイナミックに伝わってきます。かつて声や音に託された、唯一にしてオリジナルな聖性は、簡単に操作し、編集することができる複製技術の大衆化によって、もはや元に戻せないほどにはがれおちてしまったのでしょうか。
取り替えや再生産のできるラジオや電話の声などの電気信号は、いまやヒトラーの時代の受動的な聴衆を創り出す役割を越えて、地域に根をはらない遠い世界との連携を生みだし、今度は「個人」が新たな発信者となる手段としてのツールとして、今までにないネットワーク、疑似共同体の絆となっていくのでしょうか。
たとえどんなに完璧な複製技術が登場し、我々を均質化する働きをもったとしても、その組み合わせやアレンジの妙を駆使して画一化を逃れ、やはり人類はその存続のために、かけがえのない絆を作り続ける逞しさを持ち続けるにちがいないと祈りたくなった本でした。
永井荷風からヒトラーへとつらなるラジオによる聴衆の創出の歴史をたどりながら、ラジオや蓄音機、電話と言った、声や音の複製技術の発明と普及が、本来、声や音が創りだしていた地域社会の人のつながりを如何に解体し、消費社会という新しい集権的な結びつきを生みだし、時代の政治情勢に取り込まれていったかが、やや乱暴ながらもダイナミックに伝わってきます。かつて声や音に託された、唯一にしてオリジナルな聖性は、簡単に操作し、編集することができる複製技術の大衆化によって、もはや元に戻せないほどにはがれおちてしまったのでしょうか。
取り替えや再生産のできるラジオや電話の声などの電気信号は、いまやヒトラーの時代の受動的な聴衆を創り出す役割を越えて、地域に根をはらない遠い世界との連携を生みだし、今度は「個人」が新たな発信者となる手段としてのツールとして、今までにないネットワーク、疑似共同体の絆となっていくのでしょうか。
たとえどんなに完璧な複製技術が登場し、我々を均質化する働きをもったとしても、その組み合わせやアレンジの妙を駆使して画一化を逃れ、やはり人類はその存続のために、かけがえのない絆を作り続ける逞しさを持ち続けるにちがいないと祈りたくなった本でした。